吸血鬼、アルロシオの愛しい生餌

雪紫

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プツ、と皮膚を破る音がすぐ横で聴こえる。
背中と首に回された手が優しく身体を包み、恋人のように抱きしめられていた。

「痛みは?」
「……んん、ない」

いつもの会話。彼は歯を突き立てる部分に念入りに舌を這わせ、特殊な唾液で皮膚を麻痺させてから食事をするため、痛みは微塵もない。
あるのは緊張と、興奮、それだけだった。

首筋に刺された鋭い歯を抜くと、目の前の吸血鬼は血を溢れさせる傷口を再び舐める。これは治癒成分の含まれた唾液だ。
銀髪の吸血鬼に血を捧げて早2年経とうとしているが、傷跡が残る気配もない上に、自分で傷を確認できたことがない。万能な唾液だ。

「終わりだ。痺れはないか」
「ない……けど、アルロシオ……」

吸血鬼の名前を呼ぶ。アルロシオは血のような赤い瞳でこちらを見つめた。
吸血鬼の唾液には麻痺や治癒、睡眠、催淫、様々な作用がある。
3日に1回の頻度で吸血鬼の唾液をひふで摂取しているため、効果に敏感になっているためか、ここ最近催淫作用に悩まされていた。

「はっ、……ぁ、ごめん、なさい……」
「謝罪は必要ない。体液であればどれも立派な食事だ」

寝るためだけの質素なガウンを解かれ、力の入らない身体にアルロシオは触れた。





アルロシオに吸血された次の日は、決まって朝が遅い。
浅見葉月は真上に太陽が上がった頃ようやく目を覚ました。

カーテンを開き、一面に広がる森を後目に深呼吸をし、シワの着いたシーツを雑に伸ばす。

この生活はもう日常だ。


葉月は突如この世に落とされた異界人であり、この世界のものではなかった。わけも分からず森の中で1人、そんな不安の中元いた世界日本では野放しにされていないオオカミと鉢合わせた。
死を覚悟した瞬間に意識を失い、気がつけば吸血鬼アルロシオに拾われていたのだ。

アルロシオは人間と吸血鬼のハーフで、幼い頃は人間として村で暮らしいてたらしい。そのため、人間の葉月を混乱が収まるまで一時的に保護してくれたのだ。
1週間も経つ頃、人間の住む街へ行けと追い出されそうになったが、異界で慣れた場所、人から離れたくないと無理を言ってアルロシオの元に置いてもらえるよう頼み込んだ。

「私の生き餌になるなら置いてやってもいい」

そう言われ、お願いしますと葉月は喜んだ。
アルロシオが葉月を怖がらせるための嘘だったらしいが、今となっては立派な生き餌だ。




何の跡もない首筋を擦りながら、葉月は階段を降りた。

昂った身体を沈められるのは昨夜で4回目。誰かに自慰のごとく触れられる経験はなく、アルロシオとなんとなく顔を合わせずらい。
アルロシオもこのむず痒い感覚を感じているのか、最近はよそよそしい時が多かった。

「アルロシオ、おはよう」
「……ああ」

何か考え込むような表情で、視線を葉月から外す。このよそよそしさは性的なことを手伝ったから、では無さそうだ。

(やっぱり、悩んでる……?)

葉月はリビングにいたアルロシオを思い出しながら、冷たい水で顔を洗った。

2年も共にすれば、違う種族であっても分かる。ほかの吸血鬼は知らないが、アルロシオは感情が表情に出にくい。綺麗な顔立ちは無表情だと威圧を与え、初めてあった時は捕食されると冷や冷やしていた。
そんなアルロシオだが徐々に表情は豊かになり、今では悩んでいる顔もお見通しというわけだ。


「昨日ので悪いな、足りそうか?」
「うん、俺鹿肉シチュー大好き」


火にかけていたのだろう、湯気の立つ肉の沢山入ったシチューは食欲を唆る。
肉はこの森で調達し、森で手に入らない調味料などは2ヶ月に1回ほどアルロシオが人間へ化けて街へ降りる。人間になったアルロシオは目が黒く、髪が短く変化し、尖った耳と鋭い歯がなくなる。人間の姿のアルロシオも好きだ。

硬い丸パンを熱々のシチューに浸し、柔らかくなったパンにかぶりつく。この食べ方が1番美味しい。アルロシオもよくパンを浸して食べている。
吸血鬼は本来、血液以外の物を摂取することはない。食べることは出来るが、あまり味もなく、栄養として蓄えられないそうだ。
アルロシオは今はほとんどが吸血鬼だが、一応人間とのハーフだ。味を感じるのかもしれない。葉月が1人で食事をすることがないように、一緒の時間に食卓を囲んでくれている。




