Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『転』

第四十六章 始まる絶望

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 その日は、いつもと同じ業務内容だった。

 圏域の制御サーバーであるアナムネーシスの保守警備作業、と言えば少々小難しく聞こえるが何のことはない。電子甲冑を身に纏ってサーバー内に常駐、構造体内を巡回するだけだ。

 何しろ通常の電子防御は管理A.Iである『シス』が自動で行っている。それに加えて外部オペレーターも保守警備作業員と同じようにシフト制で364日24時間体制で監視している。それらを掻い潜って仕掛けてくるような超一流は、おそらく探せばいるのだろうがわざわざ圏域制御サーバーを狙うよりは、銀行にでも仕掛けた方が実入りは良いだろう。

 とは言え、全くの無用という訳では無い。

 そもそも保守警備隊の発足は、たった一人の超一流の侵入が発端になったという噂がある。何でも、特に何か不利益を振りまくのではなく、ただ侵入してシステムの脆弱性を報告してきたというのだ。その上で、情報統制官を何人か常駐させて警備した方が良いとも助言してきた。あくまで噂レベルなのだが、もしも本当ならば情報統制官の仕事を増やしてくれてありがとうと彼等は素直に感謝していた。

 情報統制官の仕事と言うのは、現代社会では良く見られない。

 何をやっているか分からない、というのが一般人からの視点だからだ。実際に鉄棺に入って電脳界で仕事していても、ぱっと見ると寝ているようにしか見えないのである。操作や制御を行うだけならば、従来の外部からのオペレートで十分であるし、わざわざ電脳界に潜る必要性を感じなかったのだ。それよりも直接的な被害がある消却者と実際に戦える異能を持つ適合者の方が大事であるし、口さがない人間は並列思考加速の異能を持つ適合者を半端者呼ばわりする。

 情報統制官の戦場での役割は戦域での情報伝達及び管制とドローンによる戦場支援になる。対電脳戦はあまり起こらず、だからこそ三年前までは『シス』の防壁と外部オペレータだけで十分だったのだ。だが、ここに至ってこうした部署が作られ、情報統制官に新しい役割を求められた。保守警備部隊の面々はそれを誇りに思っていたし、大事な職場だと認識していた。

 だが、設立から三年。その間に、確かに外部からの不正アクセスはあったがその全てが『シス』によって弾かれていたために油断も生まれていた。

「何だ………?」

 僅かにノイズが走った。視界もそうだが、電脳界全体に。もっと緊張感を持っていればそれが不正アクセスの前兆であることに直ぐに気づいたかもしれない。だが、彼等は一瞬だけ訝しがっただけで、そこに思い至れなかった。

 それが決定的な破滅への分岐点だとも気づけなかった。

 直後、隊員の一人の胸から直剣が二本、生えた。

「ぐげ………?」

 電子甲冑を貫いて、ソレは現れた。

「こ・ん・に・ち・はぁああぁああっ!!」
「なっ!?」

 ぐしゃりと串刺しにされた隊員は二枚おろしにされ、まるでそこから現れるようにして一体の電子甲冑が姿を見せた。

 ブルーメタリックを基調とした、単眼の異形。そう、異形だ。電子甲冑は基本的に人が体の延長線上として扱いやすくするために人形が基本だ。だが、その電子甲冑は四本腕に八本脚の多脚多腕。大きさもそれに似合ったサイズであり、三回りぐらいは大きい。

 手には直剣二本、と突撃銃が二門。更に肩にはジャミングシールド。クロスレンジからミドルレンジを想定した殴り合い仕様。

「やぁやぁご苦労さん公僕の皆様方。―――俺、ちゃん、です!」

 その異形は、情報統制官を今しがた一人殺したとは思えない陽気な声で見得を切り、警備隊は困惑した。

「あれ知らなーい?―――俺ちゃんの電子甲冑見て分かんねーとかモグリかテメーら」

 巫山戯た言動とは裏腹に、振りまく殺気はどこまでも真摯だった。電子の中で、感覚のフィードバックがあるとは言え、リアルに勝るほど鋭敏ではない。だというのに、身を切るようなこの気配だけでも相手が手練だと理解できた。

 そして誰かが思い至る。

 多脚多腕、空を映すかのようなカラーリングで単眼の超一流。もしもリアルなら、『歩く天災』に数えられていてもおかしくない名有り。

「………まさか、『ブラフマン』!?」
「正解!何だよ分かるやつもちゃんといるじゃんかよー。全く、最近色々忙しくて暴れられなかったから俺ちゃんの知名度が下がったかと心配したぜ」

