回想録

高端麻羽

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~まだらの縄~

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心模様を映したように不安定な空の下、フォスター邸ではパーティーが始まろうとしていた。
シャーロットとジョンソンはハンソン警部と共に、朝から屋敷に詰めている。
屋敷の周辺では馬車の整理に見せかけた警官が定間隔に配置され、邸内にも使用人に扮した警官が要所要所に立ち、広い庭では犬を連れた調教師が巡回している。
来客は招待状を送った知人ばかり、余興に呼んだ楽隊や芸人には入念なチェックを済ませてから邸内に入れていた。
ハンソン警部は鉄壁の警備を自負して胸を張る。
フォスター男爵もいたく御満悦の様子だった。
「盗賊も、この警備を目にしては諦めざるを得まい」
男爵は胸ポケットにひそめた『赤い指輪』を服の上から確認し、満面の笑みを浮かべる。
彼自身もホスト役としてパーティーに参加しなくてはならない身ゆえ、別室の金庫に入れておくよりは肌身につけていた方が安心なのだろう。
その背後で険しい表情をしたシャーロットは、責務―――表向きのだが――として、ハンソン警部と共に男爵のそばを離れない。
ジョンソンは彼女の心境を察しながら、影のように付き添っていた。

やがてパーティーの幕が上がる。
磨き込まれたホールには、華々しく着飾った紳士・淑女たちがあふれた。
主催者のフォスター男爵はホールの中央にある階段の前に立ち、挨拶の言葉を述べる。
「紳士淑女の皆さん、今宵は我が娘の為にようこそおいで下さった。ささやかな祝宴だが、充分に楽しんでいただきたい。それでは本日16歳の誕生日を迎えた最愛の娘・マーガレットを紹介しましょう」
その言葉を合図に、楽隊の奏でるメロディに合わせて階段の上から令嬢が現れた。
シャーロット達はパーティの前日、男爵から紹介されて彼女と顔を会わせている。
好奇心旺盛な令嬢は何度も警備の様子を覗きに来て父親に窘められていたが、さすがに今夜はレディらしく淑やかに振舞っていた。
流行の先端をゆくドレスを纏い、髪や肌に宝石を散りばめ、贅を尽くして飾り立てた姿は人形のように愛らしい。
父親にエスコートされ、一段一段降りて来る彼女を眺めながらジョンソンはシャーロットにささやきかける。
「あのお嬢さん、お前と同い年なんだよな?」
「ああ、私の方が三か月ほど早いが」
しかし同じなのは年齢だけ。由緒正しい公爵家の令嬢は今や男装の探偵。
対して、成金の男爵令嬢が誇らしげに嵌めた指輪は公爵家から奪われた宝。
やはりというか、シャーロットの視線はマーガレット嬢の手元に注がれる。
つい深刻な目つきで凝視していたが、令嬢が正面にさしかかった時、不意にジョンソンが顔を覗きこんだ。
「お前、やっぱドレス着て来りゃよかったな。負けてないと思うぜ?」
「ふ、ふざけるな。こんな時にっ」
シャーロットは思わず顔を背ける。
ダンスの一件以来、気恥ずかしくて彼を直視できずにいるのに、こんなふうにからかわれたくはなかった。
その間にマーガレット嬢はシャーロットたちの前を通りすぎ、ホールに到着して友人たちの輪に入った。
楽隊の演奏はワルツに変わり、そこかしこでダンスが始まる。
マーガレット嬢も友人たちとおしゃべりをしたり、紳士に誘われて踊ったりとパーティーを楽しんでいる。
男爵は上座の椅子に腰掛け、娘の様子を満足げに眺めていた。
あまり大仰に囲むと不審がられる為、ハンソン警部とシャーロット、ジョンソン、そして執事のセバスチャンが男爵の周辺に控えており、他の私服警官はホールの各所で目を配っている。
そんな中、招待客の間で ひそひそとささやきが流れていた。
「……どなたかしら?」
「初めてお見かけするけれど…」
「ダンスに誘って下さらないかしら」
年若いレディたちの視線は、男爵の背後のシャーロットに注がれている。
その事に最初に気付いたのはジョンソンだった。
彼女らの勘違いも無理はない。白い燕尾服を凛々しく着こなしたシャーロットは生来の貴族らしく気品に満ち、何より華のある美貌が際立っている。
よもや男装の麗人とは知らぬレディたちの目を引くのも当然だろう。
ジョンソンは苦笑しながら耳打ちをした。
「おい、レディたちがお前を見てるぞ」
「私を?なぜ?」
「美形の貴公子だと思ってるんだろうよ。気の毒に」
シャーロットは憮然とする。
男装している以上、男と思われるのは当然としても ジョンソンの面白がる様子が気に入らない。
「気の毒だと思うなら、君が彼女らの相手をすればいい」
「え、いいのか?」
ジョンソンは嬉々として返答するや、目を丸くするシャーロットをよそに「じゃあ遠慮なく」とばかりにスタスタとホールの中央へ進んでゆく。
そして、ほどなく一人のレディとダンスを踊り始めた。
実はレディたちはシャーロットと同時にジョンソンも見ていたのである。
高貴とか品とかは程遠いものの、長身で颯爽とした伊達男の彼は冒険したい年頃のレディたちには新鮮な魅力だったのだろう。
次々と相手を変えてダンスに誘うジョンソンを、レディたちが誰一人として断らないのがその証拠。
その光景にシャーロットは頭に来たが、同時に胸に痛みを覚えた。
 ――― こんな時に、こんな事を考えていてはいけない。
それでも感情は正直で、必死に理性で抑えても意識を支配する。
なぜこんなに不愉快なのか、その理由がわかってしまう。
 ――― 本当は、もっと前からわかっていた。
他の女性とダンスを踊る彼を見るのが辛い。
焦燥にも似た苦しさで、息ができない。
男装で、嫌いな男の警備などしている自分が虚しい。
なぜなら。
(私は………、…ジョンソンのことが……)

