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「明太君おはよー」
教室のドアを開けると、神宮寺がにこやかに挨拶をしてきた。周りのクラスメイトは、ドアの音を聞きこちらを向いたのだろうか、入ってきたのが俺だとわかるとすぐに目を逸らした。そして神宮寺が俺に向かって挨拶する姿を見て眉をひそめている。
「……はよ……」
ボソッとその場でつぶやいて一直線に自分の席へ向かうと、挨拶を無視されたと思ったのか、神宮寺が通りすがった俺のカバンの持ち手をグイと引っ張り
「『おはよう』は!?」
と詰め寄った。
「言ったよ」
神宮寺の迫力から目を逸らし、母親に叱られたときの子どものようにぶっきらぼうに返す。
「聞こえなかった!!」
怒号といっていいほどの強い口調で返され
「おはよう!!!」
と、ムキになって怒鳴り返した。神宮寺は満足したのか
「うん。おはよ」
と笑顔で頷いていた。「呆れた」と席に着こうとすると、普段は陽太が絡むとき以外は全くない視線を感じた。
「……え?」
オドオドと首を左右に振り回しながら教室の全体を見ると、明らかに俺と神宮寺に注目が集まっているのがわかった。それも、陽太が俺をからかったり、いじめたりするときの「それ」とは違う視線だ。
「あ……そうか」
珍しいんだ。俺が誰かと話しているのを見るのが。
なんだか人気者になったみたいで気分は悪くないのだが、そこまで噂話をされると恥ずかしい。こんな注目度、小学5年生のころのジュニアの春大会で得点王になった時以来だ。そのあとすぐサッカーは辞めたけど。
「あいつが喋ってんの初めて見た」
「飯田君ってあんな感じなの?」
「小学校のころは伊勢島君と仲良かったよね」
ヒソヒソとクラスメイトが俺のことを話しているのが聞こえてくるが、悪口は言われていないようだった。そうは言っても落ち着かないので、ソワソワと目や首を細かく動かしながら席に着いた。俺の机だけ相変わらず教室の隅に追いやられているので、教室の様子がよく見える。これだと逆に目立ってしまっているのか。俺は机を持ち、そーっと本来あるべきであろう位置に机を動かした。隣の席(今初めて隣に並んだ)の男子生徒は特にこちらを気にする素振りも見せない。ただ、床板の溝に机の前足が引っかかって「ギッ」と音が鳴った時に一瞥するだけだった。机を前に押し切るころには噂話は途絶えていて、今日の放課後の話や今やっているオーディション番組の話、アニメの話に切り替わっていた。HRの時間になり、担任が教室へ入ってきて出欠確認をしようと出席簿を開く。教室全体に目線を向け、俺と目が合うなり「あれっ」と声を上げたが、触れないほうがいいと思ったのだろう。「あ、あー。染谷は今日も休みか」と、使い捨てボールペンで頭を搔きながら言った。陽太の席をチラッと見ると、同じく陽太の席を見つめていた高尾と目が合い、すぐに逸らされた。
まるで、空気みたいだ。俺は大して誰からも注目されていなくて、多分、誰からも注目されないのが正解なんだ。一時見えるようになっても、またすぐに見えなくなってしまう。俺はポルターガイストとかと同じ類なんだと思う。「怪異!ウンコマン」ってことか。
「ふ」
少しおかしくなって吹き出しそうになったが、鼻から一息、空気を吐き出すだけに留めた。隣の席の男子生徒が、鼻息で1ミリほど舞った俺のプリントを見つめ、再び前を向いた。今更遅いが、誤魔化すかのように左手で窓を1cmだけ開け、右手で顔を仰ぐ。それにしても、暑いな。今日。
夏の始まりを告げるかのように蝉が鳴き喚き、担任の声をかき消した。
「明太君さー、部活入んないの?」
「もう高2の夏だよ。入れる部活とかないだろ」
「それ言ったら俺もだろー! なー、一緒に部活入ろうぜ」
4限目終了のチャイムが鳴ったと同時に弁当箱を持って俺の席にやって来た神宮寺と仕方なく昼飯を食べながら話す。神宮寺は転校してきてから今までどの部活にも入っていないらしく、俺と何か部活に入らないかと誘ってきた。運動部のやつらと仲が良いから、とっくに何かしらの部活には入っているんじゃないかと思っていたので意外だった。
「神宮寺は部活入ってなくても友達いるじゃん。そう無理に入んなくて良くね?」
俺がそう言うと、神宮寺は食べ物を限界まで詰め込んだ口をへの字にひん曲げながら反論する。
「友達がいても青春ができなきゃ意味ないだろ!」
喧嘩を売っているのか。友達がいたらそれで十分だろ。いない奴だっているんだぞ。ここに。
ジトっと神宮寺を見つめると、俺が不機嫌になったことを気にも留めておらず、「俺、前の学校では野球部だったんだよねー」と話を続けていた。
「前の学校で野球部入ってたんならなんでここでも野球部入らなかったんだよ」
「え? あー、だってここさ、野球部強ぇじゃん」