 事ここに至って、警備隊長は即座に通信とログアウトプロトコルを走らせた。だが、即座にエラーが返ってくる。

「おっと、無駄だぜー。お喋りしている間にアクセス権限はこっちが掌握した。シスちゃんはもう俺ちゃんにおファックされてんの。超・ラブラブよ?―――もうテメーらはログアウトも出来ねぇ。つまーり、ここで脳死確定っ!!」
「貴様、こんなことをしてただで済むと思ってるのか!?」
「逆に聞きてーんだけどぉ、テメーらやテメーらの飼い主風情が俺ちゃんをどうにか出来るとでも?」

 管理A.I『シス』の乗っ取り―――信じられない、否、信じたくない情報を突きつけられ、警備隊長が噛みつくが、ブラフマンは飄々と笑うだけだ。

 このアナーキーが積み上げてきた実績を考えると、その言葉が正しく思える。警備隊長が即座に攻撃命令を下さないのも、戦闘開始すれば即座に全滅しかねないからだ。ならば少しでも時間を稼ぎ、情報を収集し、ただ一人でもいいから誰かを強制離脱させる。

「むしろ殺せるってんなら殺してほしいもんだねぇ。死ってのは人生で最後の学習だ。無駄に頑丈になっちまったせいで、それがずっとお預けになっちまってんだよー俺ちゃん」
「なら死ね………!」
「やめろ藤宮!」

 しかし静止も虚しく、一人の警備隊員が背部のミサイルポッドを射出させ、戦闘が始まってしまった。射出されたミサイルは不規則な軌道を描きながらブラフマンへと殺到するが。

「おほ。生きの良いネェちゃんだ。決めた決ーめた。お前は最後に殺してやるよ。脳姦されながら死んでいく感想を聞かせてくれよぉっ!!勃ってきたぜぇ、なぁオイ!!」
「ぐっ!この変態が………!」

 肩部のジャミングシールドによる妨害能力で、やはり当然のように生き残っていたブラフマンは鈍重な見た目からは想像できないほどの速度で左右に軸をズラしながら警備隊へと襲いかかった。



 ●



 低い駆動音を目覚まし代わりに、エリカは目を覚ました。

(ここ、は………)

 十字架に磔にでもされるかのように両手を広げて、彼女は拘束されていた。服はそのままだが、身体には幾つかのコード類が張り付いていた。視線を周囲に巡らせれば、それほど大きくない部屋だった。乳白色のそこには緑色の法衣を着た人間が忙しなく動いていた。

(私は………そう、JUDASに………)

 あの後。JUDASに襲撃を受け、高架下に落ちていった新見達に追撃をチラつかせたブライアンに折れる形で、エリカは捕縛された。と言っても、物理的に拘束されたわけではなく、大人しく彼等が用意した車に乗り込んだ。そこまでは覚えている。だが、その後の記憶がない。異能か、あるいは薬物でも用いられたか。その事実にぞっとして、自身の体に視線を向けるが衣服に乱れはない。少なくとも、拘束される以外のことはされていないようではある。

「お目覚めかね」

 エリカが現状把握に務める中、白い法衣を身に纏った老人がエリカの前に進み出てきた。鷲鼻の、神経質そうな老人だ。

「貴方は」
「はじめまして、ウィルフィードの姫。私はロマノフ・メティオン。JUDASの枢機卿をしている。赤鳥姫を継ぐ者よ」
「曾、お祖母様………?」

 急に出てきた曾祖母の渾名に、エリカは疑問符を浮かべた。だが、疑問よりも先に質問だ。おそらくは、このメティオンこそがエリカの身柄をずっと狙い続けていたのだろう。故にこそ、相手の真意と狙い、あわよくば状況を打開するための情報を手に入れるべくエリカは口を開いた。

「何故私を狙うのですか?曾お祖母様と何か関係が?」
「さて、何から話したものか………」

 メティオンは腕を組み、手を口元へと当てた後、やおら頷いた。

「そうだね。まずは分かりやすように、君の曾祖母、赤鳥姫エカテリーナ・フォン・ライゼリートの話をしよう。彼女が適合者としては非常に優秀だったことは知っているね?」
「ええ」
「クラスはEx。理外にも到達し、彼女の複製能力は少々―――いや、完全に常軌を逸していた」

 エリカの曾祖母であるエカテリーナ・フォン・ライゼリートは、『消却事変』以降の黎明期に頭角を現し始めた適合者だ。元は少し裕福な一般家庭―――とは言ってもライゼリート公爵家の分家だが―――の出自だったのだが、クラスEx適合者として有名になり始めるとその力に目をつけた本家が取り込みを図り、結果としてライゼリート公爵家の家督を引き継ぐことになった。

