CAT FIGHT

高端麻羽

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CAT FIGHT

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その日、脱サラして起業した先輩の店でハウスウェディングが催された。
飲食店経営に挑んだオーナーが、みずからの城で結婚披露宴を開催しスタッフや気心の知れた友人・知人達に祝われ、人生最良の時を迎えたのである。
新入社員の頃に良くしてもらった後輩であるオレは幹事役として奔走し、何ヶ月も前から準備に忙殺されていたが、その甲斐あって大成功を収めた。
興に乗って二次会・三次会にまで至り、飲めや歌えやの大騒ぎと相成る始末。
引き出物代わりの新婦手製の焼き菓子と、ビンゴゲームでゲットしたロングピローを手に帰宅したのは午前2時。
酒には強い方だが、ここしばらくの多忙による疲労の蓄積、無事成功した達成感から来る安堵、ハメをはずした興奮もあってフラフラの千鳥足で部屋に入る。
寝室まで足を運ぶのも億劫だったし、既に眠っている婚約者を起こしてしまうのも忍びなく、襲い来る睡魔に抵抗するのも限界で、そのままリビングに倒れ込む。
久しぶりに、夢も見ず爆睡した。


翌日、昼過ぎまでたっぷり眠って、ようやく目を覚ます。
仕事は休みだが、翌日は朝から会議があるのでちょうど良い時刻だった。
幸い酒はほとんど抜け、気持ちの良い目覚めと言えよう。寝転んだまま伸びをし、ごしごしと目をこする。
すると、霞んだ視界の端に彼女の背中が見えた。
「おはようハニー♡」
まだどこか浮かれた気分で声をかける。
しかし彼女は微動だにせず返事もしない。ふざけた呼称が気に入らなかったのかと考え、改めて挨拶をする。
「おはよう」
それでも彼女は反応しなかった。
テレビもついていないし、他の何かに気を奪われているわけではないらしい。
さすがに不審に思い、起き上がる。
「どうかしたか?」
「ニャア」
返された声に固まった。

――― 何だ今のは。
――― 聞き間違いか?

一瞬、真っ白になった頭を再起動させ、もう一度声をかけてみる。
「……何だって?」
「ニャア」
固まるのを通り越して凍りつくような気がした。
彼女は悪ふざけを好まない。良く言えば冗談が通じない、生真面目すぎるのが玉に疵の性格である。
それが、なぜ、今、どんな理由があって、いきなり。

(…………猫語……?)
普通に友人同士なら『何ふざけてんだよ』で済むが、相手が婚約中の彼女では笑えない。むしろ頭でも打ったのかと心配になるほどだ。
「…お、おい。どうしたんだ?何かあったのか?」
「ニャーっ!」
肩に手をかけようとして、噛み付かんばかりの勢いで払われる。
ようやく振り向いた顔は、眉がつり上がり目が据わった、まさに警戒する猫の如き表情だった。
「ど…どうしちまったんだ?」
「ニャア!」
ツンとそっぽを向き、全身から『寄るな』オーラが立ち上っている。
その様子から、どうやら何かを怒っているようだと察せられた。
同時に、背中をイヤな汗が伝う。
出会った当初からケンカはたびたび繰り返したが、彼女が意味不明の言動に走るのは、単純な怒りではなく、拗ねている証。
誤解も含めて、こういう時には大変苦労させられてきたのだ。
過去の経験と対策が瞬時に脳裏を走り、まずは落ち着かなくてはと混乱しかけた思考で考える。

一体、彼女は何に対して拗ねて怒っているのだろう?
ここ最近は件の事情で、あまりかまってやれなかったが、それは彼女も承知の上だし「しっかりがんばって」と応援してくれていた。
当日の帰宅が遅れる事も前もって伝えていたし、安眠妨害もしていない。
いささか酔っていたとはいえ、戸締りはきちんとしたし、もちろん吐いたりなどしていない。
とっておきのスーツを着替えずに寝てしまったけれど、それでも上着だけは脱いでいる。
間違っても、三次会の後で女の子をお持ち帰りなどしていない。
香水や口紅が付着した気配も無い。そもそも、そこまで女性と接触しなかった。
……心当たりがない。

「え…えーと、オレ、何かお気に召さない事しましたっけ?」
「ニャア」
「…すんませんオレ頭悪いんで。人間語で話して下さい」
じろりと睨みつけてくる瞳が、愛しいだけに尚更痛い。
無言のまま、彼女はすっと手を上げ指差した。
その指先を視線で追い、思わぬモノを発見する。
「!!」
そこにあったのは、ビンゴの景品でもらったロングピロー。日本語で言えば抱き枕。
その用途の通り、かかえて眠っていたらしく、寝相の所為か、プレゼント用のラッピングが破れている。
昨夜は包装紙と酔いと疲れと暗かった為に気づかなかったが、その枕には。

…………等身大の女性キャラクターがプリントされていた。

ローティーンにしか見えない童顔なのに、胸だけはスイカ並みのばいんばいん。
谷間も乳首もくっきりはっきりのチューブトップを着て。
スカートと呼べなさそうなマイクロミニの股間からはパンチラ。
モコモコの手袋とブーツにはピンクの肉球つき。
腰の後ろからは細長いシッポが見えた。
ゆるふわパーマの頭にはネコミミが生えている。
とどめに「癒してあげるにゃん」というロゴ文字つき。

(誰だよこんなのビンゴの景品に選んだ奴───!!!)
他人の趣味に文句をつける気は無い。世の中には、こういう物で癒される人間もいるだろう。
しかし逆に生理的嫌悪を感じる人間も存在するのだ。潔癖な性格の彼女などは、その筆頭と言えよう。
猫語になった理由はネコミミキャラへのあてつけだろう。既に妬かれて嬉しいとか、可愛いとかのレベルではない。
血の気の引く思いで、恐る恐る前を向く。
一瞬、思いっきり軽蔑したまなざしと目が合った。

「…ご…誤解、してないか?」
「ニャア」
「こ、これは別に、オレの趣味ってわけじゃなく、ビンゴで当たった景品だぞ?」
「ニャア」
「昨夜は酔ってて、こんな絵があるなんて気づかなかったんだ」
「ニャア」
「オレの好みじゃないから!」
「ニャア」
説明しても言い訳しても聞く耳を持ってもらえない。
というか、人間に戻ってさえくれない。
困り果てて、思いあまって実力行使とばかりに背後から抱きついてしまった。
「機嫌直してくれよ~っ、オレにはお前だけだってば~!!」
「ニャぁアぁぁぁぁ───っ!」

――― 意訳。
『あなたなんかネコミミ女に癒されていろ!!』



翌朝、職場にて。

「おぉ?どうした。ずいぶんイケメンになっちまって」
「一晩で男っぷりが上がったじゃねーか」
「ダメだぜぇ?子猫ちゃんには優しくしなきゃ」
壮絶なひっかき傷とアザだらけの顔で出勤したオレに、先輩同僚問わずから冷やかしの声がかけられる。
オレはそれには答えず、大きな袋に突っ込んだ抱き枕をロッカールームの真ん中に置いた。
『欲しい方に差し上げます』と赤マジックで書いたメモ付きで。
幸いというか、枕本体を覆ったビニール袋は開封していないので未使用新品と言えるだろう。
ならば、きっと需要もある。

「先住猫と相性が悪かったんで」

そう言って、黙々と勤務につく彼の背中は哀愁に満ちており、同僚たちの同情と忍び笑いを買ったのだった。


 END
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