こころのみちしるべ

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フラマリオン編

008.『理想郷』2

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 ゲレーロたちはその後アカデミーを兵舎兼駐留拠点として、神楽の邸をゲレーロの執務の拠点として接収し、エレノアをアカデミーに、レティシアを神楽の邸に幽閉した。二人の慰み者も得られたゲレーロだったが、しかし彼には二人にかかずらうよりも優先しなくてはならない任務があった。ルクレティウス本国が彼に課した任務、それはオーガの調査、フラマリオンの制圧、そして——。
 彼は面倒臭さを顔に滲ませ、しかし強い義務感に駆られながら馬を駆ってフラマリオンの北の丘を登っていた。彼の後ろには先ほど大部隊を率いてフラマリオンに侵入した際とは対照的に、彼の側近二名のみが付き従っていた。先ほどゲレーロと言葉を交わした大柄な騎兵と小柄な騎兵である。もう日は暮れかかっていた。激動のように過ぎ去った昼間とは対照的に街は静かで、辺りは暗かった。オーガの出現の影響か、あるいはルクレティウス進軍の影響か、家から出歩く者の姿はほとんど見かけなかった。
 ゲレーロと二人の部下はやがて馬を停め、地に降りた。彼らの見上げる先には一辺五メートルほどの立方体の建物があった。それは小ぶりな神殿のようにも見えた。建物には扉もなくぽっかりと開いたアーチ状の入口があり、その奥には紋の刻まれた床と、その紋の中心にそびえる扉の形を模したオブジェのようなものがあった。扉は空間と空間を繋ぐ本来の役割を果たすために存在せず、ただ部屋の真ん中に佇立していた。先日オーガに挑んだ少年が目を覚ました建物である。ゲレーロは腰の剣を抜きながらアーチ状の入口をくぐり、ゆっくりと「扉」に近づいて行った。彼は扉の目の前まで来るとそれを上から下までしげしげと眺めた。彼は剣を両手で握り振り上げ、扉の眼前の一点に視線を定めた。部下たちはそれを固唾を呑んで見守っていた。ゲレーロは一息に剣を振り下ろした。
——ガン!!!
 剣が扉に当たるとそれは大きく跳ね返りゲレーロの後頭部まで押し戻された。彼はもう少しでそのまま後ろに倒れてしまいそうになったが二三歩退いたところで踏み留まった。彼は体勢を立て直した目で斬りつけた箇所を凝視したが、そこにはかすり傷ひとつついていなかった。その結果をある程度予期していた彼には特に落胆した様子はなかった。一方の二名の部下たちは唖然としていた。彼はあらためて扉を下から上にかけて眺め回した。色味と質感からすると一見それは石でできているようだった。しかしよく見るとそこには一つとして傷がなかった。まったく機械的な平面からなる構造物だった。ゲレーロは呟いた。
「一体どうなってんだこいつは…」
 すると小柄な方の部下がおずおずと伺った。
「やはり『力』を借りる必要があるでしょうか…?」
 ゲレーロはその部下を睨みつけ吐き捨てるように言った。
「六大騎士の力なんて借りたら俺の立場がねえだろ」
 部下は血相を変えた。
「すみません!」
 再び扉を見たゲレーロは独りごちた。その声には権力への執念が強烈に滲み出ていた。
「せっかく俺に与えられたチャンスなんだ…。絶対に俺のものにしてやる…。この街も…、あの女たちも…、あの邸も…」
 ゲレーロは振り向いて部下たちに鋭い視線を送った。
「賢者からの命令だ。それも『フラマリオン占領よりも重い任務と心得よ』と言われたほどだ。この扉は何としてでも俺たちの手で壊す! 六大騎士の力は借りねえ。さもなくば俺たちは不要と見なされ本国に逆戻りだ! せっかくこの街で好き放題できるチャンスも水の泡だ! なんとしても壊すぞ! わかったな!」
 部下たちは姿勢を正して声を揃えて返事をした。
「はい!」
 ゲレーロは焦りと執念に満ちた表情の中に欲望の笑みを滲ませた。
「こんなチャンスは二度とねえ…」