「? じゃあ入った方がよくね?」
箸を動かす手を止めて疑問を投げかける。
「え? 本気でやるの面倒じゃんか!」
野球部が聞いたら殴られそうなことを平然と言い、何も無くなった口に再び食べ物を詰め込む。
「神宮寺って意外と誠実じゃないんだね」
「は? 俺ほど誠実な男いないよ」
そんなわけ……いや、そうなのかもしれない。周りが本気でやってる中で中途半端にやるよりは、中途半端でも楽しくできるところを探した方がずっといい。最後に残った唐揚げを口に放り、神宮寺に提案する。
「じゃあさ、放課後に部活見てみる?」
放課後、担任に部活の見学を申し出て、部室一覧を受け取った。一覧表を受け取る時、担任から
「実はさ、この学校って部活は強制なんだよ。飯田は色々あるみたいだから入ってなくても何も言わなかったけど、良い機会だし、何か部活に入ってみたらいいんじゃないかな」
と告げられた。そんな決まり知らなかったという気持ちと同時に、俺はそんなに腫れ物扱いされていたのかという衝撃を受けた。
まあ、そんなことはさて置き、俺たちは興味のあるものから順に回ることにした。
「部活楽しむなら文化部とかでもいいんじゃない?」
俺が「写真部」や「漫画研究部」を指差しながら言うと、神宮寺は
「興味ないとこ入っても青春できないしな~」
と首を捻っていた。
「入ったら興味出るかもしれないだろ。ほら、お前漫画とか読まないの?」
「ダイヤの◯ースとか、メ◯ャーとかなら…」
「いんじゃね? 俺もワン◯ースしか知らない」
「じゃあ漫画研究部行ってみる?」
神宮寺は文化部にあまり乗り気ではない雰囲気を醸し出すが、俺は俺で活動日数が多そうな運動部は避けたいので文化部に誘導する。うまく誘導されてくれた神宮寺と、漫画研究部のある学習室5へ向かった。
「おつか……は? なんで神宮寺?」
教室のドアを開くと、そこには高尾がいた。前からオタクなのかなとは思っていたが、ここにいるということはオタクなのだろう。なんか描いてるし。
高尾は、お世辞にも上手いとは言えない女の子(?)の絵が描かれたコピー用紙をグシャッと丸めて隠した。何かまずいことでもあったのか、目を泳がせ「いやっ…お…おお…俺は…」としどろもどろに言葉を発そうとしている。
「え、高尾って絵描けるの!?」
神宮寺が俺の後ろから驚きの声を上げた。
「……え?」
高尾が神宮寺の言葉に目を丸めていると、俺の横から教室内へとズカズカ入り込み
「てかさー、グシャグシャにすんなよー! せっかく描いたやつなのに!」
と高尾の手から丸められたコピー用紙を取り上げて広げた。
「え、うまくね? 俺まじ棒人間しか描けないから羨ましいわ」
ニコッと爽やかな笑顔で褒める。
「…ぅお…そ…そうなん…?」
高尾は直射日光を当てられているかのように目を窄め、顔を腕で隠そうとしていた。
「そうなんだよー! なー、明太君見て! うまくね!? 明太君とか棒人間すら描けなそうだもんな!」
「は? 俺を見誤るなよ」
高尾を褒めたからなのか、何故か俺が貶された。俺が棒人間すら描けないだって?舐めるなよ。第35回葛飾こどもおえかきコンテスト金賞受賞者だぞ。
「……さすがのイイダ君でも、棒人間くらい描けるでしょ~」
さっきまで下を向いてオドオドとしていた高尾が、水を得た魚のように教室にいる時のような顔で俺を煽ってきた。
「棒人間どころか肉付きの人間だって描けるわ!」
そう言って挑発に乗り、高尾が描いていたであろう女の子のキャラクターをコピー用紙に描いてみせた。
「うわっ! イイダ君って絵上手いんだ」
「意外な才能」
「俺まじで神童って呼ばれてたから」
「珍童じゃなくて?」
「お前友達多いからって図に乗るなよ」
神宮寺がさっきから失礼な発言を繰り返しているが、大人な俺は寛大な心で許してやる。俺が描いた絵を高尾が興奮気味に褒め称えた。
「イイダ君さー、漫研入らねえ? まじこの才能野放しにしとくの勿体ねえって!」
と、入部を勧められる。しかし俺は神宮寺にどこか適当な部活を当てがって逃げるつもりだったので、丁重に断った。
「あー、俺は漫画とかあんま詳しくないし」
「いや! 入った方が良いって!」
「いやいやそんな」
俺は引き気味に首を横に振る。高尾は遠慮する俺を不安そうな顔で見つめると
「お、俺さ、クラスの奴らには言ってないんだよ。漫研入ってること」
と、オドオドと告げてきた。口止めってことか?
「お、おう。言わないよ」
そう言うと、高尾は焦ったように手を伸ばして
「イイダ君が漫研入ってもさ、誰にもバレないだろ。ほら、教室でさ、ずっと一人だとつらいよな。 お、俺は、イイダ君と仲良くなれると思うんだよ」
ガシッと俺の手首を掴んできた。
「? 仲良くは……まあ……なれるんじゃないかな……?」
「! そ、そうだよな! だって、イイダ君は、こっち側だろ……?」
こっち側……?
