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イツツバの暴走

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~前回までのあらすじ~
 ボクらは追って来るナツキを引きつけながら王都マオカンを脱出した。目指すは霊地アル・ムール。イザナとアスミの終焉の地だ。
 既にそこにはオルテンも、その護衛として同行したゴドーさんやセリナさんもいる。
 ボクとアズマは戦いの最中、湖を渡り中央の小島に行き着いた。
 さて、ここからが反撃だ。

 ***

 アル・ムール湖は巨大な祭壇だった。
 荒野の中にぽっかりと開いた円形の穴に貯めこまれた水は霊界と現世とをはっきりと隔て、そして燃え続ける炎、生い茂る森、奇怪にくねる輝く岩塊の島は、他に大地、湖水と合わせて全を成す。

 そんな祭壇の中央部で、ボクは周囲の霊力を取り込み、呪力へと練り上げている。
 霊力が異常に強いこの場所では、呪力の練成が少し楽だった。

 ボクがこの島に来てから、ナツキとミドウさんの繰り広げる戦いは激しさを増していた。
 ナツキの攻撃は相変わらずなのだが、ミドウさんがギアを一つ上げたと言うべきか。

 ミドウさんはそれまで攻撃をあくまで挑発程度にとどめ、リスクを冒して攻撃を当てにいく動作をしていなかった。
 しかし今は黒蛇のとぐろを巻く巨体の内側にまで入り込み、ナツキとシノ様への接近を試みている。

 シノ様の中からイツツバの神霊を解放するための条件は四つある。

 まず、呪本イツツバが祭壇の中心にあること。
 これはボクが今、中心の島に来たから達成済みだ。

 次にシノ様が祭壇の内側にいること。
 これを達成させるために、ミドウさんはオルテンと自分をエサにナツキをここまでおびき寄せたのだ。
 今、戦場は湖の上空へと移っている。

 そして神霊に解呪の印を打ち込むこと。
 これはナツキがイツツバの力を振るうために具象化させた神霊の力に対し、シノ様への封印を解除する手続きだ。
 これは一体一体の神霊に対し、接触して行う必要がある。

 最後に、神霊とボク、シノ様との間に繋がりができること。
 シノ様とボクの間の繋がりは、奴隷契約の呪印とシノ様にもらった帯飾りとで成立している。
 残るは神霊とボクとの繋がりだが、ボクの召喚した使い魔扱いになっているミドウさんを仲介とすることになる。

 キーは、攻撃を受けること。
 ミドウさんは、どうせ解呪の時になにがしか食らうから一石二鳥だね、とか言って笑ってたけど、あなたがやられるとボクも痛いんですからね!
 まあ、おそらくその痛みがボクと神霊との間に繋がりを作るのだろうから仕方ない。

 既に条件の半分は整っている。残り二つの条件を満たすことができれば、神霊を呪本へと引き戻すことが可能になる。

 ボクはじっと精神統一してその時が来るのを待っている。



「がっ……、く!」
 唐突に激しい痛みが走り、ボクは思わずのけぞって身体を前傾に倒した。
 しばし息ができなくて奥歯を噛み締め、はっ、はっと荒い息を吐く。

 ミドウさんが何か大きなダメージを受けたらしい。
 ここからじゃよく見えないから、痛みも唐突で怖い。

 しかしそれだけの代償は得たようだ。

 イツツバの中に炎の力が流れ込んでくるのが分かる。
 火精レンヤの強大な霊力が、大河の一滴のように初めは少しずつ、しかし次第にその流れを早くしてボクの許へと還ってくる。

