4 / 9
第一章 再会、そして日常
3.再会-3
しおりを挟む
後付けしたカーテンの向こう側、脱衣場から大きなため息が聞こえてきてソータはほんの少し笑った。
「まーさかだけどさ、ソータ、ドライヤー無いとか言う?」
確信と絶望を含んだ声でレオが言った。ソータは期待に応えて言った。
「リンスの無い家に何を期待してるんだ」
「だよね、うん、これは俺が間違ってた」
もうひとつため息をして、髪を拭きながらレオがリビングにやって来る。ソータのスウェットが少しゆったりとして見えた。この家に唯一の机は小さくてコンビニ弁当と350mlの缶ビールを広げると大体埋まっていたけれど、それをソータの向かい側に座ったレオが無理やり押しのけて両肘をつく。この家には座布団という概念もないので、二人ともフローリングの上に直で座っている。
レオの動きに合わせてふわっと、甘くて暖かい香りがした。
「ねー、それ美味しいの?」
レオの問いに「別に」と返したソータは片膝を立て、そこに頬杖をつく。この弁当を食べ終わり、缶を空にしたらそれが就寝のタイミングなのだ。レオはふうんと興味なさげに首を捻り、しかしそれから目を閉じて大きく口を開けた。
「あー」
「ハッ、名家のご子息がこんなもん口に入れたら大目玉だぞ」
「馬鹿か、もう絶滅を待つだけの種族に名家もクソもあるかよ」
ほら、あー。
レオがもう一度口を開ける。ソータは少し息をついて、その育ちの良さを隠せない口の中に親指を突っ込んだ。
「はあ!?」
「いや、本当に無いんだなと思って。 牙」
「自分ので確認しろや!!」
ソータの指が今は人間の犬歯とそう変わらないサイズとなったレオの歯をなぞって反対側まで確かめていく。いつまで経ってもソータが指を抜かないのでレオがあむあむと甘噛みしはじめれば、ソータは眉をひそめてさっと手を引いた。
「そんな趣味はない」
「俺だってねぇよこの馬鹿」
吐き散らかすようにレオは言って、そのまま後ろに倒れて行った。ついでにソータの足を蹴り飛ばし、ソータが持っていた缶の中身を揺らす。そのちゃぽんという音が静かになるのを、レオは電灯を眺めながら待っていた。
「ねえ」
「なんだ」
二人は吸血鬼ばかりが通うアカデミーの同級生で、32年ぶりの再会だとしても彼らの間に流れる空気はその頃のままだ。そのことに対する安堵がレオを満たし、レオは大きく息を吸った。その胸が大きく上下するのを、ソータも静かに見つめていた。
「俺、ここにいてもいい?」
それは32年前、レオが口にできなかった言葉だった。案外言えるときはスルっと言葉が出て行くもんだなぁとレオは思った。レオの耳がアナログ時計の、分針が一つ進む音を拾った。
「……いつまでだ」
そうぶっきらぼうに返したソータは、重たい瞬きをひとつしたところだった。
「死ぬまで」
珍しく少し低めのトーンで、でもかすれた声でレオが答える。ソータがビールを飲み干して、空の弁当箱と一緒にビニール袋に入れて口を縛った。それもベランダへ出してしまおうと立ち上がる。
「“お前が飽きるまで”なら居てもいい」
「ふは、分かった。 よろしくね」
握手握手、と言いながらレオは横を通り過ぎようとするソータの足首を飛びつくように掴んだ。ソータは少しバランスを崩したが、めんどくさそうな顔でもう片方の足でレオの顔を踏みつけようと狙いに行く。それにはさすがのレオも焦った。
「おい!! 俺そんな趣味もねえから!!」
「じゃあその髪はなんだ? 良い趣味してるな」
「まさか髪も伸びないとは思わなかったんだよ!」
丁度冷蔵庫の稼働音がブゥゥンと落ち着いた瞬間で、ソータも何も言わないから部屋が静かになった。それに居たたまれなくなった半べそのレオはソータのベッドによじ登って不貞寝を決め込む。ソータはとりあえず袋をベランダの外に出してから、「いいんじゃないか」と呟いた。
吸血鬼の王の呪いによって、彼らの体はもうそれ以上成長することはない。おそらく怪我をしても、治ることは無いんじゃないかとソータは思っている。
「そんな適当な励ましで俺の心が晴れるか!!」
レオが掛布団の端を掴んだと思えば、躊躇なくバタバタとはためかせ、タバコの粒子を部屋に舞わせ始めた。すっ飛んできたソータに頭を掴まれベッドに沈められたレオは、想定外のベッドの硬さで思わず黙る。
「お前、ふざけんなよ」
そう言ったのはソータだった。アカデミーでは表情筋の動かないことに定評のあったソータが本気で怒っているのが指の間から見えた。それから、その指はレオの前髪を左右に流して離れていった。
「今日はお前がベッド使え。 ただし明日朝一で洗濯するから起きろよ」
「やだ。 俺長旅だったんだぞ。 お客様だぞ」
「タバコ使ってベッドぶんどってくるようなヤツに客の権利はない」
「お、バレてた。 いやほんと俺頭良いよな」