高尾はまるで俺に助けを求めるような顔で俺の手首を掴む手を強く握る。
「? いや、俺ワン◯ースしか知らないけど」
「え……」
「こっち側がなんなのかわからないけど、高尾君がそのこっち側って言うんなら、俺よりも染谷君の方が近いんじゃない?」
だって陽太、結構オタクだし。
「あ……や……ごめん……変なこと言った…」
高尾は強く握っていた手を緩め、ゆっくりと元の位置へ戻す。そのまま俯くと、少しずつ後退りしていた。
「……で、神宮寺は入るの? 漫画研究部」
少しの沈黙が流れて、気まずさを感じてしまったので、話を変えようと神宮寺の方へ振り向く。…しかし、振り向いた先は開け放たれたドアがあるだけで、神宮寺の姿は見えなかった。
「は?」
「……神宮寺なら、ずいぶん前にどっか走っていったけど」
「早く言えよ!」
白と黒の五角形で構成された球体が綺麗な弧を描いて宙を舞う。
「お前ヘッタクソだなー!」
叫ぶ人物はボールの落下点まで走り込むと、落ちてきたボールを胸に当て勢いを吸収し、ふわりと足元へ落としてそのまま蹴り込んだ。
「ナイスパス!」
ボールをパスされた人物は両手を広げたまま腰を落として、ボールが目の前に来るのを待ち構え正面から受け止める。
「ウッッ!!!!! ……やるな……!」
「だからトラップしろっつってんだよ! さっき教えたろ! なんだその姿勢! 力士か!」
昼に十分すぎるほどに温められた地面が、17時になると言うのに傾き始めもしない日の熱を、さらに吸収しようと飽和した熱を放つ。その熱に当てられたのか、二人の男子生徒が校庭の芝生の上を、顔を真っ赤にして走り回っていた。
「ハァ…ッ…ハァッ……! もうお前……二度と……サッカーしたいとか……言うんじゃねえぞ……」
ついに限界が来たのか、明後日の方向に蹴飛ばされたボールを受け止めて、一人の男子生徒が倒れ込んだ。
「えっ!! おい! 伊勢島君!?」
サッカーが下手くそな方の男子生徒、もとい、神宮寺が倒れ込んだ伊勢島に駆け寄る。一部始終を遠目から見ていた俺は、とりあえず近くにあった伊勢島のボトルとタオルを持って駆け寄った。
「おい神宮寺。お前勝手に消えたと思ったら何やってんだよ」
「えっ? あ! 明太君! サッカーやってたんだよ」
「それは知ってるよ」
「あっちの廊下の窓からさ、サッカーやってるのが見えたから気になって」
「気になっても俺を置いてくなよ」
「はあ」と溜息を吐いてタオルを仰向けに倒れている伊勢島の顔に投げつける。
「……サンキュー」
「……ユアウェルカム」
「明太君、俺にタオルと水は?」
ぎこちない空気を壊すように神宮寺が俺に命令する。
「神宮寺は持ってきてないだろ」
「買ってきてよ」
「金出せ」
伊勢島は少しずつ起き上がり、ボトルを手に取ると口まで持っていき、喉の渇きを潤した。そしてシャツで汗を拭う神宮寺に目を向けた。
「俺のあげよっか?」
「まじ? 伊勢島君て神だな!」
神宮寺は伊勢島が差し出したボトルを受け取り、大口を開けて垂直に傾けたボトルから水を口内に注ぐ。
「まあね」
「疫病神な」
伊勢島の得意気な態度が気に食わなかったため、嫌味を吐いた。
「トイレの神よりマシだろ」
「は?」
「お前の場合はトイレに間に合わなかったけど」
「あ?」
「ふん」と口角を上げて俺を見る伊勢島の胸ぐらを思わず掴み、凄んだ。
「おい、ウンコマンが触んじゃねえよ」
「もういっぺん投げてやろうか」
売り言葉に買い言葉で喧嘩がヒートアップしていく。
「ぷはッ! 仲良いね。2人」
「「ハァ?」」
ようやく水を飲み終えた神宮寺が、何を見てそう思ったのか、俺と伊勢島が「仲が良い」などと抜かした。神宮寺の目は直射日光でやられてしまったのだろう。俺と伊勢島は神宮寺に向き直り
「神宮寺。俺がこんなバカと仲が良いわけ無いだろ。お前の目は節穴だよ」
「神宮寺。お前は本当に俺がこの糞野郎と仲が良いと思うか? 目糞でも詰まらせたか?」
と口々に罵り合った。
「はぁ!? おい! クソめい! お前俺のことバカって言ったか!? お前のがバカなくせに!」
「お前のがバカだろバカ島! 俺はサッカー辞めてからお前より賢くなったんだよ! 今じゃお前のがバカだぜ! バーカ!」
俺が勝ち誇ったように言うと、伊勢島は勢いを失って俺を睨んだ。
「……昔は俺よりバカのくせに俺のこと馬鹿とか抜かしてたよな! 嬉しいかよ! 俺が本物の馬鹿になって」
「は? なんのことだよ」
「とぼけんなよ。お前、今まで散々逃げてきたんだからいい加減償えよ」
そう言うと伊勢島は、神宮寺からボトルを奪って立ち去った。
「え? 伊勢島くーん! 俺の入部の話はー?」
神宮寺が勢いよく立ち上がり、大きな声で尋ねる。
「お前が入れる訳ねーだろ下手くそ!」
下手くそと言われたのがショックだったのか、伊勢島に怒鳴り返されてその場に立ち尽くしていた。まあ無理もない。あのノーコン具合じゃ練習相手にもならないだろう。
「くそーー! 結局どこも入れなかったー!」
「明日も探せばいいよ」
悔しそうに芝生に体を投げ出す神宮寺を励ました。
「……! そうだよな! おっしゃ! 明日も放課後空けとけよ!」
いつもの爽やかな笑顔を数倍爽やかにさせて喜ぶ神宮寺を見て、胸の奥が擽ったくて俺も少し笑ってしまった。
