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ロランの歌
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『戦はすさまじ、ついに乱戦となる。
ロランは些かも、我が身いたわることなし。
その柄の保つ限り、矛を持って打ちまくる。
討ち合い十五合にして、ついに柄を折り、こぼれたり。
抜き放てるは、その名剣デュランダル、白刃ぞ』
有永弘人『ロランの歌』岩波文庫より引用
_____ずぶり。
何やら背中、いや腰の辺りに鈍い痛みと衝撃を感じて、ロランは振り返った。そしてそこにいた人物に、思わず目を疑った。
「……オリヴィエ?!」
「よう、ロラン」
対する親友は満面の笑みを浮かせて、にこにこと嬉しそうな面持ちだ。彼はナイフを握る手にさらに力を込めて肉の奥までねじこんだ。にちゃ、という肉を踏んづけたような嫌な音を立てて、ナイフを持った手を時計回りに回す。
「駄目じゃないか。後ろががら空きだぜ」
「……なん、で?」
「二日前……俺ぁ言ったよな?今日まで仲良く酒煽ってた奴が、明日には敵になるかもしれねぇ…てよ」
ざくり、とナイフを引き抜いた。刃渡りの長い片刃だ。赤黒く化粧し陽に当たっててらてらと怪しく輝くそれの先から、ちたちたと血が垂れている。
「それにな……お前がいけないんだぜ?ロラン」
男の目は狂気に染まっていた。けれどもその目の奥に隠れるのは、絶望と悲しみ。
オリヴィエと呼ばれた男は鎧の懐から一通の手紙を取り出した。封も宛先もない、黄ばんだ手紙だった。「お前はこいつを受け取ろうとしなかった。_____これが何か、分かるか?」
「?……わからないよ」
腰から溢れ流れ落ちた血液で鎧の下半身と大地を汚し、足をふらつかせるロラン。彼は必死にその手紙について考えた。頭が良く勘が働く彼の考えは大体いつも当たるため、今回もその直感が働いた。その結果、多分あれは恋文であろうと想像した。けれどそこでまた壁に当たる。果たして自分に手紙をくれる相手などあっただろうか。
もしかしてアベル?、と思案するがそれは彼の考えからすぐに消去された。ロランにとっての彼女は初恋の相手であったが、それは彼自身の片思いだ。それに実際彼女にはオリヴィエがいる。直接聞いた話ではないから断言は出来ないが、普段からあの二人の態度を見ていれば、大体誰でもそう想像する。
「……。やっぱ、お前最低だな。そんなだから、あいつの気持ちにも気づいてやれないんだな」
険しい顔のままいつまでも答えの出ないロランに、オリヴィエは苛立ち手紙を手のなかで丸め込んでしまった。にやにやと悪い笑みを浮かべている。
「ま、どうせ死ぬ奴にこんなもの要らねーよな」
ごめんなー、アベルー、と言うのとほぼ同時に、オリヴィエは今度は腹めがけてナイフを突き刺した。
……!!
ロランはとっさに動くことが出来なかった。
鎧と鎧の僅かな隙間に、ずぶりと入り込むナイフ。
対するロランは、がくんと膝から崩れ落ちた。じわじわと広がる腹部の痛み。親友の裏切り。それら全てがロランを襲い、目眩と頭痛と吐き気がした。視界が霞み、頬を熱いものが伝う。「なんだ、よ……逆、恨み……かよ。僕は……てっきり、お前らは……出来てる……だと、思ってたよ」
そのロランの消え入りそうな台詞に、それまで気持ちの悪い笑みを浮かせていたオリヴィエの表情から、一気に色が消えた。
「またその言い方かよ」
親友は唾でも吐き捨てるように苛ついた態度を全面に見せている。「俺ぁなあ、昔からお前のそういう所が大っっ嫌いなんだよ!常に一歩下がって良い奴を演じ、臆病にもならず、おまけに女にモテモテな正義のヒーローってか?_____今まで……俺が好きだった女どもを、お前のその性格で何人奪ったと思ってるんだ?!アベルのことだってそうさ!