 リビエラは暗い場所で目を覚ました。彼は虚ろな目で辺りを見渡した。記憶はすぐに蘇った。ほどなく彼は自分が置かれた状況をおよそ正しく理解して自嘲気味に笑った。そこはアカデミーの地下の小部屋だった。自分でそこに来た記憶はない。にもかかわらずそこにいるということはルクレティウスの兵士たちに暴力を振るわれ意識を失い、ここに連れて来られたということだ。彼は自身の体の状態を確かめた。骨折している箇所はなさそうだったが、体中が打撲によって痛み、逃亡は難しそうだった。部屋にある唯一のドアは閉められている。その向こうにはおそらくルクレティウスの兵士が複数いることだろう。彼は痛みに呻きながら上体を起こし、自嘲してぽつりと呟いた。
「俺、死ぬのかな」
 返事はどこからもなかった。代わりに部屋に近づいて来る何人かの男たちの声が聞こえてきた。会話の内容までは判然としなかったが、声からして先刻自身に乱暴を働いたルクレティウスの兵士たちだとわかった。リビエラは同じ表情でもう一つ呟いた。
「死ぬんだろうな」
 さらに彼はドアが開くその瞬間に神妙な顔をしてもう一つささやくように呟いた。
「エレノア、レティシア、絶対死ぬなよ」
 がちゃり、と音を立てノブが回され、ドアが開いた。予想通りそこからは四人のルクレティウス兵が入って来た。その面子は自身に暴力を加えた三人とほぼ変わらなかったが、一人はゲレーロの脇にいた側近風の大柄な男だった。最初に入って来た兵士が口を開いた。
「あれ? 起きてんじゃん。つまんねー。殴って起こしたかったのに」
 別の兵士が言った。
「手加減しろよ。こんなヒョロいヤツすぐに死んじまうからな」
 また別の兵士が笑いながら言った。
「死んだら別のヤツ連れて来ればいいじゃん。フラマリオンに何人いると思ってんだよ」
 リビエラはそんな彼らの言葉を諦観と呆れとともに聞いていた。最初に入って来た兵士が言った。
「あの二人の女はどうするんだろうな?」
 リビエラはそれがエレノアとレティシアのことを指していないことを願ったが、客観的に見てその可能性は低いだろうなとも思った。このときリビエラは自身の死については受け入れる覚悟ができていたが、二人のことはやはり気がかりだった。エレノアはうまく耐えそうだが、不器用で気の荒いレティシアがこの状況をうまくやり過ごせるとは思えなかった。
「眼鏡の方は俺たちが好きにできるんだろ?」
「えー俺金髪の細い方が良かったよ」
「諦めろ。ゲレーロさん専用になっちまったんだから俺たちにチャンスはねえよ」
 そんな会話を聞いていたリビエラはぽつりと呟いた。
「ゴミだな」
 話していた三人の兵士たちはそれを聞いて会話をやめ、リビエラに無機質な六つの目を向けた。一人が尋ねた。
「てめえ何か言ったかガキ」
 リビエラは真顔で応じた。
「あ、すいません。ルクレティウスの兵士って鼻毛抜くときに間違えて剣を鼻に刺しちゃうって聞いたことがあるんですけど本当ですか?」
 その兵士が近づいて来た。リビエラは心を無にした。彼は次の瞬間、頬骨を蹴られる感触と床に側頭部を打ち付ける感覚を同時に味わった。一度殴られても平気なフリをして起き上がろうと思っていた彼だが、床に貼り付いたまま天井を見ることしかできなかった。痛みはほとんど感じなかった。しかし次の一撃で脇腹を蹴られたときには息が苦しくなって体を海老のように小さく丸めて腹を押さえて何度も咳込んだ。多分今日死ぬな、と彼は思った。次は頭を踏みつけられた。彼はその一撃で体の感覚をほとんど失い動くことも咳込むこともできなくなった。
「おい殺すなよ。まだ俺たち遊んでねえんだからな」
 背後から飛んできたその声を受けてなお兵士はまだ殴り足りないようだった。
「いっそ死なせてやろうぜ。虫の息だ」
 すると先ほどから一言も発していなかったゲレーロの大柄な側近がリビエラの腕に学生の腕章が巻かれていることに気付き、口を開いた。
「待て。そいつはアカデミーの学生だろ」
 他の兵士たちは何を答えて良いかわからず大柄な男の言葉を黙って待った。その間を縫って大柄な男はリビエラに近づいて来て、その傍らにしゃがんで尋ねた。
「お前専攻は?」
 リビエラは意識が朦朧として何も答えられなかった。するとリビエラに暴力を振るっていた兵士がリビエラの尻を蹴った。
「専攻だよ! さっさと答えろ!」
 リビエラは自身の専攻を思い出そうとした。彼は虚ろな目で呟いた。
「軍事」
 大柄な男は尋ねた。
「軍略に詳しいのか?」
 リビエラには助かりたいという気持ちはなかった。しかし、であればこそ素直に思うところを口にできた。
「軍略よりも軍事史と…兵器が…好きで…よく…本を読んでた…」
 男は言った。
「俺の名はノア。お前名前は?」
 リビエラはノアと名乗った騎士に目だけ向けた。
「…リビエラ」
「そうかリビエラ。俺たちのために兵器を作る気はあるか? そうすりゃ命くらいは保証してやれるぞ」
 リビエラはその条件について考えてみた。しかしこの上自分の命はどうでも良いような気がした。彼は最後に「くたばれ」と言ってやろうかと思った。しかしそのときふと彼はエレノアとレティシアの姿を思い出した。彼は考えを改めた。
「女…の…無事を…保証してほしい…」
 ノアは目を眇めた。
「さっきお前が一緒にいた女二人か?」
 リビエラは小さく、しかしわかるようにしっかりと頷いた。ノアは少しだけ思案してから言った。
「そうすれば言うことを聞くか?」
 リビエラは二人が助かるならそれで良いような気がした。彼は瞼で頷いた。
「よし、決まりだ」
 ノアは立ち上がり振り向いて部下たちに言った。
「どこか工場を接収しろ。こいつに兵器を造らせる」



