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一つ目のお話:壁の穴
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『このお話はね、ママのおともだちのお姉さんから聞いた話なんだけどね……』
年が明ける前頃から、Sさんは引っ越しを考えていた。
季節は春を目前とした頃。新しい生活を始める為に環境が変わることで、住居を新しく探さなければいけなくなったから、だ。
気楽な実家暮らしが一番手軽。しかし、そうも言ってられない事情があるのだから仕方が無い。
両親はというと、Sさんが一人暮らしをすることを否定はしなかった。だからと言って、大事な我が子が知らない土地で、一人暮らしをすることについてに感じている不安を隠そうともしない。
人に言わせれば、彼らは絶対に過保護な部類に入るのだろう。元々家族仲は良好で、子供を溺愛していることで有名な夫婦なのだ。両親ともに子離れ出来ていなかったと言えば、その通りなのかも知れない。そのせいで、新居を決めるのは少し手間取ってしまった。両親が安心できる条件が少しばかり厳しかったのだから当然の話である。
それから暫くして、Sさんは無事に新居へと引っ越すことが出来た。
色々と問題はあったものの、漸く決めることが出来た物件は見た目が綺麗な白いアパート。
三階の角部屋で、窓は南向き。日当たり良好、地域の治安もかなり良い。大家は優しい雰囲気のある老夫婦。「何かあったらいつでもいらっしゃい」と微笑む姿が素敵な印象の二人である。丁度、一番下の子供が結婚し地元を離れたばかりだったようで、子供が戻ってきた様だと喜んでくれたほど気に入られたのは幸いだ。
近隣にはかなり大規模の商業施設。駅も近く職場へのアクセスも悪くない。
間取りは1Kではあるが、建物自体は以前建てたものをリフォームしているらしく、現在の基準よりも多少広い。収納は備え付けのクローゼットでロフトも付いている。残念なことにバスとトイレは同室だが、それでも家賃は比較的安めで有り難かった。
他の物件もいくつか内見させてもらいはしたが、Sさんはこの物件がとても気に入り、両親も此処ならと頷いたことで、貸す側としても借りる側としても良い結果にはなっている。
ただ、借りる前に疑問に思うべきだったのだろう。
何故、この物件が思った以上に手頃な値段で契約出来たのか、ということを。
新生活が始まった当時、Sさんには余裕が無かった。
いくら大家夫妻が気前の良い人だとはいえ、Sさんからしてみれば赤の他人である。何から何まで甘える訳にはいかず、不慣れなこともあり苦労も多かった。家事、掃除、ゴミ出の出し方。ただでさえ初めての仕事に戸惑いを覚えているというのに、地域との付き合い方まで考える余裕は当然ない。それでも大家夫妻にアドバイスを貰いながら、Sさんは出来る範囲で頑張っていた。
肌が汗ばむ季節が近付けば、Sさんの気持ちにも大分余裕が生まれるようになった。
緊張で毎日二時間ほど早く起床していた時間も、段々と目覚めは遅くなっていく。朝食と弁当も前日に軽く用意し、朝は余裕を持てるように調整していたはずなのに、いつの間にか出勤時間ギリギリに準備するようになり慌ただしく駆け出す日々。不安定で乗り慣れなかった自転車に至っては、感覚で漕ぐことが出来るまで上達したのは幸いで、そのお陰か遅刻だけは免れている。
こうやって出来なかったことや苦手だったことが減り、少しずつこの忙しさが当たり前になっていく日々。人との付き合いも以前とは大分変化し、両親の目が無くなったことで自由に使える時間もかなり増えたと感じて和らぐ表情。悪い付き合いこそ無かったが、随分と時間に対して怠惰で、飲むことを避けていた酒の味も楽しいと感じ始める。それでも、自我をなくすことなく、ある程度の節度を保って楽しめている辺りはさすがというべきのだろう。
引っ越してきたときには何も無かった空っぽな部屋。
それは、月日が経つにつれ少しずつ物が増えていくもので。いつの間にか自身が使うもの以外にも、訪問者用の常備品がストックされる事が当たり前にあるという様に変わっていった。
