初恋は、コーヒーより苦くてチョコより甘い。

１２

　義務違反を犯した。
　能力が足りずドクター・シグニールの期待する返答ができなかったことは何度かあったが、今回のは、明確に、秘匿する意志があった。
　本当は、包み隠さず申告しなければならなかった。

　イオは明かりを落とした部屋の中、ベッドで横になり、まるくなっていた。何度も寝返りをうったが、眠気は一向に訪れない。ため息ばかりが増えていく。
　明日――もう日付が変わったから、正確に言えば今日だ――以降の検査のことを思うと、胸がずきずきした。

　大好きな恋愛ものの映画で、望まぬ相手に嫁ぐことになった令嬢が、逃走を企てるシーンがある。結果として失敗して、打ちひしがれるのだ。

　今なら、なぜ、あのヒロインが逃走を決意したかよくわかる。自分だってできるなら逃げ出したい。
　気持ちの通じた好きな相手に、身も捧げる。それこそ、イオが望んでいた初体験だ。
　不特定多数の男性に触れられるのは絶対に嫌だ。かといって、よく知っているドクター相手ならいいわけではない。
　ドクター・シグニールには、自分への愛情なんかない。せいぜい、馴染みの実験動物くらいの愛着しかないだろう。

　――自分は、ことあるごとにドクターに……ヨシカにときめいているのに。

　掛布のなかで、ため息が溢れる。
　たぶん、これが恋をするということなのだ。『する』というと、なんだか能動的だが、気づいたら『していた』のだから、つまり恋に落ちるとはそういうことなのかもしれない。

　自由時間に資料を読み漁って、映像資料を見尽くして、出した結論がそれだった。
　苦いコーヒーと一緒に、ドクターの苦い笑みを味わった日から、ことあるごとに胸の痛みや疼きに苛まれるようになった。
　この心身の変調も、ドクターに報告する義務があるのに、どうしても実行できなかった
　反抗的で、不誠実な対応だ。保身もある。不調を伏せてきた期間を思うと、不調を察知する能力が足りないと言われても仕方ない。
　正直に申告したら、今度は不適合品の評価をもらうかもしれない。

　不適合と判断されたら、一体どうなるのだろうか。
　倉庫に返品されるのか。
　サンプルをとるだけとられて解体されるのか。
　わからないが、返品や解体よりドクターに『不適合』といわれることのほうが怖かった。その評価をもらったら、彼との生活も終わりになるから。