お前さえ……お前さえいなければ!!
ロラン!死ねよっっ!!」
言って、オリヴィエは腰から愛刀のオートクレールを引き抜き振りかぶった。天高く掲げられたその刀身は真っ赤な炎で包まれ、蛇のようにうねっている。
「死ね、死ねっ、死ねっっ!!」
刹那。
けれどもその刃がロランの首を落とすことはなかつた。
「こ、れは…?」
頭に刃先が触れ髪の毛を数本切り落とすすんでのところで、ロランの腰の神剣デュランダルがぱっと飛び出し、その姿を盾へと変形させたのである。
「ったく、何やってやがる」
ロランの足元には、一匹の黒猫がいた。
「ハル…?!」
今まで何処に、とロランは驚きと感謝とをいっぺんに表情へ出す。「この盾はきみが?」
「お前まだこの剣を知らねえんだな。言っただろう。こいつは持ち主の“心”に反応するんだよ」
一方の黒猫は淡々と説明した。その聞くものを魅了するような低く渋めな声で。「で?お前はどう思った?」
「……」
_____死にたくない。
と、心からロランはそう願った。オリヴィエの言ったことが確かなら、自分はこの戦を生き延びてアベルの元へ帰らなければならない。この親友をこれ以上傷つけないためにも。
そして何かに導かれるようにしてはっと顔をあげた。頭上では、オートクレールで何度も何度も盾を叩きつける親友の姿。
ロランは剣に呼ばれるままデュランダルへ手を伸ばす。彼が柄を握ると、それまで盾の姿をしていたそれはようやく剣本来の姿を取り戻し、ずしりとした重みも右腕に戻ってきた。金を基調とし、真ん中に縦一線真っ直ぐサファイア色の筋を帯びた神剣。何度も叩きつけられたはずのその身には、不思議と傷一つついてはいなかった。
「オリヴィエ。辛い思いを沢山背負わせてすまなかった。
お前のその“闇”、今斬って楽にしてやるからな」
ぶぅん、と剣で大きく空を斬った。一陣の風が舞い上がり、オリヴィエを後方へ吹き飛ばす。
剣を握ったことで、オリヴィエから噴き出す闇の塊が黒いもやとなって彼を包んでいることに気がついた。そのもやは彼の全身を覆い、その姿はまるで大蛇が絡み付いて今にも彼の息の根を止めようとしているみたいだった。
「……あいつはもう、手遅れだな」
足元の黒猫がまたぽつりと言葉を吐いた。ロランもそれには相槌を打つ。「だね。……でもあそこまで抱え込ませてしまった原因が僕にあると思うと……どうもね」
「……。全ての原因がお前にあるということはない。奴は自分自身に負けたのだ。その原因を、お前という存在に擦り付けているに過ぎない」
だから何も同情は受けねえな、と相変わらず冷たい台詞を猫は吐く。
「ロラァァァァン!全ててめぇが悪りぃんだよ!死ねぇぇぇ!!」
親友が吠えた。
彼の周りの闇もまた、一層強くなる。
「なあ、オリヴィエ」対するロランはいつも以上に冷静さを保っていた。「お前何でも僕のせいにするのは良いけどさ、それってただの逃げだぜ?大体本当に好きな女があるならもっと攻めろよ。
全部僕に取られたって?失礼な。
僕が一度だってその娘たちと浮いた話があったと思うか?」
オリヴィエが何か言いたげに口を開こうとするが、ロランはそれを遮って言葉を続けた。
「答えはノーさ。僕は女性とお付き合いしたことは一度もないし、そんなことには微塵も興味ない。そんなことしてる暇あれば、少しでも鍛えておきたいからね。
で、要するにね、オリヴィエ。きみは彼女たちと近付ける機会はいくらでもあったというのに、それを進んで放棄したのは他ならぬ君なんだよ。恨むのならば、僕ではなくて君自身の弱さではないかい?」
