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”文”の中の”虫”

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 美織と『断崖』の二人にあそこまで揶揄われる謂れはないはずだが、確かに圭にも反省すべき点はあり、それ故の失態であったことは自分でも分かっていた。
 具体的には疲労が溜まって不調になりかけていた中での、思い込みによる油断。最低四時間は睡眠を取ること。あとは駅前などの人混みでの【五感強化《ハイアイント》】の起動訓練。当日の晩から圭はそれらには手を付けておいた。やってみると後者の起動訓練は、心の準備を予め整えておくかどうかだけである程度”人酔い”のキツさが変わってくることが分かった。
 講堂や商業施設、駅など、今後も多くの人がいる中での【五感強化《ハイアイント》】が必要になることはありうる。というか寧ろこれまでは、田舎の『お山』のお陰で偶々助かってきてただけなのだ。
 暫くは反復練習で順応していくととともに、状況に応じて五感それぞれの感知レベルをいじって行ってみるのもいいかもしれない。どれかを完全に切ってしまうとパッケージングした意図自体失われてしまうだろうが、その時々で上げたい知覚、下げて構わない知覚というのに対応するのは寧ろ望ましいことだろう。そういった微調整は圭が苦手、かつ現在進行形で克服対象としているところなので、今後は起動のたびにこれも練習していくのは色々都合が良かった。

 そして、対精神干渉魔法の訓練も始めた。
 美織によると魔法防御がある程度有効であっても正式な対抗魔法というのはないそうで、積めるとしたら正しい抵抗態勢の訓練になる。魔力を高めて魔法の起動直前と同じような集中状態に呪文なしで持っていき、それを維持する。要は相手の操作系魔法にこちらの魔力を叩きつけて跳ね返すという力相撲の体だ。
 果たして今後生徒会長”リザ”と関わりがあるのか、あったとしてどのような関係になっていくのかはまだ全く分からない。が、既に自分を脅かしかねない力を持った魔女が身近にいると判明した以上、先んじて準備しておくに越したことはないはずだ。

 次いで、勉強の方は少し楽になった。圭の学力が追いついたという簡単な話なわけではない。授業で付いていけなかった範囲を事後的にヒイヒイと復習するよりも、学習要領という冊子からどの前提知識が必要かを前もって確認し、中学の参考書などを飛び石伝いで予習したほうが効率が良いと分かっただけだ。最悪斜め読みになっても構わない。兎に角授業中にそれらの記憶を総動員して何とか追いついておいた方が、総合的な学習時間で見ると理解までの労力が少なく済んだ。とりわけ数学や物理の科目で有効だった。
 少し余裕が出来た時間で、庭での魔法鍛錬も始める。それには『断崖』と美織も付き合ってくれた。

 そんな状況が数日続き、こちらでの生活の目途が立ちだした、ある日の授業中。
 眉根を寄せながらノートを取り、予習知識の上に授業内容を組み立てていた圭の上着ポケットの中で、微かな微かな鈴の音が響いた。

 圭はちらりと前を見てからそっとポケットに手を差し込み、鎖の輪に指を掛けてストラップだけを取り外して、机の上に置く。

「何だ?」
「……」

 【通話コール】で声を掛けてみるが『断崖』からの返答はない。
 代わりに筆入れの中からシャープペンシルが一本、無駄に愛嬌を振りまいている狸の頭の横へと転がり出た。
 圭は非常事態じゃないのか、と、未だ頑迷に【通話コール】で話さない相手に舌打ちしたい気分でペンを取り、手の中に狸も握り込んだ。
 ノートの隅の白紙部分でペンを構えるとそれが勝手に走り出す。

”蟲”

 圭はその字を見て、蟲、か? 妖魔でなく? と問おうとする。迷い蟲がちょっと入り込んだところで、ここは多くの魔女がいる学校なのだ。危険度は少ないはずだった。
 ペンはしかし書くのを止めず、”蟲”の字の下に、さらに三匹の”虫”を付け足した。

 そんな漢字はない。ない、が、何を伝えようとしてるのかは十分伝わった。
 それからペンは迷うように震えたあと、四つ、五つと更に横に付け足していく。ようやく虫の自動追加が終わった後、圭は大きくバランスを崩したその字を見つめる。まるでノートの罫線の狭間に新しい巣を作ってでもいるように、そこには多くの虫が黙って息づいていた。

 圭は指先に力を籠め、”学校に集まってるのか?”と書く。

”是”

 ペンが答える。

”結界で弾けないか?”

