黒猫トマトの非現実

原田うらん

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黒猫トマト

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祖父亡き後、喫茶店を継いだ現マスターは客足の悪さに悩んで、夜の公園で考え込んでいた。
どこからかか細い猫の鳴き声が聞こえ、声のする方へ行くと植木の下に子供の黒猫が震えている。
手のひらを上に向け、おいでと声をかけると黒猫は少し考える素振りを見せてからよたよたと出てきて指を舐めた。
野良猫とは思えない清潔さで誰が見ても可愛らしい顔立ちに愛嬌もある。
マスターは黒猫の不思議な魅力に惹かれ、言葉が通じるはずがないとわかっていながらうちに来るか、と訊いてみた。
黒猫はか細い声でひと鳴きしてマスターの手に頬を擦り付ける。

瀕死状態の黒猫が唯一口にしたものがトマトだったことからトマトと名づけられた。

トマトがマスターのもとに来た日から不思議と喫茶店は繁盛してゆき、元気になったトマトが喫茶店の看板猫になってからというもの喫茶店どころかマスターのもとに幸運だけが舞い込んだ。
誰が言い出したのか、トマトに触れながら願い事を唱えトマトが鳴けばその願いは叶うと噂が広がっている。

雨の続く月曜日からの3日間、喫茶店の開店時から夕方5時頃まで勉強しているブレザー姿の少女が端の窓際の席に座っている。
4時を回り客足が落ち着いた頃、少女のスカートの上にトマトは飛び乗りバランスを取って伏せる。
テスト期間ではないはずの平日に連日来ている少女が気になっていたマスターは、その一部始終を横目に見る。

少女は手を止めトマトの背を撫で「願いを叶えてくれるって本当?」と問う。
ふんっと鼻から息を吐き出すトマトに、少女は話しかける。

「中学生の頃から同級生に虐められていたの。ニキビが出来やすい私の肌を見て男の子が不潔だって言いだして、男の子も女の子も、触れても話しても移るって騒いで、高校に入ってそれはエスカレートして、それでも友達は助けてくれなかった。ずっと考えてた、死にたいって。もし本当に願いを叶えてくれるなら殺して、ねえ、私を殺してよ。もう耐えられない」

切羽詰まった声は嗚咽が混じり、耐え切れず落ちる涙は手やトマトの毛の上に落ちる。
トマトは尻尾の毛を逆立て喉の奥から低いうなり声を発しスカートから飛び降り、マスターの傍を離れようとはしなかった。
マスターはトマトがこんな風になったことに気味悪さを感じていつもと同じ5時頃の会計の際、大丈夫ですかと声をかけたが大丈夫ですと素っ気無く返し少女は帰ってしまった。

その日の夜から少女は原因不明の急な高熱に数日間うなされ、寝るたびに死ぬ夢を見た。
他殺も自殺も非現実的なものから徐々に現実的なものへと変わり、起きては死んでいないと確認しなければならないほどのリアルさが残る。
息はあがり脈は早く、熱のせいだけではないとわかる程の異常な量の汗が服を濡らしている。
少女の体力は日に日に落ちて頬はこけ、トマトに願った通りに死んでしまうのかもしれない、と思い始める。

死が近付いている時、人は後悔するという。
少女もまた、布団の中で後悔していた。

何度も考えそれでも死にたいという結果にたどり着いて、3日待ってようやくトマトに願いを叶えてもらえると思ったのに、いざ死にそうになったらこんなにもまだ死にたくないと願うだなんて。

「お母さん、喫茶店に連れてって。トマトに会いたい」

蚊の鳴くような声で必死に訴える少女に母は行動に移すしかなかった。

喫茶店に入り担がれていた少女がお店の床に足をつけると、トマトが擦り寄ってきた。
マスターは状況を把握し手を止め少女とトマトに歩み寄り静かに見守る。

床に座り込む少女の太股に乗るトマト。

「もしも願いを叶えてくれるなら、殺さないで。この熱も死ぬ夢も貴方の力でしょう。まだ死にたくないと思えたの。いじめにだって耐えてみせる。だから、お願い」

トマトはにゃあとひと鳴き。
その声に店内の視線は少女と黒猫に集まりざわめく。

「ありがとう」

少女の体力と気力は底をつき病院に運ばれ、原因不明の発熱はなくなり検査入院の後退院した。

その足で少女は喫茶店に向かう。
ドアを開け少女は菓子折をマスターに渡し、先日の事を詫びた。

「最初君の膝に乗った後からトマトはひどく怒っていたから気になっていたんだ。君は死について願ったんだってね。トマトは死にかけていたからきっと怒ったのだろう。もうそんな事を考えちゃいけないよ。悩みならいつでも言いに来たらいい」

マスターの言葉と笑みに、少女はいつぶりかの笑みを浮かべる。
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