「遅かったね。今日」
日が傾きかけ紫に染まる空を背景に、佇む影がこちらを見ていた。
「……うん」
そそくさと家に入ろうとする俺を、向かいの家の玄関からようちゃんは呼び止める。
「何してたの?」
「…何も」
「おれに言えないこと?」
ようちゃんは泣きそうな顔でこちらを見る。日が段々と落ちてきて、泣き顔を隠すように暗い影がようちゃんの顔を覆い尽くす。
「なんで迎えに来なかったの?」
「え?」
「朝はいつも一緒に行こうねって約束してたよね」
小学校の頃の話だ。
小学校入学当時、引っ込み思案だったようちゃんは学校を怖がり、朝はしょっちゅう「行きたくない」とごねて母親を困らせていた。それを見た俺(戦隊ヒーローに憧れ、正義感が強かった)は「毎日一緒に行ってやるよ」と約束したのだった。
そう。小学校の頃の話だ。
「もう……いらないだろ」
「何が?」
「……陽太は、一人で行けるだろ」
カチッとほんのわずかな音を立てて外灯が点く。
「行けないよ」
中学に入ってから、陽太は俺のことを迎えに来るようになった。多分、俺が逃げないようにするためだ。
「行けるだろ。……お前なら」
「なんでそんなこと言うの?」
「陽太は、俺がいなくても大丈____」
「ようちゃんって呼んでよ」
昔と変わらない可愛い笑顔が外灯の小さな光に照らされる。俺は逃げるようにドアノブに手を掛け、家の中へ入った。
スマホのアラームが鳴り、いつもの朝が来たことを告げる。いつものように制服に着替えて、いつものように顔を洗って。いつも通りだ。
ピンポーン。
…いつものように、チャイムが鳴る。母親がドアを開けた。
「ようちゃん! 久しぶりじゃない? 最近迎えに来てくれなかったから、明太が愛想尽かされちゃったのかと思った!」
なんて笑って言う。母親にとっては冗談なのだろう。
「あはは。そんなことないですよ。絶対に」
そんな風に真面目に受け答えするようちゃんの姿は、母親にどう映っているのだろう。真面目に育った幼馴染といった所だろうか。
用意しておいたスクールバッグを手に取り、玄関へ向かう。太陽に照らされて輝く金色の髪がふわふわと靡いている。
「めいくん、おはよう。一緒に学校行こう」
可愛い笑顔で手を差し出すようちゃんはご機嫌だ。
「…一人で学校にも行けないのかよ」
俺は、差し出された手を払い除けると、そのまま家を出た。
最近、陽太のことが分からなくなっている。陽太は俺をいじめていて、学校じゃ人気者で、たまに笑った顔が眩しくて。ようちゃんは泣き虫で可愛くて、俺がいないとどうしようもない。
「……本当は、俺が居なくても、一人で学校に行けるくせに」
昔からそうだったのに、今気付いた。
「おはよう!」
ガラガラと音を立てて教室のドアを開けると、俺が来たことに気付いた神宮寺が声を掛けてきた。
「……おはよ」
「明太君元気ねえな!」
「神宮寺は元気ありすぎ」
二言交わしながら自席へ向かうと、その途中で高尾と目が合い、軽く手を挙げる。高尾は周りを見ると軽く手を挙げて、すぐに友達の方へ向き直す。椅子に座り、落ち着くためにカバンの中の整理をしようと、机に乗せる。黒色の細長いペンケースに手を掛けた時、教室の入り口の方向から歓喜の声が上がった。
「染谷! 久しぶりだな!」
「やっと来たのかよー!」
「染谷いなかったからまじつまんなかった! ねえ、今日遊び行こうよ!」
クラスメイトが口々に喜びの声を上げる。俺は一瞥もせず、カバンの中の整理を続ける。陽太はクラスメイトからの声に一言も反応せず、自分の席へ向かった。ガタンッと大きな音を立てて椅子に座る。陽太に声を掛けたクラスメイトは苛立った様子で「何あれ」と文句を溢していた。
「染谷ぁ、久々じゃね? どうしたん? まさか異世界転生とかしてた!?」
先程のクラスメイトの様子を見ていたのか見ていなかったのか、高尾が臆せず陽太に話しかける。
「してねーよ」
高尾のテンションが鬱陶しかったのか、一言だけ陽太は答えると、そのまま机に伏せた。高尾は何が嬉しかったのか、満足そうな笑顔で自分の席へ戻って行った。
その日、陽太は何をするでもなく、ただ授業を受け、誰とも話さず過ごしていた。俺も何をするでもなく、ただ授業を受け、たまに神宮寺に話かけられて答えるだけだった。
帰りのHRが終わり、昨日の約束を果たそうと神宮寺の元へ向かう。
「神宮寺、今日は」
「何してんの」
神宮寺に話しかけたところで後ろ手を掴まれる。
「陽太…?」
振り向くと、陽太が真顔で俺の腕を掴んでいた。
「何してるの?」
陽太は質問を繰り返す。神宮寺はその異様な光景を見て、俺と陽太の間に入ろうと立ち上がる。
「染谷君、明太君に何か用?」
陽太の腕を掴み、神宮寺は陽太を睨みつける。睨みつけられた陽太は、俺を掴む手と反対側の手で神宮寺の胸元を押す。
「お前に関係ない」
ただ、異様だった。ようちゃんは、そんなに気が強くないんだ。前は、一言も言い返せてなかった。なんでそんなに神宮寺に突っかかるんだ。
「関係なくないよ。俺、明太君の友達だから」
「……友達だから何?」
「友達だから守るんだよ」
「おれが、危害を加えるって言いたいの?」
俺の手を掴む陽太の手にさらに力が込められる。
「いっ……!?」