 暫く待つと、シンプルな二文字が書かれた。

”目付”

 圭は今度こそ小さく舌打ちする。お目付け役の自分は動くつもりはない、ということだろう。ペンは更に動いて一文字を付け足す。

”里”

 圭は首を捻り、どういう意味か考える。

(…ああ。そういえば、そうか)

 結界で学校に寄れなくしたところで蟲が解散してくれる訳ではない。どれだけの数か知らないが、不細工な漢字を見たところ相当集まってきているのだろう。結界で学校に入れなくしたところで、その後近隣の民家にどんな影響が出てしまうかが分からなかった。

”集まってる理由は分かるか?”

 暫く待ったが、ペンはもう動かない。

「圭君」

 その時不意に、圭に向けて【通話コール】が繋がった。沙雪からだ。

「……ん」
「気付いてる? 学校に、すごい蟲が集まって来てる」
「……すごい、か。どれぐらいだ?」
「百や、二百じゃないわ。見たこともない大群。このままじゃ、きっと大変なことになる」
「何が起きてるんだ?」
「分からないわ。今までにこんなことなかった。大きいのは混ざってないけど、ものすごい数」
「こういう時、どうするべきかな」
「分からない。もっと近づけば流石に分かると思うけど、現時点で他の魔女はどれだけ気付いてるのかしら。兎に角あれ・・がこのまま学校を襲ってくるなら、こっちもかなり魔女を揃えて対応しないとまずいわ」

 不安げな沙雪の声に対して、圭は暫く黙り込む。
 それから、「ところで、何で俺に? 今りょうは繋がってるのか」と聞いた。

「その…まだ、入れてないわ。りょうに教えるとすぐに出てっちゃうからっていうのと、後は圭君に、もしかして思い当ることあるかなって」
「俺に? ああ、最近転校してきたからか。いや、ないよ」
「そう……。どうしよう、もう今にも敷地内に入って来る。大きいのはいないように見えるけど、何せ数が多すぎて……」

 一呼吸分考えてから圭は”自分として”の結論を出す。

「りょうや、他の誰か共闘するつもりなら、もう俺じゃなくてそいつに繋いで話した方がいいんじゃないか? 俺は、自分の身は自分で守ることにするよ」
「ちょっと…!」
「前にも言ったけど、俺が魔士だってバレるのは避けたいんだ。ここには名前を売りたがってる魔女の方が多いだろう? でも俺は、学校中に自己紹介するつもりはないんだ」
「そんな」
「……」
「百程度なら誰かが連携すれば追い払えるけど、レベルが違うのよ? 多人数で共闘しても怪我人を出さずに済むかどうか。『三割』で妖気酔いを起こす人が出るかもしれないし、教室に入り込んだら『只人』にも影響があるわ」
「……」
「ちょっと、聞いてるの?」

 圭は答えない。
 【通話コール】越しに沙雪の怒りの感情が伝わってくるようだった。

「……そう。分かったわ。りょうはあなたが来て喜んでたみたいだけど、やっぱり魔士ね。正直見損なった」

 その言葉を最後に接続が切れた。
 ノートの上では”蟲”の下の”虫”が円を描いて一周し、その真ん中にちょん、と、”文”の字が置かれていた。いま一体、どれほどの蟲が集まってると言うのだろうか。

 圭は息をつく。教室に入ったものはどうにかするが、それ以外どうするかは決めてなかった。校内の魔女達がどうにか対応するだろう、という期待はある。それがなかった場合のことはあまり考えたくはなかった。
 懸念点としては、蟲の魔力は弱く、沙雪みたいに感知できる者は少ないかも知れない。感知できないまま大群に囲まれると先に具合が悪くなったりして、気付いた時には本調子を出せないリスクがあるということを聞いたことがあった。子供向けの注意だったから、流石に15を超えた魔女なら大丈夫だと思いたいというところだが、さて。