「――― きゃあああ───っ!」
突如ホールに響きわたった悲鳴に、シャーロットは現実に戻った。
「な、何だ!?」
「賊かっ!?」
ハンソン警部を始め、その場にいる全員の目が叫び声の方へ向く。
ほぼ同時に、第二の悲鳴が上がった。
「蛇よっ!蛇がいるわ――― っ!!」
一瞬、ホールの客が放射状に後ずさる。そこには、一匹の蛇が赤い舌を出してとぐろを巻いていた。
間をおかず、次々と悲鳴が上がる。
「こっちにもいるわ!」
「キャーッ、ここにも!」
「イヤ――― っ」
悲鳴と混乱の中、ホールは騒然となった。
既にパニック状態で、使用人に扮した警官が誘導する暇も無い。
恐れをなしたレディ達は我先にと逃げるが、長いドレスの裾に足を取られて互いにぶつかり合い、巻き添えになったテーブルや椅子が床に倒れる。
装飾品や食器の壊れる音が響き、パーティは一転して大騒ぎになった。
「マーガレット!マギーはどこだ!?」
フォスター男爵はハンソン警部やセバスチャンに守られて、一足早く階段の上に避難していたが、さすがに娘の身を案じている。
しかしマーガレット嬢は人波の渦に巻きこまれたのか姿を確認できない。
助けに向かおうとする男爵を警部やシャーロットが阻止する。
「いけません男爵、危険です!」
「しかし娘が!」
「落ち着いて下さい、賊の罠かも知れません!」
ハンソン警部の一言に、男爵はハッとして胸元を押さえた。
懐に隠している指輪は、まだ在る。
男爵を守っていた警官たちは、一斉に周囲を警戒した。

