カタツムリの旅

成田ぽっぽ

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カタツムリのお話

(1)カタツムリのエルーパ

 少しばかりお話しします。

 『意識』ってあるけれど、それって何だろうと疑問を持っている青年がいた。

 それは、いつかは未来で日本の禅なりの立派な美しさを自分の心の深さに変えたいと思っているヨーロッパの一人の若者である。

 そういった青年の傍らにはその土地に住む不思議なカタツムリがその人を見守って環境の中、雨の日はいつもその青年の意識の中へ融け込んでいたようだった。

 日のいづる国日本。その島国の土地柄や文化を模倣した、渡都尊(ワトソン)と言う特設日本領域がヨーロッパで建設された。半径数キロの特設ドームである。

 そこには日本家屋などもあり、暖かみのある落ち着いた趣向の日本料亭もある。その独特の風土を感じさせられる特有の世界が、ヨーロッパにも出来上がった。日本をかもし出した世界がそこには生じているのだろうか?

 意識とは何なのか?青年は思い考え悩みもした。日本にその答えはあるのだろうか? 特設日本ドームにその答えはあるのだろうか?

 そちらの国や領域の入門編は時計の針の動きさえ神経質と繊細さを合せたと感じられるくらい緻密な心と社会と言葉の勉学が必須な領域である。

 その国やそのドームの会長クラスは有事の祭に食事には懐石料理があり、その食材たちの命の運びの最期を知らせるように、その土地での勉学には最後の晩餐があり、その中のエスカルゴ料理を食した青年は、

 【眠り、浸っている。ひっそり棲まう僕の勉学の心を宿したカタツムリが、眠り、浸っている。それは皆の耳の中にいるのだろうか?】

 青年の老婆心からの日本思考を書物の音読の勉学により伝えたりするそのエスカルゴ、ひいてはカタツムリ。人間の言い方に変えれば、それは三半規管。

 過去には太平洋の東アジアにある大型台風のお導きで、妖魔のカタツムリのグランドエルーパという爺さんに、地球上の生命体にて頭脳の切換スイッチを生じさせるため、世界の上空に【レインボール】といった小型台風製造器と称して宇宙船を旋回させた宇宙人。

 その日本の空の下、いくつかの古島に小動物などの生命体がほとんど住んでいない岩の諸島あり。そこには食す静と動の生態系を敬う地球外のもの、知的生命体たちもいる。

 岩々の渓谷に吹く風の流因を移動させ日本の気風を神風に変えた小型台風の神、グランドエルーパ。昔話から現れた妖怪のいる20世紀以前の時代にはその先祖がいて、宇宙人たちは風に乗って空から見た大陸の景色にはいたく感動したそうだ。

 その国に馳せ参じた、とぼけた小僧のカタツムリには、日本のお袋の味が伝わり、その料理は遥か数千キロの旅にて、インド洋で形を変えた。東南アジアでは発祥の地として新しいカタツムリも含めた料理が育まれたそうである。どうやら、カタツムリはどこかの国で上手いこと料理に化けたようである。それは何の気もしない偶然から生じた宇宙からの信号であったようだ。カタツムリの食後は眠りの中でお休みなさいで、さようなら。

 ......なので人間様はお気にめさず。

 一般の食べられたカタツムリには食前の寒さの意味は分かるまい。

 ......悩みどころが分かるまい。

 それは異次元の生命体が危機にあったとしても寒さしか伝わらないような、来訪者の作るようなシステムなのだから。

 火葬とは異次元の空間へのささやかな優しさであるのかもしれない。人としてあるべきささやかな悩み事であるのだから食べられることも、死力を尽くして、いとおかしことなかれ。熱ともあれば汗ふき出す、命あれば魂、粒転する。


{日本の月並みなレストラン}

 日本にはクリームシチューという海がスープの具材として出来上がった食されるカタツムリのレストランがどこかにあり、その南のインド洋の湾岸から、かなりかけ離れた海上には、誰の仕掛けでもない水の栄えた小宇宙である日本庭園の中に日本料亭。『食卓で召し上がられるわたくしカタツムリのエスカルゴ料理』と時代を救った一時の自分へごちそうさま。でもおやすみなさい。