痛い。いつからこんなに力が強くなったのだろうか。
「めいく…ッ」
右腕に走った激痛に顔を歪めると、反射で陽太が手を離し、泣きそうな顔をする。
「……染谷君は、明太君の何なんだよ?」
神宮寺は陽太の反応に眉を顰める。
「何でも良いでしょ」
「良くないだろ。友達だって言うんなら、俺はお前を叱る必要がある」
「……ポッと出のお前が何なんだよ!!」
神宮寺を突き飛ばし、前方に手を伸ばす。
「……ッ!!!」
陽太は俺の肩を掴むと、机へ押し倒した。神宮寺が椅子にぶつかり、ガタンッと大きな音を立てて椅子と共に倒れる。大きな声と音に、まだ教室に残っていたクラスメイトが驚きの表情を浮かべ、音の鳴った方へ注目する。後退りするクラスメイトの中から、集団にいた高尾がただ一人陽太に近づいた。
俺の視界には、陽太がいた。泣きそうな顔が、昔と変わらず可愛くて、でも奇妙で。
「おれさあ、めいくんがいないと何もできないんだよ」
そう言って力無く笑った顔は、醜いと思った。
教室のドアを開けると、神宮寺がにこやかに挨拶をしてきた。周りのクラスメイトは、ドアの音を聞きこちらを向いたのだろうか、入ってきたのが俺だとわかるとすぐに目を逸らした。そして神宮寺が俺に向かって挨拶する姿を見て眉をひそめている。
「……はよ……」
ボソッとその場でつぶやいて一直線に自分の席へ向かうと、挨拶を無視されたと思ったのか、神宮寺が通りすがった俺のカバンの持ち手をグイと引っ張り
「『おはよう』は!?」
と詰め寄った。
「言ったよ」
神宮寺の迫力から目を逸らし、母親に叱られたときの子どものようにぶっきらぼうに返す。
「聞こえなかった!!」
怒号といっていいほどの強い口調で返され
「おはよう!!!」
と、ムキになって怒鳴り返した。神宮寺は満足したのか
「うん。おはよ」
と笑顔で頷いていた。「呆れた」と席に着こうとすると、普段は陽太が絡むとき以外は全くない視線を感じた。
「……え?」
オドオドと首を左右に振り回しながら教室の全体を見ると、明らかに俺と神宮寺に注目が集まっているのがわかった。それも、陽太が俺をからかったり、いじめたりするときの「それ」とは違う視線だ。
「あ……そうか」
珍しいんだ。俺が誰かと話しているのを見るのが。
なんだか人気者になったみたいで気分は悪くないのだが、そこまで噂話をされると恥ずかしい。こんな注目度、小学5年生のころのジュニアの春大会で得点王になった時以来だ。そのあとすぐサッカーは辞めたけど。
「あいつが喋ってんの初めて見た」
「飯田君ってあんな感じなの?」
「小学校のころは伊勢島君と仲良かったよね」
ヒソヒソとクラスメイトが俺のことを話しているのが聞こえてくるが、悪口は言われていないようだった。そうは言っても落ち着かないので、ソワソワと目や首を細かく動かしながら席に着いた。俺の机だけ相変わらず教室の隅に追いやられているので、教室の様子がよく見える。これだと逆に目立ってしまっているのか。俺は机を持ち、そーっと本来あるべきであろう位置に机を動かした。隣の席(今初めて隣に並んだ)の男子生徒は特にこちらを気にする素振りも見せない。ただ、床板の溝に机の前足が引っかかって「ギッ」と音が鳴った時に一瞥するだけだった。机を前に押し切るころには噂話は途絶えていて、今日の放課後の話や今やっているオーディション番組の話、アニメの話に切り替わっていた。HRの時間になり、担任が教室へ入ってきて出欠確認をしようと出席簿を開く。教室全体に目線を向け、俺と目が合うなり「あれっ」と声を上げたが、触れないほうがいいと思ったのだろう。「あ、あー。染谷は今日も休みか」と、使い捨てボールペンで頭を搔きながら言った。陽太の席をチラッと見ると、同じく陽太の席を見つめていた高尾と目が合い、すぐに逸らされた。
まるで、空気みたいだ。俺は大して誰からも注目されていなくて、多分、誰からも注目されないのが正解なんだ。一時見えるようになっても、またすぐに見えなくなってしまう。俺はポルターガイストとかと同じ類なんだと思う。「怪異!ウンコマン」ってことか。
「ふ」
少しおかしくなって吹き出しそうになったが、鼻から一息、空気を吐き出すだけに留めた。隣の席の男子生徒が、鼻息で1ミリほど舞った俺のプリントを見つめ、再び前を向いた。今更遅いが、誤魔化すかのように左手で窓を1cmだけ開け、右手で顔を仰ぐ。それにしても、暑いな。今日。
夏の始まりを告げるかのように蝉が鳴き喚き、担任の声をかき消した。
「明太君さー、部活入んないの?」
「もう高2の夏だよ。入れる部活とかないだろ」
「それ言ったら俺もだろー! なー、一緒に部活入ろうぜ」
4限目終了のチャイムが鳴ったと同時に弁当箱を持って俺の席にやって来た神宮寺と仕方なく昼飯を食べながら話す。神宮寺は転校してきてから今までどの部活にも入っていないらしく、俺と何か部活に入らないかと誘ってきた。運動部のやつらと仲が良いから、とっくに何かしらの部活には入っているんじゃないかと思っていたので意外だった。
「神宮寺は部活入ってなくても友達いるじゃん。そう無理に入んなくて良くね?」
俺がそう言うと、神宮寺は食べ物を限界まで詰め込んだ口をへの字にひん曲げながら反論する。
「友達がいても青春ができなきゃ意味ないだろ!」
