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第一部

7話 遺失(9/9)

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菰野は、戻らない従者の身を案じていた。
「久居……遅いな……」
ランタンの明かりはあったが、そこはすっかり夜の森で、草の上に横たわる菰野の熱を地面がじわじわと吸い取っていた。

真っ直ぐに空を見れば、木々にぐるりと囲われた遠い空に、星が輝いている。
(ああ、ダメだ……頭がぼーっとする……)
菰野は空にかざすように持ち上げた右手を、力無く下ろした。
(あれから、どのくらいの時が過ぎたのか……)
平気なふりをしてはいたが、左腕は、動かそうと力を込めるだけで肩から指先へと痛みが走る。
(久居……)
菰野は、この世で一人きりとなる味方の名を、心で呼んだ。
熱のせいか、失血からか、静まり返った夜の森で、強烈な睡魔が菰野を襲う。
とろり下がってくる瞼を、菰野はこれ以上支えられそうにない。
(無茶はするなよ……)
菰野は、黒髪の従者の無事を祈りながら、その瞳を閉じた。

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僅かに耳に届いた梟の声を合図に、久居は口を開いた。
「この辺でいいでしょう」
鳥の声が聞こえるということは、生き物が生きていられる範囲に入ったということだ。
「葵さん、石をいただけますか?」
「はい」
久居の言葉に、葵は素直にそれを手渡した。
「ありがとうございます」

「第一隊、構え!」
突如響いた声に、二人は振り返る。
「放て!!」
号令と共に放たれた三本の矢は、真っ直ぐ久居へ向かう。
矢と久居の間に滑り込んだのは葵だった。
鎖の先に分銅がついた暗器が空にいくつもの円を描く。
鈍い音を立てて、矢は葵の足元に落ちた。
「葵……」
葛原は、低く呟くようにその名を呼んだ。
「葛原皇……。城へ戻られたのでは……」
葵の言葉に、葛原は冷たく答える。
「お前こそ、菰野を攫って来るんじゃなかったのか?」
葛原が周囲へ見えるよう手を挙げる。
「左右も構えろ」
第二隊の弓兵の人数は、第一隊の三倍はいた。
ズラリと半円にも近い包囲に、葵が敗北を悟る。
「久居様! 山へ!!」
葵は久居を後方へ全力で突き飛ばした。
「葵さんっ!」

「放て! !」
いくつもの弦音が重なり、空を切る音と、いくつかの接触音。
飛ばされた久居が振り返ると、降り注ぐ矢の雨を受けて、それでも葵はまだ立っていた。
「ほう……致命傷にはならなかったか」
葛原の、酷く落ち着いた声。
足元に散った矢の数は多かったが、それでも葵の肩と足には矢が一本ずつ刺さっていた。
「さすが、里の代表となるだけの腕はある……が」
鎖を握る葵の手が、不自然に下がる。
「眠り薬には耐えられるかな」
葛原の言葉に導かれるように、葵は力を失い、その場に倒れた。

(葵さん……!)
久居は、せめて彼女に報いる為、山へ駆け戻ろうとした。
しかし、立ち上がった瞬間、酷い眠気に意識が飛びそうになる。
足元の痛みに視線を落とすと、いつの間に矢が掠めていたのか、傷ができていた。
「やはり、お前にはこの量では足りないか……」
葛原は小さく呟くと、次なる指示を出す。
「痺れ矢で足を射ろ」
「ハッ」
痛みと眠気を堪え駆け出した久居を、矢が追う。
久居は必死に走ったが、相手は手数が多く、うち一本が久居の足を刺し貫いた。
衝撃に、久居は前へ倒れる。
「ぐっ!」
顔をあげようとするが、足が、背が震え、指先までがジンジンと痺れだす。
(いけない……薬が回って……)
そんな久居へ、葛原がゆっくりと近付く。
「まったく……、お前にはいつも手を焼かされる……」
ぐいと腕を引き上げられ、宙吊りとなった久居の顔を葛原が覗き込んだ。
(それは……どういう……)
何とか動かせる視線だけで、久居は葛原を見上げる。
「たまには役立ってもらおうじゃないか」
葛原がニヤリと口端を上げる。
「誰かこいつを運べ、菰野への土産にする」
「ハッ」
その言葉に、久居は瞬時に自死を決意する。
(菰野様の枷になることだけは……)
全身の痺れに震えながらも舌を噛み切ろうとする久居に、葛原が気付く。
「大人しく寝てろ!!」
「ぐあっ!」
刀の鞘で殴られ、久居は強か地面に叩きつけられた。
黒髪の合間から、じわりとあたたかいものが流れ出す。
(菰野……様……)

久居の意識が完全に途切れたのを確認して、葛原はようやく息を吐いた。
(自害されては、人質にもならん……)
眉を寄せたまま気を失っている久居の頭部から、赤いものが二手に分かれ、頬のあたりまで到達しようとしている。
(お前には、菰野をあの世に送った後で後を追わせてやる。
 それまでは、私に利用されるためだけに生きろ)
胸中で告げながら、葛原は後を追える立場の久居を、羨ましく思う。

「葛原皇、こいつはどうなさいますか」
葵の処遇を問う兵の声に、葛原は答える。
「しばらくは起きんだろう、捨ておけ。処分は戻ってからだ」
地に伏す久居を、あの時の歩兵達が二人がかりで担いでいる。
葛原は兵達を見渡すと「行くぞ」と短く告げた。
弓兵と、槍を持つ歩兵達、合わせて四十ほどを従えて、葛原はまた山を登り始める。

(今度こそ……、菰野を父上の許へ……!)
葛原は決意の籠もった瞳で、森の奥を睨んだ。
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