 海上に浮いた電車の発車時刻の街に、貝ならではのカタツムリレストラン。そこは魚介類の倉庫。

 その倉庫の世界が生じたのはその時代の濃い『意識』のあった宇宙の記憶が保管されていた海の生き物がいたから。記憶をさかのぼっていくと宝である食事の出来る生活の場、後での大海の中での古島。

 人としてあるべきささやかな悩み事であるのだから食べられることも、死力を尽くして、いとおかしことなかれ。熱ともあれば汗ふき出す、命あれば魂、粒転する。

(2)地球に夢を見る


 その各国には時差があるあいさつがあり、時計は昼間の1時を廻ろうとしていた。そこには数多の歴史的言葉の入った各国独自の時刻や場所でのあいさつがあり、ありがとうやどういたしまして。とても喜ばしい限りです、いえいえ、と日々のやり取りがある。休憩所ではガヤガヤとしながらも凛として出来上がる社会の労働時間にはカタツムリ様も舌を巻くばかりだ。人間の社会でも大事な昼食といった醍醐味がある。地球の反対側では眠りを感じる闇夜の頃には、おやすみなさいといった気持ちで皆、夢の中に入っていく時間なのにこちらでは食事中のようだ。

 カタツムリ様は東アジアにある国々や諸島には天下の大陸に入りかねた、ありがとうの文化があると喜び、その国内中を行脚した。どの国でも当たり前のように人生をやり直す生き方なんて幾らもないのかもしれないから、冥土の土産に、と。

 そこでは心の脆弱な青年だったおじさんに出逢ったカタツムリ様でありました。

 カタツムリ様はおじさんの脆弱な心が心配になり、その青年だったおじさんにある程度、健康な心が戻るまで、暫くその耳の中に棲む事にしました。

(3)意識を考えていたおじさん

青年だったおじさんはふと思います。

 他国からの数多の聞きそびれた人々の多くの夢は、叶わなかった僕らの叫びと似ていて、僕達も大人になる前には多くの色々な想いを持ち、将来の希望には絵空事である様な物語りが出版されており、子供の頃などは大人に対してはなに食わぬ顔をしてそれを楽しく読んでいた。今思うとその当時は書物の、特に天国や神が出てくる漫画には良い夢を見たと思えることもあったけれど、子供の頃、神様がいることを信じられなかったので、仏教で言うところの美徳としては、輪廻転生のような情報を聖教新聞から学んでいた。
 けれど、それも救いとしては満たされる価値にはならず不満だった。僕は心の病を持っていたので、幻に追われていた。その中の一つに幻聴というものがあった。その幻聴から来るものは神と僕に言わしめる程の強迫観念を与えてきた。その空耳は何でも見透かされることを拒む器の小さい神であったから、そこにある心の寂しさや、物憂げさを心で抑え込めなかった。僕自身、幻聴が煩わしくて辛くて好きになれなかった。それ程幻がかった辛い日常だった。その音が消えなくてもどこの宗教にも入っていなかったし、神が心の中にいるとも考えたくなく、思いたくもなく、それは遠くの宇宙にいる抽象的な概念、もしくは環境音の中に取り込まれた音としての神などとしては信じられるようにはなっていったが、僕には要らぬ長物であった。大人になった今、自分の経験と向き合って、曖昧にも死の恐怖を紛らわす事のできる気持ちにも時折にはなれる時間が増えてきた。今となっては所々にその考えや気持ちを、それらの類似パターンを念頭に置き、何かと安心を少々抱けて生きている。ただそれを考えすぎたりすることは億劫であったが、考え方として必用である。出来ることならば、それを感覚まで落として意図しないまま、日常生活の中で融け込んでいくような所作にしたいと思っている。

 少年の時の恐れおののく人生への弱気は払拭したい、と言った感情に駈られる事も今まであったけれど、大人に成った今では振り返ることになんの意味もないとしたい。


(4)寒空の冬季オリンピックを観て世界を考える

 若いようで、もうこの歳か......大人の刺激も何かと欲しい訳だけど、と思ったあのまだ若いのに年寄りぶった時期を振り返ると、青年期に本当に欲しかったのは日本の冬季オリンピックをテレビで観ながらも、日常の平和で平凡な生活を育めたあの当時、挑もうとした夢があった日々ではないかなと2020東京五輪を観ながら本の少し思った。それとその放送を観ながら、外国人の明るさには敵いたくないかもしれないけれど、と今では何となくも落ち着くことを望む気持ちでいるんだ、自分も変わったな、と思っていた。