喧嘩を売っているのか。友達がいたらそれで十分だろ。いない奴だっているんだぞ。ここに。
ジトっと神宮寺を見つめると、俺が不機嫌になったことを気にも留めておらず、「俺、前の学校では野球部だったんだよねー」と話を続けていた。
「前の学校で野球部入ってたんならなんでここでも野球部入らなかったんだよ」
「え? あー、だってここさ、野球部強ぇじゃん」
「? じゃあ入った方がよくね?」
箸を動かす手を止めて疑問を投げかける。
「え? 本気でやるの面倒じゃんか!」
野球部が聞いたら殴られそうなことを平然と言い、何も無くなった口に再び食べ物を詰め込む。
「神宮寺って意外と誠実じゃないんだね」
「は? 俺ほど誠実な男いないよ」
そんなわけ……いや、そうなのかもしれない。周りが本気でやってる中で中途半端にやるよりは、中途半端でも楽しくできるところを探した方がずっといい。最後に残った唐揚げを口に放り、神宮寺に提案する。
「じゃあさ、放課後に部活見てみる?」
放課後、担任に部活の見学を申し出て、部室一覧を受け取った。一覧表を受け取る時、担任から
「実はさ、この学校って部活は強制なんだよ。飯田は色々あるみたいだから入ってなくても何も言わなかったけど、良い機会だし、何か部活に入ってみたらいいんじゃないかな」
と告げられた。そんな決まり知らなかったという気持ちと同時に、俺はそんなに腫れ物扱いされていたのかという衝撃を受けた。
まあ、そんなことはさて置き、俺たちは興味のあるものから順に回ることにした。
「部活楽しむなら文化部とかでもいいんじゃない?」
俺が「写真部」や「漫画研究部」を指差しながら言うと、神宮寺は
「興味ないとこ入っても青春できないしな~」
と首を捻っていた。
「入ったら興味出るかもしれないだろ。ほら、お前漫画とか読まないの?」
「ダイヤの◯ースとか、メ◯ャーとかなら…」
「いんじゃね? 俺もワン◯ースしか知らない」
「じゃあ漫画研究部行ってみる?」
神宮寺は文化部にあまり乗り気ではない雰囲気を醸し出すが、俺は俺で活動日数が多そうな運動部は避けたいので文化部に誘導する。うまく誘導されてくれた神宮寺と、漫画研究部のある学習室5へ向かった。
「おつか……は? なんで神宮寺?」
教室のドアを開くと、そこには高尾がいた。前からオタクなのかなとは思っていたが、ここにいるということはオタクなのだろう。なんか描いてるし。
高尾は、お世辞にも上手いとは言えない女の子(?)の絵が描かれたコピー用紙をグシャッと丸めて隠した。何かまずいことでもあったのか、目を泳がせ「いやっ…お…おお…俺は…」としどろもどろに言葉を発そうとしている。
「え、高尾って絵描けるの!?」
神宮寺が俺の後ろから驚きの声を上げた。
「……え?」
高尾が神宮寺の言葉に目を丸めていると、俺の横から教室内へとズカズカ入り込み
「てかさー、グシャグシャにすんなよー! せっかく描いたやつなのに!」
と高尾の手から丸められたコピー用紙を取り上げて広げた。
「え、うまくね? 俺まじ棒人間しか描けないから羨ましいわ」
ニコッと爽やかな笑顔で褒める。
「…ぅお…そ…そうなん…?」
高尾は直射日光を当てられているかのように目を窄め、顔を腕で隠そうとしていた。
「そうなんだよー! なー、明太君見て! うまくね!? 明太君とか棒人間すら描けなそうだもんな!」
「は? 俺を見誤るなよ」
高尾を褒めたからなのか、何故か俺が貶された。俺が棒人間すら描けないだって?舐めるなよ。第35回葛飾こどもおえかきコンテスト金賞受賞者だぞ。
「……さすがのイイダ君でも、棒人間くらい描けるでしょ~」
さっきまで下を向いてオドオドとしていた高尾が、水を得た魚のように教室にいる時のような顔で俺を煽ってきた。
「棒人間どころか肉付きの人間だって描けるわ!」
そう言って挑発に乗り、高尾が描いていたであろう女の子のキャラクターをコピー用紙に描いてみせた。
「うわっ! イイダ君って絵上手いんだ」
「意外な才能」
「俺まじで神童って呼ばれてたから」
「珍童じゃなくて?」
「お前友達多いからって図に乗るなよ」
神宮寺がさっきから失礼な発言を繰り返しているが、大人な俺は寛大な心で許してやる。俺が描いた絵を高尾が興奮気味に褒め称えた。
「イイダ君さー、漫研入らねえ? まじこの才能野放しにしとくの勿体ねえって!」
と、入部を勧められる。しかし俺は神宮寺にどこか適当な部活を当てがって逃げるつもりだったので、丁重に断った。
「あー、俺は漫画とかあんま詳しくないし」
「いや! 入った方が良いって!」
「いやいやそんな」
俺は引き気味に首を横に振る。高尾は遠慮する俺を不安そうな顔で見つめると
「お、俺さ、クラスの奴らには言ってないんだよ。漫研入ってること」
と、オドオドと告げてきた。口止めってことか?
「お、おう。言わないよ」
そう言うと、高尾は焦ったように手を伸ばして
「イイダ君が漫研入ってもさ、誰にもバレないだろ。ほら、教室でさ、ずっと一人だとつらいよな。 お、俺は、イイダ君と仲良くなれると思うんだよ」
ガシッと俺の手首を掴んできた。
「? 仲良くは……まあ……なれるんじゃないかな……?」
「! そ、そうだよな! だって、イイダ君は、こっち側だろ……?」
こっち側……?