刹那。
ロランが言い終わるより早く、剣を構えたオリヴィエが飛び掛かってきた。綺麗な蒼い目が彼の特徴の一つであったが、残念ながら今や少しの光も宿ってはいなかった。
「黙れぇぇぇぇぇ」
がつん、と激しく刃がぶつかり合って、衝撃波と火花を生む。ロランの足がじりじりと後退させられる。
オリヴィエの猛攻はいまだ留まることを知らず。
右手で刀を押し込む力を支え、左手は後方へ引いて手中で紅色の気を溜め続けている。
「お前が認めずとももうすでに俺のハラは決まってるんだ!ロラン。テメェをぶっ殺す!!」
言って、オリヴィエは低い位置から左手を突き飛ばした。
「!……させるかっ」
つばぜり合いの最中だった己の剣を、ロランは両手で力一杯斜め下に斬り伏せた。
_____ぎゃふんっ?!
オリヴィエの魔法とロランの神剣がぶつかって両者とも弾き飛ばしたが、先に悲鳴を上げたのはオリヴィエの方であった。
もうもうと湯気を立ち上らせ、彼の左腕だけ“闇”が蒸発してしまっている。まるで酷い火傷を負った後のように、真っ赤に爛れて皮膚も溶けてしまっている。
「キサマ……一体何をしたっ」
一トーンも二トーンも低くなってドスの効いた声でオリヴィエは唸った。
「ごめんよ、オリヴィエ。きみの“闇”を斬ったんだ。だけど……思っていたよりも強く君を蝕んでいたんだね」
_____もう彼は永くない。
ロランは今感じている思いに確信ごあった。
オリヴィエは嫉妬や妬み、憎しみ等諸々の理由で“闇”に身体を支配されている。これ以上斬れば、闇と一体化してしまった彼は助からない。
そう、もうこの男は「人間」ではないのだ。彼は、いや「オリヴィエ」という男の皮を被っているのは、紛れもない一体の「悪魔」なのだ。
「本来ならば君から“闇”だけを取り去ってやりたかった。
でも、君はとっくの昔に……変わってしまっていたんだね」
ふぅ、と一息ついて、再び身体の真っ正面で剣を構えた。「最期に、苦しまずに……イカせてやるっ」
ぎり、と奥歯を噛み締める。片足を半歩退いて、走りだしの体勢を整える。そしていざ_____
「アァアァァァアアアッッ」
走りだそうとしたロランの足を地に縫い付けるような、そんな耳をつんざく咆哮が一つ。発信源は、「オリヴィエ」だった。
それは、全身真っ黒い鎧で身を包み、焼け爛れた左腕も黒く変色し、手指の先には長く鋭い爪が伸びている。頭には二本の長い角も生やして。その姿はまるで、神話に登場する「悪魔」そのものだった。
