眠らない夜

Soraneko

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眠らない夜

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 ガチャ。少し遠くから、寝室のドアを閉める音が聞こえた。もう深まった夜ーー
 
 子供の僕は早く寝ないといけないのに、ずっと前にベッドへ入ったはずなのに、まだ夢が見れない。
 
 今日はママに嘘をついて学校を休んだ。ママは心配してくれたけど、僕の本当に痛いところは気づかなかった。僕はお家で楽しくお絵描きしたり、お人形と遊んだりしたかったのに、具合が悪いから寝てなさいって。眠れるはずがないって思いながら、僕は独りで、昼の日差しがほんのり薄暗く照らす、天井を見つめ続けた。時々視線を下げると、束ねられたカーテンが少し風に揺れたりしていて、とても退屈だった。でもその退屈さが、いつの間にか素敵な夢になった。とても素敵な夢。明るい日差しが降り注ぐ森の中を走って、素敵な木や苔なんかがたくさん僕を包んだ。そして走り続けた先には海が広がって、小さいけど綺麗な砂浜で一休み。森で拾った小枝で砂に絵を描いたら、上にいた海鳥が喜んだようにぐるぐる回っていた。そうして海の漣の音が大きくなって、次第にそれはカーテンが壁に擦れる音に変わっていった。
 
 またいい夢が見られると思ったのに、今は全く眠れない。お月様からの行列が続く夜とか、魔法のアラビアンナイトとか、色々想像したけど、それらはすぐに消えてしまった。もう目が慣れて、昼間と同じように部屋の中が見えるのに。でも遊ぶには暗すぎて、お布団の温もりが少し熱い。僕はそわそわした足で何度も練習をした。少し緊張したけど、それでも僕はやっとお布団を前の方へ蹴り飛ばすことが出来た。でもそしたら今度は、腕の方もそわそわしてきた。ベッドの柔らかさに沈んでばかりで、砂から出された貝たちのように、外に出たら急に戻りたくなってしまった。でもそれでいい夢が見られるわけじゃなかった。だから僕はお布団を蹴り飛ばしたんだ。
 
 それから僕は、この静かな空気を壊してしまわぬよう、ベッドから出て、部屋をそっと抜け出した。
 
 

 僕は部屋がある二階から、またそっと、下へ降りた。真夜中のお家の中は、何だか暗くて怖いようで、うっすらキラキラしてるよう。階段横の廊下には、お庭の窓の方から来た、柔らかい、お月様から運ばれてきた風が吹いていた。喉が渇いていた僕はその途中で、台所へ向かった。でも着いてみると台所にあるものは皆大きく、僕は棚の扉に手が届かなかった。仕方ないので僕は洗面所から踏み台を持ってきて、棚を開けた。音を出さないように気をつけながら。
 
 ただマグカップ一つを取り出すつもりが、その棚にビスケットの包みが入った箱が置かれていた。僕は一つ包みを取り出してポケットに入れた。それから扉を閉め、反転して蛇口を捻ろうとした。でもシンクが大きいので、蛇口に僕の手は届かなかった。また静かに、踏み台を少しシンクの方へと移動させる。そして僕は指の先で蛇口を捻って水を出した。常温の水は、渇ききった喉の奥を甘く潤してくれた。それは僕がポケットに隠したビスケットよりも甘かったかもしれない。とにかく僕はやっと、月光照らす窓の方へと歩みを進めることが出来た。
 
 風が吹いている。でも外はとても静かそうな雰囲気で、僕は少しドキドキした。僕の擦れるような足音だけが目の前を霞ませる。不思議な月光に照らされたお庭の芝生も、海藻たちのように、ゆらゆらと揺れている。風は歩みを進める度に強くなっていく。
 ーー僕はその境界線を跨いだ。風は僕の髪の毛を逆立てたのを最後に、ピタリと止んでしまった。
 
