こころのみちしるべ

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ルクレティウス編

095.『闇の胎動』1

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 真琴の眼前の中空には白くまばゆく輝く一条の光が姿を現した。それは真琴の胸の光から投影されるように宙に描かれていた。その光が放つオーラだけでグレンは後方に二三歩退くほどだった。やがて光は一振りのロングソードへと形を変えた。形こそ剣にはなったものの光は白くまばゆいままだった。それは薄暗い森の辺り一面を煌々と照らしていた。真琴は恐る恐るその柄に手を伸ばし、それを掴み取った。それは光り輝く剣だった。それでいて物質としての確かな質量をもっていた。真琴はその剣に魅せられ、その剣は真琴に強烈な確信をもたらした。
(戦える…!)
 彼はそれを構え、グレンを睨んだ。グレンは憎々しいものでも見るように顔を歪ませた。
「調子に乗んな三下風情が!」
 グレンはそう言うと先刻同様強烈な斬り下ろしを叩き込んだ。真琴は光の剣を両手で持ち、薙ぎ払った。両者の剣はちょうど両者の中間地点で交わった——かに思われたが、光の剣はグレンの剣の真ん中から先を微塵の抵抗も許さずあっさりと切り落とした。グレンの剣の真ん中から先は彼の後方の地面に落ちた。グレンは剣を振った体勢のまま呆然とした。一方の真琴も呆然としたが、すぐさま彼は顔中に闘志を漲らせた。彼は剣を再び構えた。武器を失ったグレンに残された術は自身もまた胸の内から『剣』を呼び出すことだけだった。彼は慌てて半分だけになった剣を放り捨てると胸に手を当て叫んだ。
「輪廻の楔!」
 彼の胸とその正面にも光が現れ、その中から細長いロングソードが姿を現した。グレンは素早くそれを掴み取ると笑みを浮かべた。そこへ真琴が先に仕掛けた。右からの袈裟斬り。グレンもまた彼に斬りかかった。同じく右からの袈裟斬り。二人の剣は再び交差した。二つの剣は重なり合い、今度こそ力の均衡を生むかに思われた。しかしグレンの剣の方がわずかに力に勝り、真琴に押し勝った。真琴は呻きながら後方に二、三歩退いた。
 しかし再び真琴は剣を構えると足の白く光る靄の力を使ってグレンの左下に素早く姿を現した。そこから素早い斬り上げを見せた真琴だが、グレンは難なくそれを受け止めた。ならばと真琴は左からの水平斬りを放った。しかしグレンはこれも右手一本で持つ剣で難なく防いだ。真琴はさらに斬り下ろしを仕掛けた。これもグレンは水平に剣を構えて顔色一つ変えずに受け止めた。真琴はそこでいったん跳び退いた。彼は肩で息をし冷や汗を垂らし、歯噛みした。一方のグレンは不敵な笑みを浮かべていた。
「何で自分の攻撃が通じないのか、って顔してんな」
 看破された真琴はその驚きを顔に出さないように努めた。
「てめえが何でそんな剣を急に使えるようになったのかはわからねえし、その剣はたしかに強え」
 グレンの笑いの皺が深くなった。
「でもな、その剣を振るうてめえが俺よりパワーでも技術でも劣ってんだよシンプルな話。そうでなくてもお前は俺の攻撃受けまくってボロボロだ。てめえがこの先どんだけすげえ剣出してきても結局勝つのは騎士として地力で勝る俺の方ってわけだ」
 真琴は悔しさを顔中に滲ませながら剣を構え直した。
「お前が強い? だったら何だ。そんなことはハナからわかってんだ」
 グレンは真琴の口上を涼しい顔で受け止めた。
「それでも俺は誓った! それでも守る! 俺は諦めない! 俺は勝つ!」