ところで、Sさんという人物の性格なのだが、あまり変化を好むタイプでは無かったようである。
物持ちが非常に良く、一度好きになるとそれが壊れるか紛失するまでずっと使い続けるのは幼い頃から変わらない。そんな具合だから、いつ見ても部屋の雰囲気が大きく変化することはなかった。勿論、一年に一度は大掃除をする関係で、何かしら変化を付けることもある。だが、そんな大幅な模様替えを行ったとしても、結局はいつの間にか元通り。決まった物が定位置に無いことが落ち着かないんだ、と。気がついたら一番始めに定めた記憶の場所に、物が戻ってしまうのだ。
几帳面なのか神経質なのかは分からないが、そんなSさんだから、些細な変化も目敏く見つけてしまう。その事も追記しておこう。
Sさんが社会人になって三年目の夏だっただろうか。この年、いつもよりも強い震度の地震がSさんの済んでいる地域を襲った。
時刻は夜十時過ぎ。一時間後に就寝しようかと思いトイレに向かいかけたときだ。足が捉えたのは微弱な振動で。始めは気のせいかと思った。だが、少しずつ揺れの幅は激しくなり建物が大きく揺れ始める。直ぐに収まれと願っても虚しく、全身に伝わる振動が止まることはない。実際の時間なんて分からない。それでも、体感にして五分以上。襲い来る恐怖に、身を固くして縮こまってしまう。
こういう時、誰も居ない空間に一人で居ると強い不安に襲われてしまう。もしかしたらここで人生が終わるのかも知れない。そう思った途端、捕らわれてしまった仄暗い思考。助かりたいと願っても、思いつくのは最悪な結末で。嫌だ、怖い、死にたくない。実際の数字よりも長く感じる時間に、ひたすら目を瞑って耐えることしか出来ない。
視界が塞がれてしまったことで周りの状況が分からない状態とは、より一層別の感覚を鋭くさせるものだ。足場が安定しないため大きな音を立てて動く家具。重ねて置いた陶器やガラスの食器はずっと、ぶつかり合い不快な音を響かせている。他の部屋から聞こえてくる悲鳴はこの建物の住人のもので、複数人の叫ぶ助けを求める声が恐ろしくて仕方が無い。いっそのこと、気を失ってしまえたら楽だったのだろう。しかし、混乱こそしては居るが意識は思った以上に覚めていて、頭のどこかでこの状況を冷静に感じている自分も存在していた。
少しずつ揺れが引いてきたのを身体で感じ取ると、Sさんは漸く瞼を開く気になった。
命が助かったことに感謝し目に入れたのは悲惨な状態に変わってしまった我が家。整理整頓されているのが好きだった空間は、故意に物を放置したという状況を遙かに凌駕するほど散々なもので、棚こそ倒れては居なかったが様々な物が床に散乱してしまっている。ただ、唯一救われていたことは、割れ物類が破損していなかったことだろう。実際の所、食器の一部は触れあった面に疵が入り罅になってしまっているものも存在はしていた。それでも、大きな破損は免れているのだから、皮膚を傷付けるような危険物は一見すると見当たらない。
遅い時間からの片付け。正直とても気は滅入る。それでも、最低限寝る場所を確保しなければ安心が出来ない。勿論、今は揺れが収まっているとは言え、いつまた地震が起こるかは分からない。この後どう行動すれば良いのだろう。そんな不安を抱えながら、Sさんはこの日、浅い眠りに就いたのだった。
翌日、目が覚めて思ったことは、何曜日だったのかということだ。
昨夜の出来事で未だ頭は混乱したまま。縋るように手にした携帯端末の電源ボタンを押しながら、空いた方の手でテレビの電源を入れる。朝のニュースはいつも以上に慌ただしく、画面の向こうで見慣れたアナウンサーの女性が、昨日起こった出来事を口早に伝えている。
夢であれば良かったのに。
そう思っても、散らかった部屋を見た瞬間、あれが夢では無く現実の出来事だったのだと嫌でも痛感させられる。
不安を抱きながら会社に電話をすれば、本日は遅くなっても良いから出勤して欲しいと言われてしまった。どうやら上司も落ち着かないようで、いつもの覇気は感じられない。仕方ないと立ち上がると、散乱した物の中から衣服を取り出す。比較的皺の入っていないものを組み合わせ床に散らばるものを避けながら向かう玄関。
ふと、何かが気になり足を止めると、Sさんは壁の一点を見て眉間に皺を寄せた。
何だろう?