 それから一週間後、ゲレーロとその大柄な側近・ノアと小柄な側近は再び馬に跨り丘の上の扉の遺跡の前まで来ていた。奇しくもそれは前回ゲレーロが扉の破壊を試みたときと同じ夕刻だった。前回自身の剣を弾き返し傷一つ付けさせなかった何の物質でできているかも知れない強固な扉をゲレーロはあらためて見た。彼はノアに尋ねた。
「爆弾が完成したってのは本当か」
「はい、軍事学を専攻してるガキに作らせました。何度かテストしましたが威力は紛れもなく本物です」
 ゲレーロは特に何の感慨もなさそうに指示した。
「用意しろ」
「はい」
 三人は馬を降り、ノアは扉の各所に爆弾を取り付け始めた。彼は紋でも刻むように左右対称に扉の各所に粘着剤で黒く小さな筐体を取り付けていった。その様子を見ていたゲレーロは興味本位で尋ねた。
「その配置にはどんな意味がある」
 ノアは着々と準備を進める手を止めずに答えた。
「よくわかりませんが、爆弾を作ったガキが言ってたんです。扉を効率良く破壊するのに最適な配置だと」
 なおも疑い深いゲレーロは問いを重ねた。
「そんな小さい物質で本当にこんな固いもんが壊れんのか?」
「ええ、魔鉱石をエネルギーとして活用したものだそうです。この世のどんなものよりも破壊力をもつのだとか」
 ゲレーロは一度眉を吊り上げただけでそれ以上口を差し挟まなかった。
 一方その頃、ルクレティウス軍が接収した自警団用の兵器工場の最奥の部屋には虚ろな目をして机に伏せるリビエラの姿があった。彼は壁より伸びる鎖により手枷をされ、床から伸びる鎖により足枷をされていた。彼はこの一週間ほとんど寝ずに「爆弾」の製造を強要されていた。街を象徴する大切な遺跡。それを破壊するための装置を造れと言われたときには彼は当然のごとく拒否した。しかし殴られ蹴られ「女二人がどうなってもいいのか?」と問われた彼は観念するほかなかった。爆弾は刺激により強烈な破壊力を発生させる魔鉱石でできていた。それを扉の形状に合わせ効率良く配置することで強固な扉も破壊できる。それを伝えるとノアは爆弾を持って扉を破壊しに行き、リビエラは見張りの兵数名とともに工場に残された。頬を机の天板に乗せて壁のどことも知らぬ場所に虚ろな目をやりながら神聖な遺跡の破壊に加担してしまったことへの悔恨をリビエラは呟いた。
「俺はゴミだな…」
 ノアは準備が終わったことをゲレーロに目で伝えた。三人は神殿から出た。ノアは導火線の先端を火の点いた蝋燭とともにゲレーロに手渡した。無言でそれを受け取ったゲレーロは導火線の先端に蝋燭の火を移し、導火線を地に放った。火はそれを伝って建物の中に入り扉に向かって行った。ほどなくそれは魔鉱石でできた小さな黒い筐体の一つに辿り着いた。一瞬の沈黙が訪れた。
 その直後に小規模の爆発が扉の各所で起き始めた。それは夕闇の静けさを揺るがす強烈な破砕音を伴った。ノアともう一人の側近はそれに怯えたり慄いたりしたが、ゲレーロはその輝きを正面から凝視し、その音に聴き惚れた。無数の光輪と土煙の花が咲き乱れ、ゲレーロはその一つ一つの光を浴び、嗤った。
「はははははは」
 声は次第に大きくなった。それに呼応するように爆発が大輪の花を咲かせた。
「ははははははははは…!」
 彼は両腕を広げた。土煙が落ち着くと、つい先刻までその向こうに佇立していた扉は崩れていた。
「あっはっはっはっはっは…!」
 爆弾は念のため扉を二回分破砕できる個数用意されていた。扉が崩れてもなおまだ爆発していない爆弾が赤々と花開いた。ゲレーロは両腕を広げたまま遺跡に背を向けて丘の上からフラマリオンの街を見下ろした。小高い丘から見下ろすフラマリオンの夕景は広く美しかった。およそ半数の家屋はすでに灯りを点けており、窓からかすかにこぼれ出るそれはフラマリオンに無数の人々の暮らしの営みがあることを伝えていた。爆発の光輪を背にし逆光に照らされながらゲレーロは影に塗りこめられた顔を喜悦に歪ませ声高に叫んだ。
「これでこの国は俺のもんだ! 誰にも奪わせねえ! この国の富も、女も全部俺のもんだ!!」
 爆発がすべて終わると扉の形をなしていた物質が瓦礫となって残った。ゲレーロはノアに命じた。
「この出入り口にドアを付けてそこに錠をしろ」
「はい」
「それと…」
「はい」
 ゲレーロはこの日でもっとも醜悪な笑みを浮かべた。
「ガキに爆弾をもっと作らせろ。コイツは使えるぞ…!」
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