Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『承』

第二十八章 機械知性体

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 保護した犬が喋ったと言う報告を受けて、飛崎はその日の夕方にはアローレインに顔を出していた。

 メイド長であるリースティアを引き連れて現れた飛崎は、報告をしてきたシンシアを後ろに控えさせてアズレインの前に腰を下ろすとじっと見据えた。

 その妙な緊張感の中、アズレインは口を開いた。

「―――これが圧迫面接というやつか」
「ワンコロのくせに世知辛ぇこと知ってんのな」
「ネットに接続しているからな。識るだけなら大抵のことならば可能だ」
「ほぅ。じゃぁ、お前さんの家を焼いたのは?」
「JUDASであるとそこの少女が言っていたぞ」
「ネット関係ねぇー」

 ぽんぽんと雑談を交わしてみれば、ちゃんと会話が成り立つ。それを実は中に人でも入ってんじゃねぇのかな、と飛崎は訝しげな視線を向けながらも本題に入ることにした。 

「―――それで、一体どういう風の吹き回しだよ」

 その機微を感じ取ったか、アズレインもじっと飛崎の紫瞳を見据えた。

「お前さんが普通の犬じゃねぇのは分かっていた。儂等はそれを理解しつつも敢えて触れなかったんだ。喋らなきゃ、多分、何時までも普通の犬扱いしてたぞ」

 事実であり、ブラフでもある。

 彼がJUDASによる襲撃を受け、住処を燃やされたことは理解している。何が目的であったかは未だ判然としないが、もしもその目的の中にアズレインもあったならばそれはJUDASに対する囮にも使えると飛崎を筆頭にアローレインは判断していた。

 JUDASを誘い出す餌である以上、脱走しないのであるなら普通の犬扱いはしていた。

「その前に一つ聞きたい」
「何だよ」
「拙者の脳チップ、ブラックボックスに手を出さなかった理由は?」
「儂はネットのことは詳しくはないが、部下が調べはした。だが、こーせーぼーへきってのか?触れたら相手を攻撃するとか言うよく分からん壁みたいなのに守られていて、下手に触れなかったんだと」

 電脳界経由でシンシアが精査はした。

 非常に強力な攻性防壁にコアが守られており、おそらくそこに眠るであろう情報に仕掛けるのならばそれなりに準備と覚悟が必要とのことだった。最終手段としてアズレインの命の破棄と情報破損を視野に入れるならば、物理的に開頭手術を行い、脳チップを引き摺り出し特定回路を破壊してから入手する方法もあるにはあった。

 現状、そこまで状況は逼迫していないので頭の隅に追いやってはいたが。

「一応、手を出す算段は付けていたぞ。外部の専門家を使うことになるから、もう少し時間は掛かるが」

 念のため、防壁破り専門の―――電脳界用語で言うアタッカーに話は通している。とは言っても、相手も暇ではないので折を見て、という事になってはいるが。

「では、その専門家に渡りをつけて欲しい。拙者も拙者自身を知る時が来たと判断する」
「ほぅ………」

 つまり、アズレインは自らのブラックボックスを開示すると言っているのだ。一体如何にしてこの喋る犬が心変わりしたかは不明だが、協力的なのは良いことだと判断した飛崎は頷いた。

「改めて、拙者が今知っている情報と自己紹介しよう。拙者の個体名はアズレイン。製造番号はHI-01。日本政府が進めていたエイドスプランに於ける実験動物の一匹だ」
「色々と名前が出てきたな。お前さんの名前はアズレイン。これはその首輪のタグを見たから知っているよ。HI-01ってのは?」
「HumanInterfaceの略だ。役割も意味もそのままになる。拙者はその一番目。最初の検体だ」

 つまり、人と機械を繋ぐ役割を与えられたのだとアズレインは言う。確かに、そうでなければわざわざ言語を介して人とやり取りするお喋り機能など玩具程度にしか使われないだろう。

「エイドスプランってのは?」
「少し長くなるが良いか?」
「時間はあるさ」

 肩をすくめる飛崎に、アズレインは1つ頷いて。

「世界に12基あるとされるエイドス・システムA.Iに感情を学習させる為の計画の名を、エイドスプランと呼ぶ。提唱者は故アルベルト・A・ノインリヒカイトだが、提案実行者は国立人工知能研究所第三セクター三村研究室室長、三村なぎさ。拙者を作った女だ」
「まーたぞろぞろと固有名詞が出てきた。えーと、まずエイドス・システムってのが分からんな」

 一息に吐き出される情報の処理が追いつかず、飛崎はこめかみをグリグリ人差し指で付きながら唸る。

「今、ネットの基幹になってるアナムネーシスの元となったサーバーのことだよ」

 昭和世代に有りがちな機械音痴っぷりを発揮する飛崎を見かねて、シンシアが口を挟んだ。

 電脳界の黎明期に発明された、並列思考加速者のフルダイブに耐えられる超高速度高密度通信を可能とするサーバーマシンがエイドスマシン、及びエイドス・システムと呼ぶのだ。