高尾はまるで俺に助けを求めるような顔で俺の手首を掴む手を強く握る。
「? いや、俺ワン◯ースしか知らないけど」
「え……」
「こっち側がなんなのかわからないけど、高尾君がそのこっち側って言うんなら、俺よりも染谷君の方が近いんじゃない?」
だって陽太、結構オタクだし。
「あ……や……ごめん……変なこと言った…」
高尾は強く握っていた手を緩め、ゆっくりと元の位置へ戻す。そのまま俯くと、少しずつ後退りしていた。
「……で、神宮寺は入るの? 漫画研究部」
少しの沈黙が流れて、気まずさを感じてしまったので、話を変えようと神宮寺の方へ振り向く。…しかし、振り向いた先は開け放たれたドアがあるだけで、神宮寺の姿は見えなかった。
「は?」
「……神宮寺なら、ずいぶん前にどっか走っていったけど」
「早く言えよ!」
白と黒の五角形で構成された球体が綺麗な弧を描いて宙を舞う。
「お前ヘッタクソだなー!」
叫ぶ人物はボールの落下点まで走り込むと、落ちてきたボールを胸に当て勢いを吸収し、ふわりと足元へ落としてそのまま蹴り込んだ。
「ナイスパス!」
ボールをパスされた人物は両手を広げたまま腰を落として、ボールが目の前に来るのを待ち構え正面から受け止める。
「ウッッ!!!!! ……やるな……!」
「だからトラップしろっつってんだよ! さっき教えたろ! なんだその姿勢! 力士か!」
昼に十分すぎるほどに温められた地面が、17時になると言うのに傾き始めもしない日の熱を、さらに吸収しようと飽和した熱を放つ。その熱に当てられたのか、二人の男子生徒が校庭の芝生の上を、顔を真っ赤にして走り回っていた。
「ハァ…ッ…ハァッ……! もうお前……二度と……サッカーしたいとか……言うんじゃねえぞ……」
ついに限界が来たのか、明後日の方向に蹴飛ばされたボールを受け止めて、一人の男子生徒が倒れ込んだ。
「えっ!! おい! 伊勢島君!?」
サッカーが下手くそな方の男子生徒、もとい、神宮寺が倒れ込んだ伊勢島に駆け寄る。一部始終を遠目から見ていた俺は、とりあえず近くにあった伊勢島のボトルとタオルを持って駆け寄った。
「おい神宮寺。お前勝手に消えたと思ったら何やってんだよ」
「えっ? あ! 明太君! サッカーやってたんだよ」
「それは知ってるよ」
「あっちの廊下の窓からさ、サッカーやってるのが見えたから気になって」
「気になっても俺を置いてくなよ」
「はあ」と溜息を吐いてタオルを仰向けに倒れている伊勢島の顔に投げつける。
「……サンキュー」
「……ユアウェルカム」
「明太君、俺にタオルと水は?」
ぎこちない空気を壊すように神宮寺が俺に命令する。
「神宮寺は持ってきてないだろ」
「買ってきてよ」
「金出せ」
伊勢島は少しずつ起き上がり、ボトルを手に取ると口まで持っていき、喉の渇きを潤した。そしてシャツで汗を拭う神宮寺に目を向けた。
「俺のあげよっか?」
「まじ? 伊勢島君て神だな!」
神宮寺は伊勢島が差し出したボトルを受け取り、大口を開けて垂直に傾けたボトルから水を口内に注ぐ。
「まあね」
「疫病神な」
伊勢島の得意気な態度が気に食わなかったため、嫌味を吐いた。
「トイレの神よりマシだろ」
「は?」
「お前の場合はトイレに間に合わなかったけど」
「あ?」
「ふん」と口角を上げて俺を見る伊勢島の胸ぐらを思わず掴み、凄んだ。
「おい、ウンコマンが触んじゃねえよ」
「もういっぺん投げてやろうか」
売り言葉に買い言葉で喧嘩がヒートアップしていく。
「ぷはッ! 仲良いね。2人」
「「ハァ?」」
ようやく水を飲み終えた神宮寺が、何を見てそう思ったのか、俺と伊勢島が「仲が良い」などと抜かした。神宮寺の目は直射日光でやられてしまったのだろう。俺と伊勢島は神宮寺に向き直り
「神宮寺。俺がこんなバカと仲が良いわけ無いだろ。お前の目は節穴だよ」
「神宮寺。お前は本当に俺がこの糞野郎と仲が良いと思うか? 目糞でも詰まらせたか?」
と口々に罵り合った。
「はぁ!? おい! クソめい! お前俺のことバカって言ったか!? お前のがバカなくせに!」
「お前のがバカだろバカ島! 俺はサッカー辞めてからお前より賢くなったんだよ! 今じゃお前のがバカだぜ! バーカ!」
俺が勝ち誇ったように言うと、伊勢島は勢いを失って俺を睨んだ。
「……昔は俺よりバカのくせに俺のこと馬鹿とか抜かしてたよな! 嬉しいかよ! 俺が本物の馬鹿になって」
「は? なんのことだよ」
「とぼけんなよ。お前、今まで散々逃げてきたんだからいい加減償えよ」
そう言うと伊勢島は、神宮寺からボトルを奪って立ち去った。
「え? 伊勢島くーん! 俺の入部の話はー?」
神宮寺が勢いよく立ち上がり、大きな声で尋ねる。
「お前が入れる訳ねーだろ下手くそ!」
下手くそと言われたのがショックだったのか、伊勢島に怒鳴り返されてその場に立ち尽くしていた。まあ無理もない。あのノーコン具合じゃ練習相手にもならないだろう。
「くそーー! 結局どこも入れなかったー!」
「明日も探せばいいよ」
悔しそうに芝生に体を投げ出す神宮寺を励ました。
「……! そうだよな! おっしゃ! 明日も放課後空けとけよ!」
いつもの爽やかな笑顔を数倍爽やかにさせて喜ぶ神宮寺を見て、胸の奥が擽ったくて俺も少し笑ってしまった。
「遅かったね。今日」
日が傾きかけ紫に染まる空を背景に、佇む影がこちらを見ていた。
「……うん」
そそくさと家に入ろうとする俺を、向かいの家の玄関からようちゃんは呼び止める。
「何してたの?」
「…何も」
「おれに言えないこと?」
ようちゃんは泣きそうな顔でこちらを見る。日が段々と落ちてきて、泣き顔を隠すように暗い影がようちゃんの顔を覆い尽くす。
「なんで迎えに来なかったの?」
「え?」
「朝はいつも一緒に行こうねって約束してたよね」
小学校の頃の話だ。