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 東アジアの社会人とは童話から始まる漫画や物語りの中に本当の社会があったらな、と厳しい労働時間に酷使しながら、儚い夢をみる人々もいる不思議な世界だ。

 時に子供の心を忘れなければ、読んだ事のある童話の中に入っていくのも良いかもしれませんね、とカタツムリ様は忙しい東アジアに沖縄の港から、中国と北朝鮮や韓国に顔を向けて一礼し、涼しげな面持ちで、恩着せがましいと思ったが、その一言だけ、発言した。

 所変わってカタツムリ様のエルーパのご子息様のイルーパ様も心の健康を知りに南国に足を運ばれたことがある。心の豊かなそれらの土地の明るい人々には、幸せになったその幻のようにも見えた現実の時の緩やかさがあり、太陽の日射しがいつも当たる暖かい国だ。その国の人々は雄大さを大切に出来る、大海に似せた時間の不思議さを上手に生み出す事に長けている人々なのかな? と旅先では思えてくる。だって、昼にはその國の世界が見えないくらい、輝き照りついた熱風吹き荒れる土地なのに、国の人々は明るい心のリズムがあるようだったから。

 そのリズムが落ち着いてきた雨水の粒の雫る梅雨の空の事。時は闇夜の丑三つ時。日本に舞い戻ったカタツムリ様はいつもの居場所に似ている場所に寝床を決めた。あの少年の様なおじさんは何処に行ったんだろう? 探した方がいいのかな......いや、寝ていよう。あの子もあれから正気を取り戻せる私の声が聞こえるようになる、姿似のカタツムリは耳の中に付け足したし。


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 公園では星空の見えないベンチに小銭、数多の労働をいとわない強き心を維持しようと、誇りを捨てない自分なりの努力を持った浮浪者のお爺さん達がおったので、そのお爺と喧嘩したおじさんは泣きたい気持ちになり、その国の太陽が沈んだお家で現実から離れる為にうたかたの夢を見始めたようだ。


(5)話の世界は静かにリビングで廻る

 【まるで夢のように夜を覆う雲の切れ目には世界が見え隠れしていて、星星から見たら古めかしい洋服を着た天上の仙人は、パンと牛乳を食しながら夜になり霧状になった雲が舞い降りた砂漠のオアシスで、人物の心が浮き彫りかされるのを待っていて、アニメのような神秘性がある心の鏡には他の人物の心が映ってるようで、実は怪我を潤していた自分の心の内面が映っているだけだった。それは人々が神を慕い、神の存在を最初に涼しい宇宙の闇として観たから何も考えず、そう思いもするのだろう。陸地の海に保管された地球の水鏡の水面は、他の国へ仙人が人々を誘導するのだろうか?】

 夢を見ている丑三つ時、少年の様なおじさんはその夢の中でその砂漠のような大地に人々が続々と列を作っているのを見た。砂漠をいつも歩いていると、いつの間にか空は闇になり、宇宙を感じる夜空に虹の架かった星星を観る。

 世界の果てに何があるのかなと思った。

 星の中で夢を見るおじさんとイルーパ。

 中近東の砂漠にいる様な鳥取砂丘への旅行先を想像したおじさんはそんな夢を見た。いや、もしかしたらそこは大きな巨人の子供が遊ぶ公園の中の砂漠だったのかもしれない。

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 白熱灯がまぶたの外で明るいことに気付いたけれど、頭の中にまだもくもくと出来上がる不思議なままの世界がある。子供心、気持ちではまだお家のダイニングでフルーツなどが惑星として桶に浮かんでいて、そのキッチン台から見える眩しい空の先の宇宙には僕の求める宇宙は無くて、白いままのその空の世界にぷかぷかと雲が浮かんでいるように雲の上に国々が浮かんでいたら良いなって思えてて、空の上の虹はその国境の無い世界を結びつけていると思った。

