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しおりを挟む「――だから、もう、シャルハ様ー……!」
扉が閉まるや、思わず呻くように言うと、額に手を当てタメ息を吐いてしまった。
「なんで、ああいうことするんですか……あんなに親切にしてくださった方に対して……」
「君は、アクスごときに愛想が良すぎるんだ!」
「はあァ!?」
なに言ってんだこの馬鹿殿下! と、思わず背後を振り返ってしまった。
「愛想も何も……当たり前じゃないですか! 親切にしていただいたら、人間なら誰でも愛想くらい返しますよ! 何でそんな当たり前のことをゴチャゴチャ言うんですか!」
どこの子供だ! と言い捨てるや、身体に纏わりついていた腕を引き剥がす。
「むしろシャルハ様こそ、アクス騎士の気遣いの仕方など、見習ってみたらどうなんです?」
「なんで私が、あんな奴を見習わなければならない!」
「はいはい、そうですね、そうですよね、シャルハ様はどこまでも俺様殿下ですからね」
「おい……その言い方、馬鹿にしてないか……?」
「ええ、してますよ、ちょー馬鹿にしてますよ、だって私まだシャルハ様のこと怒ってますからねっ!」
殿下を振り払って歩き出した私の背中を追いかけてくる、そんな声を、わざと軽口で受け流しながら、また自分の荷物のところまで足を進めて。
「――で、お幾らですか?」
路銀の入った袋を取り出しながら、背後の殿下に向けてそんな声を投げかけると、改めて振り返り、真正面から向き直った。
「は……? 何のことだ……?」
「船の手配にかかった料金ですよ。幾らです?」
「いや、それは払ってもらうに及ばない。――というか、そもそも路銀が残り少ないのではなかったのか? 船の代金までは払えないだろう?」
「カシム副官から、ユリサナの通貨も別に用立てていただいておりますので、もともと船の代金は、そちらの分から出すつもりでいたんです。だから、ちゃんとお支払いできますよ」
それを聞いて、少しだけ殿下は驚いたように目を瞠ったが。
しかし、すぐに「いや、不要だ」と、首を横に振ってみせた。
「それは当初の目的どおり、ユリサナに着いてからの生活費にすればいい。最初は何かと物入りだろう? その足しにでもしてくれ」
「ですが……」
「気にするな。それくらいさせてくれ。――ただでさえ、これまでの宿代で余計な出費をさせてしまったからな、せめてもの詫びだ」
――なるほど……最初から殿下は、ここで使わせた路銀の埋め合わせをするつもりでいたのか……。
相変わらず、どこまでも偉そうな俺様口調ではあったけれど……まあ仕方ない、こういうお人なのは最初から解っていたことだ、これで謝ってもらったということにして、そろそろ許してやるか。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
答えて私は、手にした袋を素直に荷物の中に戻した。
その手で、また別の袋を取り出す。――今度は、もう残り僅かになった、サンガルディアの通貨でいただいていた路銀の方を。
「ならば、こちらの路銀は、お返しいたしますね。ユリサナに渡れば、もう使うことは無いですから」
こんなに残り少なくなっちゃって申し訳ないですけど、なんてイヤミ混じりに苦笑して差し出したら、つられたように殿下も笑って、「気にするな」と、こちらは素直に受け取ってくれた。
「あ、じゃあ、あとこれも、今ついでにお渡ししておきます」
空いた手で再び荷物の中を探ると、今しがたアクス騎士に差し上げたのと同様の包みを取り出し、改めてシャルハ殿下へと差し出した。
「これはシャルハ様に。ささやかすぎて恐縮ですが、ここまで連れてきてくださったお礼の気持ちです」
「…なんだ?」
「これも、神殿から持ってきていた、私の作ったお茶です。さっきアクス騎士にお渡ししたのとは別ものでして、これはカルミンの花茶をベースに色々配合してあります。精神安定作用がありますので、飲んだらぐっすり眠れるようになってます。シャルハ様は、いつもお仕事でお忙しくしていらっしゃるんですから、せめて睡眠だけはちゃんと取った方がいいです。これが、その手助けになればいいなと思って」
