贖罪の篝火

ねりうむ

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第四話

◆6/風鈴が啼く声

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 これが最後。夕霧を見捨てた過去。気づけたはず、なのに気づかない振りをしてしまった。

 冬休みが終わり一週間が経っても、夕霧は登校してこなかった。最初の何日かは気になりながらも、胸に芽生えた不安を押し殺していた。しかし、さすがに我慢も限界を迎えた。
 朝のHR終わりの担任を捕まえて尋ねてみる。
「あの、先生。夕霧の……斎宮さんが登校してこないんですが、なにかあったんでしょうか?」
「ああ、明松毘か。いやぁ、俺もわからないんだよ。お前なにか聞いてないか?」
 そう言いながら、担任は壁にかかった時計をチラチラと眺め、早く教室を出ていきたそうな素振りを見せる。担任の無関心さに苛立ちが募った。
「いえ、何も。……電話とかもないんですか?」
「何回かかけてみたけど、繋がらないんだよ。なにか連絡があったら教えてくれ」
 担任はそう言い残すと、足早に教室を出て行ってしまった。

 大丈夫――。そう自分に言い聞かせるが、どろりとした不安が胸中に堆積していく。
 それは篝の頭の中で、夕霧の姿へと変わっていく。
 彼女は床に横たわり動かない。その瞳からは光が失われ、まるで壊れた人形のような姿を晒している。
 想像だと分かっている。けれど、そのイメージは頭蓋の中で反響を繰り返し、徐々に真実味を帯びていく。気づけば全身に汗が滲み、体温は逆に冷え切っている。呼吸が短く浅くなり、絡みつく焦燥感が鼓動を速めた。

「夕霧……!」
 何かが決壊したような衝撃が全身に走り、それを合図に教室を飛び出した。
 廊下で同僚の女性教師と話していた担任が、篝に気づいて何かを叫んでいる。
 聞こえない。
 ただ衝動に突き動かされ、足を動かした。

 冬の町を、ただひたすらに駆け抜けた。
 吐く息は白く染まり、身を切る風は冷たかった。
 痛いほどに心臓が跳ねる――止まれない。
 辻を曲がり、通りを抜けた。

 川べりの田園地帯の手前、住宅街との境界線に夕霧の自宅はあった。
 どこにでもある普通の家に見える。
 けれどそこから感じる雰囲気は、近づく者を呑み込もうとする昏く淀んだ穴のようだった。
 息を整える時間すら惜しく、すぐさま家のチャイムを鳴らす。
「夕霧……夕霧……。お願い……」
 反応は無い。
 2回目。
 3回、4回。
 耳障りなチャイム音が響くだけで、反応は無かった。
 ドアに駆け寄り、力いっぱい叩いた。
「夕霧! 居るの!? 篝だよ! 返事して!」
 必死の呼び掛けにも、誰も応えてくれなかった。
 ドアノブに手を伸ばす。

 ――ガチャリ。
 扉が開いた。

「えっ……?」

 篝は、足元から無数のムカデが這い上がってくるような怖気を感じた。
 ドアノブに手をかけたまま動けなかった。
 さっきまであんなに熱かった体が、氷水を浴びたように冷めきっていった。
 力を込めていないのに、ゆっくりとドアが手前に動いた。
 扉の向こうには、廊下が見えた。
 一般的な家の廊下。
 しかし、そこには得体の知れない何かが、篝を飲み込もうと口を開けていた。
 
 無意識に、一歩、足を引いていた。
 この先には進めば、もう引き返せない。
 そんな気がした。
 夕霧の顔を思い浮かべ、唇をギュッと噛みしめた。
 恐怖を足で踏みつぶし、まずは一歩、ドアをくぐった。
 ……。
「ゆ……、夕霧? いたら返事して……」
 さっきより、かなり小さな声で、篝は呼びかけた。
 返事は無かった。
 玄関脇に目をやると、靴箱の上に写真立てが置いてあった。
 そこには、両親と並んで笑う、赤ん坊の夕霧が写っていた。
 優しそうな両親に抱かれ、篝のよく知る笑顔を浮かべていた。
 