 雲の上に丸い無機質な世界があっても良いとも思えた。だってそこは走馬灯の回らない心に対して優しさの欠けた人と神が供に作った世界だろうから。そういった天文学の歴史を聴いたぐらい暗い気分になった小さなおじさんの僕。
 僕は思った。カタツムリ様は、だから僕の幻の耳には、宇宙からの音の神々の領域と、音沙汰ない神の声を環境音としては、互換性のほど良いリズムに変える必用があったんだろうと思っている。


(6)

 丸いフルーツの様な、でも昔ながらの惑星は軌道修正も終えず、未知の好奇心を人間に教えてくれる。だけれど、地球にフルーツを持ち込んだ自然の神などは、大宇宙とは夢のある世界でここがシミュレーション宇宙といった世界だと本当は気付いているけれど、それでも地球人にその大宇宙としての世界観に挑ませようとして、食べ物から想像した力を人間に対しては、創造的知識欲の世界に代えさせて、あまつさえ知識欲とは人間としての心といった形に閉まっておき、何処まで夢を抱けるか? そこに能力を得たいのならば、知識欲を情報のみでなく感覚としての二つに割り振って見納めようとした。

 物言わぬ神は語り部の言葉が環境音のようなものになり、心のうわの空で聴いていたスズメのさえずりは、心からのさえずる声へと感覚的に変わっていき、細やかな小動物から感じ取れる心。優しい人々がものへ持つ気持ち。何かと不思議な気持ちである。
 それはハッキリさせる為にも可愛らしいペットにその心は、時が経つごとに愛情の流れを感じさせられる。亡くなった愛らしさとは、幻の存在として探し、情報として探さないのが一般的に人としては、自然な気持ちであるのでは? とも思われる今である。夢の中で鳥取砂丘へ旅をしてきた気分になったおじさんはそう思った。そして旅から得た情報は文字として洗練され心の中に音として刻まれる。あるべくしてある生命のリズム。

 でも僕なんかは、なんだかそれが、怖い、物々しい。

 だから宇宙の無機質にも見えていた冷えた空から観た、大宇宙の惑星に挑む人間はいままでいたけれど、改めてふと思う。

 生きるのは地球で良いんじゃないかと。

 不思議な地球で実ったフルーツは科学がともなえば青空に翼をつけない丸い惑星の一つ一つに、文章の分解と再構築の素質があって、優しい映像的資質を加えられる事で、あることを樹立できる。それは地球に出来た小惑星の誕生である。改めて創造力から発展した地球上の人間に得たいの知れない能力はそれを求めていた。心の安心と生活の質と世界の安定と共に。

 そこには新たな生命は地球上の不思議なフルーツ惑星に出会った感激がある。

 素質に本当にロマンを感じるのは自分が興味のある勉学にそのフルーツを採り入れて、季節の風情を世界と観る事ができたから。そのフルーツはいつからか科学の手によって地球の雲の上や空の下にメタバース由来の擬似的空間を造り出せている。

 そんな時代がいつか来て欲しいと少年の様なおじさんは思えた。好奇心を不思議なまま過去の惑星や宇宙に向けて懐かしがっていた心が先か、もしくは安定した美しい空の見える田舎の星などに気付くのが先か。単純明快に言えば田舎に行くか都会に行くか。僕などは下町が一番過ごしやすいけれど。
 

