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14.無自覚系主人公

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 今日は記録会だ。

 参加は自由ではあるけれど、年明けの冬季大会に向けて弾みをつけたり、学びを得たりするのにとても有益な機会だ。

 だから、大抵の選手は参加する。にもかかわらず、名簿には永良ながらの名前がなかった。

 風邪でも引いたのか。あるいは故障か。

「教えてあげてもいいけど、ちょーっと込み入った話しになっちゃうのよね~?」

「分かった。じゃあ、河岸かしを変えよう」

「そーこなくっちゃっ♪」

「っ!」

 腕に抱き着かれた。あまつさえ頬擦りまでして。

 ああ、そうだ。この人『手フェチ』だった。『腕フェチ』でもあるのかな?

「すりすりしないで」

「訳、聞きたいんでしょ~?」

「……悪代官」

「えっ!? それって『あ~れぇ~♡♡♡』していいってことっ!? いずみんのこと剥いちゃっていいってことッ!? きゃ~~♡♡♡」

「絶対ダメ」

「ぶぅ~。まっ、いいけどね♪」

 この人、永良に対してもなのかな?

「……………」

 ダメだ。ほんの少し想像するだけでイラっときた。

「ん? どったの? いずみん?」

「何でもない。行こう」

「あ~い♡」

 僕は我喜屋がきや君を歩き出した。

 少しでもマシな情報を得られますように。そう切に願いながら視線の荒波をくぐっていく。

「うんうん♪ ここでなら人目を気にせずイチャイチャ出来るね♡」

「しないよ」

「えぇ~?」

 選んだのは会場の裏手だ。

 ここには関係者以外入って来れない。

 何人かの選手達が軽く走ったり談笑したりしているけど、こっちに向かってくる気配はない。ここでなら落ち着いて話しをすることが出来るだろう。

「いい天気だね~」

「……そうだね」

 秋晴れだ。雲一つない爽やかな天気。

 目線を下げると運河の上を真っ直ぐに伸びる線路が。その上を勢いよく駆ける電車が見えた。

 向かう先にはスカイタワーがある。永良と遊びに行ってみたいな……なんて夢見ていた場所だ。

「っ!」

 不意に思い出して慌てて掻き消した。隣には我喜屋君がいるから。

「いずみんってば、ほんっと俺には興味ないんだね~」

「違うよ。ただその……色々と余裕がないだけで」

「ふふっ、そう! そんな君だから教えてあげる気になったんだ♪」

「えっ……?」

 我喜屋君の体が離れていく。驚く僕を見て彼はしたり顔を浮かべた。

「ユキちゃんは引退したよ。飛込に転向したんだ」

「……っ、やっぱり」

 予兆はあった。

 五輪選考会の時、永良は飛込の方を見ていた。あの時既に決意していたんだろう。競泳を引退して飛込に転向しようって。

「ユキちゃんってさ、脚力エグいでしょ? あれ飛込から見ても超美味しいみたいでさ~。すっげえ熱心に口説かれてたんだよね」

「いつから?」

「う~ん……1年半ぐらい前?」

 今は10月、永良と僕が出会ったのは去年の4月頃だ。1年半前となると丁度出会った頃の時期と重なる。

「どっちが先? 僕と出会ったのと、勧誘されたの――」

「勧誘の方だよ」

「……じゃあ、飛込の人達には待ってもらってたってこと? 期限付きだったの?」

「いーや、無期限だったはずだよ。何せ目標がベリーハードだったからね~」

「目標って?」

「君の笑顔を取り戻すこと。君の言葉を借りるなら、ギラギラな君を取り戻すこと……かな?」

 驚くことはない。最初から分かっていたことだから。

 悔しいのは――伝わらなかったこと。

 取り戻したギラギラの僕は、永良ありきの存在であるということだ。

 恥を忍んでの手の手で伝えてきたつもりだったけど、結局永良には伝わらず、僕のもとから去って行ってしまった。

「あれ? あ~! ごめん! 何か違うとこあった?」

「………………」

 深く息をついてから顔を上げた。すらりとした長い脚を持つ水鳥と目が合う。直後、汚らしい声を上げて飛び立って行った。……何あれ?

「おぉ~、怖っ。トリちゃんご愁傷様~」

「……我喜屋君」
 
「あっ、はい」

「永良の居場所、教えて?」

「へへへ~っ! そうこなくっちゃ★」

 こうして僕は教えてもらった。永良の新しい居場所を。

 東京ダイビングスクール。

 東京23区に隣接する三鶴みつる市にあるらしい。僕は直ぐに見学を申し込んだ。明日、僕は永良に会いに行く。

 僕はクローゼットから黒のハードケースを取り出した。ずしりと重たい。中にはメダルが入ってる。五輪で貰った金メダルが。


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