やがて、めちゃくちゃだった人の渦が多少なりと鎮まり始める。
倒れたテーブルや割れたグラス、ワインやシャンパンの瓶が散乱する中、失神したレディも何人かいた。
「マーガレット!?」
ホールの隅で、一人の男が身を盾にして令嬢を守っている。
(ジョンソン……!)
大勢の人にぶつかられた為かジョンソンは正装を乱し、眼鏡も失っていた。
彼はぐったりとしたマーガレット嬢を抱き上げ、階段の下へ歩み寄る。
「失神していますが、怪我は無いと思います」
ところが。
「――― 指輪が無いぞ!?」
力なく垂れ下がったマーガレット嬢の手からは、赤い指輪が消えていた。
「いつのまに……」
「あの騒ぎにまぎれて、何者かが抜き取ったのか」
「不覚…!」
驚きと悔しさのまじった呟きが交錯する中、フォスター男爵は懐から指輪の入った巾着を取り出した。
「だが本物は無事だ。やはり、すりかえておいて正解だったな」
彼は赤い指輪の輝きを確認し、再び胸元におさめる。
その時、シャーロットの瞳が鋭く閃いた事には、誰も気付かなかった。
男爵はセバスチャンに命じて娘を別室へ運ぶよう指示し、改めてジョンソンに向かう。
「Dr、娘を守ってくれて感謝する」
「いや、当然の事ですから…」
「ついては、別室で身体検査をさせてもらいたい」
謝辞に続いて飛び出した言葉に、一同はぎょっとする。
絶句するシャーロットやジョンソンに代わり、ハンソン警部が問いかけた。
「男爵?なぜDrにそのような…」
「先刻の騒ぎの中、娘の近くにいたのは彼だろう。指輪が奪われた時も近くにいたのかも知れん」
男爵はジョンソンに露骨に嫌疑をかけている。それは彼が身分の低い庶生の男とみての差別に他ならない。
「恐れながら男爵、Drはホームズ先生の助手で信頼できる方ですよ。第一、彼はあの指輪が本物ではない事を承知しております」
見かねてハンソン警部が意見するが、男爵は更に追い討ちをかける。
「複製でも、本物の宝石を使って作らせた高級品だからな。何、念の為だ」
侮蔑を込めた言いように、その場の全員が憤慨した。疑われた当のジョンソンは、さぞや激昂しているだろうと誰もが思う。
「……かまいませんよ」
しかし意外にも、彼は冷静な態度で承諾した。
「Dr、いいんですか?」
「ああ。オレは調べられて困ることなんか無いからな」
気を使うハンソン警部に、ジョンソンは毅然と答える。
そして身の潔白を示すように胸を張り、乱れた襟を正した。
「ジョンソン…?」
困惑の表情で見つめるシャーロットに、ジョンソンは余裕の笑みを向ける。
「大丈夫だ、心配するな」
「…………」
シャーロットは言葉もなく立ち尽くした。
「では、あちらへ」
やむなく警官が先導する中、ジョンソンとフォスター男爵は退出する。
他の警官たちは倒れたレディたちの搬出と介抱に当たっていた。
「ホームズさん、Drの身体検査に同席しますか?」
しばし呆然としていたシャーロットだったが、ハンソン警部に呼ばれて我に返る。
「…いや、私はここにいる。ジョンソンの事は信頼しているし、他に考えたい事もあるからな」
「危険ではないですか?まだどこかに蛇がひそんでいるかも知れませんよ」
「心配無用です」
「…なら結構ですが、今夜はもう遅いので明日、検分しますからね。それまで現場にさわらないように」
「了解している」
シャーロットは一人、無人のホールに残った。

別室に運ばれたマーガレット嬢は、ジョンソンの所見通り怪我は無かった。
おそらく騒ぎの中でもみくちゃにされ、脳震盪でも起こしたのだろう。
しばらく休ませれば意識も戻ると思われる。
ジョンソンはというと、男爵立ち会いの元 複数の警官に全身くまなく検査されたが当然のように指輪は発見されなかった。