(7)話し半分の交通公園の世界

 夜の地球の大きな海水のように銀河の見える交通公園の特大な機関車の間には、列車のレールの続いていく世界への空間があり、神からのいかづちのなる闇夜として存在し得る暗闇には、星の通り道を散りばめた宇宙がある。その宇宙空間の星と星を結ぶのは宇宙ステーションであり、宇宙人に火星から模倣された地球は戻ればカタツムリの類曰く、地球といった世界は宇宙人にとってみれば世界の列車のある地球の交通公園に似ていると言わしめた。
 その火星まで出向いた保存食としての生き残りのカタツムリは、火星の列車でも玩具では1番先頭に乗ったことがあると自慢している。  
 中々先頭に乗るまで遠慮も入っていたから、列の最前線に並べなくてがっかりしていた。
 人類の宇宙空間の庭には、ぽつん、ぽつんと張り巡らされて食べられてしまった、カタツムリの貝殻の類の石のようなものがあり、それは残骸として惑星に隕石となって降ってくる。地球の担当の管理者のグランドエルーパはレインボールの輝く世界を地球上のガラスの眼、海で見ていた。だからかその息子の小さなカタツムリはキラキラ光る虹の橋を人が通らないかな?と、自分の瞳で世界を映しながら、泣く泣く心の見えぬ父からの海の鏡を羨ましく思っていた。息子は火星の生活のルールを覗いていたいとも思っていた。それをどこかのババ様とカタツムリは星空の下、本を読みながら林檎をかじり眺めている。


 【おかしいな? 難しい話だけれど、だから僕には分からない世界があるのかな?そうなんだろうと、カタツムリの子の小さな可愛いカタツムリは言っている】


(8)森羅万象のエルーパ

 その洗練されているような森羅万象の全貌自体、カタツムリの観測から展開していたのだ。そのポロポロ泣ける地球上の映像の話も歴代猛者の誰かしらが書いた諸説ある物語りにあったようで、その物語り通りにいつからか火星の露草世界は、毎日毎日雨が降るような季節を迎えていた。そこには、森羅万象には無視されていたような地球以外の現世が描かれていた。ことに星の夢見の朝に深い眠りは、若さを封印されていた老いた朝のババ様であり、若返りのために深林の林檎の樹から赤い林檎をもぎ一人で食べた。

 林檎はさっき食べられたばかりだと言っていたのに、もう食べられまいと思った恐れがある。もしかしたらと思った林檎の妖精は食卓を飾る林檎の準備ができていなくて、いやいやながら手掛かりとして、現代の宇宙からのささやきに聞こえる『恐怖』といったものを覚えて、憂鬱になったり、カンカンになったり、感情に障害とも思える喜怒哀楽の激しさを抱いた林檎は、胸の中の林檎の妖精の愛情を天からの手助けの声だと泣きわめいたから、食卓の窓の向こうに生えている林檎の樹で雨宿りしていたカタツムリは、この星の滞在者のおじさんやババ様や林檎たちが何処からきたのか所在が分かってきたようだ。それを知ったカタツムリは長い間声を聴かしていた、おじさんの耳元から出て行くことにした。

 得てしてカタツムリは人間の感情の複雑さを含みと覚えた。


(9)

 それだけ地球の世界に悪巧みをしていたカタツムリの張本人の宇宙人達は、反省していても、生意気なので、ろくに謝らずに反発ばかりして、おじさんだけではなく、地球上のあらゆる生命に攻撃を仕掛けていた最悪の厄災だった。つまり詰まるところ、命の長さは宇宙人によって決められていた。

 地球人の優しさから損害を受けていたおじさんの暖かな心は、胸の中の破壊され続けた多くの者の意識でもある。再生さえも続ける真っ赤な林檎といった表現では、事足りぬ火星人の地球に対する熱のいれよう。

 火星人の地球人の脳細胞への愛情のアプローチには、生命の息吹さえも感じられるであろう。

 その脳といったものから対比した、自然な記憶倉庫である心臓といったもの。生命の鼓動の鳴る心臓。私達は身体は脈拍と共に、脳からの感情の揺れに多くの者の感覚や、それらを元にした意識も生じているのだとカタツムリは思った。カタツムリから選抜される、心臓のような真っ赤な林檎のバランス感覚は、動物である事の証。そのカタツムリは耳の中に潜んでいて、いつか私にも記憶が宿り、新たな旅路を行くのかなと思った。


(10)

 そういった神々の果物は、生命によれば心臓といった心に新たな記憶の保管場所らしい。それは人間が創りし、優しさの人工的、心の甘さ、弱さにも変えられる。それが加工技術であるいっときの味を料理として保管する繊細な心から生じた、コンビニといった文化が概念的発祥の場所である。

 インド洋にオレンジ伝説があれば、日本には林檎の紅玉のような真っ赤な梅の花の伝説がある。梅酒は美味く、冷たい梅酒は格別に美味く、それが美味く飲めるのは、世紀の功労者達が造り出した冷凍食品の宝の倉庫、冷蔵庫のおかげである。