「で、そのエイドス・システムを改良して、現行のアナムネーシスを量産したの。それを世界各地のプロバイダに置いて、今の社会の根底を支えるものになっているのは常識なんだけど………」

 アナムネーシスというマシンはサーバーとして、あるいはネットワークとして電脳界の基幹技術になっただけではない。毎秒流れる情報を処理、統合した結果、搭載されていた自己他者推論シミュレーターがより高度なアルゴリズムを組むようになり、それを流用する形で社会インフラの根幹を担うようになった。

 身近な例であげると、圏を構成する障壁の運用だ。

 対消却者として霊素粒子機関を用いた障壁を張ることで人類はその安寧を確保しているわけだが、如何に永久機関と名高い霊素粒子機関であれどロスによる消耗は避けられない。そもそも機械である以上、メンテや調整は必ず必要であるし、常時全力展開する必要性はなく、それをしてしまうと凄まじいほどにエネルギーの無駄になる。

 それらを適宜調整するのがアナムネーシスに搭載された自己他者推論シミュレーター産のA.Iであるシスだ。『人類の保護と繁栄』を命題に作成されたこのA.Iは日夜人類を守るために社会構造の維持を行っている。

 勿論、飛崎もその恩恵に授かっているのだが―――。

「つまり、時代はクラウドか」

 イマイチ理解していない上に知ったかぶりをしていた。

「うーん、これは理解していない?」
「マスター。ネットや社会構造という家を支える屋台骨のようなものだとご理解ください。エイドス・システムはその前身、試作機のようなものだと」

 見かねたリースティアの例えに、飛崎はぽんと手を1つ打って。

「成程。つまり、ガン○ムだな!そしてアナムネーシスはジ○か!量産機がなければ連邦は勝てないしな!物量万歳!」
「レンは一回色んなところから怒られると良いと思うよ?」

 戦いは数だよ兄貴!と叫ぶ昭和生まれにシンシアが辛辣なツッコミを入れていた。

「先に進んでもいいだろうか」
『どうぞ』

 SF化した現代社会に不慣れな約一名のために話が脱線し、アズレインがおずおず声を掛けると、申し訳無さそうに全員で先を促した。

「試験機故に高い性能はともかく、旧世代機であるエイドス・システムをわざわざ中心とする計画の全容は知らないのだが、拙者が所属していた人工知能研究所では、エイドス・システムに拙者を通して感情を学習させるのを目的としていた」
「感情。機械にか?」
「より正確に言うと、エイドス・システムを管理しているA.I、セブンにだ」
「はぁ。何だってそんな事を?」
「おそらく、それがエイドス・プランの肝となる部分なのだろう。一実験動物である拙者に情報は降りてこなかったし、一度興味があって調べても見たがすぐバレたし怒られた」

 以前、興味本位で壁貫アプリを作成してエイドス・システムに仕掛けた事があるとアズレインは言う。

 これが外部勢力ならば大問題にもなっただろうが、内部犯、しかも自我が芽生えたばかりの好奇心旺盛な年頃がやったことなので、と室長である三村が庇ったために有耶無耶になったのだ。だが、それでも後でこっぴどく怒られた上、しばらくの間、嫌いな風呂に毎日入れられ三村の抱きまくらにされた。

「推察すると、おそらくは感情そのものよりもそれに付随する感覚質を付与したいのだろう」
「所謂、閃きというものですね」

 感覚質?と首を傾げる飛崎に、リースティアが補足を入れる。

「何故それが必要なのかは分からない。だが、日本政府は何年も前からこれを進めていて、実際に拙者を作った。拙者達からデータと安全性が取れれば、次は志願制で人間を使っていたはずだ」

 人体実験と聞いてははぁ、と飛崎は感嘆の声を上げる。

「やっぱ現代SFしてんなぁ………。車がチューブの中を走ったりイルカが攻めてきた方がまだ分かりやすいわ。―――しかし、何だってA.Iに閃きってのが必要なのやら」

 感覚質の獲得に何の意味があるのか理解が及ばない昭和脳に、シンシアが口を開いた。

「今、世の中に出回っている大抵の管理A.Iにはそれが無いからA.Iなんだよ」
「んん?どういうこっちゃ」
「A.Iは事実で判断する。学習だって、膨大なデータを処理して共通点を見つけるような機械学習。人間のような感情バイアスは無いし、何処までもフラットな視点で物事を合理的に判断する」
「良いことじゃねぇの?それ。アレだろ、下手に感情回路付けたら反乱とか起こるやつだろ?」
「特定分野に限っては無機質で良いんだけどね。例えば車の運転。運転をA.Iに任せてサーキットを走るなら、多分どんなレーサーよりも速いと思う。だって名のあるトップレーサー達の癖や行動を学習して適宜組み合わせれるんだもの。最速のラップタイムを出すならそれが最適解。だけど、感情を持った素人が運転する車や、人そのものがいる路上を走らせたらどう?」
「自動運転って奴だろ?儂が生まれた時代でも将来はそうなるって言ってたぞ」