それを見つけたときに思ったのはそんなことだ。
よく見ると、白い壁には小さな罅が出来ている。物件を借りたときは気付かなかったのだから、昨夜の地震で出来たものなのだろう。罅の大きさはそんなに大きなものではないが、気になることには違いが無い。取りあえず報告だけでもしておこうと不動産屋の電話番号を呼び出し通話ボタンを押す。回線を繋げるための電子音が暫く鳴ったが、残念なことに流れてきたのは繋がらなかったというアナウンス。お決まりの文句を繰り返すだけの自動応答のメッセージは無機質で、この対応をされると誰も応答してくれない事など分かりきったことだ。仕方が無いので大家にも連絡を取ったが、こちらもタイミングが悪いらしく、通話中でなかなか電話が繋がることは無い。時間が差し迫っている事もあり一端諦めると、Sさんは後れ髪を引かれつつ家を後にした。
漸く帰宅できたのは夜九時を過ぎた頃だ。本来ならば早く帰るつもりだったのに、不運が重なり家に辿り着くのが遅くなってしまった。当然、不動産屋の営業時間は終わっているし、大家に連絡するのも憚られる時間帯で。壁の罅は気になったが、この日は諦めて別の場所を片付けることにする。
しかし、不運はどうやら続くものらしい。物件の現状を報告するべく電話を掛けようとする度、何かしらの出来事に邪魔され失ったタイミング。中々改善出来ない現状に嫌気が差し、せめて目に付かないようにとお気に入りのポスターをそこに貼り付け目隠しをしてしまう。そうやって、忙しい日々を過ごしているうちに、Sさんはすっかり壁の罅のことを忘れてしまったのだ。
Sさんがこの罅のことを思い出したのは、それから一年以上経ってからの事である。
この日、Sさんの家には友人であるYさんが遊びに来ていた。
YさんはSさんの職場の同僚で、入社した当時から仲良くしてくれていた相手だ。
いつものように外で待ち合わせ、軽く昼食を済ませた後、小腹を満たすお菓子や飲み物を買って帰宅。特に予定を決めていた訳ではないので、のんびりと家でお喋りでもしようという事になった。今回の提案に素直に乗ってきたのは、アクティブなYさんにしては珍しい選択だなとSさんは思った。だが、そんなものは些細なことだ。特に気に留めることも無く、快く歓迎することにし玄関の扉を開ける。
室内に入った直後、Yさんは感嘆を零す。
「家とは全く違うね~」
多分これは、言葉通りの意味なのだろう。大雑把な性格のYさんは、会社でも整理整頓が苦手な方で、机の上は必要最低限にしか片付けられていない。さすがに見栄えくらいは気にしているようだが、それでも、決してお世辞にも綺麗好きとは言い切れないほど、物の数が多いのだ。そんなもんだから、Yさんが口に出した感想は実に彼女らしいとも言える言葉である。
「お邪魔しま~す」
そう言ってYさんが先に奥へと進む。どうぞと答えながらSさんは鍵を掛け、ドアロックを掛けた。
「結構広いじゃん」
開いたカーテンから差し込む日差しはまだ強め。薄暗かった室内が一変、とても明るいものへと変わる。
「私、こういう部屋好き~」
どうやらYさんはこの部屋を気に入ってくれたようだ。早速寛いで「参考にしたい!」と嬉しそうに繰り返す彼女の姿を見ていると、Sさんはとても誇らしく嬉しく感じてしまう。ガラステーブルの上には小さな一対のグラス。皿に盛り付けたお菓子と、ペットボトルから注ぎ入れた緑茶で始まるのは、ささやかなティーパーティである。音が無い空間は寂しいからとテレビは適当なチャンネルに。そうやって暫く雑談を楽しんでいると、ふと、Yさんが壁に貼ったポスターを指さしこう言った。
「あれ? これって、去年のものになってない?」
言われてポスターへ目を向けると、Sさんは分からないと首を傾げ眉を寄せる。
「ここ。この部分、カレンダーがあるけど、これ、去年のものだよ」
確かに。Yさんが指をさした数字は、Yさんが指摘しているとおり去年の年を示すものだ。日付もよく見れば一日ずつずれているし、本来なら二十八日しかない二月の部分は一日多い二十九と表記されている。
「このアーティスト、めっちゃ好きなの?」
推しは誰? そう聞いてくるYさんに、Sさんは困ったように笑いながら好きなアーティストの名前を口に出す。
「あっ! 分かる! 良いよね~、その子!」
ただ、このときSさんは引っかかった小さな事が気になって仕方が無かった。
何故、このポスターを此処に貼ったのだろう?
その理由がどうしても思い出せないのだ。
残念なことに、このポスターはSさんのプッシュしているアーティストでは無く、たまたま所持していた物。日付だってわざわざ去年のカレンダーが入っているのを選んで貼る理由が思い当たらない。不思議に思い考え込んでいると、ふとYさんが立ち上がりポスターの方へと足を進める。