 インドの伝説の精神性もありながら、日本の梅酒である毒を解して旨味を食すといった、悪いものを切り捨てならず、美と還す。そこには結果だけでは答えにならない、曲がった事は曲がった事として認めて、そこからの再出発を認める。その価値観がまだ世界中で完成していない極みの現世の世界に天国と地獄を彷彿とさせる世界であるし、そこはさらにまだ未知の領域を色々な世界に提案と不問の、問題を死と対峙して作り上げようとしている。それが日本の精神性である。

 そういった価値の元の情報が、成熟しないで種として残っているのが、今の日本の文化なのかもしれない。
 それは森羅万象から受け継いだ神々の睡眠する為の倉庫なのである。

 触らぬ神にたたりがあろうとも、そこはそこまで触れないと、人間は死を恐怖してても、天国と地獄の世界を創ろうとは思わない。


(11)

 21世紀の日本はヨーロッパに比べずとも変化の絶え間ない気風がするが、だいぶ前、中世時代のヨーロッパは非日常のカタツムリ様への優しさでカタツムリレストランにたらふく愛情をこめて食していた。ごちそうさま。少し前まではヨーロッパも世紀末に果敢に挑み、少し人より浮いてしまっていたカタツムリの父グランドエルーパの、親戚の寿司職人より、先に時代に現れた日本の料理人たちは世界の職人芸とヨーロッパの人々には思われていた。

 日本人は世紀末以降、日本の米文化を稀有していたし、ヨーロッパ圏はイタリアやフランスの料理人たちを筆頭に、自国の食文化の未来にアジアの食文化を取り入れようと、その外国の食材に可能性を感じていた。

 料理人の知り合いのカタツムリ様の為に、母の知り合いのフランスの料理人に、試しにババ様の料理は良い味が漂うし、その林檎の世界をイタリアの料理人にも食べさせて差し上げたら? と、地球の中の二大料理の縁を保とうとした。

 ヨーロッパには林檎の樹に囲まれた海がある。その船の碇をおろされた地中海の世界の食文化は、火星を日本と見立て、神の林檎を生み出す能力という呪縛にかかってしまっていた。そこから遥か極東へ行くと日本の瀬戸内海がクリームシチューの海といった栄養豊富な領域に変化したのはつい最近の事だとおじさんは話す。過去の懐かしい日本の料理人の心意気を汲んだおじさんの本物の林檎を食さない食事作法からも、この近代に至るまでに、食の時代の光景が、ヨーロッパからの果物を取り入れるフルーティーな食材などが、今まで中華料理や日本料理のようなアジア圏内の食材に大々的に広まらずにいた理由が分かります。

昨今になり、料理人が渡った事で、その土地の郷土料理は、少しずつ中国や日本にも広められていたことが分かり始めました。

(12)カタツムリ様は郷土料理を食しながら思います。


 その世界は長期的に耳鳴りの落雷のない灰色の雲、青い空に埋没した宇宙観と世界思想で出来ていた特別な空間であり、その世界がマゼラン万華鏡として点在しても誰もが宇宙の見えぬ不安を近代の暗い夜空の帰宅時間、雑踏の静けさから安心の食卓に最後に見た部屋は明るみを帯びていた、と皆話す。疲れはてた市民達は小宇宙を自分の自宅の近所のスーパーやコンビニに見る。レストランに行かずともカタツムリは現在はエスカルゴ料理に変わっていましたから。それほどカタツムリ料理は近代では珍しくなくなり始めていたし、食文化は様変わりし始めているので、その食材達も眠りながら不思議に思う。カタツムリのJr.や小僧は僕らはここにいるだけで宇宙の成り立ちは例えば想像力を働かせれば皆死んだはずなのに何でこんなこと想うんだろうとコンビニやスーパーにて生きている様な錯覚を思う。僕達、まな板のタイよりましだったね、と皆で『ふふふ』と笑う。また生まれ変わったら会えると良いね、と皆で一匹一匹それぞれ思う。人間になれたら良いなと、食べられた後の自分を、卑下もすることなく、一匹が思うと、おたく寝惚けてんじゃないの?と別の一匹が話す。みんな少し泣きべそをかきながら失笑する。人間が死ぬ前にエアコンつけてくれたからね、と言うと、それ勘違いだよと、また一匹が言うけど、分かってるよそんなの!とそのエスカルゴは少し怒りながら返すと二匹は口論を始める。でも、なんか寒いねこの中、と二匹の仲を取り持つ一匹がいると、みんな本当は仲良かったよね、とみんなで励まし合いながらふと、死ってこわいなぁと正直な生きることへの夢の告白の空間がそこには出来上がっていた。