 たしかに剣戟の交わし合いではグレンに押し負けたが、それに反して真琴には何か「手応え」に似た感覚があった。真琴は自身が握る光の剣を見た。たしかに体に残す膂力と剣の腕ではグレンに大きく劣る。しかし剣が放つ強烈な光には底知れぬ力があるように真琴には感じられた。押し隠された力がそこには備わっており、それが解き放たれる瞬間を待ちわびているような感覚を握る手を通じて真琴は剣から直に感じ取っていた。初めて感じるその不確かで淡い知覚を絶対に手放すなと真琴は全身の神経に命じた。剣はたしかに真琴に何かを語り掛けていた。真琴は剣の思惟に耳を傾け、それを必死に手繰り寄せた。
 すると突然、真琴の心の底に一条の光明が差した。真琴は目を見開いた。それは声ではない。言葉でもない。記憶でもない。言うなれば情報。真琴はそれを知覚した。剣がもつ本来の力。解き放たれるのを待つその性能。グレンは吐き捨てるように言った。
「何だそのガキみてえな理屈は。お前はどうあがいてもザコなんだよ」
 グレンを一顧だにせず重ねて剣の伝える思惟に神経を傾けた真琴は確信を強め、毅然と言い放った。
「こんなもんじゃない」
 彼は剣を握る両手に力を込めた。それに呼応して剣が放つ光は量を急激に増した。同時に真琴の剣の放つ力も急激に増し、光はその圧迫感にたじろぎ呆然とするグレンの顔を白く染めた。真琴は剣を右上段でグレンに真っ直ぐに向けて構えた。真琴は剣の伝えた力の名を叫んだ。
「月天剣技・思念一通!」
 光の剣の柄から光の球が生まれた。それは剣先へと移動しつつ光量を増した。剣の先に至る頃には人の頭よりやや大きいほどにまで膨張した。光の球は剣先を離れるとそれが向く方へ目にも止まらぬ勢いで迸った。迸った光はそれに反応すらできなかったグレンの頭の横を掠めてその途上のあらゆる葉という葉、枝という枝、幹という幹を一瞬のうちに灰燼となして暗い森の中を光で染め上げながら駆け抜けて行って見えなくなった。目を見開いて振り返ったグレンはその破壊の跡を目の当たりにして唖然とするほかなかった。再びグレンが視線を真琴に向けると彼は今の技のためか激しく憔悴し、うなだれて大きく肩で息をしていた。グレンは乾いた笑い声をあげた。
「ははははは…。すげえ技だが今ので力を使い尽くし——
 しかしグレンを睨み上げながら真琴は再び両の手で剣をグレンに向けて構え直した。その目は「今度こそ外さない」と言っていた。グレンの顔から笑みが失せた。真琴は剣を握る手に力を込め、剣は光を強めた。彼は唸るように叫んだ。
「月天剣技・思念一通!」
 グレンは目を見開き、横合いに跳びながら自身の身を守るため剣を振った。真琴の剣の先から光は真っ直ぐに迸った。それは一瞬のうちにグレンの剣の刀身の大半と、彼の髪の左端の一部と、その先に存在するすべての葉と枝と幹を消滅させ、鬱蒼と林立する木々に瞬間的に陰影を刻みながら暗い森を光で染め遥か遠くへ消えた。地に両の足を着いたグレンはほとんど柄だけになった自身の剣を見て呆然とした。彼は真琴を見た。すると彼は虚ろな目をしていた。彼が手にする光の剣は霧散した。彼は膝をつき、うつ伏せに倒れた。グレンはその姿を見ても罵る気にもなれなかった。彼は自身が今なお生きている奇跡をただ呆然と実感することしかできずにいた。
「そこまでだ」
 澄んだ声がそう言った。その場にいる誰もがそれで動きを止めた。レオの声だった。
「全員動くな」
 グレン、ビショップ、悠樹が彼を注視した。真琴と杏奈は意識を失って倒れていた。レオはマナのもとへと歩を進めた。ぼんやりと意識を保っていた彼女は薄く開いた目を彼に向けた。彼は倒れるマナの前で跪いた。
「そなたのことを魔女だと思っていた。それはルクレティウス騎士団の誤解だったようだ」
 マナは目を見開いた。
「そなたは魔女ではなかった。すまない。心より謝罪する」
 そう言ってレオは首を垂れた。彼は立ち上がってよく通る声で言った。
「全員剣を納めよ。帰るぞ」
 グレンがマナを指差し抗議した。
「いいのかよ。どう考えてもコイツが魔女だろ」
 レオは答えた。