 その半生は激動であり、語るとなると歴史小説が一本書ける程ではあるが、それ以上に彼女を象徴とするのはその異能であった。

 『無機物複製』。

 エリカと同じ異能ではあるのだが、その質は明らかにエリカのそれを凌駕していた。

 欧州大乱時、諸事情の末、東側に加勢したエカテリーナはその劣勢に―――正確に言うと装備の貧弱さに絶句したという。そもそも東西の治安格差、経済格差から始まった大乱だ。あらゆる装備が旧式なのはまだ仕方ないにしても、共食い整備が基本で、それだけならまだしも殆どが何かの不具合を抱えていた。暴発事故など日常茶飯事で、『今日は殺した数と殺された数と自爆した数がゾロ目だ』とか狂気のジョークがあったほどである。

 これを覆すため、エカテリーナはその能力をフルで使うことになった。

「君もクラスExで、同じ異能持ちだ。だからこそ分かるだろう。彼女の異常さを」
「それは」

 エリカの『無機物複製』は、手にした無機物の構成や素材、設計に対する理解度で大きくその結果が異なる。故にこそ、彼女にとって単純構成物である剣が最も扱いやすいのだ。だが、それも完全な無制限ではないし、本質までは変えられない。

 剣であるものを銃に変えたりは出来ないし、逆も然り。あくまでその属性を変容させたりは出来ないのだ。複雑なものになるとその傾向はより顕著になり、更には時間制限までついてくる。

 では、エカテリーナはどうであったか。

 その制限が全て無かったのだ。

 例えば使い古された小銃を新品同様に再構成し、使い物にならなくなった装備を鋳潰したかと思えば西側から持ってきた設計図を元に最新鋭の飛空戦艦に作り変え、更には敵のミサイルの破片からそっくり同じものを作り出したりした。

 長い赤毛を靡かせて、挑むような赤い瞳で未来を見据え、そしてあらゆる装備をまるで不死鳥のように甦らせることから彼女は『赤鳥姫』と呼ばれ崇められるまでに至った。因みに、敵側であった西側からは『人間工廠』と揶揄されることもあったそうだ。

 だからこそ、人数こそ西側より多かったもののあらゆる面で劣っていた東側が形勢拮抗まで持っていけたのだ。当初二ヶ月で終わると見られていた欧州大乱が一年半も続いたのは、偏に彼女の影響があったと断言できるほどであった。

「同じ異能、同じクラスExであってもああまで異常な性能は持っていない。では何故、彼女だけがそうあれたのか」

 メティオンの言葉は、エリカも長年疑問に思っていた事だ。

 同じ異能。同じクラス。であるのに、何故こうも性能差があるのか。元々、エリカが将来的にはそうした霊素に関する研究を行いたいと思っていたのもこの疑問に起因する。変換や顕現の過程で、何かの干渉があってそれが性能差に繋がるのだろうかと思っていたのだが、まさにその回答があった。

「因子だよ」

 メティオンは両手を広げ、そう告げた。

「燐界にいる8の王。彼等の権能。その欠片―――それが因子。赤鳥姫が受け継いだのは、朱の因子だ」
「8の王………?」
「そう。消却者達の王。異世界の権能を司る、一種の超越者達。その因子はこの世界にいつからかバラ撒かれ、時に人類の希望となり、時に天災と称される。君に身近な存在で言うならば、それこそエカテリーナ様もそうであったし、武神もそうだ」

 『歩く天災』と呼ばれる者達は半数以上がそうだ、とメティオンは言う。

「彼等はそれぞれ『色』に対応した権能を持ち、その在り方すらもそこに左右されるという。そして彼女が受け継いだ朱の因子は、朱の王の権能の一部。彼の王が司るのは再臨。例え灰になったとしても蘇るという、言わば輪廻転生の概念そのもの。それがかつてあったものならば、必ず蘇るという。場合によっては、更なる力を得てだ。そう、『不死王』のようにね」
「『不死王』は、死んだはず………」
「そう。死なずの王が死んだ。奴もまた朱の因子を持っていたのだがね。殺し得るのは、同じく因子を持つ適合者だけ。あの飛崎連時とか言う男も、何らかの因子を持っているのだろう」

 思い至る節は確かにあった。

 飛崎の異能は電磁気制御。それは公表されているデータで覚えたし、実際に彼がその異能を扱っている場面も訓練の過程で見た。だが、どうにもキナ臭い―――いや、嘘臭かった。僅かな違和感ではあるが、その異能を使っている時の飛崎は、まるで飛崎ではないような、そんな感覚。