「あれ?」
壁まであと数十センチ。Yさんは突然立ち止まると、不思議そうにポスターを撫で手を放した。
「あっ!」
小さな音を立てて落ちるA1サイズの大きな紙。それを見た瞬間、SさんとYさんは同時に声を上げる。
「何……これ……」
Yさんが後ずさりながら凝視しているそれは、壁に開いた小さな穴だ。
そうだ。
そこでSさんは漸く思い出した。このポスターを壁に貼った理由を。
「ね、ねぇ……これ、私のせいじゃない……よね?」
Yさんが焦ったようにそう呟く。彼女がポスターに触れたくらいでは出来る筈の無い穴だという事は分かっているのに、思わずそう確認してしまうのは頭が混乱しているからだろう。
大丈夫。そう言ってSさんは壁の疵のことをYさんに説明した。これは故意に付けたものではないし、タイミングが合わず業者に連絡が出来ていなかったんだと説明すると、Yさんは安心したように胸を撫で下ろす。
「でもさぁ……こんな穴、早くなんとかした方がいいよね」
確かに。このままだと色々とまずい事になるだろう。修理にどれくらいお金が掛かるのか、保険で全て賄えるのか。次々と湧いて出る疑問に不安が過ぎる。
「小さな穴でも、虫とか入ってきたら気持ち悪いじゃん」
そんなことを口走ったYさんは、いつの間にか壁の穴に目を近付け向こう側を覗き込もうとしている。壁の向こうにあるものなんて、電気系統の配線を巡らせるための空間くらいなものだろう。どうせ広がっているものは真っ暗な闇だ。なんとなくそう思い、変なことは止めるようYさんの肩へと手を伸ばした時だった。
「きゃあああああっっっ!」
突然上がるYさんの悲鳴。何事かとSさんが駆け寄ると、Yさんは酷く怯えた様子でSさんに縋り付きながらこう言った。
「目が合ったの!!」
突拍子も無い言葉に、思わずSさんは絶句してしまう。
「誰かが居たの! 本当に!!」
怯える様子から、Yさんが嘘を言っている訳では無いと感じるのに、そんなことはあり得ないとSさんは思ってしまう。それでも、初めに見つけたときよりも大分大きくなってしまった壁の穴を見ていると、もしかしたらという思いが頭を過ぎってしまった。
大丈夫、大丈夫だから。そう言ってYさんを落ち着かせると、Sさんは何かを確認すべくベランダへと出る。もし、隣人がこの部屋を覗いているのならば、警察に通報して部屋を出よう。そう思い、壁の向こう側を見るべくベランダの端へと移動した瞬間、Sさんは小さく息を呑んだ。
「そんな……馬鹿な……」
慌てて部屋に戻ると、先程まで居たはずのYさんの姿が見当たらない。急いで玄関へ向かうが、ドアロックは掛けられたまま。鍵だって室内から掛けられている状態で扉が開いた形跡は見つからない。
何より、Yさんの荷物がまだ部屋の中にあるのだ。先程までYさんが居たという痕跡は確かにあるのに、Yさんという人間だけが煙のように消えてしまっている。状況が分からないまま、Sさんは急いで警察へと電話を掛ける。暫くすると警察官が二人、Sさんの家へと駆けつけてくれた。
そこからは、消えた友人の行方を探るべく、Sさんは色々と質問をされた。分かることには素直に答え、分からないことには首を振る。様々な可能性からYさんの行方を探るのだが、彼女という人間が居たという事は分かるのに、どうやっても彼女自身を探し出すことは出来なかった。
出された捜索願い。解決しない事件。
鳴らない携帯端末で相手の電話番号を呼び出すが、常に流れるアナウンスは「電源が入っていないためかかりません」という無情な言葉。
一体友人は何処へ消えてしまったのだろう。Sさんはずっとそのことが気になっている。
不可解な事は二つ。
一つは、人が突然消えてしまったということ。
そして、もう一つは、『あの壁の向こう側には、部屋なんて無かった』ということ。
Sさんの部屋は角部屋で、件の壁がある場所は西側の外壁。場所は三階、窓や足場は存在しない。つまり、どう頑張っても、壁の向こう側に人が立つ空間なんて存在しないのだ。
ならば、どうやって穴の向こう側にある目と目が合うのだろう。
いつの間にか、壁の穴はその大きさを拡げている。
もう少しでSさんは、この物件とさようならすることになるだろう。そして、もう二度と、この場所に戻ってくることは無いと誓う。
友人の安否は気がかりだが、Sさんにはどうすることも出来ない。
出された捜索願いが取り消されたという知らせは届いていない。
友人の行方は、未だ、不明のままだ。
『どうだった?』
まりちゃんが語った内容は、予想に反して楽しいと言えるものでは無かった。こんな時間から聞くんじゃ無かった。そう後悔してももう遅い。
「う……うん」
