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おはぎといっしょ
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「おはぎ~、良い天気だね!」
『ぷ』
翌日も清仁はおはぎと散歩に出た。このままだと散歩が趣味になりそうだ。実に健康的である。昨日は二十一時に寝たし、今日は四時半に起きた。実におじいちゃんである。
「雲一つ無い青空、輝く太陽。そしてもふもふのおはぎちゃん。なんて幸せな朝。これは良いことが起こりそうだ」
満面の笑みで長岡京を歩いていたら、目の前に俯く男が立っていた。
「うおッ」
早朝六時に道端に立ち竦む人間がいるとは思わず、清仁が小さい声を上げる。
どんよりしたオーラ、落ち窪んだ目元、三徹ですかと尋ねたい隈に青白い肌。現代ならば確実に職質される。
このまま通り過ぎよう。これ以上の面倒事にあったら、今度は奈良まで消滅させてしまう。
──まあ、奈良も良都って名前自体は変わっちゃってるけど。
それでも都は存在したのだから、隣都よりはマシだろう。歴史改竄の罪を重ねたくない。
こそこそ通り過ぎようとしたら、男から盛大なため息が聞こえてきた。
「はぁ~~~~」
──無視無視。
「はあ~~~~~~~~ッッ」
──もうそれ叫んでない?
呪いのアピールに負けた清仁は、少し離れた場所から小声で声をかけた。
「あの、何かお困りごとでも?」
男がのっそり振り向く。目が合っただけで不幸が移りそうな強さがある。そんな強さはいらない。彼が本当に不幸かは知らないけれども。
「…………です」
「声ちっっっさ!」
話しかけたのはこちらだが、声をかけてほしそうな態度だったのだから、もう少し譲歩してくれてもいいのに。勝手な感想を抱きながら、清仁が一歩近づいた。
「申し訳ありません。少々お声が遠いようで」
電話口の対応みたいな科白を吐いてみると、男の顔がさらに悪くなった。
──俺、そんな責めること言った?
「も……ッし訳ありません。死にます」
「死なないで!」
急に布を取り出し首に巻いたので、清仁が慌てて男の元へ走り、その布を奪った。
「な、何故こんなことを」
よく見れば、上等な服を着ている。貴族に違いない。庶民が大多数の世界で恵まれた地位にいても、死にたくなる悩みがあるらしい。もしかしたら、高い地位にいるために湧き出た悩みかもしれない。
「うう……僕なんかで見ず知らずの貴方に心配をかけさせてしまいました……死ぬしかありません」
「そのくらいで死なないで! 俺が勝手に心配しただけで貴方の所為じゃないですから。ね?」
「ううう~……ッ」
『ぷッ』
おはぎまで二人の周りを回り出してしまった。ここでは目立つ。清仁は男を道の端に連れて行き、石の上に座ってもらう。
「僕は駄目な人間なのです。病弱だし、父上からは使えないと距離を置かれているし」
「あらら」
想像以上に込み入った問題に入り込んでしまった。今すぐ帰りたい。
「勘違いじゃないですか? きっと、お父様も息子とどう接していいか分からないだけですよ」
──だからさっさとお家に帰ってください。俺も帰る。
清仁は人の良い顔で男にそれらしいことをアドバイスする。
「ほほ、本当ですか……?」
近くで見るとかなり若く、成人しているかどうかの青年だった。若いからいろいろ悩むのだろう。三十代になれば、たいていのことはどうでもよくなる。といっても、京都を消滅させたのはさすがにどうでもよくないので頑張らないといけないところだ。
「ごみ虫の私なんかにそのような温かいお言葉をくださるなんて、人の形をした神の化身なのでしょう。はッ……もしかして、僕はもう死んでいて、ここはあの世……?」
「死んでない、死んでないから」
なんとなく、この悩みは病弱だからではなく、男の気質によるものだと感じた。きっと生まれつき後ろ向きなのだろう。
「とりあえず、大丈夫だから。今日にでも、お父様に思い切って話しかけてみたら?」
「え……そんなことしたら死にます、僕」
「死なないで! さすがにいきなりは無理だったね。ごめん。君のペースで、ゆっくり行こう」
「ぺえすとは……仏教用語でしょうか」
何も考えず横文字を使ってしまった。日本語で説明するとなると、案外難しく、しどろもどろになる。
「ああ、ええと、速さ、君なりの速さで進んでいこう、そういうことだよ」
どうにか相手に伝わるよう言い直してみると、男の顔が少しだけ和らいだ。
「分かりました。素晴らしいお言葉を有難う御座います」
「いやいや、ただの大人の独り言だよ。じゃあ、気を付けて帰るんだよ」
「はい」
ようやく解放される。大人しく待っていたくれたおはぎに目配せして、清仁が立ち上がる。
「じゃあ、行くね」
小さな子どもではないから、家まで送ることはしなくて平気だろう。かなり面倒だったが、一人の人間を死の淵から救ったと思えば、悪い出来事ではないと思った。
「よおし、散歩の続きだ」
「あのような素晴らしい方が世の中にいらっしゃったなんて……またお会いしたいから、もうちょっとだけ生きてみようかな」
「安殿親王、こちらにいらっしゃったのですね。探しましたよ。間もなくお仕事のお時間です」
「はい」
男もとい安殿親王は、従者とともに長岡宮へと帰っていった。
『ぷ』
翌日も清仁はおはぎと散歩に出た。このままだと散歩が趣味になりそうだ。実に健康的である。昨日は二十一時に寝たし、今日は四時半に起きた。実におじいちゃんである。
「雲一つ無い青空、輝く太陽。そしてもふもふのおはぎちゃん。なんて幸せな朝。これは良いことが起こりそうだ」
満面の笑みで長岡京を歩いていたら、目の前に俯く男が立っていた。
「うおッ」
早朝六時に道端に立ち竦む人間がいるとは思わず、清仁が小さい声を上げる。
どんよりしたオーラ、落ち窪んだ目元、三徹ですかと尋ねたい隈に青白い肌。現代ならば確実に職質される。
このまま通り過ぎよう。これ以上の面倒事にあったら、今度は奈良まで消滅させてしまう。
──まあ、奈良も良都って名前自体は変わっちゃってるけど。
それでも都は存在したのだから、隣都よりはマシだろう。歴史改竄の罪を重ねたくない。
こそこそ通り過ぎようとしたら、男から盛大なため息が聞こえてきた。
「はぁ~~~~」
──無視無視。
「はあ~~~~~~~~ッッ」
──もうそれ叫んでない?
