不器用だけど…伝わって‼

さごち

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二十話 ~マルチな勧誘にご用心~

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「伊~澄?」

 わざとらしい上目遣いと聞いたことのないやけに甘ったるい高い声。
 細莉の唐突な行動にはもはやある程度の態勢を獲得しつつある蓮だったが、その蓮が動揺するくらいには目の前の細莉は異常であった。
 こいつがこんなに可愛いはずがない! とかそういう話ではない。


 問題はもっと単純に、ここが現実であることだ。


 目の前の細莉はいつからか掛け始めた眼鏡姿であり、どういう原理なのか現実世界ではやけにもっさりしている長い髪の毛や全然整っていない前髪もここが現実であることの証明となっている。
 その細莉がこの行動。裏があるとしか思えないが、裏があるならあるでそれは夢に持ち込んでくるはずだろう。
 学校の帰り道にいきなり目の前に現れたのだから、待ち伏せしていたのはわかり切っているがいかんせん細莉の狙いが読めない。

「なんだよ……」

 若干怯えすら感じる蓮の前で細莉が鞄をごそごそと漁り始める。
 出てきたのはナイフでした。いきなりぐさー! なんてこともあり得そうではあったのだが、細莉が取り出したのはやけにカラフルなパッケージが目を惹く透明な液体の入ったペットボトルであった。
 細莉はそれを蓮に差し出しながら、可愛く小首を傾げて見せる。


「お水買わない?」
──まさかのマルチ商法だったぁ⁉
「伊澄にも感動体験をしてほしいの!」

 キラキラした目が怖い。
 ぱっと見では感動体験をシェアしようとしている可愛らしい少女だが、キラキラした目は間違いなく、今から獲物を引きずり込もうとしている狩人の目なのだ。
 それにしたってずいぶんと古典的なものに引っかかっている。
 まぁ水素水しかり、この手の効果に疑念の余地を抱える怪しげなものが根絶された過去はないわけだが、水を勧めてきている時点で、細莉の裏に何かしらの良くない奴がいるのは間違いないわけで。
 ちょっと目を離した隙に友人が遠い所に行ってしまったと、想定外の展開に顔が引きつる蓮の前で細莉は水を抱きしめる。

「この水にはすごい力があるらしくてね~! 飲んでるだけで辛い気持ちとか悩みが消えていくんだって~! 私も何だかこの水を飲み始めてから心が楽になったような気がしててね。それを伊澄にもおすそ分けしようと思ったの~」

 ふわふわとした喋り方で身振り手振りに水の説明をしているが、そんなことより現実でも夢でも見たことのない性格になっていることが恐怖ポイントだ。
 ぶっちゃけすでに洗脳されているのではないかと疑ってしまう。
 無視して今後関わらないという選択を取るのが、この場合の最適解ではあると思うのだが、いかんせん見捨てるのは心が痛むくらいの仲ではある。
 最終的にどうするかは一度くらい諭してから決めてもいいだろう。
 そんなわけで蓮は間違った道を進んでいるかもしれない友達を救うべく手を差し伸べることにした。

「……とりあえずその水をこっちに渡してくれ」
「もちろんだよ~。持つだけでもパワー感じちゃうかも? きゃー!」

 蓮が水に興味を示したことで細莉のテンションがさらに上がる。
 だが、現実は非情だ。
 というより細莉の目を覚まさせることが目的なのだから、水を手にした蓮のとる行動など一つしかないのである。

「こんなものはこうだ」

 受け取ったペットボトルの蓋を開け、蓮は躊躇いなく水をバシャバシャとぶちまけた。
 細莉の顔が笑顔のまま硬直する。
 蓮が空になったペットボトルをペイッと投げ捨てた。
 コロコロと地面を転がったペットボトルが細莉の足元に到達し、細莉はそれを拾い上げようとでもしたのか膝をつく。

「ど……」
「ど?」
「どぉじでごんなごどをぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」

 膝どころか両手までついて、細莉が泣き喚き始めた。

「目を覚ませ。世界にはいろんな水があるが、飲んだだけで辛い気持ちやら悩みを消してくれるパワーを持つ水はない」
「水には心を落ち着ける効果があるって見たことあるもぉぉぉぉぉぉん‼」
「それって飲むんじゃなくて、ASMRみたいな水音を聞くとかの効果だろ」
「けど、この水を飲んだらちょっと気持ちが楽になった気がしたんだもぉぉぉぉぉぉん‼」
「プラシーボ効果でお前が楽になるのは良いことかもしれないが、今回は内容がよろしくない」

