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しおりを挟む世の中にはタイミングの良い人間と悪い人間がいる。
放課後。茜色刺す図書室でひっそりと窓の外を眺めていたタケルは、一人、本日数十回目の溜め息をついていた。
ガラスの向こう側には、見知った背中が2つ仲良く寄り添い遠ざかっていく。
思い切って好きな女の子に告白しようと、大事な話があると切り出したのは1週間前。放課後の中庭で暗くなるまで待ったが、結局待ち人は来なかった。
惨めな気持ちで帰宅の途についたが、途中、突然の集中豪雨に見舞われずぶ濡れになり、精神ダメージも相まってか風邪を引いてそのままダウン。急用が出来たから今日は行けないと、その日たまたま忘れたスマホに連絡が入ってたのに気づいたのは、高熱にうなされている真っ最中だった。
そして、やっと治って登校した本日。想い人はすでに別の奴と付き合うことになっていた。
周りに温かく祝福されるカップルに、おめでとうと言った自分の上手く笑えていただろうか。口角が引攣らないようにするのに精一杯で、正直自信はない。
仲睦まじく下校する恋人達を見つめる視界が不意にぼやけた。
頬が濡れた感触に自分が泣いていることに気づき、タケルは慌ててかけていたメガネを外し、制服の袖で自身の鈍色の瞳を擦る。
いつもポケットに入れていたハンカチは、丁度昼に手が汚れたと言う友人に貸してしまって、そのまま返ってきていなかった。
世の中タイミングの良い人間と悪い人間がいる。自分は絶対後者の人間だと思う。
肌に優しいとは言い難い硬い布地で溢れる涙を拭っていると、目の前にスッと、アイロンをかけられ綺麗に折り目のついたハンカチを差し出された。
「制服で擦ると赤くなるよ」
自分の耳に響く、低い柔らかな声音。
無人だと思って油断していたタケルは驚きに肩を震わせ、急ぎメガネをかけ直し差し出されたハンカチの持ち主に目を向けた。
視線の先には、黒髪に黒い詰襟学ラン姿の青年。
「っ!?」
自分より10センチは背が高いと思われる大人びた雰囲気を持つ青年は、目が合った瞬間、髪と同色の切れ長の双眸を大きく見開いた。
「うっそ。マジで!!?」
…何が嘘で。何がまじなんだろうか?
この学校の制服はダークグリーンのブレザーにグレーのスラックスだ。突然現れた学ラン姿の彼は一体何者なのか。
不可解な青年の言動についていけず、ポカンとしていたら、
ガシッ。
「あ、触れた」
「!!」
前振りなく、いきなり抱き締められた。
背中に回った腕の温かさとか、耳朶をくすぐる息遣いとか。慣れない人肌にタケルの頭の中は一気にキャパオーバーで真っ白になってしまう。
カクンと、膝の力が抜け崩れそうになる身体を、力強い青年の腕がしっかり支えてくれる。
「ちょっ、大丈夫か!?」
誰のせいだと思っているんだ!!青年の呼びかけにそう悪態をつきたいけれど、今の自分ではままならない。
青年から与えられる甘い匂いに、使っているシャンプーはなんだろうと、どうでもいいことを考えながら、タケルの意識は遠のいてしまった。
数分後。
目を覚ましたタケルが最初に目にしたのは、気を失う原因となった青年の端整な顔面の逆さまどアップだった。
思わず、喉の奥から悲鳴が上がりそうになるのを、どうにか耐える。
「良かった。いきなり倒れるからビックリした。貧血か?あまり顔色が良くないようだけど…」
心配そうに眉をひそめるその様子に、お前に抱きつかれたせいで倒れたんだなんて言えず、苦く笑うだけに留めておく。
「…えーっと、ありがとう。もう大丈夫だから」
「急に立ち上がらないほうがいい。もう少しこのまま休んでな」