今日は午後から食糧調達だ。森の中には色んな動物がいる。
鹿や熊、猪、兎、鳥、ここに来てからは肉はサバイバルだ。野菜は自足自給。家の近くで種を撒き、小さな畑ができている。
家、と言ってもアルロシオが住み着いた空き家らしいが、葉月は気に入っていた。まるで魔女が住んでいそうなおどろおどろしさを感じるが、大切な場所となっている。


ググ……、と弓のしなる音が心地いい。木の根元で周囲を確認するように立ち上がった兎に狙いをつけて、弓を放った。
ヒュ、と風を切る音と共に、兎ごと木の根に矢が刺さった。

「上手くなったな、ハズキ」

弓を教えてくれたアルロシオが、兎の耳を掴む。彼が狩れば弓矢なんて勝負にならないくらい素早く動いて仕留めるだろう。だが、アルロシオは葉月に色んなことを教えた。
この世界に来ていなかったら、自分で生き物を殺すこと、食べることに本当の意味で感謝することはなかっただろう。



今夜は兎肉のステーキだ。味付けは塩でシンプルに。基本的にアルロシオが作って葉月が食べる。料理は一緒に行うが、アルロシオのように上手くはならなかった。人間の葉月が作るより、吸血鬼のアルロシオが作った方が断然美味しい。


狩ったばかりの兎のステーキは絶品だったが、会話らしい会話はない。
葉月とアルロシオはずっと会話を続けている訳では無いし、2人にだって言葉のない時間は訪れる。いつもは言葉がなくても穏やかな時間が流れていた。
だが、この所緊張感のある沈黙があるのだ。
アルロシオが何か悩んでいることがあるのは確実だが、それを聞き出すことが出来ない。
食事を終え皿洗いをしながら、隣に立つアルロシオを盗み見る。
すると彼が口を開いた。

「今夜、話がある」

何を言われるか皆目見当もつかないが、恐ろしさを感じる。きっといい事ではない、悪い話だ。

「分かった」と葉月は頷いた。



風呂上がり、いつものガウンを纏った葉月は寝室にいた。2階は2人の寝室があるだけで、他には何も無い。2人が寝ても窮屈でない広さのベッドが1つ。葉月とアルロシオは毎晩共に寝ていた。
性的な接触は葉月に催淫作用が働いた時だけで、至ってやましいことは無い。親子が就寝を共にするようなものだ。


ギッギッ、と階段を登る音が聞こえてくる。
まだ完全に乾いてない束感のある濡れた銀髪は、艶やかで綺麗だった。髪を掻き分けながらアルロシオは隣に腰掛けた。



「近々、この家を捨てる。お前はもう、連れて行かない」

なんの前置きもなく、本題だけを簡潔に伝えられる。
理由もなしに、ただ事実のみ。声にも、顔にも、感情は表れていない。

(捨てるって、何だ……、連れて行かないって……)

随分と遅い言葉の理解と共に、葉月は縋るようにアルロシオの腕を掴む。

「嫌だっ、なんで、……アルロシオ」
「もう私といるべきではない、もっと早く手放せばよかった」

長く一緒にいたことを後悔している、そんな口振りだ。

「理由を教えて、俺が、納得出来る理由を……」
「お前が納得してもしなくても変わらない。故に必要ない。何も放り出すわけじゃない。街の近くに置いていってやるから安心しろ」

(安心なんか、出来るわけない)

アルロシオに嫌われていると思ったことはない。嫌われるようなことをした覚えもない。
家族のように思っていた人から突き放されるのは、相当きついものがある。何も言わないアルロシオを見つめながら、葉月は抑えられない涙を溢れさせた。

(この世界に来てから、俺はアルロシオに頼りすぎてた)

この世界に来てからは何もかも、アルロシオが関与してくれた。彼に幾度となく甘えていた。血を提供するのなんて比じゃないくらい、世話になっていた。

「……ごめ、んなさい。俺は、言われるまで気づかなかった。ずっと、迷惑か、けて」

止まらない涙を手で拭う。

「ぅ……う……っ、ふっ……」

アルロシオは言葉を発さず、葉月の腕を掴んで目元から離すように動かした。

『人間は弱いんだろう、そう擦るな』

初めてあった時、そう言われた。知らない世界、帰れない家、会えない家族、襲ってきたオオカミ、吸血鬼、全てが恐ろしくて不安で、泣き出してしまった時、無表情の彼にそう言われたのだ。

涙を拭う手を止め、赤い瞳を見上げる。

アルロシオはしまった、というふうに眉をぴくりと動かした。銀髪の吸血鬼は、痛々しいものでも見るような、悲痛な表情を浮かべている。

「捨てるなら、……優しくするなよ、俺が諦めるように、酷くしろよっ!」

添えられた手を叩き、涙の溜まった目でアルロシオを見る。

「優しく、されたら……っ、なっ……んっ!」

アルロシオが顎をつかみ、頬を伝う涙を舐めとる。

「……食事だ。望み通り酷くしてやる、もう二度と私に近づかぬように」


聞いた事のない低い声だった。






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