「ロ……ラァァァァン」
コロス、コロス、とだけ早口でまくし立て自我が失くなってしまった親友の姿に、ロランは一瞬剣先を下げた。
「ひるむなっ」足元から怒声。「お前の覚悟が決まらねば、“闇”は斬れないのだぞ!奴をいつまで苦しめるつもりだ!」
その黒猫の声ではっとして、ロランは剣を構え直した。
_____僕がオリヴィエを救うんだ!
やっとロランの中で腹が決まった。心なしか、剣の金色の輝きも増したように思う。
「行くぞ……っ。オリヴィエ!」
その台詞が引き金となり、どちらからともなく二人は衝突した。
__________。
地面が揺れ、草花が震え、側で戦っていた兵士たちの足を思わず止めた。大きな衝撃波を生み、落雷も生じ、はたまた大地に穴が空いた。
そこからは光速かのように目にも止まらぬ速さだった。
闇が光を吹き飛ばすこともあれば、対抗する光は徐々に闇を浄化していった。幾度となく二つが衝突する度、その場にある全てのものが震えていた。
「アァアァァァアアアッッ」「オリヴィエーッ」
互いの剣と爪とがぶつかり合う度、激しい火花を散らす。それと並行して徐々にオリヴィエの“闇”もすり減っていく。
朱く爛れてめくれあがった皮膚。血と鉄臭さと、肉の焼け焦げた嫌な臭気が、ツンと鼻をつく。それにほんの一瞬、ロランはむせてしまった。
「_____?!」
刹那。
次の瞬間には、確実に、長く鋭い爪がロランの心臓部分を捕らえていた。分厚い空色の鎧がまるでただの板きれのようにすんなり彼の身体を貫通していたのだ。
数秒間、ロランの意識も呼吸も停まっていた。そして再び脳が働き状況を理解すると、とたんに血の塊を吐き出した。_____……っつ。オリ……ヴィエ…。
元親友だった男は自身の長い爪を引き抜く寸前で、がりっと肉を抉り、とどめの一撃を残す。
「…………」
引き抜かれたそれにはべっとりとロランの血液が付着していた。
一方、支えのなくなったロランの肉体は、今度こそ血に倒れ伏した。一度倒れてしまえば、それまで理解しないようにしていた腰の痛みや腹部の痛み等全てが蘇り、彼を襲った。生暖かい血液がゆっくりと草花を朱く染め上げ、やがて大地に染み込んでいく。
__________。
しとしとと冷たい雨が頬を叩いた。雨はそれから間もなくしてバケツをひっくり返したようなざんざん降りに変わる。まるで今のロランの心を映したかのように。顔中びしゃびしゃで、涙なのか雨なのかは分からない。周りには沢山の兵隊の死体が折り重なっている。
そんな中、ロランに何か動きがあった。
震えて力の入らない腕で腰の巾着袋を取って、神剣とともにそれを親友の足元に押し出した。「オリヴィ……エ…。どうか……これ、を……____」
けれどその台詞は皆まで言うことは叶わなかった。
悪魔の長い爪が、再び地面に伏しているロランを串刺しにしたのだ。
ロランは何か言いたげに目を大きく見開き、しかし閉じられることのないまま息を引き取った。
この平原のどこにも、黒猫の姿を発見することは叶わなかった。
ロランは些かも、我が身いたわることなし。
その柄の保つ限り、矛を持って打ちまくる。
討ち合い十五合にして、ついに柄を折り、こぼれたり。
抜き放てるは、その名剣デュランダル、白刃ぞ』
有永弘人『ロランの歌』岩波文庫より引用
_____ずぶり。
何やら背中、いや腰の辺りに鈍い痛みと衝撃を感じて、ロランは振り返った。そしてそこにいた人物に、思わず目を疑った。
「……オリヴィエ?!」
「よう、ロラン」
対する親友は満面の笑みを浮かせて、にこにこと嬉しそうな面持ちだ。彼はナイフを握る手にさらに力を込めて肉の奥までねじこんだ。にちゃ、という肉を踏んづけたような嫌な音を立てて、ナイフを持った手を時計回りに回す。
「駄目じゃないか。後ろががら空きだぜ」
「……なん、で?」
「二日前……俺ぁ言ったよな?今日まで仲良く酒煽ってた奴が、明日には敵になるかもしれねぇ…てよ」
ざくり、とナイフを引き抜いた。刃渡りの長い片刃だ。赤黒く化粧し陽に当たっててらてらと怪しく輝くそれの先から、ちたちたと血が垂れている。
「それにな……お前がいけないんだぜ?ロラン」
男の目は狂気に染まっていた。けれどもその目の奥に隠れるのは、絶望と悲しみ。
オリヴィエと呼ばれた男は鎧の懐から一通の手紙を取り出した。封も宛先もない、黄ばんだ手紙だった。「お前はこいつを受け取ろうとしなかった。_____これが何か、分かるか?」
「?……わからないよ」
腰から溢れ流れ落ちた血液で鎧の下半身と大地を汚し、足をふらつかせるロラン。彼は必死にその手紙について考えた。頭が良く勘が働く彼の考えは大体いつも当たるため、今回もその直感が働いた。その結果、多分あれは恋文であろうと想像した。けれどそこでまた壁に当たる。果たして自分に手紙をくれる相手などあっただろうか。
もしかしてアベル?、と思案するがそれは彼の考えからすぐに消去された。ロランにとっての彼女は初恋の相手であったが、それは彼自身の片思いだ。それに実際彼女にはオリヴィエがいる。直接聞いた話ではないから断言は出来ないが、普段からあの二人の態度を見ていれば、大体誰でもそう想像する。
「……。やっぱ、お前最低だな。そんなだから、あいつの気持ちにも気づいてやれないんだな」
険しい顔のままいつまでも答えの出ないロランに、オリヴィエは苛立ち手紙を手のなかで丸め込んでしまった。にやにやと悪い笑みを浮かべている。
「ま、どうせ死ぬ奴にこんなもの要らねーよな」
ごめんなー、アベルー、と言うのとほぼ同時に、オリヴィエは今度は腹めがけてナイフを突き刺した。
……!!