青年から離れようと起き上がりかけた身体を、胸の前で組まれた腕にやんわり止められた。
現在、タケルは図書室の床に青年に身体を預け、寝そべっている状態である。自身の学ランをブランケット代わりに身体へかけてくれている心遣いがまた憎い。
仕方なく、再び後ろに体重を預けると、上から窺い見ていた青年が、安堵の表情で柔らかく笑んだ。刹那、トクンと鼓動が跳ね上がる。
「どうかしたか?」
「なん、でもない」
「…やっぱり、少し赤くなっている」
ぎこちない返事に訝しむ様子もなく、青年が指先でそうっとメガネをずらしタケルの目元を撫で上げる。
「もしかして、失恋でもしたか?」
そのピンポイントな物言いに、青年に見惚れていたタケルの顔が一瞬にして強張った。これでは青年の言葉を肯定したも同然だ。
いくら人気ないからといって、学校で男が1人失恋で泣いていたなんていい笑い話だ。
この青年に笑われたら、自分はもっと立ち直れなくなってしまう。
会ったばかりの、名も知らない青年に笑われるくらいで大げさな。そう、頭では思うものの、タケルは固唾を飲んで青年の反応を待った。
「……強制力かー…」
長いようで短い間を置き、ようやっと吐き出された言葉は、予想していたタケルへの嘲笑や憐れみではなかった。誰に向けたものでもない、忌々しさを含む物言いにタケルは怪訝に瞳を瞬かせる。
「きょうせいりよく?」
「あー…、気にしなくていい。こっちの話。それよりも、1人でこんな寂しい所で泣くくらいなら、俺に話してみ?初対面の人間なら気兼ねないし、すっきりすると思うぞ」
被り振り、自分のクセのある茶髪を撫でる青年の提案はひどく魅力的で。ポツリポツリと喋り始めたタケルに、時折、相槌や促す言葉を添えながら、青年はこちらの気がすむまで話を聞いてくれた。
「そっか。そりゃ泣くわな」
話が終えたタケルに、青年はお疲れさんともう一度優しく頭を撫でてくれた。
「笑わないの?」
「辛くて悲しんでいるヤツを、なんで笑わなきゃならないんだ。病みあがりで余計に辛いだろうに。倒れたってことはまだ本調子じゃないんだろ。保健室行くか?」
「ううん。本当に大丈夫たから」
笑わずに聞いてくれた上に体調まで気遣ってくれるなんて。なんていいヤツなんだろう。
抱きつかれた時、ちょっとだけ変質者じゃないかと疑ってしまい、ごめんなさい。
青年の言う通り、泣く程辛かった鬱々と心を蝕んでいた気持ちは言葉として外に吐き出されたことで、かなり軽くなった気がする。だか、それですっぱり気持ちを切り替えられる程タケルは心は器用じゃない。
「当分、恋はいいかなぁ…」
しみじみとした呟きが苦笑いとともに、零れ落ちた。
当面は自分にままならない恋よりも、友達と気楽に楽しく過ごしたい。
別段、青年に聞かせるために言ったわけではなかったが、彼はタケルの呟きを聞き急に真剣な面持ちになり何やら考え込み始めた。握ったこぶしの親指を自身の唇に当て、黙り込むことしばし。考えがまとまりよしっ、と決意を固め声を上げた。
「俺がお前を守ってやる」
「は?」
どこをどこをどうしてその結論に至ったのか。脈絡のない宣言にタケルの目が点になる。
冗談と言うには見上げた先にある双眸は、あまりにも真摯だ。
「守るって、一体…」
「守ると言ったら守る」
一体何から守るというのか。尋ねかけた疑問は頑なな声に覆われ塞がれてしまった。この様子では追求しても答えは得られないだろう。
タケルを慮っての結論のようだし、多分、大丈夫だと思うが……。
「手始めにまずは…そうだっ、髪を伸ばして顔を隠そう!!」
………多分、きっと、恐らく、大丈夫だと願いたい。
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