上 下
8 / 44
僕の引っ越し

8

しおりを挟む
 翌日が土曜日でよかった。朝ご飯もそこそこに、清は山へ走った。まだ十時にもなっていない。段々と体が重くなり、山へ入る頃には足が泥のようだった。

 それでも山道を進み、祠の横にある石に座った。サチが嵌っていた穴も近くにある。恐々近づき、そっと覗いてみた。誰もいなかった。

「ふう」

 気付かず力が入っていたらしく、息を吐くとそのままぺたんと地面に座り込んでしまった。

 もう会えないかもしれない。立ち上がろうとしたところで、影が落ちてきた。

「手を貸しましょうか」
「サチ!」

 顔を上げると、サチがこちらを見下ろして笑っていた。

「えへへ、あの時とは逆だね」

 差し伸べられた手を思わず掴む。清は繋がれた手を凝視した。

「触れる」
「うん」

 声がとても柔らかい。昨日からずっと不安だった。諦めなくてよかった。

「いなくなったかと思った」

 声に出してみれば、それはすぐに溶けて無くなった。サチがぺこりと頭を下げて言う。

「大丈夫だよ。ごめんね、昨日いきなりいなくなっちゃって」

 萎んだ希望がむくむくと起き上がる。そうなると、今度は昨夜からの行動を思い出して体がむず痒くなった。

「じゃあ、昨日のは冗談だったんだね」

 冗談にしては笑えないものだったが、それを責めても仕方がない。こうして友情が続くなら、頭から消し去ってもいい。しかし、サチから返ってきた言葉は到底歓迎出来ないものだった。

「ううん、冗談じゃないの」
「冗談じゃないって、どういうこと? サチは仲尾町に住んでるんでしょ?」
「……うん。住んでたよ」

 言われたことがよく分からなかった。

 両足で立っているはずなのに、足元がぐらつく。サチと手を繋いだまま、清は先ほどの石に腰を下ろした。サチが眉を下げる。

「僕たち、友だちだよね」
「うん」
「最初から、話してくれる? 嘘はなしで」
「……うん」

 サチの話はこうだった。

 サンジン様は山に住み着いた神様で、ここら一帯を守ってもらうため、人々は町や村から十年に一度、捧げ人という名の生贄を差し出していた。

 サチは十二歳になった頃、その捧げ人に選ばれた。何でも、年齢や性別で見合う人間が彼女だけだったらしい。

 サチはこのような悲劇を増やしたくなくて、自分がずっと神様の元にいるから生贄は最後にしてほしいと頼んだという。

「それから、何年経ったのか分からないけど、私はずっとここにいて、ついこの前、私が視える人に偶然出会った」
「それが、僕、ってこと?」
「うん。昔、もう一人いたけど」

 信じがたい話だった。ふざけていてほしかった。冗談の続きだって言ってほしかった。

「──信じる」

 俯きがちだったサチの顔が弾けたように清を見る。

「ほんと?」
「うん」

 清は神妙に頷いた。

 半信半疑でも、誰かが肯定しなければサチの存在はたちまち消されてしまう。もしも本当ならば、その誰かは自分しかいない。

 どんな話をされても否定するつもりはなかった。予想より大分突拍子も無い話であったが、逆に言えばその分真実であると実感する。

 清がサチを見つめる。

 他の人と全く変わらないように見えるのに、神様に捧げられた人だという。つまり、ただの人間ではないわけで、もしかしたら幽霊と同等の位置にいるのだろうか。

 清が身を乗り出して聞く。

「サンジン様には会ったの?」

 祖母から聞いたおとぎ話が今両手で掴めると知り、申し訳なさと好奇心が混ざって心拍数が上がるのを感じた。

「うん。儀式の時に。その後はたまに見るくらいで、いつもは御神木の中にいるんじゃないかな」
「前に見た木か!」

 後ろを見上げる。ここからでも木の上あたりが見える。あそこにサンジン様が住んでいるとは知らなかった。

──祠にいるんじゃないんだ。

 てっきり、神様が存在するなら祠とばかり思っていた。

「怖い?」

 今まで何人もの生贄を受けてきたわけだから、神だとしても、とても恐ろしい、異形の何かに思えてしまう。

「怖くないよ、怖くない。全然。サンジン様は優しいよ。一人になった私にも」

 サチが言うなら、そうなのだろう。清がサチの両手を握る。

「ね、サチは、山からは出たいと思わない?」

 いつも山にいるから友だちがいないのかもしれないと心配していたが、実際はそれ以上のものだった。

 どれだけ寂しい思いをしてきたのだろう。ここから出られたら、彼女の笑顔がもっと見られるのではないか。そう思っての提案に、サチがちらりと上目に清を見遣り、俯いた。

「出たいよ。けど、出られないから」
「サンジン様に言われてるの?」
「うん。それに、言われなかったとしても、山に見えない壁があって私だけ出られないの」

 清が頷く。あの時、サチが消えたように見えたのは、もしかしたら見えない壁に触れて見えなくなっていたのかもしれない。清がサチと手を繋いだまま立ち上がる。

「ね、試してみよう」
しおりを挟む

処理中です...