「火精レンヤ。灰の内に生まれし埋め火よ!」
 ボクはミドウさんが作り出した繋がりを辿り、レンヤの力を手繰り寄せていく。

 呪本がまるで呼吸するかのように熱を帯び、そして歓喜する。
 かつて一度手に入れ、しかし奪われた力を、呪本は再び取り戻していく。

 この儀式の中心はボクだ。
 ミドウさんは条件を整えるだけに過ぎない。
 だから気絶しそうなほどの痛みが走ったって、休んでいる暇はなかった。

「何をしたんです、ミドウ・ツチミヤ!」
 自らの手にした強大な力の一端が失われていくのが分かり、ナツキは大声で喚いた。

「さぁて、何でしょう。当てられたらご褒美をあげようじゃないか」
 おどけた調子で言ったミドウさんは、その身体の半分を炭化させていた。

「くっ……。誰も彼も見下したその目。誰も自分の階梯にまでたどり着けぬとおごった態度。初めてあなたを見たその時から、気に入りませんでした!」

 ごうとナツキの周囲で水流が渦を巻く。
 それはミドウさんの身体に絡みつき、強く締め上げた。

 ミドウさんはすかさず身体を霧のように変えて水の内から逃れようとした。
 しかしナツキもそうなるだろうことは見越していた。

「火は苛烈にも打ち消し、邪を払う!」

 ナツキの呼びかけに応え、炎が周囲を広範囲に焼き払った。
 霧化していたところを狙われたミドウさんは防御も妨害も間に合わず、身体を失いながら落下した。湖面に小さく飛沫が立つ。

「おい。死んだぞ、あのじいさん!」
 アズマが慌てた様子で言った。

「……ボクも死にそう」
 連続で激痛に襲われたボクは、呪本に突っ伏してびっくんびっくんしている。
 いや、冗談じゃないからね、ホント。

『きついよ~、イヅル君』
 いきなりそんな泣き言が頭の中に聞こえてきてびくっとした。

『うわっ、ミドウさん!』

『生身だったら二桁は軽く死んでるよ~』
『そうですね。ボクも二桁は軽く意識が飛びかけましたけど』

『そんな軽口が叩けるようならまだ大丈夫そうかな。若いっていいね!
 だけど残念ながらボクはもう枯渇気味だ。最後までもつかな、これ。無理かも!』

『いやいや、冗談言ってないで頼みますよ」

『いや、ホントだって。まじヤバいから、今。
 まあ、もちろん頑張るんだけどさ、もう速攻狙いしかできないから無茶するよ~』

『うっ……、はい。がんがんやってください」

 そして水中から五つの木柱が立った。
 それは高速で背を伸ばし、うち一つの上にはミドウさんが立っている。

「ひしぎ潰せ、ナガミタマ!」
 ナツキの一声に鉄蛇からぬるりと抜け出すように巨大な水龍が現れ、木柱へと砲弾のように突進する。
 木柱と水龍の激突は激しく空を震わせ、そして一時、周囲に激しく雨を降らせた。

「っ、く……ぅ。言った傍からぁ!」
 ボクは全身に走る激痛を、叫び声を漏らして耐える。

 何か手の上にぽたりと滴った。
 水しぶきかと思えばそれは赤く、降り注ぐ水の中に滲んだ。
 知らないうちに鼻血が出ていた。

 目に見える傷は確かにない。
 けど、山の下でツチミヤにやられた時と同じだ。

 結界破りと、カヒナの式神の攻撃と、それとミドウさんが受けたいくつもの傷。

 きっとボクの魂は今や傷だらけで、あと何回耐えられるのか分からない。
 今は平気に思えても次の瞬間には、ボクは砕けてすり潰され、呪本の中に引きこまれるかもしれない。

――それでも、だ。

「静かなる深みにある遥けくものよ。水霊ナガミタマ!」
 ミドウさんの受けた傷を縁として、ナガミタマとボクの間に道ができる。
 その道を辿り、ボクはナガミタマの力を引き寄せる。

 掴んで、引っ張る。
 ただそれだけのことだ。
 なのに、こんなにも重くて、苦しい。

 ボクはかはっと詰めていた息を吐く。

「イヅル、辛そうだ」
 膝を突いたアズマに、触らないで、と呟いた。

「今、ボクに触っちゃダメだ。アズマまで引きこんじゃう!」

 ボクの中にごうごうと音を立てて流れるものがある。
 それはボクの耳元に囁きかける。

 ああ、あの時に捕まえそこなった子どもだ。
 もう逃がしはしない。
 今なら簡単に私の一部にしてやれそうだ。

「……させるか」
 ボクはうわごとのように呟いた。

「なんだ、イヅル。どうした!」
「させるかよ。ボクは、シノ様を取り戻すんだ!」

「お前か、わたしの力を奪うのは!」
 ナツキが声を荒げ、カナツノカナナハの巨体ごと突っ込んでくる。
 さっきからミドウさんの力は沈黙して、今は何も聞こえない。

「やべぇぞ、ありゃあ!」

 アズマが槍を構え、しかしとぐろを巻けば小山ほどの大きさの蛇に対し、その姿は風前の灯火に見えた。

――まずい、このままじゃ。アズマもボクも死ぬ!