こんなものしか持っていなくてホント申し訳ないんですけれど、と……それを言いかけた私の両手が、ふいにぬくもりで包まれる。
包みを載せて差し出していたその手を、無言のままシャルハ殿下が、まさに包み込むようにして握っていた。
「――本当に、行くのか……?」
見上げた私の視線を捕らえて、見下ろした殿下が、そんなことを言う。
「ユリサナになど行かず、このまま王宮に戻って、私の傍に居てはもらえないか……? それが無理なら、せめてユリサナでは私の宮に……」
「――だめですよ、シャルハ様」
だが私は、それを皆まで言わせずに遮った。
「今の私には、ユリサナ皇太子殿下にお仕えできる資格なんて、ありませんから」
「資格など、そんなものは……!」
「いいえ、だめです。だって、本当に今の私には何も無いんです。今のままの私がこの国に留まって殿下のお側に居るということは、殿下のお情けに縋って、殿下に生活すべての面倒を見てもらって、そんなふうにしないと生きていけない自分になっちゃう、ってことなんです」
「そんなもの、気にする必要はない! 君のためだったら、何だって……!」
「いいえ、私が気になるんです。そんな生活、私が嫌なんです。――殿下に依存しなければ生きられない自分なんて、私自身が、堪えられない……!」
「アリー……」
「私は、ちゃんと自分の足で、自力で立って歩いていけるようになりたいんです。そうでないと、あなたの隣りになんて立てない。自分の足で一人立ちできるようになってこそ、あなたにちゃんとお仕えできる」
わかってください、と……見上げた私の顔に、おもむろにシャルハ殿下が自分の顔を寄せてきて、互いの額同士をこつんと軽く小突き合わせる。
「――わかってる……!」
額同士を合わせたままで、どこか苦しげにぎゅっと瞳を閉じた殿下が、まさに絞り出すような声で、それを応えた。
「君ならばそう言うだろうと、ちゃんとわかってはいたさ……しかし私は、どうしても君を離したくはないんだ……よりにもよって自分の手の及ばない場所に、君を送り出さねばならないなんて……!」
「私だって、離れたくはないです。なにも好きで離れるわけじゃありません。本音を言うなら、もっと一緒にいたいです。このままずっと」
「アリー、だったら……!」
「でも、考えは変わりません。だからこそ私はユリサナに渡って、殿下の傍に居られる資格を、自力でもぎ取ってきます」
「え……?」
そこでシャルハ殿下が、おもむろに顔を上げ、合わさった額が離れる。
ふいにクスリと笑って私は、「待っていてくださいますか?」と、こちらを見つめた殿下を、至近距離から真っ直ぐに見つめ返した。
「ユリサナは実力主義のお国なのでしょう? そんな国でだったら、何も持っていない私ごとき者でも、頑張れば、皇太子殿下にだって手が届きますよね? ――頑張って、ちゃんとあなたのもとまで辿り着きますから……もうちょっと、時間をいただけないですか?」
そして冗談まじりに「きっと十年もあれば何だって出来ます」と付け加えてみると、即「それは長すぎる」と苦笑いで吹き出された。
「君は、十年も私を待たせる気なのか?」
「私は十年、神殿で我慢しましたよ? その気になれば、あっという間です」
「なるほど……経験者には逆らえないな……」
「――待っててくださるんですか、十年?」
「君の頼みに、私が嫌だと言えるはずがないだろう」
しかし十年か…十年…三十路越えるな…むしろ四十路前か…などと、それでも納得しきれないようにぶちぶち呟く殿下の姿に、私も思わず吹き出してしまった。
「まさかシャルハ様が、そんなに素直に肯いてくださるとは思わなかった」
「失礼だな。仕方ないだろう、それもすべて君に惚れた弱みだ」
「へえ~、惚れてまでいてくださってたんですかぁ~?」
「わかっているくせに、そうイヤミったらしく訊くな。――君こそ悪趣味だ」