曖昧な返事を返したのが拙かったのだろう。まりちゃんは残念そうに声を落とすと、『このお話、まこちゃん、好きじゃなかったみたいだね』と落ち込んでしまう。
「ごめんね。ちょっと予想してたものじゃなくてビックリしてさ」
どうやら今夜は眠れそうに無い。スッキリしないモヤモヤと、背筋に走る怖気に苦笑を浮かべつつ、引き攣った声を上げる。
『仕方ないね。それじゃあ、また、明日。お話に付き合ってくれる?』
そう言ってまりちゃんは、此方の様子を伺う様に次の日の約束をねだった。
「えっと……」
『だめ……なの?』
駄目。そうはっきり断れれば良かったのだろう。
「あー……えっと……」
だが、言葉を交わして同情という感情を抱いてしまった以上、冷たく突き放すのは心苦しいと感じてしまう。
「もう少し早い時間だったら……いいか、な?」
そんな風に答えてあげたら、まりちゃんは『分かった!』と元気な声で返した。
『それじゃあ、まこちゃん。明日、また、まりとお話しよう』
続いた言葉は、『おやすみ。また明日』。
「おやすみ、まりちゃん。また、明日ね」
通話が完全に終わってしまうと、繰り返し耳に届くのは機械的に繰り返す話中音。もう、受話口の向こうから女の子の声は響かない。
「また、明日……か」
約束のせいで気が重い。
小さな部屋を照らす煌々とした光。夜明けまで、まだ時間はたっぷりと残っていて頭が重くなった。
年が明ける前頃から、Sさんは引っ越しを考えていた。
季節は春を目前とした頃。新しい生活を始める為に環境が変わることで、住居を新しく探さなければいけなくなったから、だ。
気楽な実家暮らしが一番手軽。しかし、そうも言ってられない事情があるのだから仕方が無い。
両親はというと、Sさんが一人暮らしをすることを否定はしなかった。だからと言って、大事な我が子が知らない土地で、一人暮らしをすることについてに感じている不安を隠そうともしない。
人に言わせれば、彼らは絶対に過保護な部類に入るのだろう。元々家族仲は良好で、子供を溺愛していることで有名な夫婦なのだ。両親ともに子離れ出来ていなかったと言えば、その通りなのかも知れない。そのせいで、新居を決めるのは少し手間取ってしまった。両親が安心できる条件が少しばかり厳しかったのだから当然の話である。
それから暫くして、Sさんは無事に新居へと引っ越すことが出来た。
色々と問題はあったものの、漸く決めることが出来た物件は見た目が綺麗な白いアパート。
三階の角部屋で、窓は南向き。日当たり良好、地域の治安もかなり良い。大家は優しい雰囲気のある老夫婦。「何かあったらいつでもいらっしゃい」と微笑む姿が素敵な印象の二人である。丁度、一番下の子供が結婚し地元を離れたばかりだったようで、子供が戻ってきた様だと喜んでくれたほど気に入られたのは幸いだ。
近隣にはかなり大規模の商業施設。駅も近く職場へのアクセスも悪くない。
間取りは1Kではあるが、建物自体は以前建てたものをリフォームしているらしく、現在の基準よりも多少広い。収納は備え付けのクローゼットでロフトも付いている。残念なことにバスとトイレは同室だが、それでも家賃は比較的安めで有り難かった。
他の物件もいくつか内見させてもらいはしたが、Sさんはこの物件がとても気に入り、両親も此処ならと頷いたことで、貸す側としても借りる側としても良い結果にはなっている。
ただ、借りる前に疑問に思うべきだったのだろう。
何故、この物件が思った以上に手頃な値段で契約出来たのか、ということを。
新生活が始まった当時、Sさんには余裕が無かった。
いくら大家夫妻が気前の良い人だとはいえ、Sさんからしてみれば赤の他人である。何から何まで甘える訳にはいかず、不慣れなこともあり苦労も多かった。家事、掃除、ゴミ出の出し方。ただでさえ初めての仕事に戸惑いを覚えているというのに、地域との付き合い方まで考える余裕は当然ない。それでも大家夫妻にアドバイスを貰いながら、Sさんは出来る範囲で頑張っていた。
肌が汗ばむ季節が近付けば、Sさんの気持ちにも大分余裕が生まれるようになった。
緊張で毎日二時間ほど早く起床していた時間も、段々と目覚めは遅くなっていく。朝食と弁当も前日に軽く用意し、朝は余裕を持てるように調整していたはずなのに、いつの間にか出勤時間ギリギリに準備するようになり慌ただしく駆け出す日々。不安定で乗り慣れなかった自転車に至っては、感覚で漕ぐことが出来るまで上達したのは幸いで、そのお陰か遅刻だけは免れている。
こうやって出来なかったことや苦手だったことが減り、少しずつこの忙しさが当たり前になっていく日々。人との付き合いも以前とは大分変化し、両親の目が無くなったことで自由に使える時間もかなり増えたと感じて和らぐ表情。悪い付き合いこそ無かったが、随分と時間に対して怠惰で、飲むことを避けていた酒の味も楽しいと感じ始める。それでも、自我をなくすことなく、ある程度の節度を保って楽しめている辺りはさすがというべきのだろう。