 走馬灯でも見えそうな時間、唐突に蛇は炎に捲かれた。
 それは実際の拘束力をもって黒蛇の動きを止める。

 アマミヤの呪術師たちだ!

 ミドウさんの攻撃が激化したことで、ナツキはオルテンたちへの攻撃を緩めざるを得なかった。
 そして、猶予を得て束ねられた彼らの力がボクらの命を救った。

 それはほんの数秒程度の僅かな隙を生んだだけだったが、それでボクの術の完成が間に合った。

「始原の火よ。夜のとばり払う大炎よ!」
 イツツバの内から、力がボクの中に流れ込んでくる。

 ああ、熱い。
 苦しい。
 それは、火精レンヤの呵責のない荒魂だ!

 炎は小山ほどもある蛇を包みこむ巨大な火球となって地上の太陽と見まがうばかりに燃え上がった。
 蛇の鉄鱗は熱にじゅうと悲鳴を上げ、ナツキは思わぬ威力をもってなされた反撃に苦痛の声をあげた。

 ボクは意識が朦朧として、その強すぎる力をコントロールできなかった。
 シノ様まで焼き尽くしてしまったかもしれないと腹の底が冷たくなったが、しかし流石と言うべきか、ナツキは防御を間に合わせていた。

 アズマは蛇の上から人の大きさをした土球が落下するのを見た時にはもう動き出していた。
 ほとんど一足とも見える速度で落下の衝撃で砕けた土くれの前に立ち、はっと顔をあげたナツキの表情に焦りが浮かぶ前にも、手のひらの上で回転した槍の石突がこめかみを薙ぎ払った。

 ナツキの手がシノ様から離れた。
 ナツキは一回転するほどの勢いで転がり、地に倒れ伏す。

 ナツキとカナツノカナナハとの間にあった繋がりが途切れ、炎上する蛇はゆっくりと消えていく。

――終わっ……た……?

 さっきから神霊たちの再封印にボクとミドウさんが悪戦苦闘していたのは、ナツキがイツツバの力を使っていたからだ。
 再封印するまでもなくナツキが止まったのなら、一先ずここで区切りでいい。
 だから、終わったんだ!

 ボクがそのいささか唐突な戦いの終わりに息を呑んだ時、何かおなかの辺りに違和感があるのに気が付いた。
 不思議に思って目を向けて、ボクは愕然と息を呑む。

 そこには黒く光る細い杭のようなものが一本、突き出しているのが見えていた。
 周囲にはじわと血が滲んでいる。

 身体を上下二つに断たれずに済んだのは、きっとカナツノカナナハが既に力を失っていたからに違いない。
 その杭も既に、さらさらと静かに消えていこうとしていた。

 ボクは消えゆこうとする意識の中で、ああ、シノ様に血で汚さないように言われてたのに、と呟いた。

 しかし、ボクがやり遂げた気分で気持ちよく眠ろうとしているのに、誰かの悲鳴がボクの安眠を妨げた。
 シノ様の声だ。

「イヅルっ、血、死……っ、いやああああああ!」

 その悲痛な悲鳴はぐらぐらと恐ろしいものを呼び起こす。
 天地は鳴動し、ごおと風が強くなる。
 島に強く波が押し寄せる。

 これは……、どこかで覚えのある感覚だ。
 確か、そうだ。イザナの夢の最後。
 イザナが刺され、死にゆく間際に感じた気配。

 ってことは……、そうか。
 まだボクは、やり遂げてなんていないんだ。

「イヅル、こりゃあ……!」
 また別の声がボクに呼びかけた。

「おい、しっかりしろ。いつやられた。くそっ、何でだよ。俺が付いていながら!」
 大柄な腕に身体を揺すぶられ、ボクは少し頭がはっきりした。

 ……ああ、アズマ。
 そんなに泣きそうな声で呼ぶから、一瞬誰か分からなかった。
 こういう時にそばに居てくれるんだから、本当にアズマは頼りになるよ。

「……ずま。シノ様のそばに連れて行って」
「ダメだ、お前……。喋んな。待ってろ、誰か治療できる奴を呼んでくる」

 アズマは震える声で言った。
 ボクは重い瞼を開けてアズマに弱々しく微笑んだ。

「違うよ。ボク……、シノ様を迎えに行かなくちゃ。
 だからお願い……、アズマ!」
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