 上がり框を土足のまま踏み越えた。
 黒く濁った空気の中、廊下を進み、右手にあるガラス戸を少しだけ開いた。
 瞬間、ドアの隙間から溢れ出してきた、強烈なアルコール臭に思わず鼻を押さえた。
 顔をしかめながら、思い切ってドアを開け放つ。

 床一面に散乱する酒瓶。
 真ん中から、真っ二つに折られたテーブル。
 液晶がひび割れたテレビ。
 捻るように破壊されたソファー。

 そして、壁に広がる――血痕。

 被害者は、すでに命はないと確信できるほど、大量の血痕が残されていた。
 壁に向かって、ホースで血を撒いたようだった。
「――ッ!」
 悲鳴を上げようとしたが、喉が引きつり声が出ない。ヒュウヒュウと喉から漏れる呼吸の音だけが、アルコールと血の臭いが混ざり合った空気を震わせていた。
 血の気が引き、膝が笑った。
 破壊された部屋に、大量の血痕――しかし、そこに夕霧の姿はなかった。
 ……ほんの一滴の希望にすがるように、立ち上がり、歩き出した。
「なんで……? 何があったの……? どこに居るの……夕霧……」
 幽鬼のように、ふらふらと階段を上っていった。
 絶えず襲ってくる目眩に、なんども足を踏み外しそうになりながらも、なんとか2階にたどり着いた。
 廊下の突き当たりにドアがあった。
 そこにかかる小さなプレートには、『ゆうぎり』と可愛らしい丸文字で書かれていた。
 その4文字が、篝の心臓を跳ねあげた。
 天地が逆転したような感覚に包まれ、立っていられなかった。
 力の抜けた手足を、それでも何とか這うように動かし、夕霧の部屋へと向かう。
 ドアノブを支えに立ち上がり、震える指先でノブを回した。
 
「いやっ……いやああああああああああああっ!!」
 引き裂くような悲鳴が、部屋の影に吸い込まれていった。
 目の前の光景が信じられなかった。
 部屋の窓側の可愛らしいベッド。
 枕元のクマの人形が、つぶらな瞳がこちらを見つめている。
 そして、そのすべてが赤黒いシミの中に沈んでいた。
 遺体はなく、ただ布団のへこみだけが、誰かがそこに居た証拠だった。

 篝は、その赤黒い染みの上に、青いなにかを見つけた。
 それはガラス製だったようで、今はもう割れて壊れていた。
 白みがかった青地に、黄色や緑の線が飛び散るように配されている。
 傍らには短冊状の紙。

 ――夏祭りで交換した、あの水風船の風鈴だった。

 ひゅっと喉が鳴り、全身が固まる。
 全身が空洞になったように無感覚に包まれたと思えば、急激に体温が下がりガタガタと震えだす。
 唸るように絞り出した声は、それが自分の声だとわからなかった。
 堰が切れる。
「嘘! 嘘でしょ!? どこに隠れてるの? 出てきてよ!!」
「やだ! やだよ! ねえ、どこにいるの!」
「夕霧! 夕霧、ゆうぎりゆうぎりゆうぎり……!」
 顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、ただ泣き喚くことしか出来なかった。
 もう、終わっていた。――だから、泣くことしかできなかった。

 気づけたはずなのに、気づかない振りをしていた。
 言えば、何かが壊れそうで……。
 言えば、何かが終わりそうで……。
 でも、一緒に逃げることも出来た。戦うことも出来た。
 ただ、手を伸ばすだけで良かった。
 手を伸ばしてさえいれば――。

 どこかで風鈴が啼いている。ちりん、ちりんと悲しそうな声で。
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