「いや、彼女は命の危機に瀕してもなおオーガの力を使わなかった。魔女なら使っていたはずだ」
 レオを見上げるマナに彼は再び目を向けた。
「そなたの名を教えてくれ」
 マナは唖然としながら答えた。
「マナ…です…」
 レオはマナに言った。
「マナ。そなたが魔女ではないことを今日そなたは証明した。ルクレティウス騎士団長である俺がそれを認めた。そなたの命は俺が保証する。以後誰にも手出しはさせない。騎士として誓う」
 レオは他の者に聞こえるように言った。
「賢者連中は俺が黙らせる。俺の決定に不服がある者がいれば名乗り出ろ。ただちに斬り伏せてやる」
「クソつまんねえ。興ざめしたぜ」
 そう言ってグレンは手に持ったほとんど柄ばかりになった剣を後ろに放り投げて光に変えて霧散させ、下山し始めた。
「ビショップ」
 いきなりレオに声を掛けられたビショップはびくりとした。
「そなたは本日命令外の行動を二度も行ったな。厳に処罰する。覚悟しろ」
 ビショップはそれを聞いて悄然とうなだれた。
「はい…」
 さらにレオは言った。
「スレッダ、ジン、真琴、悠樹、杏奈」
 スレッダはいつの間にかその場に戻って来ていた。レオは一人一人を見てから言った。
「そなたらの行為は一般人を守るためのものであった。同じ騎士として誇りに思う。そなたらは昇給とする」
 ジンと悠樹とようやく意識を取り戻した杏奈は唖然としていた。スレッダはレオを見て「お前らしいな」と言わんばかりに笑みを浮かべた。真琴だけは意識がなく倒れたままだった。レオは再びマナに向き直った。
「マナ。真琴を治せるか?」
 マナはやや呆然としたのち力強く答えた。
「はい!」
 レオは笑みを浮かべた。
「ではよろしく頼む。彼は強い。そしてもっと強くなる。強く気高いそなたのナイト様だ」
 マナもようやく笑顔を取り戻した。
「はい!」
 レオはその場にいる部下全員に言った。
「では行くぞ」
 レオは下山し始めた。ジンとスレッダ、ゲレーロとビショップがそれに続いた。マナは真琴に駆け寄り、餓幽の力で彼を癒し始めた。それを見ていた悠樹と杏奈は彼女に何か声を掛けたくなったが、何と言うべきか迷った。彼女が記憶を失っていることは事前に真琴から聞いていた。また、真琴を癒す彼女を邪魔するわけにもいかなかった。倒れる杏奈を起こしながら悠樹は彼女の名を呼んだ。
「由衣」
 マナはそう呼ばれて顔だけ悠樹に向けた。彼は少し迷ってから言った。
「真琴を頼む。あと、ルクレティウスで待ってる」
 マナはその言葉の意味をにわかには理解できずにいた。杏奈も憔悴した声で言った。
「由衣ちゃん、またいっしょに遊ぼうね」
 二人はそれだけ言い残して山を下り始めた。マナは返事さえできずしばらく二人の背中を呆然と見ていたが、ともかく今は真琴の治療に専念することにした。二人が去るとようやく森に静寂が帰って来た。



 その頃ビュルクではオルフェがレオナの家に向かっているところだった。日課として彼女の様子を見に行くためだ。近頃の彼女はリサがいなくなってしまった頃に比べると調子を取り戻し、その精神は安定していた。彼は少しでも早くレオナがいつもの元気を取り戻すことを、またリサが再びビュルクに帰って来ることを願っていた。彼はレオナがよく小麦粉を買い忘れる癖があるため、定期的にそれを届けることを習慣としていた。彼はその日も小脇に小麦を抱えて彼女の家を訪れた。
——コンコン
 彼は彼女の家のドアをノックした。しかし反応はなかった。彼は少し待ち、中でレオナが慌てて着替えたりするような物音が聞こえないことを確認してから声を掛けた。
「レオナ、いるのか?」
 彼はレオナが呼び掛けに反応しないためドアを開けた。するとすぐに彼は異変に気付いた。料理の煮立つ音がしたのだ。留守のはずがない。
「レオナ…?」