ロランはとっさに動くことが出来なかった。
鎧と鎧の僅かな隙間に、ずぶりと入り込むナイフ。
対するロランは、がくんと膝から崩れ落ちた。じわじわと広がる腹部の痛み。親友の裏切り。それら全てがロランを襲い、目眩と頭痛と吐き気がした。視界が霞み、頬を熱いものが伝う。「なんだ、よ……逆、恨み……かよ。僕は……てっきり、お前らは……出来てる……だと、思ってたよ」
そのロランの消え入りそうな台詞に、それまで気持ちの悪い笑みを浮かせていたオリヴィエの表情から、一気に色が消えた。
「またその言い方かよ」
親友は唾でも吐き捨てるように苛ついた態度を全面に見せている。「俺ぁなあ、昔からお前のそういう所が大っっ嫌いなんだよ!常に一歩下がって良い奴を演じ、臆病にもならず、おまけに女にモテモテな正義のヒーローってか?_____今まで……俺が好きだった女どもを、お前のその性格で何人奪ったと思ってるんだ?!アベルのことだってそうさ!
お前さえ……お前さえいなければ!!
ロラン!死ねよっっ!!」
言って、オリヴィエは腰から愛刀のオートクレールを引き抜き振りかぶった。天高く掲げられたその刀身は真っ赤な炎で包まれ、蛇のようにうねっている。
「死ね、死ねっ、死ねっっ!!」
刹那。
けれどもその刃がロランの首を落とすことはなかつた。
「こ、れは…?」
頭に刃先が触れ髪の毛を数本切り落とすすんでのところで、ロランの腰の神剣デュランダルがぱっと飛び出し、その姿を盾へと変形させたのである。
「ったく、何やってやがる」
ロランの足元には、一匹の黒猫がいた。
「ハル…?!」
今まで何処に、とロランは驚きと感謝とをいっぺんに表情へ出す。「この盾はきみが?」
「お前まだこの剣を知らねえんだな。言っただろう。こいつは持ち主の“心”に反応するんだよ」
一方の黒猫は淡々と説明した。その聞くものを魅了するような低く渋めな声で。「で?お前はどう思った?」
「……」
_____死にたくない。
と、心からロランはそう願った。オリヴィエの言ったことが確かなら、自分はこの戦を生き延びてアベルの元へ帰らなければならない。この親友をこれ以上傷つけないためにも。
そして何かに導かれるようにしてはっと顔をあげた。頭上では、オートクレールで何度も何度も盾を叩きつける親友の姿。
ロランは剣に呼ばれるままデュランダルへ手を伸ばす。彼が柄を握ると、それまで盾の姿をしていたそれはようやく剣本来の姿を取り戻し、ずしりとした重みも右腕に戻ってきた。金を基調とし、真ん中に縦一線真っ直ぐサファイア色の筋を帯びた神剣。何度も叩きつけられたはずのその身には、不思議と傷一つついてはいなかった。
「オリヴィエ。辛い思いを沢山背負わせてすまなかった。
お前のその“闇”、今斬って楽にしてやるからな」
ぶぅん、と剣で大きく空を斬った。一陣の風が舞い上がり、オリヴィエを後方へ吹き飛ばす。
剣を握ったことで、オリヴィエから噴き出す闇の塊が黒いもやとなって彼を包んでいることに気がついた。そのもやは彼の全身を覆い、その姿はまるで大蛇が絡み付いて今にも彼の息の根を止めようとしているみたいだった。
「……あいつはもう、手遅れだな」
足元の黒猫がまたぽつりと言葉を吐いた。ロランもそれには相槌を打つ。「だね。……でもあそこまで抱え込ませてしまった原因が僕にあると思うと……どうもね」
「……。全ての原因がお前にあるということはない。奴は自分自身に負けたのだ。その原因を、お前という存在に擦り付けているに過ぎない」