小学校入学当時、引っ込み思案だったようちゃんは学校を怖がり、朝はしょっちゅう「行きたくない」とごねて母親を困らせていた。それを見た俺(戦隊ヒーローに憧れ、正義感が強かった)は「毎日一緒に行ってやるよ」と約束したのだった。
そう。小学校の頃の話だ。
「もう……いらないだろ」
「何が?」
「……陽太は、一人で行けるだろ」
カチッとほんのわずかな音を立てて外灯が点く。
「行けないよ」
中学に入ってから、陽太は俺のことを迎えに来るようになった。多分、俺が逃げないようにするためだ。
「行けるだろ。……お前なら」
「なんでそんなこと言うの?」
「陽太は、俺がいなくても大丈____」
「ようちゃんって呼んでよ」
昔と変わらない可愛い笑顔が外灯の小さな光に照らされる。俺は逃げるようにドアノブに手を掛け、家の中へ入った。
スマホのアラームが鳴り、いつもの朝が来たことを告げる。いつものように制服に着替えて、いつものように顔を洗って。いつも通りだ。
ピンポーン。
…いつものように、チャイムが鳴る。母親がドアを開けた。
「ようちゃん! 久しぶりじゃない? 最近迎えに来てくれなかったから、明太が愛想尽かされちゃったのかと思った!」
なんて笑って言う。母親にとっては冗談なのだろう。
「あはは。そんなことないですよ。絶対に」
そんな風に真面目に受け答えするようちゃんの姿は、母親にどう映っているのだろう。真面目に育った幼馴染といった所だろうか。
用意しておいたスクールバッグを手に取り、玄関へ向かう。太陽に照らされて輝く金色の髪がふわふわと靡いている。
「めいくん、おはよう。一緒に学校行こう」
可愛い笑顔で手を差し出すようちゃんはご機嫌だ。
「…一人で学校にも行けないのかよ」
俺は、差し出された手を払い除けると、そのまま家を出た。
最近、陽太のことが分からなくなっている。陽太は俺をいじめていて、学校じゃ人気者で、たまに笑った顔が眩しくて。ようちゃんは泣き虫で可愛くて、俺がいないとどうしようもない。
「……本当は、俺が居なくても、一人で学校に行けるくせに」
昔からそうだったのに、今気付いた。
「おはよう!」
ガラガラと音を立てて教室のドアを開けると、俺が来たことに気付いた神宮寺が声を掛けてきた。
「……おはよ」
「明太君元気ねえな!」
「神宮寺は元気ありすぎ」
二言交わしながら自席へ向かうと、その途中で高尾と目が合い、軽く手を挙げる。高尾は周りを見ると軽く手を挙げて、すぐに友達の方へ向き直す。椅子に座り、落ち着くためにカバンの中の整理をしようと、机に乗せる。黒色の細長いペンケースに手を掛けた時、教室の入り口の方向から歓喜の声が上がった。
「染谷! 久しぶりだな!」
「やっと来たのかよー!」
「染谷いなかったからまじつまんなかった! ねえ、今日遊び行こうよ!」
クラスメイトが口々に喜びの声を上げる。俺は一瞥もせず、カバンの中の整理を続ける。陽太はクラスメイトからの声に一言も反応せず、自分の席へ向かった。ガタンッと大きな音を立てて椅子に座る。陽太に声を掛けたクラスメイトは苛立った様子で「何あれ」と文句を溢していた。
「染谷ぁ、久々じゃね? どうしたん? まさか異世界転生とかしてた!?」
先程のクラスメイトの様子を見ていたのか見ていなかったのか、高尾が臆せず陽太に話しかける。
「してねーよ」
高尾のテンションが鬱陶しかったのか、一言だけ陽太は答えると、そのまま机に伏せた。高尾は何が嬉しかったのか、満足そうな笑顔で自分の席へ戻って行った。
その日、陽太は何をするでもなく、ただ授業を受け、誰とも話さず過ごしていた。俺も何をするでもなく、ただ授業を受け、たまに神宮寺に話かけられて答えるだけだった。
帰りのHRが終わり、昨日の約束を果たそうと神宮寺の元へ向かう。
「神宮寺、今日は」
「何してんの」
神宮寺に話しかけたところで後ろ手を掴まれる。
「陽太…?」
振り向くと、陽太が真顔で俺の腕を掴んでいた。
「何してるの?」
陽太は質問を繰り返す。神宮寺はその異様な光景を見て、俺と陽太の間に入ろうと立ち上がる。
「染谷君、明太君に何か用?」
陽太の腕を掴み、神宮寺は陽太を睨みつける。睨みつけられた陽太は、俺を掴む手と反対側の手で神宮寺の胸元を押す。
「お前に関係ない」
ただ、異様だった。ようちゃんは、そんなに気が強くないんだ。前は、一言も言い返せてなかった。なんでそんなに神宮寺に突っかかるんだ。
「関係なくないよ。俺、明太君の友達だから」
「……友達だから何?」
「友達だから守るんだよ」
「おれが、危害を加えるって言いたいの?」
俺の手を掴む陽太の手にさらに力が込められる。
「いっ……!?」
痛い。いつからこんなに力が強くなったのだろうか。
「めいく…ッ」
右腕に走った激痛に顔を歪めると、反射で陽太が手を離し、泣きそうな顔をする。
「……染谷君は、明太君の何なんだよ?」
神宮寺は陽太の反応に眉を顰める。
「何でも良いでしょ」
「良くないだろ。友達だって言うんなら、俺はお前を叱る必要がある」
「……ポッと出のお前が何なんだよ!!」
神宮寺を突き飛ばし、前方に手を伸ばす。
「……ッ!!!」
陽太は俺の肩を掴むと、机へ押し倒した。神宮寺が椅子にぶつかり、ガタンッと大きな音を立てて椅子と共に倒れる。大きな声と音に、まだ教室に残っていたクラスメイトが驚きの表情を浮かべ、音の鳴った方へ注目する。後退りするクラスメイトの中から、集団にいた高尾がただ一人陽太に近づいた。
俺の視界には、陽太がいた。泣きそうな顔が、昔と変わらず可愛くて、でも奇妙で。
「おれさあ、めいくんがいないと何もできないんだよ」
そう言って力無く笑った顔は、醜いと思った。
10
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