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21【人違い】

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髭面中年の顔面を豪快なジャンピングキックで蹴り飛ばしたワカバが三角飛びのような勢いで俺の眼前に帰って来る。スカートを靡かせて音も無く着地した。

サンダルなのにこれだけ動けるのだ。ワカバの身体能力は相当であろう。それに今見せた飛び後ろ廻し蹴りは見事であった。武道の才能もかなりである。

――って、褒めている場合ではない。

俺は眼前に着地したワカバの頭を鷲掴むと地面に叩きつけた。そして、俺も土下座する。その姿を見ていた他の家来たちは呆然としていた。何が起きているのか理解できていないと言った顔である。

すると顔面を蹴り飛ばされた髭面中年が元気良く立ち上がった。瞬時の復活。どうやら落馬しても死ななかったようだ。案外と丈夫な人物らしい。

「おのれ、メイド如きが私の顔を足蹴にするとは生意気な。その首を討ち取ってやる!」

鼻血を垂らす髭面中年は怒りに任せて腰の剣を抜いた。完全に怒っていらっしゃる。これは困ったな。どうやら土下座程度では許してもらえないようだ。

その時であった。馬群の背後から凛々しい声が飛んで来る。

「ショセフ、やめなさい」

老紳士風の威厳に溢れた声であった。その声に引かれて髭面の中年が振り返る。するとそこには髭面中年に良く似た髭面の老紳士が馬に跨り立っていた。しかし、その上半身はマッチョだ。かなり身体を鍛え上げている老紳士だった。

おそらく二人は親子だろう。年齢や体型こそ違うが顔がそっくりである。

「父上、ですが!」

「ですがも糞も無い。私がやめろと言ったのだ。やめるのが当然だろう。違うか、ショセフ」

「ははぁ、父上……」

頭を垂らしながら剣を鞘に戻す髭面中年。それでも納得がいっていない表情だった。だが、父親には逆らえないのだろう。歯軋りしながら一歩下がる。

そして、髭面の老紳士が馬上から降りて来る。土下座で頭を下げている俺の前に歩み寄ると片膝を着いた。俺相手に礼儀を正している。

「お懐かしゅう御座います、骨の魔法使い様。良くぞ訪ねてきてくださった」

えっ、どういうこと?

俺が頭を上げると髭面の老紳士は友好的に微笑んでいた。骸骨の俺に対して臆していないし、敵意も感じられなかった。しかも俺を知っている様子である。

「お立ちになってください。そのように畏まれますと私が困ってしまいます」

俺は立ち上がると涙目で額を擦っているワカバを背後に隠した。それからスマホで問い掛ける。

「貴方ハ私をゴ存知なのデすか?」

俺の問に髭面の老紳士は微笑みながら答えた。

「流石に分かりませぬか。何せあれから40年は過ぎましたからな。私も老いてこの成りです。私はショナサン・ショスター伯爵。貴方様に病気を治療してもらった前君主の息子であります」

知らん……。何を言ってるのか理解不能だ。この人は俺を誰かと勘違いしているのだろう。

だが、ここは乗っかっておこうかな。それでワカバが息子さんを蹴り飛ばしたことをチャラにしてしまおう。うむ、明暗だ。それで行こう。

それから俺たちは老紳士の館に招かれた。この髭面老紳士はここファントムブラッドの君主らしい。階級は伯爵だからかなり偉い人物だ。そして、ワカバが顔面を蹴飛ばしたのが跡取り息子らしいのだ。

まあ、良くわからないがショスター伯爵は俺を誰かと勘違いしているようだ。そのお陰でワカバの無礼を許してもらえている。

でも、誰と勘違いしているのかな。だって俺の外見はホネホネのスケルトンだぞ。何処のアンデッドと人間違えをされるのであろうか。いや、この場合は骨間違いだろうか。

あ、そうか……。

俺は唯一の心当たりを思い浮かべる。それは祖父であった。

先代権利者の祖父もこちら側の世界に来ている時はスケルトンな外見だったのだろう。そして過去にこのショスター伯爵と出会っていたのだと思われる。きっとそうである。

それから俺たち三人は屋敷の応接間に通された。そしてソファーセットで伯爵親子と向かい合う。

チルチルとワカバはメイドらしく部屋の隅で畏まっていた。そのワカバを息子のショセフが睨みつけている。それに負けずとワカバも独眼で睨み返していた。二人の間でバチバチと火花が散っていた。まったくこいつらは血気盛んで困ったちゃんである。

そんな中で話を切り出したのはショナサン伯爵だった。テーブルの上に小瓶を置いて語りだす。その小瓶は元いた俺の世界で普通に売られている市販の薬瓶であった。こちらの世界に本来はあるべき品物ではないはずだ。しかし中身は空だった。錠剤は残っていない。

「骨の魔法使い様、この薬瓶を覚えていらっしゃいますか。私が幼いころに貴方様から頂いた秘薬の薬瓶で御座います。この秘薬のお陰で幾度か命を助けられました。大変に感謝しております」

えっ、どういうことなの。こんな何処の薬局でも売ってそうな普通の風邪薬で命を救われたって何さ。大袈裟じゃないのかな。

あー、もしかして、この異世界って薬学があまり発達していないのかな。だから風邪程度でも命を落としちゃうほどに重症になっちゃうのかな。肺炎とかは怖いからね。

なるほど、なるほど。ここでは製薬会社が造った市販の風邪薬でもエリクサー並みに活躍できるのね。それは良い事を知ったぜ。これは利用するしかなかろうて。お金稼ぎのネタになるだろう。

俺は音読アプリで相談を持ちかける。

『ショスター殿、相談ガ御座いまス。しばらく私タち一行は、こノ町に滞在したいノですがヨろしいでしョうカ』

「ええ、それは構いません。なんならば、私の屋敷にお部屋を用意いたしますぞ」

『それハ助かりマす』

「ただし、また秘伝の薬をお譲りしてもらいたいのでありますが……」

やはりだ。薬瓶が空だったから、そうじゃあないのかなって思っていたよ。予想道理に釣れたって感じである。

『それハ構いマせん。ただシ作るなに数日掛リますガ、お時間ノ程を少々イただきます』

俺の言葉を聞いてショスター伯爵の顔がパッと明るく輝いた。髭面が笑顔に染まる。

「そのようなことは一向に構いませんぞ。秘薬を譲っていただけるならば歓迎で御座います」

こうして俺たちはしばらくファントムブラッドの町に滞在することになった。今後のために、この町で少しの間、人々の営みを観察したいと思う。まずは人々の一般常識から勉強開始である。





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