壊したキミと壊れたボク

ねりうむ

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その祈りは誰のため?

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「ご乗車、ありがとうございます。お降りの際は、お忘れ物などにご注意ください」
 気だるげなバスのアナウンスを聞きながら、僕は夏の湿った空気へと身を浸していく。日は落ちかけているが、今もまだ気温は高い。粘度の高い空気が、ねっとりと体に絡みついてきて不快だった。

 バスの走り去る音を背に、腕時計で時間を確認する。今は午後六時を少し過ぎたところだった。事前に地図アプリで確認したところによると、目的地までは約十五分程度。ゆっくり歩いても十分間に合う計算だった。

「行くか……」
 わざわざ声に出してから足を踏み出す。……本当は行きたくなかった。
 そりゃそうだ。
 これから目指す場所はセレモニーホールで、目的は通夜への参列だ。少なくとも、愉快な気分になれるわけがない。
 付け加えるなら、故人は年若い少女――いや、幼いといっていい、十四歳の中学生だ。しかも、殺人事件の被害者なのだ。気が重いことこの上ない。

 けれど、僕の立場上いかない訳にもいかず、こうやって重い足を引きずりながら向かっている。
 
 幹線道路の両側に並ぶ、集合住宅や小さな商店。その間のほんのわずかなスペースに設けられた公園で、子供たちが遊んでいた。薄暗くはなってきているが、その子たちは楽しげに笑い、追いかけっこに興じていた。
 あの子たちのいる場所と、自分が居るこの場所。本当に同じ次元に存在しているんだろうか。……とてもそうは思えないのだが。

「それにしても、あっついなぁ……。勘弁してくれよ」
 額に滲む汗をぬぐい、誰に向けたわけでもない文句を言う。勿論、その文句は聞き入れられるはずもなく、ただ不快感を再確認しただけだった。

 ジャケットの胸ポケットから、煙草を取り出して火を点ける。ゆっくりと吸い込んでから、体にたまった熱と一緒に煙を吐き出した。
 空気中にゆらゆらと漂う紫煙は、まるで幽霊のようだった。

 事件の報がもたらされた時、僕は上司に押し付けられた書類仕事に追われていた。煙草を吸う時間も取れず、イライラとしているところに、慌てた新人が飛び込んできたのだ。
 まずは新人を落ち着かせるところから始まった。次に彼が机から落とした何枚かの書類を拾い上げ、かすれた喉を潤すための水分も提供してあげた。
 結局、そんなに長くもない報告を聞くために、余計な手順をいくつか踏む羽目になった。

「あの、ほら……。町はずれの崩れかけた、学習塾の跡地の! あの廃ビルで見つかりました!」
 兼ねてより捜索していた少女――の遺体が見つかった。しかも、どうやら殺されているらしい、と彼は付け加えた。仕方が無いとは言え、報告は稚拙で要領を得なかったが、まとめるとそう言うことらしい。
 
 事件の詳細は一般へ公開されていない。被害者や遺族への配慮だろうか……。ニュースや新聞では『少女の遺体が発見された』としか報道されていない。
 実際には彼女の遺体には、大きな特徴がある。

 その柔らかな肉体を、鋭いナイフで切り裂いて作ったメッセージ。

 少女の白い肌と赤く染まるメッセージ。
 曲線と直線。
 白と赤。
 その対比が暴力的なまでの荘厳さを生み出していた。

 警察は未だにそのメッセージを解読できないでいる。
 苛つきと焦燥感がブレンドされた物質が、血流に乗り全身を駆け巡る。
 
 現場で見た彼女の姿を思いだす度に、僕の中に暗く重い感覚が湧きたつ。それはさながら、噴火口から流れ出る溶岩が、裾野に広がっていくように、ゆっくりと、けれど確実に僕の身を灼いてくる。

 ちらりと時計を見る。時刻は午後六時十三分。
「六時半までに着けば良いんだったよな……」
 言い訳のようにつぶやくと、また煙草を一本取り出した。

 鼻先でチリチリと赤く光るそれは、まるで蛍のように見えた。


 引きずるような足取りでも、着いてしまうんだなと、どうしようもなく暗い気分が襲って来る。
 目の前に見えるセレモニーホールの光が近付いてくるたび、僕の心は逆に闇へと近づいて行った。

