俯く俺たちに告ぐ

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雨のち雨が上がれば晴れ

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「驚いたな」

 電車を乗り継ぎ、駅から十分歩く。八代さんの墓を目の前にして気が付いたが、ここにやってくるのはこれが初めてだった。高校時代と会社の後輩なんてポジションの自分が墓の場所を知るはずもなく、三浦さんに教えてもらってようやく来られた。むしろ、彼女から墓参りには行ったのかと聞かれたのがきっかけだった。三浦さんは週に一度来ているらしい。そこいらの社会人カップルのデートより頻度が高い気がする。ちなみに、場所自体知らないことがバレて、三浦さんには肩を強めにパンチされた。

「本人に会ってたから、墓参りに行くなんて思いつかなかった」

 行きに購入した花を供える。仕事帰りのため何も準備をしていないが、花を用意したからそれで許してもらおう。墓参りの作法、どうだったかな。ちゃんと調べればよかった。スマートフォンを取り出す。圏外だった。マジかよ。

 仕方がない。どうせ八代さんだってこういうことを期待してはいない。問題は気持ちだ。

 しゃがんで手を合わせて、八代さんを真っ直ぐに見る。鈍色の石が光を反射して眩しく俺を照らしていく。

――これが今の、八代さん。

 八代さんとは似ても似つかないなあ。つるつるの四角い、笑わない石。手を伸ばして、触れるのを止める。ここに来た目的をまだ果たしていない。

 おもむろに立ち上がり、一度深々腰を曲げて声を張った。

「社会人のマナー報連相、報告に参りました! 最初に八代さんのアドバイスで提案した会社は本日新しいイベントを無事成功させました。あと、例のコンペも上手くいきました!」

 先日、マンションの上で叫んだことが伝わっているとは思えないので、改めて墓前で告げる。

 どう思っているだろうか。最後の最後まで背中を押してくれた、どこまでもお人好しな先輩。情けない姿ばかり見せていた後輩。生き残ったのは俺、終わりを迎えたのは八代さんだった。誰が何処でどう生きて、いつ道の端を掴んでしまうかなんて分かるはずもない。それなのに、やはり、八代さんの笑顔が見たいと心が我儘を言う。

 伝う涙は止めどなく、見透かされたまま俺は八代さんの前で立ち続けていた。

 何十分か経った頃、人の気配を感じて目尻を乱暴に拭う。他の墓参りに来た人たちらしく、少し離れた場所に向かうのを見てほっとした。いくら墓標の前にいる言い訳があるにしても、いい年の男が一人で目を腫らせているのを見られるのは些か気まずい。いいかげん誰かが尋ねてくるかもしれない、終いにするため横に置いていた鞄を持ち上げる。

「じゃあ、今日はこれで」

 頭を軽く下げて踵を返す。そこでふと、頭を過った。多分、あれだけ二人して騒いだわけだからもう知っていると思うけれども。頭だけ振り返って、言いそびれていたことを一言添える。

「三浦さん、ここにいない時も元気ですよ」

 答える声は無い。

 それでいい。それでいい。

 風は時に望む道とは逆に吹く。その中で俺たちは生きていく。






『高田、それ何?』
『コークの新味っす、レモン入ってるやつ。先週から昇降口んとこの自販機にありましたよ』

 部活が始まるまでの空き時間、ぶらぶら廊下を歩いていたら偶然八代さんと会った。委員会以外で会うのはこの時期珍しくなっていて、せっかくだからと声をかけたら、なんとなく会話が続いて持ったままだったペットボトルを開ける。炭酸の抜ける音がして、本当ならばそれごと飲みたかったと毎回思う。とりあえず冬に炭酸飲むと寒い。コート教室に忘れてきちゃった。まあ、いいや。

『へー、コークって昔から変わらないイメージだけど、たまに違う味を発売するんだな』
『カロリーゼロシリーズもいくつかありますよね。買いそうになって焦る時あります。味結構違うし』
『分かる』

 炭酸が一気に流れ込み、鋭く胃を刺激するのがまたイイ。優しさより、時には厳しさが欲しくなることもある。炭酸後の部活って結構キツイと毎回後悔するのに、結局欲望に負けて今日も飲んでしまう。グラウンド行きたくないなぁ。今日は冬の割に穏やかだけど。

『俺も帰りに買おう。あー、でもこうやって高田とのんびり話すのもあとちょっとか』
『受験怖え~……先輩どこ受けるんですか。やっぱ言ってた難関?』
『ああ、まあね。挑戦はしとこうかな、と』

『すげえ! 俺はそういうの無理だけど、どこか大学は行きたいです』
『応援してる』

 三年生の八代さんに感化されて、まるで自分も受験するかのように思えてきた。頭の出来は目の前にいる先輩と比べてしまえばそんなに良くないけれど、挑戦するのは構わないのだから数打てば拾ってくれるところもあるはずだ。そうでなくては困る。

 八代さんが窓を開ける。校庭に植えられた木々がそよ吹く風一つ無い景色で、ふいに、八代さんの腕を掴んで止めたくなった。

 何を思っているんだ。八代さんはここで俺と話しているじゃないか。何を止めるというのか。

『こうやって廊下で並んでコーク飲んでるのがいつかビールになって、会社の愚痴でも零すようになってもさ。高校の時飲んだコーク美味かったなって笑い合いたいな』

 外を見下ろしながら、俺に言う。

『そうですね~。でもやっぱコークは普通のが一番かな。これも美味しいけど、原点に返りたくなるっていうか』

『言うねえ、高田ァ』
『いやあ、それほどでも』
『はっはっは』

 ようやくこちらを向いて大口を開けて笑いかけてくる。

 そして八代さんは、親指を立ててピンと俺に腕を伸ばした。

 いつの間にか制服がスーツへ変わり、精悍な顔立ちはまさに先日まで見ていたそれだった。

 涙腺が、堪えろ、前へ進む時だ。これが、八代さんとの。

 俺は、思い切り歯を見せた。

「高田翔! お前の人生まだまだこれからだ。よく励めよ、若者!」
「はいっ!」





 気が付いたら布団の中だった。

 目覚ましより十分も早い、すっきりした朝だ。頬に水も零れていない。いい加減、涙も呆れてしまったんだろう。そうでなければ困る。

 体を起こし、思い切り伸びをする。右にあるカーテンを開けると、青い空が眩しくて目を細めた。

「うん、晴れた」
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