(13)私は花の匂いになりたい

 この世界日本はことあるごとに危機に見回れた国へ繋がる森林があるし、そこから少し山を越えた西日本には仏教の盛んな国がある。それは改めて日常の趣で言えば、俳句の松尾芭蕉の小さな空間にも大きな世界を感じる事の意味に心を許す事であり、どこかへ、その心が宇宙として感じられている日本の深い愛情の性質を見抜く世界でもある気もした。
 そういった趣向は日本の精神論の本質を世界で、人類の叡智のように見続けるかもしれない。
 ある人の死とはあったのか。その僧侶達はいつぞやに居るようでそこに居ない。そのような存在は産まれ変わりであり、日本の梅雨明けに雨の中で見つけた雨粒に感じられる世界でも、死の世界はいつでもいつからでも皆にある。日本とは切なさに魅了された人の産出した生死をまとってきた生活の郷土に対する思い入れから出来た、霧の中の温かい世界なのだとも思ったものでした。人間には考えることと思うこと、そこの自由と不自由があり、それを解決するために知識といった感覚は、思考以上のものとして産出された。それはもしも世界の人々の思想が知識として全てが固定されていた世界なら、数多の雲の空の下でいつぞやのどこかにいた人々にはざわめきがあり、それもいつからか固定された世界なら。必ず命の軌道を回収する世界は宇宙の発見から始まったのだろう。どこからか何かの声が聞こえた。車や自転車やバイクや人々やペットなどが道行く車道では皆、色々な気持ちを抱き、苦労しながらも日々生活していて、日常の外れの草むらでは、葉っぱの上に乗っかった小さなカタツムリは地球の中で生死を駆けた自然の掟の勝負をしていた。掘り残した寒い日の木洩れ日の心の寒さ。暖める日差しと共にその寒さを触れることで人は心が温まる。温める人肌があるのならそれがいい。温める心があるならそれがいい。それが人の優しさを掬う介護なのかもしれない。
 じっくり聞き入ると、その世界は秋の雨雲から発祥したという話だ。その雨雲の雨粒に歳月を共にその世界に生きた人たち。そこには神無月と師走の空。そして本当の海岸に貝殻から見つめた人々の世界に真髄あり。介護の日々の悲しさや慈悲が溢れる心には、台風の温かい軌跡も小さい水滴の雨の中に溶け込み、哀れみの涙がいつからか笑顔が幸せな介護の日々に変わり始める。どうしてもおじさんには知ってほしかった。寂しく窓を見つめる夜空には大宇宙のある世界をした本物の空。それとそっくりである日本古来の僧侶であるカタツムリの心持ち。
 雨露の成り立ちで出来たような在るようで無く、無いようで在るはずの、小童と皆とカタツムリらは不思議なことにその世界で暮らしているようだ。今そのものたちはその場に存在しているはずなのになぜかその場に存在していないのだろう。皆心では意図するところにいるが、皆宇宙の中ではどこにいるのか分かっていない。そこは別世界なのに闇夜や光の空間がほとんど見えない暗黒の雲で出来上がった体感しようのない無世界。自分の事を分かってくれる人がいない世界は揺るがないだろう。

 その心の光闇の里には、いびつな星々の中間のゆとりに、空間も時間もわからず世界が存在している。白い雲の仲間なのに闇の中に点在するから見えにくい。灰色の雨雲が浮かんでいる。近代の雨の中、はためく思ったことが死は闇なのかと我はふと思う。

【少し休もうか?】
【はい、休みましょう】

【幸せでしたよ】
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