だから何も同情は受けねえな、と相変わらず冷たい台詞を猫は吐く。
「ロラァァァァン!全ててめぇが悪りぃんだよ!死ねぇぇぇ!!」
親友が吠えた。
彼の周りの闇もまた、一層強くなる。
「なあ、オリヴィエ」対するロランはいつも以上に冷静さを保っていた。「お前何でも僕のせいにするのは良いけどさ、それってただの逃げだぜ?大体本当に好きな女があるならもっと攻めろよ。
全部僕に取られたって?失礼な。
僕が一度だってその娘たちと浮いた話があったと思うか?」
オリヴィエが何か言いたげに口を開こうとするが、ロランはそれを遮って言葉を続けた。
「答えはノーさ。僕は女性とお付き合いしたことは一度もないし、そんなことには微塵も興味ない。そんなことしてる暇あれば、少しでも鍛えておきたいからね。
で、要するにね、オリヴィエ。きみは彼女たちと近付ける機会はいくらでもあったというのに、それを進んで放棄したのは他ならぬ君なんだよ。恨むのならば、僕ではなくて君自身の弱さではないかい?」
刹那。
ロランが言い終わるより早く、剣を構えたオリヴィエが飛び掛かってきた。綺麗な蒼い目が彼の特徴の一つであったが、残念ながら今や少しの光も宿ってはいなかった。
「黙れぇぇぇぇぇ」
がつん、と激しく刃がぶつかり合って、衝撃波と火花を生む。ロランの足がじりじりと後退させられる。
オリヴィエの猛攻はいまだ留まることを知らず。
右手で刀を押し込む力を支え、左手は後方へ引いて手中で紅色の気を溜め続けている。
「お前が認めずとももうすでに俺のハラは決まってるんだ!ロラン。テメェをぶっ殺す!!」
言って、オリヴィエは低い位置から左手を突き飛ばした。
「!……させるかっ」
つばぜり合いの最中だった己の剣を、ロランは両手で力一杯斜め下に斬り伏せた。
_____ぎゃふんっ?!
オリヴィエの魔法とロランの神剣がぶつかって両者とも弾き飛ばしたが、先に悲鳴を上げたのはオリヴィエの方であった。
もうもうと湯気を立ち上らせ、彼の左腕だけ“闇”が蒸発してしまっている。まるで酷い火傷を負った後のように、真っ赤に爛れて皮膚も溶けてしまっている。
「キサマ……一体何をしたっ」
一トーンも二トーンも低くなってドスの効いた声でオリヴィエは唸った。
「ごめんよ、オリヴィエ。きみの“闇”を斬ったんだ。だけど……思っていたよりも強く君を蝕んでいたんだね」
_____もう彼は永くない。
ロランは今感じている思いに確信ごあった。
オリヴィエは嫉妬や妬み、憎しみ等諸々の理由で“闇”に身体を支配されている。これ以上斬れば、闇と一体化してしまった彼は助からない。
そう、もうこの男は「人間」ではないのだ。彼は、いや「オリヴィエ」という男の皮を被っているのは、紛れもない一体の「悪魔」なのだ。
「本来ならば君から“闇”だけを取り去ってやりたかった。
でも、君はとっくの昔に……変わってしまっていたんだね」
ふぅ、と一息ついて、再び身体の真っ正面で剣を構えた。「最期に、苦しまずに……イカせてやるっ」
ぎり、と奥歯を噛み締める。片足を半歩退いて、走りだしの体勢を整える。そしていざ_____
「アァアァァァアアアッッ」
走りだそうとしたロランの足を地に縫い付けるような、そんな耳をつんざく咆哮が一つ。発信源は、「オリヴィエ」だった。
それは、全身真っ黒い鎧で身を包み、焼け爛れた左腕も黒く変色し、手指の先には長く鋭い爪が伸びている。頭には二本の長い角も生やして。その姿はまるで、神話に登場する「悪魔」そのものだった。