引っ越してきたときには何も無かった空っぽな部屋。
それは、月日が経つにつれ少しずつ物が増えていくもので。いつの間にか自身が使うもの以外にも、訪問者用の常備品がストックされる事が当たり前にあるという様に変わっていった。
ところで、Sさんという人物の性格なのだが、あまり変化を好むタイプでは無かったようである。
物持ちが非常に良く、一度好きになるとそれが壊れるか紛失するまでずっと使い続けるのは幼い頃から変わらない。そんな具合だから、いつ見ても部屋の雰囲気が大きく変化することはなかった。勿論、一年に一度は大掃除をする関係で、何かしら変化を付けることもある。だが、そんな大幅な模様替えを行ったとしても、結局はいつの間にか元通り。決まった物が定位置に無いことが落ち着かないんだ、と。気がついたら一番始めに定めた記憶の場所に、物が戻ってしまうのだ。
几帳面なのか神経質なのかは分からないが、そんなSさんだから、些細な変化も目敏く見つけてしまう。その事も追記しておこう。
Sさんが社会人になって三年目の夏だっただろうか。この年、いつもよりも強い震度の地震がSさんの済んでいる地域を襲った。
時刻は夜十時過ぎ。一時間後に就寝しようかと思いトイレに向かいかけたときだ。足が捉えたのは微弱な振動で。始めは気のせいかと思った。だが、少しずつ揺れの幅は激しくなり建物が大きく揺れ始める。直ぐに収まれと願っても虚しく、全身に伝わる振動が止まることはない。実際の時間なんて分からない。それでも、体感にして五分以上。襲い来る恐怖に、身を固くして縮こまってしまう。
こういう時、誰も居ない空間に一人で居ると強い不安に襲われてしまう。もしかしたらここで人生が終わるのかも知れない。そう思った途端、捕らわれてしまった仄暗い思考。助かりたいと願っても、思いつくのは最悪な結末で。嫌だ、怖い、死にたくない。実際の数字よりも長く感じる時間に、ひたすら目を瞑って耐えることしか出来ない。
視界が塞がれてしまったことで周りの状況が分からない状態とは、より一層別の感覚を鋭くさせるものだ。足場が安定しないため大きな音を立てて動く家具。重ねて置いた陶器やガラスの食器はずっと、ぶつかり合い不快な音を響かせている。他の部屋から聞こえてくる悲鳴はこの建物の住人のもので、複数人の叫ぶ助けを求める声が恐ろしくて仕方が無い。いっそのこと、気を失ってしまえたら楽だったのだろう。しかし、混乱こそしては居るが意識は思った以上に覚めていて、頭のどこかでこの状況を冷静に感じている自分も存在していた。
少しずつ揺れが引いてきたのを身体で感じ取ると、Sさんは漸く瞼を開く気になった。
命が助かったことに感謝し目に入れたのは悲惨な状態に変わってしまった我が家。整理整頓されているのが好きだった空間は、故意に物を放置したという状況を遙かに凌駕するほど散々なもので、棚こそ倒れては居なかったが様々な物が床に散乱してしまっている。ただ、唯一救われていたことは、割れ物類が破損していなかったことだろう。実際の所、食器の一部は触れあった面に疵が入り罅になってしまっているものも存在はしていた。それでも、大きな破損は免れているのだから、皮膚を傷付けるような危険物は一見すると見当たらない。
遅い時間からの片付け。正直とても気は滅入る。それでも、最低限寝る場所を確保しなければ安心が出来ない。勿論、今は揺れが収まっているとは言え、いつまた地震が起こるかは分からない。この後どう行動すれば良いのだろう。そんな不安を抱えながら、Sさんはこの日、浅い眠りに就いたのだった。
翌日、目が覚めて思ったことは、何曜日だったのかということだ。
昨夜の出来事で未だ頭は混乱したまま。縋るように手にした携帯端末の電源ボタンを押しながら、空いた方の手でテレビの電源を入れる。朝のニュースはいつも以上に慌ただしく、画面の向こうで見慣れたアナウンサーの女性が、昨日起こった出来事を口早に伝えている。
夢であれば良かったのに。
そう思っても、散らかった部屋を見た瞬間、あれが夢では無く現実の出来事だったのだと嫌でも痛感させられる。
不安を抱きながら会社に電話をすれば、本日は遅くなっても良いから出勤して欲しいと言われてしまった。どうやら上司も落ち着かないようで、いつもの覇気は感じられない。仕方ないと立ち上がると、散乱した物の中から衣服を取り出す。比較的皺の入っていないものを組み合わせ床に散らばるものを避けながら向かう玄関。
ふと、何かが気になり足を止めると、Sさんは壁の一点を見て眉間に皺を寄せた。
何だろう?