 自動ドアをくぐると、湿った肌の上を冷風が撫でていく。――生き返った。思わず浮かんだ言葉が、通夜という場に相応しいかはさて置き、この爽快感には抗うことはできなかった。

「この度は、ご愁傷さまです」
「お忙しい中、ありがとうございます」
 受付で定型文のやり取りと記帳を済ませ、一般参列の席へと向かう。空いている席に適当に腰を下ろし、視線を軽く周囲に走らせた。

 誰も彼もが、悲しみという魔物の掌に頭を押さえつけられている。先程までの爽快感はすでに無く、ひんやりとした空気が、今は肌を溶かし、侵食してくるように感じる。

 そうこうしている内に時間が来たのだろう。僧侶と親族が入場してきた。
 読経とともに通夜が開催され、厳かな雰囲気が場を支配する。
『別れの時間が来たのだ』
『もう彼女には会えないのだ』
 僧侶の読経が独特の韻律で告げてくる。彼女の友人たちが、寄り添いながら肩を震わせている。親族席で時折、目の辺りを拭っている男性は祖父だろうか。そこかしこから、すすり泣きの声が聞こえてくる。水底から湧き上がる気泡のような、密やかな悲しみの大合唱だった。

 こんな時、誰に向かって、何の祈りを捧げれば良いんだろう。そんなことを思ってしまう。
 彼女はもう、そこにはいないのに。
 遺影を見上げると、彼女は弾けるように笑っていた……。

 薄膜の向こうで開催されている悲哀の演奏会を聴きながら、僕は現場を思い出し、考えを巡らせる。
 あの少女。メッセージ。崩れた壁の一室。光の差し込み方。
 
 そろそろ彼女の司法解剖の所見が警察に届くころだろう。そうすれば、メッセージとの関連性もわかるかもしれない。
 そうあってくれ――と僕は願った。

 読経が終わり、焼香の時間になった。焼香台の前に進み、一連の動作を終え、彼女の遺影に向かって手を合わせた。
 両親の方へ向き直り、一礼する。彼らも礼を返してくるが、そこに彼らはいないように感じられた。
 虚ろな目に、血の気のない蒼白い顔色。一応、きちんとした身なりをしているが、存在感が希薄と言うか、生きるための何かが欠けていた。それはもしかしたら、魂と呼ばれるものなのかもしれないし、違うものなのかもしれない。
 彼らの本体は悲しみの沼に沈み込み、暗く深い絶望の水底から、脱け殻の身体を見上げているのかもしれない。

 そんな事を考えていると、また僕の内側が熱を帯びてくる。へその下あたりに、どろどろとしたヘドロのような感触があった。

 ああ、ダメだ。ダメなんだよ――。


 熱に浮かされたまま通夜を辞し、自販機でお茶を買う。少しでもこの熱が冷めれば良いと思ったが、全く効果は無かった。

 赤く染まった脳裏に、彼女の遺影がチラつく。
 天真爛漫を絵に描いたような、暴力的なまでに幸福感に満ち溢れた笑顔。これから手に入れるであろう幸福を、一切疑っていない表情。

 ――ああ、違う。違うチガウ!あれは本当の彼女じゃない。僕が見た彼女は、困惑と驚愕、悲哀と絶望が、神々しいまでの割合で混ざり合った表情をしていたじゃないか。あれこそが本当の彼女だ。彼女に遺したメッセージを、誰も理解していないじゃないか。

「だから……来たくなかったんだ」

 道に面したフェンスに腰掛け、荒くなった息を整える。飲みきったペットボトルの中に、幾本目かの煙草を落とす。
 項垂れたまま、箱に残った最後の煙草に手を伸ばした時、頭の上から声がした。


「先生……?」
 そこにいたのは、彼女の友人。

 ――僕の担任するクラスの女の子だった。
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