「君は、自分の瞳の色を気にしたことは?」

 思わず思考の海に沈みかけるエリカを引き戻したのは、メティオンの質問だった。

「赤い目は科学的にはメラニン色素の欠乏によって出来るものだ。所謂アルビノだとか、そういった類のね。所で君は、そう言った診断を下されたことは?」
「無いわ」
「そうだろう?単なる遺伝だとか、あるいはその異能も合わせて赤鳥姫の再来だとか、そのようにしか見られなかったはずだ。ある意味では正解だ。あの方の娘と孫は出現しなかったが、君には現れた。その瞳の色こそ証拠。君は間違いなく我等が母の因子を継いでいる」
「母………?」
「血の繋がりはない。だが、あの方を母と慕う者は多かったのだよ。―――戦後賠償として差し出されなければな」

 欧州大乱の後、エカテリーナは戦後賠償の一環でその爵位ごとある貴族に差し出されている。その承諾と引き換えに、東側の治安維持を約束させた。消却者に怯える日々を送っていた東側が、以降は西側から供与された圏域により、少なくとも対消却者戦に於いては一定の安全を確保できたことから彼女の自己犠牲を称える声は今でも大きい。

「ああ、美しい。まるであの方の再来ではないか………」

 陶然と見つめてくるメティオンに、エリカが薄ら寒いものを覚えていると、信者の一人が声を掛けた。

「枢機卿。準備が整いました」
「ああ、そうか。名残惜しいが………いや、事を成せば幾らでも時間は取れる」
「何を………」
「今から君には朱の因子、その真の力を引き出してもらう。壊れたヘリオスの修繕と量産。それが最初に君に求める役割だ。時間もないのでね」
「私が進んで協力するとでも?」
「勿論思っていない。だからこそ、それに繋いでいる」

 メティオンが指さしたのはエリカを繋いでいる拘束具だった。

「クレイドル。本来の使い方とは違うのだがね。少し違う使い方をすれば、接続者の異能を強制的に引き出せる。そしてその全てを終えたのなら、君の意識を消し―――私達が覚えている母の記憶を刷り込む」

 そして、ぞっとするような狂気の瞳で老人はエリカを見つめた。

「そうすればきっと、君は我らが母になってくれるだろう」



 ●



 ここ数週間、統境圏軍は随分と慌ただしい毎日を送っていた。

 本来、圏軍の役割は圏域外の消却者の漸減戦を主としている。圏を囲う障壁がある為に治安は約されてはいるが、それはそれとして各都市圏との通商や輸送を考えるとある程度の個体調整は必須なのだ。無論、人類が対消却者戦で徐々に盛り返し始めた頃、消却者の全滅を視野に入れた戦略構想もあった。だが、圏域外に不定期且つ不定量、更には出現原因も分からない以上これを止めることは出来ず、結果として倒せる消却者を適宜安全を確保した上で処分していく方針へと舵を切る。

 それ故、消却者の出現規模や傾向の把握、及び対処に関して言えば圏軍は正しくプロフェッショナルであり、だからこそここ最近の消却者達の動きに疑問を覚えていた。

「全く収まる気配を見せませんな………」
「そうだな。既に三週間………現場の疲労もそろそろ、と言った所か」

 統境圏の外周部にある秦野基地にて、基地司令である高田は副司令の佐々木の独り言とも取れる言葉に頷いた。

 眼鏡のブリッジを押し上げ、司令室の前面に貼られたモニターに視線を巡らす。そこには秦野市周辺地図が映し出されており、幾つかの情報がリアルタイムで更新されていた。特に、旧県道70号を基準に展開された圏域障壁より以西に数多の赤いマーカーが絶えず蠢いている。

 ―――消却者である。

 その総数、およそ7千。
 大規模発生の基準が1万からである事を考えると、そこまでではない。だが、増加傾向は5月に入ってからずっと右肩上がりだ。その都度、圏軍が出動しては漸減している為にここまでに収まっているだけで、実際に処理した総数は既に4万に登っている。

 従来の傾向からは随分と外れた動きをしてる、と高田達将官は勿論、現場の末端ですら感じていた。いや、あるいは直接相対する現場の方が強く感じているかもしれない。

 通常、消却者の数は秦野市圏域付近で数百程度。これは、衛星から送られてくる映像を元にカウントしているため、廃墟などに遮られると取りこぼしてしまうからだ。だからこそ、見つけ次第漸減作戦を行い、周辺の治安維持を圏軍が行っている。この時、一時的に全滅させてしまうことは稀にある。漸減速度が出現速度を上回ってしまうためだ。尤も、また何処からか出現していつの間に増えているのだが。