それを見つけたときに思ったのはそんなことだ。
よく見ると、白い壁には小さな罅が出来ている。物件を借りたときは気付かなかったのだから、昨夜の地震で出来たものなのだろう。罅の大きさはそんなに大きなものではないが、気になることには違いが無い。取りあえず報告だけでもしておこうと不動産屋の電話番号を呼び出し通話ボタンを押す。回線を繋げるための電子音が暫く鳴ったが、残念なことに流れてきたのは繋がらなかったというアナウンス。お決まりの文句を繰り返すだけの自動応答のメッセージは無機質で、この対応をされると誰も応答してくれない事など分かりきったことだ。仕方が無いので大家にも連絡を取ったが、こちらもタイミングが悪いらしく、通話中でなかなか電話が繋がることは無い。時間が差し迫っている事もあり一端諦めると、Sさんは後れ髪を引かれつつ家を後にした。
漸く帰宅できたのは夜九時を過ぎた頃だ。本来ならば早く帰るつもりだったのに、不運が重なり家に辿り着くのが遅くなってしまった。当然、不動産屋の営業時間は終わっているし、大家に連絡するのも憚られる時間帯で。壁の罅は気になったが、この日は諦めて別の場所を片付けることにする。
しかし、不運はどうやら続くものらしい。物件の現状を報告するべく電話を掛けようとする度、何かしらの出来事に邪魔され失ったタイミング。中々改善出来ない現状に嫌気が差し、せめて目に付かないようにとお気に入りのポスターをそこに貼り付け目隠しをしてしまう。そうやって、忙しい日々を過ごしているうちに、Sさんはすっかり壁の罅のことを忘れてしまったのだ。
Sさんがこの罅のことを思い出したのは、それから一年以上経ってからの事である。
この日、Sさんの家には友人であるYさんが遊びに来ていた。
YさんはSさんの職場の同僚で、入社した当時から仲良くしてくれていた相手だ。
いつものように外で待ち合わせ、軽く昼食を済ませた後、小腹を満たすお菓子や飲み物を買って帰宅。特に予定を決めていた訳ではないので、のんびりと家でお喋りでもしようという事になった。今回の提案に素直に乗ってきたのは、アクティブなYさんにしては珍しい選択だなとSさんは思った。だが、そんなものは些細なことだ。特に気に留めることも無く、快く歓迎することにし玄関の扉を開ける。
室内に入った直後、Yさんは感嘆を零す。
「家とは全く違うね~」
多分これは、言葉通りの意味なのだろう。大雑把な性格のYさんは、会社でも整理整頓が苦手な方で、机の上は必要最低限にしか片付けられていない。さすがに見栄えくらいは気にしているようだが、それでも、決してお世辞にも綺麗好きとは言い切れないほど、物の数が多いのだ。そんなもんだから、Yさんが口に出した感想は実に彼女らしいとも言える言葉である。
「お邪魔しま~す」
そう言ってYさんが先に奥へと進む。どうぞと答えながらSさんは鍵を掛け、ドアロックを掛けた。
「結構広いじゃん」
開いたカーテンから差し込む日差しはまだ強め。薄暗かった室内が一変、とても明るいものへと変わる。
「私、こういう部屋好き~」
どうやらYさんはこの部屋を気に入ってくれたようだ。早速寛いで「参考にしたい!」と嬉しそうに繰り返す彼女の姿を見ていると、Sさんはとても誇らしく嬉しく感じてしまう。ガラステーブルの上には小さな一対のグラス。皿に盛り付けたお菓子と、ペットボトルから注ぎ入れた緑茶で始まるのは、ささやかなティーパーティである。音が無い空間は寂しいからとテレビは適当なチャンネルに。そうやって暫く雑談を楽しんでいると、ふと、Yさんが壁に貼ったポスターを指さしこう言った。
「あれ? これって、去年のものになってない?」
言われてポスターへ目を向けると、Sさんは分からないと首を傾げ眉を寄せる。
「ここ。この部分、カレンダーがあるけど、これ、去年のものだよ」
確かに。Yさんが指をさした数字は、Yさんが指摘しているとおり去年の年を示すものだ。日付もよく見れば一日ずつずれているし、本来なら二十八日しかない二月の部分は一日多い二十九と表記されている。
「このアーティスト、めっちゃ好きなの?」
推しは誰? そう聞いてくるYさんに、Sさんは困ったように笑いながら好きなアーティストの名前を口に出す。
「あっ! 分かる! 良いよね~、その子!」
ただ、このときSさんは引っかかった小さな事が気になって仕方が無かった。
何故、このポスターを此処に貼ったのだろう?
その理由がどうしても思い出せないのだ。
残念なことに、このポスターはSさんのプッシュしているアーティストでは無く、たまたま所持していた物。日付だってわざわざ去年のカレンダーが入っているのを選んで貼る理由が思い当たらない。不思議に思い考え込んでいると、ふとYさんが立ち上がりポスターの方へと足を進める。
「あれ?」
壁まであと数十センチ。Yさんは突然立ち止まると、不思議そうにポスターを撫で手を放した。
「あっ!」
小さな音を立てて落ちるA1サイズの大きな紙。それを見た瞬間、SさんとYさんは同時に声を上げる。
「何……これ……」
Yさんが後ずさりながら凝視しているそれは、壁に開いた小さな穴だ。
そうだ。
そこでSさんは漸く思い出した。このポスターを壁に貼った理由を。
「ね、ねぇ……これ、私のせいじゃない……よね?」
Yさんが焦ったようにそう呟く。彼女がポスターに触れたくらいでは出来る筈の無い穴だという事は分かっているのに、思わずそう確認してしまうのは頭が混乱しているからだろう。