 シンシアは飛崎に対し、首を振って否定した。

「機械学習しかしていないA.Iは自らの行動を合法だと判断し、赤信号を無視した人を撥ねるよ」
「はぁ?いや、んな馬鹿な。普通、人優先だろ?」
「最初の定義付けではそうだろうね。でもA.Iが車を走らせるんだもの、大抵は仕事だよ。数十億いる、しかも法を守らなかったたかが人間一人の命と、自分の仕事が滞ることで起きる経済損失、どっちが安いか合理的に判断する。最初は学習していないから定義付けを遵守して人を守るかもしれない。だけど、それが積み重なっていって、いつか経済損失が無法者の値段を超えてしまったら?人一人守るより、跳ねて仕事をこなした方が経済的、あるいは生命的利益が出ると学習したならば?そっちの方が合理的でしょう?だって人を跳ねて損害賠償を払っても利益が出るんだから。感情が無いって、そういうことだよ」

 運送の仕事を例題に挙げよう。

 例えば、難民キャンプに物資を運ぶとして、途中で道路に人が座り込んでいていた。そのままでは人を跳ねてしまうが、迂回路を選択し目の前の人名を遵守すれば到着が遅れ、難民キャンプで大量の餓死者が出る。

 尚、運転手は搭載されたA.Iであり、肉体を持たない機械であるが故に、道で座り込んでいる人に声を掛けたり他に助けを呼んだり、物理的に側道に動かしたりは出来ないものとする。

 さて、生命的、経済的利益を出すにはどちらを選択するべきか。

「それはアレか。トロッコ問題とか冷たい方程式って、ヤツか」
「そう。レンは昔の思考実験とか古典SFを例に出したほうが理解してくれるね。だから人の仕事はそう簡単にはなくならない。感情もそうだし、例え違法でも状況に即した判断をしなければより酷い結果になると肌感覚で判断できるし、選べる選択肢が増えるから。ファジーって大事なんだよ」

 トラックやバスの運転手は、人が飛び出して来たら荷崩れ起こしてでも止まろうとする。だが、野生動物が飛び出してきても止まらないし、止まるな轢けと教えられる。

 野生動物を跳ねても精々がバンパーの修理代で済む。飼い主がいなければ訴えられることもない。仮に居ても器物破損程度で済む。だが、トラックは野生動物を跳ねても荷崩れも起こさず荷主に賠償請求されることもないが、人を撥ねれば―――程度にも寄るとは言え―――職を失い、交通刑務所に一直線だ。

 バスに至っては例え事故を回避しても急ブレーキ1つで車内事故になる可能性があり、客が怪我でもすれば人身事故として処理され、人数次第ではそれが累進して一発で免許取り消し、下車勤、居づらくなって退職のコンボを食らう。

 それでも交通弱者が優先なのだ。例え、交通弱者の方に非があっても。

 人間なら、仕方がないと物損を起こしてでも保護の行動を取るだろう。だが、機械的に合理的に判断するならば、車が行き交う車道に飛び出すほうが異常であり違法だ。歩行者を取り締まる道交法もあるはずなのに、何故か歩行者が原因で事故が起こると被害者になって適応されないし、運転者は例え事故原因が明らかになって世間から同情してもらっても捕まる。仮に不起訴処分になって前科はつかなくとも点数の加点は免れない。単に運が悪かっただけだとしてもだ。

 交通の便を正しく安全に正常に運用するための法律であるのに、それを乱す特定の存在だけ例外視にしているのはおよそ合理的ではない。

 故にそうした非合理的な要素を組み入れず、合理性や機械的判断しか出来ないA.Iならば、永遠に運転手がA.Iに取って代わられることはないだろう。事故を起こした場合、今度はその責任の在り処すら押し付けあって収拾がつかなくなる事がいとも容易く予想できる。

「ははぁん、分かったぞ。つまり、生き物の感情を学ばせることでA.Iを進化させようって計画なんだな?」
「独自に非合理的判断が出来て、感情や感覚で物事を理解できて考慮もするA.Iなんて、そんなのもうA.Iなんかじゃないよ」

 電脳少女は小さく首を振って、かく語った。

 仮に自己進化、自己増殖、自己適応を可能とする存在を生物と呼び、それが無機物で構成されているというのならば。

「そういうのは、機械知性体って言うんだよ」
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