「まぁ、本物の指輪が無事だったから良しとしよう。今夜は物騒だから別邸へ移る。セバスチャン、マーガレットを運べ。使用人達にも支度をさせろ」
フォスター男爵はそう言うと、ジョンソンに詫びの言葉もなく引き上げて行ってしまった。

「いくら男爵閣下でも、今回のなさりようは酷いな」
ジョンソンとは親しいだけに、ハンソン警部は憤らずにいられない。
しかしジョンソン本人は、あまり気にしていないようだった。
「かまわないさ。貴族があんなもんだってのは、わかってたし」
平然と言い放つ彼に、もしや怒りのあまり暴挙に及ぶのではという危惧を感じていたハンソン警部は、内心胸をなでおろす。
「とにかく、これで無罪放免だろ?帰って良いんだよな」
「ああ、もちろんです」

「――― シャーロット?」
ジョンソンとハンソン警部がホールに戻った時、シャーロットは床に座りこんでいた。
その手はフルーツが盛られていた深い円形の銀器を逆さまに押さえつけている。
「何してるんだ?」
「騒ぎの元凶だ」
そう言って彼女は銀器を上げた。
途端、するりと細い物体が流れ出る。
「うわ!」
ハンソン警部は思わず声を上げてしまう。そこには一匹の蛇が捕らわれていたのだ。
「大丈夫ですよ、ハンソン警部。これは無毒でおとなしい種だし、冬眠明けで動きも鈍く、害はありません」
「そ、そうか…。でも、1匹だけですか?他のは?」
「これです」
そう言うや、シャーロットはもう一方の手に持った数本の物体を差し出す。
「わぁ!?」
唐突に蛇の集団を突きつけられたハンソン警部は、仰天して後ずさった。
「ただの縄ですよ」
落ち着いた声の指摘に警部はようやく気付き、改めてシャーロットが持っている物を見つめる。
それは確かに、蛇に似た文様の縄だった。
「…悪戯だったのかな?」
「騒ぎを起こすのが目的だったのでしょう。1匹だけ本物の蛇を放てば、免疫の無いレディたちがパニックになって 似た柄の縄を蛇と見間違っても仕方ない」
「なるほど。その騒ぎに乗じて、令嬢の指輪をすりとったのか。偽物とも知らずに、やってくれたもんだ」
息をつくハンソン警部の隣で、シャーロットは厳しい表情を崩さない。
そして、ふとジョンソンに向き直った。
「…疑いは晴れたのか?」
「ああ、大丈夫だって言っただろ」
「当然ですよ。そもそも疑う方が間違ってるんだ。Drは身を挺して令嬢を守ったのに」
警部の言葉に、シャーロットはかすかに微笑する。
「―――男爵には、後日改めて警備の不備を詫びなくては」
「ホームズさん、あまり気にしなくて良いですよ。我々警察にも責任があるし、結果的に本物の『赤い指輪』は守れたし、最悪の事態は回避できたんですから」
「ありがとう、警部。……では、今夜はこれで失礼する」
ハンソン警部の心遣いに謝辞を述べ、シャーロットはホールを出てゆく。
その後に、ジョンソンも続いた。

帰路の馬車の中、シャーロットはほとんど口を開かず、表情を翳らせている。
「顔色悪いぞ、シャーロット。疲れたのか?」
「……いや」
「帰ったらゆっくり休めよ。明日の実況検分にも、無理に行く必要ないからな」
「……ああ」
返事はするものの、彼女はジョンソンの顔すら見ようとしない。
無理も無いだろう。偽物とはいえ、目の前でお宝を奪われるなど、名探偵ホームズにとっては大失態。
まして、シャーロットにとって重要な意味を持つ宝石なのだから。

蛇騒動。
消えた指輪。
警備の失態。
かけられた容疑。
――― 気付いてしまった真実。
わずかな間に、さまざまな出来事が起こった。
理性と感情が交錯し、シャーロットの心を暗い影が浸蝕してゆく。

「…………」
「…………」

沈痛な空気の中、ジョンソンも口をつぐむ。
石畳を進む車輪の音が妙に耳についていた。
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