「まじで覚えてろよお前」
部屋の明かりを落とすと、いっそう音が大きく聞こえるような錯覚におちいる。レオはソータの立てる物音をしばらく頬杖をついて聞いていたが、いつの間にかそっと、意識を手放した。
「まーさかだけどさ、ソータ、ドライヤー無いとか言う?」
確信と絶望を含んだ声でレオが言った。ソータは期待に応えて言った。
「リンスの無い家に何を期待してるんだ」
「だよね、うん、これは俺が間違ってた」
もうひとつため息をして、髪を拭きながらレオがリビングにやって来る。ソータのスウェットが少しゆったりとして見えた。この家に唯一の机は小さくてコンビニ弁当と350mlの缶ビールを広げると大体埋まっていたけれど、それをソータの向かい側に座ったレオが無理やり押しのけて両肘をつく。この家には座布団という概念もないので、二人ともフローリングの上に直で座っている。
レオの動きに合わせてふわっと、甘くて暖かい香りがした。
「ねー、それ美味しいの?」
レオの問いに「別に」と返したソータは片膝を立て、そこに頬杖をつく。この弁当を食べ終わり、缶を空にしたらそれが就寝のタイミングなのだ。レオはふうんと興味なさげに首を捻り、しかしそれから目を閉じて大きく口を開けた。
「あー」
「ハッ、名家のご子息がこんなもん口に入れたら大目玉だぞ」
「馬鹿か、もう絶滅を待つだけの種族に名家もクソもあるかよ」
ほら、あー。
レオがもう一度口を開ける。ソータは少し息をついて、その育ちの良さを隠せない口の中に親指を突っ込んだ。
「はあ!?」
「いや、本当に無いんだなと思って。 牙」
「自分ので確認しろや!!」
ソータの指が今は人間の犬歯とそう変わらないサイズとなったレオの歯をなぞって反対側まで確かめていく。いつまで経ってもソータが指を抜かないのでレオがあむあむと甘噛みしはじめれば、ソータは眉をひそめてさっと手を引いた。
「そんな趣味はない」
「俺だってねぇよこの馬鹿」
吐き散らかすようにレオは言って、そのまま後ろに倒れて行った。ついでにソータの足を蹴り飛ばし、ソータが持っていた缶の中身を揺らす。そのちゃぽんという音が静かになるのを、レオは電灯を眺めながら待っていた。
「ねえ」
「なんだ」
二人は吸血鬼ばかりが通うアカデミーの同級生で、32年ぶりの再会だとしても彼らの間に流れる空気はその頃のままだ。そのことに対する安堵がレオを満たし、レオは大きく息を吸った。その胸が大きく上下するのを、ソータも静かに見つめていた。
「俺、ここにいてもいい?」
それは32年前、レオが口にできなかった言葉だった。案外言えるときはスルっと言葉が出て行くもんだなぁとレオは思った。レオの耳がアナログ時計の、分針が一つ進む音を拾った。
「……いつまでだ」
そうぶっきらぼうに返したソータは、重たい瞬きをひとつしたところだった。
「死ぬまで」
珍しく少し低めのトーンで、でもかすれた声でレオが答える。ソータがビールを飲み干して、空の弁当箱と一緒にビニール袋に入れて口を縛った。それもベランダへ出してしまおうと立ち上がる。
「“お前が飽きるまで”なら居てもいい」
「ふは、分かった。 よろしくね」
握手握手、と言いながらレオは横を通り過ぎようとするソータの足首を飛びつくように掴んだ。ソータは少しバランスを崩したが、めんどくさそうな顔でもう片方の足でレオの顔を踏みつけようと狙いに行く。それにはさすがのレオも焦った。
「おい!! 俺そんな趣味もねえから!!」
「じゃあその髪はなんだ? 良い趣味してるな」
「まさか髪も伸びないとは思わなかったんだよ!」
丁度冷蔵庫の稼働音がブゥゥンと落ち着いた瞬間で、ソータも何も言わないから部屋が静かになった。それに居たたまれなくなった半べそのレオはソータのベッドによじ登って不貞寝を決め込む。ソータはとりあえず袋をベランダの外に出してから、「いいんじゃないか」と呟いた。
吸血鬼の王の呪いによって、彼らの体はもうそれ以上成長することはない。おそらく怪我をしても、治ることは無いんじゃないかとソータは思っている。
「そんな適当な励ましで俺の心が晴れるか!!」
レオが掛布団の端を掴んだと思えば、躊躇なくバタバタとはためかせ、タバコの粒子を部屋に舞わせ始めた。すっ飛んできたソータに頭を掴まれベッドに沈められたレオは、想定外のベッドの硬さで思わず黙る。
「お前、ふざけんなよ」
そう言ったのはソータだった。アカデミーでは表情筋の動かないことに定評のあったソータが本気で怒っているのが指の間から見えた。それから、その指はレオの前髪を左右に流して離れていった。
「今日はお前がベッド使え。 ただし明日朝一で洗濯するから起きろよ」
「やだ。 俺長旅だったんだぞ。 お客様だぞ」
「タバコ使ってベッドぶんどってくるようなヤツに客の権利はない」
