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11.君じゃなきゃイヤだ

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『今年のジャパンオープンは五輪の日本代表選考も兼ねているんですね』

『ええ! そのため会場の熱気も例年以上! 選手ではない私自身も、とても緊張しております!』

 お化粧バリバリの女子アナさんと、暑苦しい感じの男のスポーツキャスターさんがプールサイドできゃっきゃしている。

 中継しているのかな? ウォーミングアップをしている選手達を背景に、大会の説明や取材に対する意気込みを語っていた。

 僕は白いジャージを羽織って、黒いスイミングキャップをゴーグルごと外した。そしてそのままポケットの中へ。

 下は――このままでいいや。ジャージ+水着姿のまま歩き出す。目当ての人を、永良ながらを探して。

 早いもので『ざまあ宣言』を受けてからもう一年の月日が経った。

 あの頃は諦めかけていたっけ。

 主人公なんていない。

 バカで軟弱な夢なんか捨てて速さだけを求めていくべきだ。

 誰もいないプールの中を泳ぎ続けていくしかないんだって。

「っ! 永良」

 見つけた。永良は水着姿だった。僕と同じハーフスパッツタイプだ。太股から膝にかけて青いラインが走っている。

「……永良?」

 彼はぼんやりと何かを眺めていた。眼下のプールを見ている……にしては視線が上向いているような気がした。

 僕は永良の視線を辿る。するとそこにあったのは――飛び込み台だった。

 僕らが普段使っている黄色いヤツじゃない。飛込競技で使うコンクリート造りのもの。10メートルの高さを持つものの方だ。

 ブーメラン型の短い水着姿の人達が、軽やかに宙を舞ってダイブしている。

 凄い技術だなと常々感心しながらも、こうしてまじまじと見たのは初めてのことだった。

 あちら側では大会は行われていないようだけど、こちら側にも引けを取らないぐらいの緊張感に包まれていた。

 やっぱり危険だからかな? そりゃそうだよね。10メートルっていったらビルの3~4階、電柱と同じぐらいの高さだもの。

 とまぁそんな感じで、胸の内にいる僕はいやに饒舌じょうぜつだった。

 不安だったからだ。

 とてつもなく嫌な予感がして。

「凄いね。余所見出来るぐらい余裕あるんだ」

 厭味いやみったらしく言い放った。これは虚勢だ。

 胸の中ではバカみたいに喚いてる。そっちに行かないで。ずっとここにいて、って。

「……ん? ああ、何だお前か」

 ここにきてようやく気付いたみたいだ。遅いよ。頬に力がこもる。永良は笑った。吹き出すように。とっても無邪気に。

「……~~っ、笑わないで――」

「余裕も余裕! 超余裕だ!」

「……そうなの?」

「そーだっ! 今日こそ俺が勝つ。勝って俺が代表に! お前に最の『ざまあ』をお見舞いしてやんよ」

 途端に和んだ。ささくれ立っていた心がなめらかになっていく。

 ああ、やっぱり永良がいい。永良じゃなきゃイヤだ。

「ふふっ、それはそれは何ともな話しだね」

「は? 愉快の間違いだろ」

「まぁ、けどさ」

「っへ、今に見てろよ」

 永良はお道化たようにいーっと歯を剥いてきた。

 もしかしてわざと? いや、は多分天然だよね。……いや、どうなんだろう?

 どっちに転んでも美味しいというか、愛おしいというか、何と言うか。

「ふふっ、……ははっ!」

 ダメだ。笑っちゃう。探りを入れなきゃいけないのに。くぎをさしておきたいのに。

「その調子で取材受けろよ」

「ははっ……えっ? 何? その調子って?」

「笑えって言ってんだよ。その…………ツラ、悪くねえんだからさ――」

「イヤだよ」

「は? 何で?」

「笑顔は君限定なの」

「バカ言ってねえで素直に笑っとけ。ぜってー得するから」

 話しが嚙み合わない。いや、取り合ってくれていないんだ。

 馴れ合うつもりはないから。

「……ねえ、どうして――」

「あっ! ほらっ、来たぞ」

 振り返るとそこには先程目にしたアナウンサーさん達の姿があった。嬉々とした表情でこっちに向かって来ている。

「いいか? ちゃんと笑えよ」

 永良は小声で念押しすると足早に去って行ってしまった。

厳巳いずみ選手! お忙しいところ申し訳ございません。少しだけお時間よろしいでしょうか?」

「……はい」

 そうしてインタビューが始まった。

「ありがとうございます! えー……では、この春から高校生になられたとのことですが、何か心境の変化といいますか? これは! といった変化はありましたか?」

「……特には。中高一貫校なので、顔ぶれもそれほど変わりませんし――」

 僕はインタビューに答えつつ、目でその小さな背中を追い続けた。

 笑おうかとも思ったけど、結局笑わなかった。従ったところでたぶん結果は変わらない。

 むしろ悪い方に転がっていくような、そんな気がして。




『Take your marks』

 僕は決勝で永良と泳いだ。彼は奮闘した。全力を尽くしたと思う。だけど、その手が五輪に届くことは――なかった。


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