子供っぽく唇を尖らせて拗ねる、そんな姿に、ますます私は吹き出してしまった。
笑いを堪えながら「嬉しいです」と告げるも、よっぽど不貞腐れているのか、「どうだか」などと余計に拗ねられる。
「どうせ君は、私のことなど『だいっキライっっ!!』なのだろう?」
「あ、そういえばそうでしたね。――でも……それ、もう訂正してもいいです」
「訂正ね……どんなふうに?」
「知りたいですか?」
「私が決して傷付かない言葉を言ってくれるのであれば、知りたいな」
「では、言いません」
「アリー……君は、そんなに私を傷付けたいのか……?」
「そんなんじゃありませんよ。――それは、十年後の楽しみにとっておこうかと思って」
「本当に、ひどいな君は。気持ちもくれないのに、私を十年も待たせようというんだから。さすがに心が折れそうだ」
「それなら……じゃあシャルハ様は、他に何をしてさしあげたら、ちゃんと心を折らずに私のことを待っていてくださいますか?」
聞いた途端、「そうだな…」と、ひととき沈黙して考えたような素振りをされて。
やおら私の首の後ろに殿下の大きな手が添えられたかと思うと、そのまま唇が奪われた。
「――では、思い出をくれないか?」
唇が離れても、それを囁く熱い吐息まじりの言葉が、まだ私のそこを撫でているようにさえ感じる。
「君と愛を確かめ合ったという思い出があれば、ちゃんと折れないで待っていられるかもしれない」
どうしよう……触れた唇が熱い。もっと欲しくて堪らなくなってる。
「今夜、君のすべてを、私に、もらえないだろうか―――」
すごく近い距離から私を見つめる、その翠玉の瞳に、どこまでも切なそうな色がのぞく。
まるで答えを催促しているかのように、殿下の指が私の頬を滑り、それから唇の輪郭をなぞるようにして、ゆっくりと動く。
それを、思わず唇で挟み込んで止めていた。
すかさず、その隙間から入り込んできた指が、舌を絡め取るように口の中で動く。
動かされるまま、その指を追いかけて、自分からしゃぶって、吸って、舐め上げる。
「アリー……」
色っぽく掠れた声で名を呼ばれたと同時、差し入れられていた指が引き抜かれ、思わず追いかけるように出していた舌を、まさに掬うかのようにして唇ごと重ねられた。
さきほどまで指が入っていた口内を、今度は舌で嬲られる。しつこいくらいに時間をかけて、何度も何度も。
――なんてキモチイイんだろう……。
舌同士が絡み合う感触が、頭のシンを蕩けさせ、身体の一部に甘い疼きを与えてきた。
――どうしよう、膝が笑っちゃう……もう、立っていられない……。
全身に力が入らなくなる。お茶の包みを抱えていた両手が、知らず知らず、それを取り落としてしまっていた。
そうして崩れ落ちかけた私の身体が、ふいに殿下の逞しい腕に支えられ、そのまま抱え上げられる。
次の瞬間には、寝台の柔らかい布団の上に、背中から落とされていた。
横たわった私の顔の真横に両手を突いて、真上から見下ろしたシャルハ殿下が、そこで唐突に「ごめん」などと言ってくる。
「もう止まれないから」
「え……?」
「あんなふうに煽られたら、さすがに我慢できない」
言うや、再び唇が寄せられた。
何度も何度も繰り返し口付けを重ねられながら、その合間合間で、シャルハ殿下の手によって私の服が手際よく取り払われてゆく。
「――いいよね……?」
耳を甘噛みされながら、そう、熱っぽく囁かれた。
「今夜、君のすべてを私のものにするから」
「シャルハ様……」
私は両手を伸ばすと、殿下の首に腕を回す。
そうやって抱き付きながら、その言葉を返した。
「私のすべては、もうとっくにシャルハ様のものになってます―――」
その後のことは……初めてのことばかりが何だかんだと立て続けに色々あった所為だろうか、もう何が何やら頭の中いっぱいいっぱいで、あまりよく思い出せない―――。
気が付いたら、もう翌日の夕方だった。
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