「ロ……ラァァァァン」
コロス、コロス、とだけ早口でまくし立て自我が失くなってしまった親友の姿に、ロランは一瞬剣先を下げた。
「ひるむなっ」足元から怒声。「お前の覚悟が決まらねば、“闇”は斬れないのだぞ!奴をいつまで苦しめるつもりだ!」
その黒猫の声ではっとして、ロランは剣を構え直した。
_____僕がオリヴィエを救うんだ!
やっとロランの中で腹が決まった。心なしか、剣の金色の輝きも増したように思う。
「行くぞ……っ。オリヴィエ!」
その台詞が引き金となり、どちらからともなく二人は衝突した。
__________。
地面が揺れ、草花が震え、側で戦っていた兵士たちの足を思わず止めた。大きな衝撃波を生み、落雷も生じ、はたまた大地に穴が空いた。
そこからは光速かのように目にも止まらぬ速さだった。
闇が光を吹き飛ばすこともあれば、対抗する光は徐々に闇を浄化していった。幾度となく二つが衝突する度、その場にある全てのものが震えていた。
「アァアァァァアアアッッ」「オリヴィエーッ」
互いの剣と爪とがぶつかり合う度、激しい火花を散らす。それと並行して徐々にオリヴィエの“闇”もすり減っていく。
朱く爛れてめくれあがった皮膚。血と鉄臭さと、肉の焼け焦げた嫌な臭気が、ツンと鼻をつく。それにほんの一瞬、ロランはむせてしまった。
「_____?!」
刹那。
次の瞬間には、確実に、長く鋭い爪がロランの心臓部分を捕らえていた。分厚い空色の鎧がまるでただの板きれのようにすんなり彼の身体を貫通していたのだ。
数秒間、ロランの意識も呼吸も停まっていた。そして再び脳が働き状況を理解すると、とたんに血の塊を吐き出した。_____……っつ。オリ……ヴィエ…。
元親友だった男は自身の長い爪を引き抜く寸前で、がりっと肉を抉り、とどめの一撃を残す。
「…………」
引き抜かれたそれにはべっとりとロランの血液が付着していた。
一方、支えのなくなったロランの肉体は、今度こそ血に倒れ伏した。一度倒れてしまえば、それまで理解しないようにしていた腰の痛みや腹部の痛み等全てが蘇り、彼を襲った。生暖かい血液がゆっくりと草花を朱く染め上げ、やがて大地に染み込んでいく。
__________。
しとしとと冷たい雨が頬を叩いた。雨はそれから間もなくしてバケツをひっくり返したようなざんざん降りに変わる。まるで今のロランの心を映したかのように。顔中びしゃびしゃで、涙なのか雨なのかは分からない。周りには沢山の兵隊の死体が折り重なっている。
そんな中、ロランに何か動きがあった。
震えて力の入らない腕で腰の巾着袋を取って、神剣とともにそれを親友の足元に押し出した。「オリヴィ……エ…。どうか……これ、を……____」
けれどその台詞は皆まで言うことは叶わなかった。
悪魔の長い爪が、再び地面に伏しているロランを串刺しにしたのだ。
ロランは何か言いたげに目を大きく見開き、しかし閉じられることのないまま息を引き取った。
この平原のどこにも、黒猫の姿を発見することは叶わなかった。
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王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
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