 彼は家の中へ一歩二歩と踏み込んだ。すると奥の部屋に二本の脚を見た。脚の主はレオナだ。うつ伏せで寝ているらしい。料理をしながら寝てしまったのだろうか。いずれにせよこのままだと火事にもなりかねない。
「レオナ」
 より声を張って呼び掛けてみた。しかし反応はない。彼はさらに歩を進めた。するとレオナは目を開いたままベッドに伏せていた。彼は迷ったが先に釜の火を消すことにした。そうしながら彼はレオナに呼び掛けた。
「レオナどうしたんだ」
 彼は急いでレオナに駆け寄り、彼女を抱き起こした。
「レオナ!」
 するとその声に反応してレオナの双眸はオルフェの顔へと向けられた。彼は彼女が生きていることに安堵した。彼はあらためて彼女に尋ねた。
「レオナどうした。具合が悪いのか」
 レオナの虚ろな目は再び虚空を見た。彼女はぽつりと言った。
「リサはどこ…」
 オルフェは眉根を寄せて目を固く閉じた。やはりレオナはリサの失踪から立ち直ってはいなかった。その事実を再認識した彼はレオナを見て悄然とした声で言った。
「…わからない。すまない」
 レオナは意外にもその言葉に特に反応を示さなかった。代わりに不思議なことを言った。
「嫌な予感がするの」
 オルフェは訝し気にレオナの言葉の続きを待ったがそれはいつまで経っても出てこなかった。オルフェはこれからは日に二度ここへ立ち寄るようにしようと思った。
「嫌なことが起こる…」
 レオナは繰り返した。彼女は何かに怯えているように見えた。
「レオナ、お腹が空いただろ? 料理もできたみたいだし何か食べよう」
 そう言ってオルフェはレオナを抱き起した。その体は痩せていてひどく軽かった。彼はレオナの病状を案じる気持ちを顔に出さないように気を付けながら、心の中で呟いた。
(リサ、どこにいる。早く帰って来い)



 ルクレティウスは広大な土地をもつアーケルシアと違い人口の密集する国である。そのためフラマリオンのそれほど高くはないが周囲に外壁をもち城塞都市のような様相を呈している。またフラマリオン同様にその東西南北の壁上には高さ十メートルほどの物見櫓をもつ。侵入者や火事があれば兵士が鐘を鳴らし市民に危険を伝えるためのものだ。無論、物見櫓の兵が侵入者に気付かなければ鐘は鳴らない。
 ある日曜の晩、鐘は鳴らなかった。だが侵入者はあった。その手際はいたってシンプル。物見櫓の兵が別の方角を見ている一瞬の隙に度外れた運動能力をもって音もなく鉤縄で壁を駆け上がり鉤縄で壁を駆け下りたのだ。侵入者の数は全部で四。街への侵入を難なく果たした彼らは、息も切らさず異国の大通りを平然と闊歩しながら行き先を思案し始めた。
「さて、今日はどこを物色するかね」
 そう言ったのは盗賊らしい軽装をしたポニーテールの小柄な女だった。
「どこでもいいさ、とにかくルクレティウスに打撃を与えられるなら」
 そう言ったのは腰に双剣を携えた剣士風の細身の青年だ。
「元騎士とは思えない発言だな」
 盗賊風の女がニヤリと笑いながら皮肉を言った。
「そう言うな。騎士でなくなった以上騎士道だの正義だのほざく理由もない」
 細身の剣士はそう嘯いた。そこで三人目が口を開いた。ロングソードを背にする身の丈二メートルにも及ぶ大男だ。
「それで、今日はどこへ行くんだ?」
 盗賊風の女は笑って答えた。
「貧民街に六大騎士の一人の屋敷があるらしい。そこでも襲撃するか」
 もう一人は狩人風の軽装に身を纏い弓矢を背にする女だった。彼女が尋ねた。
「六大騎士の誰?」
 盗賊風の女が答えた。
「スレッダっていうヤツだ」
 大男が言った。
「ああ。あのちっこいのか。リヒトとやり合おうとしてた」
 賊とは思えぬ落ち着きぶりで四人はルクレティウスの貧民街へと続く薄暗い路地へと歩を進めた。
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