幸運な家族

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忘れない

ずっと見ていた 完

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「ああ、片山さんにはまっこと助かったがよ」

 里原が熱いお茶を喉に流し込む。湯呑みを置いた横には印刷された紙が一枚ある。そこには「舟子の持ち回り終了について」と書かれていた。

「お父ちゃん、片山さんにお礼せんといかんちや」
「契約料を払うことになっちゅうき、問題無いねや。町内会の予算から出して、あとで宮下さんに渡しておこう」

 三森の件はすでに証拠が消え去り、呪いの石は片山が片付けてくれた。おまけに舟子まで処理できて一石二鳥だ。里原は舟子について書いた紙を回覧板に挟み、意気揚々と外へ出た。

 一番目の家に回覧板を届ける。何も伝えずさっさと自宅に戻った。中を見て驚くだろうが、良いサプライズであるからきっと喜びの声を上げてくれるはずだ。

 大きな仕事を終えた里原は昼から日本酒を取り出し、妻も巻き込んで飲み始めた。

「祝い酒だ。こりゃ気分がえい」
「あんまり飲み過ぎたらいかんちや」
「分かっちゅう」

 数時間飲み続け、居間でごろんと寝転んで大いびきを掻いた里原が目覚めたのは二十時近いころだった。腹には薄手の毛布がかかっている。

「いや、もう夜か」

 緩慢に起き上がると、台所から妻がぬう、と顔を出した。

「がぁがぁふとい音させて、私はもう食べたき」

 そう言いつつも、残りのおかずを載せたお盆をちゃぶ台の上に置いた。

「すまんすまん」

 へらへら謝りながら箸を持つ。妻はさっさと自室に戻っていった。

「うん、美味い」

 少し冷えた夕食を大口で食べ進める。十分もしないうちに皿が空になった。

 食器を流しに置いて戻ろうとしたが、足を止めてスポンジを取った。

「たまには洗ってみるか」

 洗剤を付け、鼻歌混じりに食器を洗う。一人分の皿洗いはあっという間に終わった。里原は満足気に笑みを浮かべ、スポンジに残った洗剤を水で流して片付けた。

 洗面所に行き、まだ風呂に湯が張っていることを確認する。タオルと着替えをバスマットの上に置いて風呂場に入った。

「あ~~~良い日だ」

 頭からシャワーを浴びる。鏡に映った自分の後ろ、風呂場のドアに人の影が見えた。

「どういた」

 妻が来たのかと思い問いかけるが返事は無い。振り向くと、影は消えていた。

「ん?」

 鏡に向き直る。鏡からも影は消えていた。背中に薄ら寒いものが走る。

 鏡から視線を外してドアを見るまで一秒も無かった。もし妻ならば、ドアから去る姿が映るはずだ。里原がシャワーを顔にかけて首を振る。

「呪いは終わった。気のせいだ」

 そもそも呪いが滲み出ていた時だって、この家で不可解な現象は起きていない。神経が過敏になっているだけだろう。急いで湯舟に浸かり、いつもの半分の時間で風呂を終いにした。

 ほんの少しだけ風呂のドアを引き、洗面所を覗き見る。誰もいる様子は無い。一度深呼吸し、思い切って洗面所に出た。

「ほら、誰もおらん。なんちゃぁない」

 何度も頷きながら服を着て、目を瞑って髪の毛を乾かし居間に戻った。

「ふう」

 テーブルの前で腰を下ろす。胡坐を掻いた足の上に違和感を覚える。恐る恐る下を見遣る。青白い手がテーブルの下から這い出て、里原の膝をに手をかけていた。

「ひぃいいッッ」

 今度こそ見間違いではない。里原は振り払うように立ち上がった。じりじり、後ずさる。とてもではないが、テーブルの下を確認することはできない。テーブルは大人がすっぽり隠れるにはあまりにも小さすぎるのだ。

「だ、だ、誰だッ。お舟、か……?」

 とうとう踵が居間の壁に当たる。壁に張り付きながら精いっぱい問うと、手首から先だけであった右手がどんどん伸びてきた。

里原は床を這う腕に見覚えがあった。女物の着物ではなく、白衣を身に着けている。恐らく、下は袴なのであろう。

──これは勝彦君だ!

 この一年半、三森が里原の前に現れたことはなかった。あれは事故の類だったから、恨まれるとは思ってもみなかった。まさか、今になって化けて出るとは。里原は突然の衝撃に驚かされ、逃げる足が出遅れてしまった。

 気付いた時には、目の前に三森が立っていた。ゆらゆら、左右にゆっくり揺れている。里原は逃げ出した。

 狭い廊下を走り抜け、一目散に玄関のドアを開ける。急いでいたので靴を履く暇も無く、走りにくいサンダルで暗い道を駆けていく。

「はぁっはぁ……ッ」

 橋を渡るとすぐ宮下家が見える。あそこへ行けば助けてもらえるかもしれない。もう少しというところで、里原の足が止まった。宮下家の庭に三森がいたのだ。

 三森が近づいてくる。慌てて進路を変え、山へ続く道を行く。周りが暗い。里原は焦りを募らせた。

「くそ! なんで今さら……!」

 悪態を吐いても全身を襲う恐怖は無くならない。地蔵が転がる洞穴を通り過ぎ夢中で逃げていると、いつの間にか三森神社に辿り着いていた。

「ここから山を下りよう」

 もしかしたら、三森も諦めてくれたかもしれない。立ち止まり息を整えながら周りを警戒する。袴姿は見当たらない。里原は長い息を吐いた。

『ゆるさない』

 ふいに耳元で音がした。途端、顔が震え出す。視線だけ右に映すと、真っすぐ里原を見つめる三森の顔が間近にあった。

「あああああああ!!」

 悲鳴を上げ、情けなく足をばたばた動かしてその場から離れる。

「勝彦君! あれは事故やった! 許してくれ!」

 必死に声を張り上げるが、三森はじっとりと里原見るだけで、暗い表情のまま少しずつ近づいてきた。

「こっちに来るな!」

 すぐさまここから逃げたいのに、酷使された足はぶるぶると震えるばかりだ。体を支える杖でもないと、まともに歩くことさえできない。

 それでもよろよろと拙く逃げる里原に、三森が手を伸ばした。もうすぐ触れるというところで、最後の力を振り絞って走り出す。そこは階段であった。

「あ、あ……」

 掴むものは無く、助けを求める両手は空を掴んで終わった。

 ごろごろと鈍い音を立てて、足を踏み外した里原が転げ落ちる。辿り着いた先は、まさに三森が倒れていたその場所と全く同じであった。見開いた瞳は夜空を見上げ、頭からは赤黒い血が滲み出ていた。

 階段の上に立った三森が顔を俯かせ、里原を指差す。段々とその姿は薄まっていき、やがて闇夜に解けて無くなった。

        了
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