呪いのアピールに負けた清仁は、少し離れた場所から小声で声をかけた。
「あの、何かお困りごとでも?」
男がのっそり振り向く。目が合っただけで不幸が移りそうな強さがある。そんな強さはいらない。彼が本当に不幸かは知らないけれども。
「…………です」
「声ちっっっさ!」
話しかけたのはこちらだが、声をかけてほしそうな態度だったのだから、もう少し譲歩してくれてもいいのに。勝手な感想を抱きながら、清仁が一歩近づいた。
「申し訳ありません。少々お声が遠いようで」
電話口の対応みたいな科白を吐いてみると、男の顔がさらに悪くなった。
──俺、そんな責めること言った?
「も……ッし訳ありません。死にます」
「死なないで!」
急に布を取り出し首に巻いたので、清仁が慌てて男の元へ走り、その布を奪った。
「な、何故こんなことを」
よく見れば、上等な服を着ている。貴族に違いない。庶民が大多数の世界で恵まれた地位にいても、死にたくなる悩みがあるらしい。もしかしたら、高い地位にいるために湧き出た悩みかもしれない。
「うう……僕なんかで見ず知らずの貴方に心配をかけさせてしまいました……死ぬしかありません」
「そのくらいで死なないで! 俺が勝手に心配しただけで貴方の所為じゃないですから。ね?」
「ううう~……ッ」
『ぷッ』
おはぎまで二人の周りを回り出してしまった。ここでは目立つ。清仁は男を道の端に連れて行き、石の上に座ってもらう。
「僕は駄目な人間なのです。病弱だし、父上からは使えないと距離を置かれているし」
「あらら」
想像以上に込み入った問題に入り込んでしまった。今すぐ帰りたい。
「勘違いじゃないですか? きっと、お父様も息子とどう接していいか分からないだけですよ」
──だからさっさとお家に帰ってください。俺も帰る。
清仁は人の良い顔で男にそれらしいことをアドバイスする。
「ほほ、本当ですか……?」
近くで見るとかなり若く、成人しているかどうかの青年だった。若いからいろいろ悩むのだろう。三十代になれば、たいていのことはどうでもよくなる。といっても、京都を消滅させたのはさすがにどうでもよくないので頑張らないといけないところだ。
「ごみ虫の私なんかにそのような温かいお言葉をくださるなんて、人の形をした神の化身なのでしょう。はッ……もしかして、僕はもう死んでいて、ここはあの世……?」
「死んでない、死んでないから」
なんとなく、この悩みは病弱だからではなく、男の気質によるものだと感じた。きっと生まれつき後ろ向きなのだろう。
「とりあえず、大丈夫だから。今日にでも、お父様に思い切って話しかけてみたら?」
「え……そんなことしたら死にます、僕」
「死なないで! さすがにいきなりは無理だったね。ごめん。君のペースで、ゆっくり行こう」
「ぺえすとは……仏教用語でしょうか」
何も考えず横文字を使ってしまった。日本語で説明するとなると、案外難しく、しどろもどろになる。
「ああ、ええと、速さ、君なりの速さで進んでいこう、そういうことだよ」
どうにか相手に伝わるよう言い直してみると、男の顔が少しだけ和らいだ。
「分かりました。素晴らしいお言葉を有難う御座います」
「いやいや、ただの大人の独り言だよ。じゃあ、気を付けて帰るんだよ」
「はい」
ようやく解放される。大人しく待っていたくれたおはぎに目配せして、清仁が立ち上がる。
「じゃあ、行くね」
小さな子どもではないから、家まで送ることはしなくて平気だろう。かなり面倒だったが、一人の人間を死の淵から救ったと思えば、悪い出来事ではないと思った。
「よおし、散歩の続きだ」
「あのような素晴らしい方が世の中にいらっしゃったなんて……またお会いしたいから、もうちょっとだけ生きてみようかな」
「安殿親王、こちらにいらっしゃったのですね。探しましたよ。間もなくお仕事のお時間です」
「はい」
男もとい安殿親王は、従者とともに長岡宮へと帰っていった。
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