 芝生の柔らかさが僕の裸足にやさしく挨拶をした。とても潔くて、心地いい挨拶だった。僕はとりあえず辺りを見渡した。すると、お家の壁に長梯子が立てかけられていた。昨日パパが屋根を直すのに使ってたんだ!僕は思わず屋根からの景色を想像してしまって、よくないことが頭をよぎった。でもそのよくないことはとても楽しそうなもので、幸いなことに僕の梯子へ向かう歩みを止めるものはなかった。僕は梯子を手に取って、体いっぱいにそれを抱えた。何度もふらふらして、ひっくり返りそうな時もあったけど、やさしい芝生たちが僕を守ってくれるような気がして、縮こまるようなことはなかった。なんとか梯子を取り付けられ、僕はそれを危なげもなく上った。僕は梯子の先に輝いている月にも、触れられそうな気がした。



 屋根は思ったよりもでこぼこしていて、何重にも重ねられた板の出っ張りが僕の足を引っ掛けた。でも僕はふと空を見上げてびっくりした!だっていつもよりお星様がたくさんいるんだもの!真夜中って素敵。僕はそう思った。その時僕は星座の本を思い出した。夜空を見ていると色々なお星様が繋がって見えて、色々な動物や道具が出来てゆく。僕は屋根に腰を下ろして、また夜空を見上げた。あの本を見た時は、お星様たちを線で繋げても、ちっとも面白いとは思わなかったんだけど、今は昔の人たちの考えが少し分かる気がする。僕の後ろに光っているお月様が、僕の影をまたうっすら作っていた。
 
 あれは猫!あれは蛙!あれはビー玉!あれは、、!って、僕はもう星座図鑑にも負けないくらいたくさんの星座をこの夜空に浮かべた。あれは貝、あれは帽子、あれは蛇、あれは船、あれはビスケット、、ビスケット!!
 
 その時僕はポケットに入れたままのビスケットを思い出した。そして屋根のてっぺんまで少し移動して、今度はお月様が正面に見えるように座った。ポケットからビスケットの包みを取り出すと、その中の一つをお月様に重ねてみた。丸いけど少しでこぼこしてるビスケットは、お月様とすごく似ていた。お月様のやさしい光がビスケットの輪郭に沿って漏れて出て、僕にはそのビスケットが特別なものに感じられた。僕はそれを口に放り込んでしまうと、目の前の景色を眺めた。少し高台になってるここからの景色は良く、下に広がる建物の海の先には、僕の学校も見えた。でも明るいところは夜空よりも少なくて、少し寂しそうだった。僕の口の中にはやさしい甘さが広がっていた。
 
 やっぱりお星様たちの方がいいや。遂に僕は屋根の上で仰向けになった。あんなにでこぼこしていたはずの屋根が、昼間のベッドよりもふかふかで心地よく感じられて、とても不思議だった。でも僕はそんなことは気にせず、すぐに星の海へと走って行った。視界にはキラキラ光るお星様の微笑みだけがあって、とても幸せな気持ちだった。すると僕は段々と眠くなってきた。あくびが僕の涙を少し押し出して、世界はもっと綺麗になった。少し残念だけど、でもいい夢が見られそうだったから、僕は何とも思わなかった。
「おやすみ。幸せな夢が見られるように、僕がお祈りをするよ。」



 幸せな夢は帰った。僕の背後には、街を眩しいくらいに照らすお日様がいた。多分いつもより早くに起きたんだ。僕はもう部屋に戻らなければいけなかった。まだ包みの中のビスケットは何個か残っていたから、僕はまたいい夢が見れると思った。屋根のてっぺんに僕がこぼした微細なビスケットの粉が、朝日に照らされてキラキラ輝いていた。お日様の暖かさを強く感じながら、僕は梯子を下っていった。芝生たちもやさしい温もりで僕を迎えてくれた。そして僕は、またベッドに入って、ママが起こしに来るのを楽しみに待った。
 
 窓の方からは、僕を海から送り届けるような、鳥のさえずりが段々と聴こえ始めていた。眠らない夢は、僕の帰りを待っているようだった。
 

  

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