 細莉の抗議を全て否定していて、蓮はふと気づいた。
 そもそも細莉の言う辛い気持ちや悩みとはなんなのだろうか?
 学校での細莉がそれを打ち明けてこないのはまだわかるが、夢の中でならその片鱗くらい見せてもおかしくないはず。
 自分に言えない悩みを細莉は一人で抱えながら、それでも普段通りに振る舞っていたというならば──
 それは少し頭に来てしまう。
 細莉に対してではなく、能天気に気付きもしなかった自分自身に。

 泣き崩れて動かない細莉の肩を蓮がポンッと叩く。
 優しい声で、蓮は細莉に原因を聞くことにした。


「話してみろよ。何が原因でこんなのに手を出したんだ?」
──お前じゃい‼‼


 煽っとんかゴラァァァァァァ! と言わんばかりに様々な感情でひどく歪んだ顔のまま細莉は蓮を睨みつける。
 そうなのだ。原因は他ならぬこいつである。
 青春ごっこで友情底上げ大作戦が尽く空回った細莉の心の拠り所が怪しいお水だったのだ。
 しかし、そんなこととは露ほども知らない蓮はいつもならば笑い飛ばしそうな細莉の顔を見ても真剣に細莉の目を見続ける。
 その真剣な顔すら気に喰わないので、細莉のへそは曲がりっぱなしだ。

「俺には話せないのか?」
「話したくない」
「どうして?」
「自分の胸に手を当ててみれば?」

 言われた通りに蓮は胸に手を当て、ほんの少し考えたのち。


「全っ然わかんないな」
「そうだろうね‼」


 もしかして、俺のせいか?
 なんて言葉が出れば良かったのだが、真面目モードになったところで蓮は蓮。
 鈍感男にそんな察しの良さはないのである。
 しかし、察しは悪くともこいつは主人公。
 無自覚系とかいう一番タチが悪い属性を度々披露する男であった。

「けどさ……」

 ガルルと歯を見せ怒る細莉を見ながら、蓮は笑みを浮かべた。

「こうやって遠慮なく言い合いが出来るのは俺たちの良いところだろ? 俺はお前と言い合いするの好きだぞ」

 ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン‼
 と、細莉の胸に超特大の矢がぶっ刺さる。
 お前が好きと言われたわけではないが、めちゃくちゃ捻じ曲げて解釈すれば好意があると言われたようなものだ。
 物凄く捻じ曲げて、加工して、曲解すれば、お前といるのが好きだと言われたも同然だ。
 それは響の出現により細莉が感じた不安を吹き飛ばすには十分なもの。
 そして、細莉の心のメーターをぶっちぎるにも十分なものだった。
 崩れ落ちていた細莉はがばっと立ち上がると、足元に転がる空のペットボトルをぐしゃりと踏み潰す。

「モウ、ミズ、イラナイ」
「お? わかってくれたのか?」
「ワカッタ」
「理由はよくわかんないけど、なら良かった」
「シンパイカケテ、ゴメン。ジャ、ワタシハコレデ」

 やけにカクカクとした動きで細莉が去っていく。
 蓮が見えなくなるまでしばらく歩いた細莉はピタリと足を止めた。
 衝撃でむしろ真っ白になっていた肌に血の気が戻り、その血はどんどん熱を帯びて細莉の顔を真っ赤に染め上げる。

「へ、へへ……ふへへへへ~……!」

 自分でもわかる熱い顔に両手を当てながら、にやけ面で体をくねくねさせる細莉は幸せそうな声で一人悶え続けるのだった。


 ちなみに

「誤解だ、伊澄! この水は危ないものなんかじゃない‼」
「うっさい馬鹿野郎! 余計なもんを広めやがって‼」
「あぁ⁉ 在庫が、在庫がぁぁぁぁぁぁ⁉」

 犯人は次の日に発覚した。
 細莉の心変わりを知らなかったせいで呑気にまた水を渡しに来た武田と蓮がばったり出くわした。
 興味があると嘘を言って、水を隠していた体育倉庫まで案内させた後、保管されていた水を全て蓮がぶちまけたことで今回のマルチ騒動は終焉を迎えたのだった。
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