 だが、今回は妙にその増加速度が早い。少なくとも、圏軍の処理速度を上回っている。

 では、これが大規模発生なのかと言えば、彼等は首を傾げるだろう。消却者の大規模発生の原因は不明ではあるが、その発生速度と規模はデータが揃っているのでそうだと断言できるほどだ。その速度は言うならば濁流のようなもので、都市圏が一致になって対処せねばならぬ程である。

 今回はどうなのかと言えば、確かに秦野基地だけではなく、他の方面でも消却者の対処に追われているのだが、あくまでいつもよりは多いで収まっている。こうもダラダラと増加はしない。

「妙な感じだ。嵐の前の静けさのような………」

 単純に数が多いのもある。だが、それ以上に妙に動きが鈍い。

 通常、消却者達は常に飢えている。彼等の身体を形成する霊素粒子は彼等の世界に起因する物質で、こちらの世界には存在しないからだ。故にこそ、それをどうにか補填するために、彼等は人間を含めたあらゆる生き物を喰うというのが定説だ。人間で例えるのならば、水がないので現地生物の血を啜って糊口を凌いでいるようなものである。

 だからこそ消却者との対話は不可能であり、無意味だ。彼等は生きるために文字通り必死であり、それ故にどこまでも凶暴で残虐足り得る。そもそもが生存競争のぶつかり合いなのだから、言論の余地はないのだ。

 だというのに、その動きが鈍い。棒立ちでただ処分される―――とまでは言わないが、今までの対消却者戦と比べると、全体的に明らかに精彩を欠いており、こちらの被害も軽微。

 今一判然としない状況ではあるが、最悪の予見もそろそろ考えねばならなかった。

「これは、あるやも知れん」
「皇竜、ですか」

 皇竜。

 現在確認されている消却者の中で、最も脅威度の高い存在。そのカテゴリは最高位のExに分類され、他の消却者とも一線を画している。幼竜期、成長期、成熟期、完全体へと変遷する性質を持ち、成長期の皇竜でさえ数個師団が必要となり、成熟期となるとほぼ一国の総戦力を吐き出すことになる。完全体に至っては討伐すら困難で、実際に特記戦力13号と呼ばれる完全体皇竜は国連軍全軍と互角に渡り合い、セルビアの地で封印という形で保留されている。

 そうした非常識な脅威レベルの皇竜の出現条件は、あまり良く分かっていない。だが、共通点は幾つかあり、その中で特に有力視されているのは大規模発生クラスの数の消却者がその地に満ちていることだ。

 つまり、現状が当てはまってしまう。

「あまり良くない状況ですね。主力と国軍が留守の時に………」
「仕方あるまい。他圏を見捨てる訳にはいかないからな」

 ここ最近の忙しさは、他の都市圏にて消却者の大規模発生が立て続けに起こっており、それの応援で圏軍の主力は当然、国軍ですら出払っているのも理由に挙げられる。残されているのは二軍戦力とまでは言わないが、それでも経験の浅いものも多く、そもそも単純に人手不足で手が回らない状況になりつつあった。

 そんな中、オペレーターから報告が上がってきた。

「旧山北町に高霊素反応!パターン照合―――カテゴリEx!皇竜です!!」
「来たか………!第5から第13までの特務部隊を回せ!それから一般部隊を………!」
「ま、待ってください!これは………!」

 高田が対皇竜編成を頭の中で組み立て、指示を出そうとしていると、別のオペレーターから戸惑いを帯びた静止が掛かる。

「何だ!?報告は明瞭にしろ!」
「増えてます………!統境圏全土に、皇竜が………12体!!」

 モニターに広がったのは、統境圏の全域マップだった。

 マーカーが置かれているのは、今しがた出現した旧山北町、旧丹波山村、旧神流町、旧伊勢崎市、旧館林、旧下妻市、旧石岡市、旧大洗町。所によっては複数の反応があり、統境圏を囲うように皇竜が出現していた。

「冗談ではないぞ………!皇竜が12体だと!?」
「これは我々圏軍だけの手に負えません。至急残留している国軍と周辺圏からの応援を―――」
「周辺圏域から緊急入電!各都市圏にも皇竜が出現した模様!」

 絶句する高田に、副司令は努めて冷静に進言しようとしたが、そこでオペレーターからのさらなる報告が舞い込んで来る。切り替わったモニターには日本地図と主要都市圏の圏域ライン。そして、その全ての都市付近に皇竜のマーカーが最低でも一体は置かれていた。

 日本各地に、皇竜が同時出現している。

「何だ………何が起こっている!?」

 高田の疑問に、答えられる者は誰も居なかった。
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