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32【契り】

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壁際に倒れる東洋人は左足が曲って折れている。テーブルの横で倒れている入墨顔の男は顎が割れていた。その間に倒れているロバート・イーオーはハーフプレートを貫き胸に弾痕が刻まれている。三人とも重症に伺えた。

あーあ、やり過ぎちゃった……。ここまでやるつもりはなかったけるど勢いでやり過ぎちゃったわ~。どうしよう……。

俺がやり過ぎの後悔に黙り込んでいると酒場の中でテンガロンハットを被っている客たちが剣を鞘から抜きだした。皆が皆して眉間に深い皺を寄せながら怒っている。それ以外の客は酒場の隅に避難していく。

「野郎、ぶっ殺してやる……」

「調子こいてんじゃあねぇぞ……」

冷徹な抑揚を零しながら詰め寄る男たち。残ったテンガロンハットの仲間たち全員で俺らを袋叩きにするつもりだろう。冷え切った眼差しには殺意が漲っていた。仲間を潰された恨みを向けている。

テンガロンハットのメンバーは15人ぐらいは居た。それら全員が冒険者風の形だから武器や防具を武装しているのだ。鎧を纏い、剣や戦斧で威嚇してくる。

ちょっとヤバいかな。今までの敵とは戦力的にわけが違うだろう。

しかし、チルチルもワカバも逃げ出さない。二人は俺の背後を守るように構えていた。チルチルは鞄からバールを抜いて敵を威嚇している。

俺が困った顔でテンガロンハットの対談を牽制していると、蹌踉めきながらロバートが立ち上がってきた。そして貫かれた胸を押さえながら震えた声で言う。

「テメーら。この御方に手出しは無用だ……」

ロバートの言葉にテンガロンハットの一団が困惑していた。言っている意味が悟れていない。

更にロバートが語る。

「この御方は俺たちを試していたんだよ……。だから誰も殺さず退けた。俺だって鎧を貫いたが魔法は肉まで届いていない」

どうやらダークネスショットは鎧こそ貫いたがロバートの命までは届いていなかったようだ。丁度良く肉を抉る前に魔法の効果が消えたらしい。まあ、偶然である。

ロバートはフラつく足でテーブル席に戻ると椅子を引いて腰掛けた。そして飲み掛けだったウイスキーを一口飲んで落ち着く。

「骨の旦那。さあ、腰掛けてくれ。話し合いをやり直そうではないか」

だが俺は、その誘いよりもテーブル席の側に倒れている入墨男に手を伸ばした。

実験である。ボーンリジェネレイトが他人にも効果を及ぼせるのか、それが知りたかった。何せ丁度良く顎が割れているような人間が居たのだから、もしかしてボーンリジェネレイトで他人も回復できるのかもしれないと思ったのだ。

そして、割れた顎に骨手を添えてボーンリジェネレイトを唱える。すると変形していた入墨顔の形が修復された。元の形に戻っていく。しかし紫色に変色した肌の色や腫れは引かなかった。それでも骨折だけは治癒できたようだ。同じように東洋人の足も骨折だけは治癒してやる。

それから意識を取り戻した二人が自分の負傷した部位を不思議そうに撫でていた。その表情は狐に摘ままれたような奇々怪々な表情を浮かべている。骨折の修復に驚いているのだ。

それを見ていたチルチルが偉そうに述べる。

「私の御主人様は骨折ならば治せるのだ。凄い軌跡であろう。さー、崇めなさい、讃えなさい!」

どよめく酒場の中で俺はチルチルの頭を撫で回して口を黙らせた。それからロバートの向かえに腰掛ける。

すると酒場のマスターが肉入りシチューを運んで来た。そう言えば肉料理を注文したっけな。

マスターに値段を問うたら銅貨5枚だと言われた。俺はそれだけの硬貨をマスターに支払う。

たぶん一般庶民が一食分で食べる価格は銅貨5枚から10枚ってことだろう。勉強になったぜ。

俺はチルチルに同席を許して彼女に昼食を取らせた。彼女は木のスプーンをガチガチと鳴らしながらシチューを食べている。ワンパクな食べ方が可愛らしい。

それと異なりワカバは人間の食事には興味を示さない。それよりもまだ周囲の男たちを警戒している。本当に勇ましい。

食事を取るチルチルを見守る俺を見てロバートが声をかけてきた。

「骨の旦那。もしかして、そのメイドはお前の娘さんか?」

俺は違う違うと両手を振って否定する。そんな俺の慌てっぷりを見つめながらロバートの口元が微笑んだ。その笑みには先程までの警戒心は伺えない。

「なるほどね。ただの子供好きか――」

まあ、それでも構わんけるどね。好きに誤解してれば良いさ。

そして、ロバートが本題に入る。

「それで、本当は何しにきたんだい。骨の旦那は?」

そうである。本当は酒場に庶民の食事の水準を調べに来たのだ。戦いに来たのではない。

俺はスマホをテーブルの上に置くと音読アプリに入れておいた文書ファイルを開いて読み上げる。

『私ハ古代の魔法使いデ数百年地下ダンジョンに籠もっテいたのだが、ダンジョンが崩壊しテ地上に出てきタばかりなのだ。ソこで商売やラで財形を立てたイのだが、マずは今の時代の人々ノ営み風景が知りタくってネ。こうシて町を回ってイるのだヨ』