大丈夫。そう言ってSさんは壁の疵のことをYさんに説明した。これは故意に付けたものではないし、タイミングが合わず業者に連絡が出来ていなかったんだと説明すると、Yさんは安心したように胸を撫で下ろす。
「でもさぁ……こんな穴、早くなんとかした方がいいよね」
確かに。このままだと色々とまずい事になるだろう。修理にどれくらいお金が掛かるのか、保険で全て賄えるのか。次々と湧いて出る疑問に不安が過ぎる。
「小さな穴でも、虫とか入ってきたら気持ち悪いじゃん」
そんなことを口走ったYさんは、いつの間にか壁の穴に目を近付け向こう側を覗き込もうとしている。壁の向こうにあるものなんて、電気系統の配線を巡らせるための空間くらいなものだろう。どうせ広がっているものは真っ暗な闇だ。なんとなくそう思い、変なことは止めるようYさんの肩へと手を伸ばした時だった。
「きゃあああああっっっ!」
突然上がるYさんの悲鳴。何事かとSさんが駆け寄ると、Yさんは酷く怯えた様子でSさんに縋り付きながらこう言った。
「目が合ったの!!」
突拍子も無い言葉に、思わずSさんは絶句してしまう。
「誰かが居たの! 本当に!!」
怯える様子から、Yさんが嘘を言っている訳では無いと感じるのに、そんなことはあり得ないとSさんは思ってしまう。それでも、初めに見つけたときよりも大分大きくなってしまった壁の穴を見ていると、もしかしたらという思いが頭を過ぎってしまった。
大丈夫、大丈夫だから。そう言ってYさんを落ち着かせると、Sさんは何かを確認すべくベランダへと出る。もし、隣人がこの部屋を覗いているのならば、警察に通報して部屋を出よう。そう思い、壁の向こう側を見るべくベランダの端へと移動した瞬間、Sさんは小さく息を呑んだ。
「そんな……馬鹿な……」
慌てて部屋に戻ると、先程まで居たはずのYさんの姿が見当たらない。急いで玄関へ向かうが、ドアロックは掛けられたまま。鍵だって室内から掛けられている状態で扉が開いた形跡は見つからない。
何より、Yさんの荷物がまだ部屋の中にあるのだ。先程までYさんが居たという痕跡は確かにあるのに、Yさんという人間だけが煙のように消えてしまっている。状況が分からないまま、Sさんは急いで警察へと電話を掛ける。暫くすると警察官が二人、Sさんの家へと駆けつけてくれた。
そこからは、消えた友人の行方を探るべく、Sさんは色々と質問をされた。分かることには素直に答え、分からないことには首を振る。様々な可能性からYさんの行方を探るのだが、彼女という人間が居たという事は分かるのに、どうやっても彼女自身を探し出すことは出来なかった。
出された捜索願い。解決しない事件。
鳴らない携帯端末で相手の電話番号を呼び出すが、常に流れるアナウンスは「電源が入っていないためかかりません」という無情な言葉。
一体友人は何処へ消えてしまったのだろう。Sさんはずっとそのことが気になっている。
不可解な事は二つ。
一つは、人が突然消えてしまったということ。
そして、もう一つは、『あの壁の向こう側には、部屋なんて無かった』ということ。
Sさんの部屋は角部屋で、件の壁がある場所は西側の外壁。場所は三階、窓や足場は存在しない。つまり、どう頑張っても、壁の向こう側に人が立つ空間なんて存在しないのだ。
ならば、どうやって穴の向こう側にある目と目が合うのだろう。
いつの間にか、壁の穴はその大きさを拡げている。
もう少しでSさんは、この物件とさようならすることになるだろう。そして、もう二度と、この場所に戻ってくることは無いと誓う。
友人の安否は気がかりだが、Sさんにはどうすることも出来ない。
出された捜索願いが取り消されたという知らせは届いていない。
友人の行方は、未だ、不明のままだ。
『どうだった?』
まりちゃんが語った内容は、予想に反して楽しいと言えるものでは無かった。こんな時間から聞くんじゃ無かった。そう後悔してももう遅い。
「う……うん」
曖昧な返事を返したのが拙かったのだろう。まりちゃんは残念そうに声を落とすと、『このお話、まこちゃん、好きじゃなかったみたいだね』と落ち込んでしまう。
「ごめんね。ちょっと予想してたものじゃなくてビックリしてさ」
どうやら今夜は眠れそうに無い。スッキリしないモヤモヤと、背筋に走る怖気に苦笑を浮かべつつ、引き攣った声を上げる。
『仕方ないね。それじゃあ、また、明日。お話に付き合ってくれる?』
そう言ってまりちゃんは、此方の様子を伺う様に次の日の約束をねだった。
「えっと……」
『だめ……なの?』
駄目。そうはっきり断れれば良かったのだろう。
「あー……えっと……」
だが、言葉を交わして同情という感情を抱いてしまった以上、冷たく突き放すのは心苦しいと感じてしまう。
「もう少し早い時間だったら……いいか、な?」
そんな風に答えてあげたら、まりちゃんは『分かった!』と元気な声で返した。
『それじゃあ、まこちゃん。明日、また、まりとお話しよう』
続いた言葉は、『おやすみ。また明日』。
「おやすみ、まりちゃん。また、明日ね」
通話が完全に終わってしまうと、繰り返し耳に届くのは機械的に繰り返す話中音。もう、受話口の向こうから女の子の声は響かない。
「また、明日……か」
約束のせいで気が重い。
小さな部屋を照らす煌々とした光。夜明けまで、まだ時間はたっぷりと残っていて頭が重くなった。
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