「お、バレてた。 いやほんと俺頭良いよな」
「まじで覚えてろよお前」
部屋の明かりを落とすと、いっそう音が大きく聞こえるような錯覚におちいる。レオはソータの立てる物音をしばらく頬杖をついて聞いていたが、いつの間にかそっと、意識を手放した。
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】どんな姿でも、あなたを愛している。
キノア9g
BL
かつて世界を救った英雄は、なぜその輝きを失ったのか。そして、ただ一人、彼を探し続けた王子の、ひたむきな愛が、その閉ざされた心に光を灯す。
声は届かず、触れることもできない。意識だけが深い闇に囚われ、絶望に沈む英雄の前に現れたのは、かつて彼が命を救った幼い王子だった。成長した王子は、すべてを捨て、十五年もの歳月をかけて英雄を探し続けていたのだ。
「あなたを死なせないことしか、できなかった……非力な私を……許してください……」
ひたすらに寄り添い続ける王子の深い愛情が、英雄の心を少しずつ、しかし確かに温めていく。それは、常識では測れない、静かで確かな繋がりだった。
失われた時間、そして失われた光。これは、英雄が再びこの世界で、愛する人と共に未来を紡ぐ物語。
全8話
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?
cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき)
ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。
「そうだ、バイトをしよう!」
一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。
教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった!
なんで元カレがここにいるんだよ!
俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。
「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」
「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」
なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ!
もう一度期待したら、また傷つく?
あの時、俺たちが別れた本当の理由は──?
「そろそろ我慢の限界かも」
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
悪役の僕 何故か愛される
いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ
王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。
悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。
そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて…
ファンタジーラブコメBL
不定期更新
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
クールな義兄の愛が重すぎる ~有能なおにいさまに次期当主の座を譲ったら、求婚されてしまいました~
槿 資紀
BL
イェント公爵令息のリエル・シャイデンは、生まれたときから虚弱体質を抱えていた。
公爵家の当主を継ぐ日まで生きていられるか分からないと、どの医師も口を揃えて言うほどだった。
そのため、リエルの代わりに当主を継ぐべく、分家筋から養子をとることになった。そうしてリエルの前に表れたのがアウレールだった。
アウレールはリエルに献身的に寄り添い、懸命の看病にあたった。
その甲斐あって、リエルは奇跡の回復を果たした。
そして、リエルは、誰よりも自分の生存を諦めなかった義兄の虜になった。
義兄は容姿も能力も完全無欠で、公爵家の次期当主として文句のつけようがない逸材だった。
そんな義兄に憧れ、その後を追って、難関の王立学院に合格を果たしたリエルだったが、入学直前のある日、現公爵の父に「跡継ぎをアウレールからお前に戻す」と告げられ――――。
完璧な義兄×虚弱受け すれ違いラブロマンス
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる