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再会

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~前回までのあらすじ~
 シノ様と仲直りできないまま、ボクらは天外のすそ野を抜けてフミル王国で初めての町へ出た。追っ手もまいたようだし、久しぶりに宿をとって、まともな食事を食べて。ほっと一息だと思っていたら、アズマが一行を抜けると言い出した。
 ほえ~!

 ***

 宿に荷物とリタを預けると、ボクらは隣接した食堂へと向かった。
 お昼には遅いくらいの時間だったのだけど、食堂はかなりにぎわっていた。ボクらは隅の方の席に追いやられ、頼んだ料理が来るのを待っている。

 お店の中にはスパイスの独特のいい匂いが漂っていて、そこにいるだけでもちょっと、胸がどきどきしてくる。

 わくわく、フミルの料理ってどんなだろう。
 においからしておいしいのは間違いないですね、シノ様!

 ……シノ様と仲直りできていないのにごはんにうつつを抜かそうだなんて、なんて図々しい奴なんだ、ボクは。
 はぁ……。

 浮き沈みの激しいボクの傍らで、アズマはきょろきょろと周りのテーブルをのぞいてはイチセに何の料理か尋ねている。

「ありゃあなんだ?」
「トルパですね。小麦の皮の中に肉やら香味野菜やらを包んでタレにつけて食べるんです」

「あそこで飲んでるのは?」
「ここらのお酒ですね。強い酒だったはずです」

 よし、とアズマが酒を注文しようとしたところでシノ様が遮った。

「待って、わたしも飲むわ」

「へえ、シノが飲むなんて珍しいな」
「ちょっとね、飲まなきゃやってられないの」

 ひえっ……、それってボクのことですか?

 ボクが酒をあおるシノ様に怯えている間にも、テーブルには料理が並べられていく。
 豆のスープ、肉の串焼き、豆と野菜の炒め物、肉と野菜の煮込み、様々な野菜の漬物。そしてそれぞれに米を盛った皿が配られる。

 豪華料理だ!

 シュベットでは野菜が高級品だから、こんなに野菜をふんだんに使った料理、見たことがない。
 独特なにおいにも、異国に来たんだなぁ、と実感させられる。

 炒め物は口に入れるとぴりりと辛い。
 アズマもシノ様も、お酒と合う、とか言って一口食べては小さなガラスコップを少しずつ傾ける。

 煮込みはスパイスの香りと風味の中に肉と野菜の甘みを感じる一品。
 辛いんだけど、でも優しい辛さでおいしい。

 串焼きはピリ辛のたれにつけこまれた肉を使っていて、カリッとした外側を歯が突き破ると、中から肉の旨味とタレの辛みが染み出てくる。
 アズマもシノ様も、お酒と合う、とか言って一口食べてはコップに口をつける。

 そして豆のスープ。これは塩味の効いた優しい味。
 他の料理を食べて、辛い!ってなったところに逃げ込むと、その素朴さにほっと息を吐く。

 漬物も美味しかった。
 食べるとすごく酸っぱくて、でも酸っぱいだけじゃなく、野菜の甘さとか苦みとか、風味を一番よく感じられる。

 あと、お酒と一緒に赤い果実みたいなものが出された。
 ちょっとかじってみたところ、じわっと口の中に火がついたみたいに辛みが広がって、汗がぶわっと噴き出してきた。
 どうやら料理がところどころ赤いのは、この果実が入っているかららしい。

 これもアズマとシノ様は、少しかじってコップを……ってシノ様、飲み過ぎじゃありません?

「大丈夫よ。ちょっとずつしか飲んでないから」
 頬を染めたシノ様はなんだかちょっと色っぽい。

 ああ、ダメだ、ダメだ!
 そういう邪念がシノ様を困らせるんだ。
 こら、イヅル。こら!

「こう人も多くちゃ、追っ手が混じってても俺たちのことなんて気づかねぇだろ」
 う~ん、慎重なアズマらしくない発言、と取れなくもない。

「こっちからも、追っ手が混じってても気づけませんけどね」
 イチセは流石、冷静だ。

「まあ、あんまり気にし過ぎると疲れちゃうわ。道も変えて、人込みに紛れて、これでも見つかるようなら諦めましょう」

 流石シノ様、達観していらっしゃる!
 いや……、達観というか、投げやりというべきか……。



 そうしてお腹がくちくなった頃、アズマがパイプをふかしながら言った。

「これからお前ら、どうするんだ?」
「わたしは王都に向かい、師匠を助け出す術をどうにか探すつもりです」

 イチセは力強く言った。迷いのない目だ。
 迷ってばかりいるボクには少し眩しくも感じる。

「ああ、イチセはそうだよな。シノは?」
「わたしも方向は一緒ね。アル・ムールの湖に行って、それからどうするかは、また考えるわ」

「イヅルは」

「うん……。ボクも、王都に向かうと思う」
 ボクはちらちらとシノ様の様子を伺いながら答えた。

 シノ様は、アル・ムールへ行くとは言ったけれどボクと一緒にイツツバを解放する為にアマミヤ家へ行くとは言ってくれなかった。

 ボクの胸には、助けてほしいなんて頼んでない、という言葉が突き刺さっている。

 もしかしたらシノ様は、ボクの行動を余計なお世話だと思っているかもしれない。
 けれどボクはツチミヤとイツツバをシノ様から解放することを約束してしまったし、約束を違えればツチミヤはボクを乗っ取ってシノ様に危害を加えるかもしれない。

 ボクはもう、後戻りできない。
 たとえシノ様が協力してくれなくっても、一人でだってやり遂げなくちゃならないんだ。

「ふ~ん、そうか……。まあとりあえず、王都の方面に行くってのは一致してるんだな」

 アズマはらしくもなく歯切れが悪かった。
 シノ様はその様子を見て少し眉根を寄せた。

「なに、はっきり言いなさいよ。言いたいことは、察しがつくけど」
「ですね。でも、考え直してもいいですよ。アズマさんみたいな荒くれ、雇ってくれるとこなんてありませんからね」

 イチセの軽口に、なんだよ、とアズマが笑み含みに睨む。
 それでようやく、ボクにも二人の言いたいことが呑み込めた。

「だっ、ダメだよ。せっかく一緒にここまで来たのに!」

 思わず大きな声を出してしまった。
 勢いよく立ち上がったせいで、椅子が音を立てて倒れる。

 アズマは倒れた椅子を直すと、悪いな、と顔を顰めた。

「世話になったが、俺にはアマミヤなんて危ない連中とことを構える気はねぇ。俺はここらで一抜けさせてもらうぜ」

 その言葉に、身体の力が萎えていくような心地がした。

「そんな……。ゴドーさんもセリナさんもいなくなって、アズマまで」

 アズマは乱暴で、ガラが悪くて、たまにわざと嫌味なことを言ってくる嫌な奴だ。
 でも、盗賊に攫われて一番心細かった時に一緒に居てくれた。素っ気ないことを言いながらボクを背負ってくれたし、ボクを逃がすためにたった一人で盗賊たちに立ち向かった。

 それからもずっと、なんだかんだ言いながら助けてくれていた。
 ここまで来られたのも、アズマが道を見つけて案内してくれたからだ。

 アズマは何でもできて、頼りになって、何の根拠もなく、これからも助けてくれるものだと思っていた。

 でも思えば、アズマはシュベットから脱出するためにシノ様に雇われたのだ。
 アズマにしてみれば、これ以上旅を共にする理由はない。

「イヅル、聞き分けなさい」

「……はい」
 ボクは項垂れて椅子に座り直した。

 なんだか、目の前が真っ暗になったような気分だった。
 シノ様とも仲直りできなくて、イチセを困らせて、アズマは行ってしまう。
 なんだか、ボクが当たり前だと思っていたものがみんな、音を立てて崩れていくような……。



 不意に、ぐんと周囲の霊力が揺らぐような気配がした。

 ショックでめまいでも起こしたかと思ったけれど、違う。
 これはイチセの術だ。霊力をまとめて支配するあの感じ。

「敵襲です」
 イチセが静かに言ったのと、周囲の客をかき分けて剣呑な雰囲気を纏った男たちが店に入ってくるのとはほとんど同時だった。

「ちっ、めんどくせえ」
「どうやって見つけたのかしら」
 アズマとシノ様は呟いて、そ知らぬふりをしている。

 人影は四人。
 全員別々の方向からこちらへゆっくりと歩いてきていた。

 立ち上がりかけたボクをアズマがさっと押さえた。
 
「動くな、じっとしてろ」

 イチセは気のない態度をとりながらも目だけは鋭い光を帯びていた。

「全員やれます」
「待ちなさい」

 シノ様が静かに制止する。

 足音は近づき、一人の男が近くの椅子を引き寄せてボクらのテーブルに座った。

「……久しぶりだな。もう、身体はいいのか?」

 まるで思いがけず旧友に出会ったような穏やかな調子でゴドーさんは言った。
 一瞬、敵とかどうとかはイチセの勘違いで、ただたまたま知った顔を見つけて声をかけてくれたのかもしれないと思うほどのゆったりした口調だった。

 だが、そうではないのは机を囲むように立つ三人の見知らぬ男の様子で分かる。
 彼らはみな、コートの下で何かに手を掛けている。

 ボクは身体の奥がカッと熱くなるのを感じた。
 裏切ったのか!
 そう糾弾したい気持ちが胸に溢れる。

 今この場に姿を見せるまでは、本当にゴドーさんたちが敵だったのか、ボクは確信を持てないでいた。
 きっとみんな不幸な行き違いで、きっと何の遺恨もなくまた会えると、そう信じていようと思っていたのだ。

 でも、違った。
 元々二人ともアマミヤの追っ手で、どういう方法を使ってか再びボクらの居場所を突き止めたのだ。

 怒りを燃え上がらせたボクの一方で、シノ様は淡々としていた。

「ええ、おかげさまでね。あの後すぐに治ったの。
 ゴドーさんも、息災なようで何よりだわ。もう家族の許へ帰ったのかと思っていたのだけど」
「ああ……。実はまだ、ひと仕事残っていてな。だが、じきに終わりそうなんだ」
「そう。それは良かった」

 アズマは隙だらけにも背もたれにもたれかかってパイプをふかしているし、すでにこの場の全員を射程に捉えているイチセも、表面上は関心もなさそうに皿に残った野菜くずをもぐもぐしていた。

 どうしてこいつら、こんなに平気な顔をしてるんだ。

「セリナさんはどうしてる?」
「あいつも近くにいて、仕事中だ」

「そう。忙しいのね」
「そうだな。俺たち程度の武人、アマミヤにはたくさんいるんだが、あいつほど優秀な結界術師はそういない。引く手数多なんだ」

 アマミヤ、とゴドーさんは言った。
 もう隠すつもりなどないらしい。
 ということは、シノ様を確実に確保する算段は付いているということか。

「シノ、俺たちと一緒に来てくれないか。
 しばらく一緒に旅をした仲だ、俺も手荒な真似はしたくない」

 ゴドーさんの言葉はあくまで穏やかだった。
 しかし有無を言わさない厳しい目が、シノ様を見据えている。

 シノ様は黙ってコップを空にした。
 コップがテーブルを叩く乾いた音がかつりと響く。

「……さて、どうしようかな」
 そう呟いた声は、次の注文に悩む程度の軽さでぽつりと吐き出された。
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