 ペンがまた小さく震え、”文”の字の真ん中に、今小さく”虫”が書かれた。

 圭は眉を顰めてそれを見つめた後、首を小さく振る。

「『断崖』」
「……」
「……化けれるか。俺に」

 しばしの沈黙。
 古典教師の悠長な声。
 こうしてる間にも、丁度今学校の中に次々と蟲が入り込んできてるのだろう。
 ペンが動いた。

 文字を書かずに”目付”のところをペン先で差す。
 予想していたことだ。圭は【通話コール】で話しかける。

「ここで先生に断って教室を出たくないから、お前に残ってもらわないと困るんだ。何、小蟲達を迷惑が掛からん程度にまで減らしてくるだけだ。黒幕がもし出てこようが相手にはしない。出来れば、蟲だけ集めて焼き払いたいところだが」

 圭はポケットの中の携帯のボリュームをふたつ上げる。
 襟に付いた校章をそっと外して筆入れに突っ込む。
 それからそっと目線を動かし、教室の後側のドアを見た。
 ドアは腕一本やっと通る程度に開いているだけで、内心で舌打ちする。【念力】は出来るが、静かに、丁度良くというのはやっぱり苦手だ。

「あと、顔を隠す布を頼む。次先生が向こうを向いたら合図を出す」

 そう言いながら携帯をフリックする。【念力】は音が出そうなので止めて、慣れている魔法の方を自己外指定で起動した。

浮遊ウィッチ

 圭の机の上の消しゴムが動き出し、机から落ちて、そのまま床の上をすーっとドアの方へと飛んでいく。ドアのさんの間に入った。圭は更に集中を高め、小さな消しゴムに徐々に大きな魔力を掛けていく。毎晩蝋燭で練習した感覚を頼りに。
 
 そろ、そろ、そろ、と何とか人一人がギリギリ通れる分だけドアを開けることができた。

 ペンが仕方無さげに(そういうペンの動きがあるとは圭も思わなかった)動き、虫達の下に一文字足される。

”油物”

 圭は頷き、それから、山椒魚の独り言みたいに喋り続けている先生を見つめる。

「蟲がどこに多いか分かるか? 教えてくれたらこってりした油物、二品だ」

 今度はすぐにペンが動いた。

”中庭 屋上 一階教室 二階少々”

 校内は一階と二階。一階教室って、ここじゃないか。一年のクラスが並んでいる。そのまま学年順で二年が二階だ。
 そう思った時、先生が黒板の方を向いて板書を始めた。圭は音を立てない様に椅子を後ろに引いて、携帯をフリックする。

五感強化ハイアイント

人狼ワ・ウルヴン

「行くぞ……せーの」

 その瞬間、圭は誠司の後ろを通り、一歩挟んだだけでドアの隙間を抜ける。
 既に黒い布を顔に巻いていて、その上から目元の隙間部分に眼鏡をかけていた。とんでもなく格好悪いが、致し方ない。
 覗き窓から今出て来た教室を見ると、先程と同じ態勢で圭がそこに座っていた。誠司も退屈そうに黒板を見ている。気付かれてはいない。

 廊下に目を向ける。
 奥の階段の方が黒ずんでいる。黒ずみがこちらに接近してるのが分かる。先行して入っていた奴らなのか、そこかしこにも既に蟲が群れ出していた。羽虫、地虫。10センチ強から、1メートル近いものもいる。割合としては4、50センチサイズが多いようだった。
 出て来た圭に気付いて寄ってくるものもいる。

(設備は壊したくないから、まだるっこしいけど魔装で行くか。――四本で十分、かな)

 圭は眼鏡のテンプルに指先で軽く振れてから手を下ろす。その手には既に二本の棍が握られていた。そして背中には同サイズの棍が二本、透明なリュックに刺しているかのようにいつの間にか浮かび上がっている。

 圭は走り出した。
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