まあ、話の前半はほとんど嘘ではあるが問題なかろう。相手に真相を知る予知がないのだから嘘も方便である。それにロバートは俺の嘘を信じ込んでいるようだ。

そして、めっきり友好的になってくれたロバートが提案する。

「商売か……。ならばギルドに入るべきだ。冒険者ギルド、商人ギルド、酒造ギルド、大工ギルド。この町にも様々なギルドが存在している。やりたい職業に合わせてギルドに加入するのが筋だろう。それにギルドに入れば手数料などを引かれるが利点も多い。例えばうちらの冒険者ギルドならば討伐したモンスターの数でボーナスも払われるし、様々な依頼も斡旋してもらえる」

ギルドとは日本語で言えば組合だ。この組合が経済を管理するのには都合が良いのは現代でも変わらない。

異世界ファンタジーでのギルドは大企業のような物に当たる。ギルドが加入者に割り振られる仕事を管理して税金を収める代行をしてくれたりもするのだ。

更には職種によっては用心棒を派遣してくれたり用心棒として雇ってくれる手順を組んでくれるのもギルドの仕事になってくる。とにかくギルドに任せておけば普通ならば職人たちが食いっぱぐれない。冒険者ギルドに依頼の話が来るのもこのシステムが生きているからだろう。

俺はロバートに冒険者ギルドについて訊いてみた。すると彼はこの酒場の二階に冒険者ギルドがあると答えてくれる。更に言うならば、ロバート・イーオーは冒険者ギルドの幹部らしいのだ。結構な大物らしい。

ロバートは自分の後ろに立つ入墨男と東洋人を指さしてから言う。

「骨の旦那。もしもあんたが冒険者ギルドに入ってくれるのならば、入会金は負けてやるぜ。二人の骨折を治療してくれたお礼もあるからな」

俺は前向きに考えておくと言って勿体ぶった。もしもこの周辺で冒険者のような仕事をするならば、間違いなく冒険者ギルドには入ることだろう。それが明らかにお得だからだ。何せ俺はお得と言う言葉に弱い。

だが、今は焦らす。そのほうが楽しそうだ。それになんだか特別扱いされているようでウキウキしてくる。

しかし、クエストの完了もあったのだ。俺はロバートと何かしらの契約を結ばなければならない。それを忘れてはならないだろう。

やはりそれは冒険者ギルドに加入するのが一番早いのかも知れない。それでクエスト達成である。

いや、待てよ――。

もしかして冒険者ギルドに加入してもロバートと直接契約を結んだとは判断されないのかも知れない。そんなまわりくどいトラップもあるやも知れないぞ。

ぬぬぬぬぅ。ならばやはり直接ロバートと契約を結ぶのが一番確実だろう。それで間違いは起きないはずだ。

ならば何で釣ればよいのだろうか。物か情か――。最悪、愛か!?

俺は考えながらスマホの音読アプリに文章を打ち込んだ。

『ロバート殿。しばらくの間、私の相談役になってもらえないか。貴方は信頼できる人格に伺える。右も左も知れない私には頼りになる人物が必要だろう。それなりに謝礼は払うつもりだ』

俺の話を聞いたロバートの表情が固まった。しばらくするとおっさん顔が涙ぐむ。

「あんたは俺のようなスラム育ちの極道崩れを信頼できると言ってくれるのか……」

あれれ~、泣き出しちゃったよ……。どうした、おい……。

そして、涙を袖で拭ったロバートが熱い眼差しを向けながら言ってくる。

「分かったぜ。あんたが俺を信用してくれるならば俺もあんたを信用してやる。だが、俺はあんたをアニキと呼ばせてもらうからな、骨のアニキ!」

ええ、なにそれ。それじゃあまるで兄弟の契を結んだみたいじゃあないか。

それからグラスをもう一つ用意させたロバートがウイスキーを二つのグラスに並々と注いだ。その内の一つを俺に差し出す。

「契を結ぼうではないか!」

やっぱり兄弟の契りだよ。マジですか。それはやり過ぎじゃあないかな~。

でも、熱く見つめてくるロバートを見ていると断りづらい。てか、小心者の俺には断れない。

俺は仕方ないとグラスを受け取った。そして二人でグラスを空にする。俺が飲んだ酒は顎の下からダラダラと流れ落ちたがロバートは満足げな笑顔を浮かべていた。

その時であった。チルチルが肩から下げていた鞄が中から輝いた。どうやらクエストが完了したらしい。



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