【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 事後のけだるい余韻をやり過ごしたあと、私たちはどちらからともなく、身支度を整えた。
 塩野は自分のハンカチをペットボトルの水で濡らして、私の身体を拭ってくれる。太ももにあった自分の放出したものの残滓も、目を伏せて拭き取った。
 カールしている彼の長いまつげを見下ろしながら、私はされるがままになっていた。


11、

「塩野さん、私ちょっと外、見て来る」
「大丈夫?」

 手を繋いで、並んで座って休んだ後、私はおもむろに立ち上がった。

「この先、どこ向かうか決めないといけないでしょ。私、ここの土地勘ないから、ちょっと周りの様子見て来た方がいいかなと思って」
「危ないよ、ミシカちゃん」
「上手くやるから。これ、借りていくね、塩野さんはこれ使って」

 柏田から受け取った拳銃を自分で持ち、ショットガンを塩野に渡した。

「ミシカちゃん……はじめって、名前で呼んでよ」

 彼は受け取りながら、そう言って微笑んだ。

「え」
「嫌、……かな?」

 いたずらっ子のように首を傾げる彼の表情は、それを期待している。

「わかった……、はじめさん」
「さんはいらないよ」
「じゃあ、……はじめ?」
「うん。ミシカ、気をつけて。無理はしないで」

 拳銃を、ショートパンツに捩じ込んで車を出た。背中に感じるはじめの視線が、むず痒い。耳が熱くなってる。振り返ると、窓から彼が手を振っていた。軽く手を振り返して、私は踵を返す。

 顔を振って、気持ちを切り替える。

 駐車場の出口は東側。あの狙撃手のいるという、屋上出口から正面のビルは西側だから、ちょうどこの建物が、目隠しになってくれるはずだ。……たぶん、あってると思うけれど、方角は。ショートパンツのお尻のポケットから、病院の見取り図を取り出して確認する。

 そろそろ六時を過ぎる。出口から見える外の景色はもう暗く、見通しは悪くなっていた。ところどころ街灯がある。ただ、他の建物の明かりがないと、薄暗い印象は拭えない。加えて、けぶるような霧雨で視界が悪い。豪雨が弱まっただけ、ましか。

 人は……見通せる限りはいないようだ。

 ゆったりとした幅の車道と、整備されたアスファルトの歩道。車道と歩道を分けるために、背の低い木が植えられていて、新しい街だという印象があった。
 五階建てくらいの中層ビルから、十階建てくらいの高層ビルが並んでいて、民家はないようだった。建物の敷地を区切るのは、鉄の柵ではなく、背の低い木と決まっているようだ。それに、電線が見当たらない。歩道には、雨よけの透明な屋根が続いている。
 きれいな街だけれど、しんと静まり返っていると不気味だ。

 なるべく建物沿いに、かつ物陰に隠れるように足早に進む。地下では感じなかった風が、私の身体を冷やしていく。汗を掻いたあとだと、殊更風が冷たく感じられた。
 できればこの街の全景がわかる資料がほしい。

 狙撃手がいる方向とは反対側にどんどん進んで行く。
 目の前にあるビルは企業の持ちビルのようで、入り口のガラス扉は閉じられ、その前に太い鉄格子のシャッターが降りている。

 そのビルの右隣は、一番下の階がコンビニエンスストアで、上の階から最上階までは企業のオフィスになっている。ビル外壁の階層の案内によれば。
 上の階はどうなっているかわからないが、目の前のコンビニは、道に面したガラス製の壁面が無惨に全面破壊されていた。割れたガラスが粉々になって地面に散っている。薄暗い店内は、棚が倒れ商品もめちゃくちゃにぶちまけられている。

 悩んだあと、私は銃を構えながら、枠だけになってしまったガラス戸をくぐり、店内に踏み込んだ。
 病院の近くにコンビニエンスストアがあるのは便利で助かる。こんな非常事態ならなおさらだ。

 じゃりじゃり、ガラスの破片を踏みつけながら、私は本棚が倒れているあたりにたどり着いた。豪雨にやられ、ほとんどの本が水分でふやけてしまっている。

 濡れて踏みつけられて折れ曲がったり破れたりしている雑誌や書籍をひっくり返していく。女性誌の表紙で女優が『今時のタフガール』というタイトルで艶かしいポーズをとっている。そういえば、タフだとはじめに言われたっけ。嘆息する。

 倒れた本棚の下にある縦長の冊子を引っ張りだすと、目的のものだった。濡れているそれを破らないようにそっと、開く。
 茨城県ロードマップ。こんなことがなければ、紙媒体の地図なんて見る機会はほとんどない。車を運転するときだって、今はナビを使う。

 思ったより細かい字と暗さに苦労しながら、現在地を探し出した。
 水戸大学付属病院は、北関東道の水戸南インターチェンジほど近い位置にある。
 近くには水戸大学キャンパスや博物館、地図に乗る程大きな企業の敷地などがある。濃い色の点線で囲まれているのが、研究学園都市の敷地なのだろうか。

 よく見ると、水戸大学付属病院は二つあった。点線の端の方、インターチェンジ寄りに、旧と書かれたものと、点線のど真ん中、水戸大学の隣に但し書きもない水戸大学付属病院。
 内部の様子からして、私のいた病院は旧い方だろう。

 最寄りは水戸駅のようだ。北東、距離は直線で約5キロメートル。ちょっとあるけれど、歩いて行けない距離ではない。
 東に同じく5キロほど行けば、県警本部がある。

 閉鎖されているのがこの学園都市だけなのか、市全土なのかは分からないが、このどちらかの施設にいくのを目標にすれば、なんとかなるんじゃないだろうか。

 不思議な気分になる。最初に目が覚めてから私の世界はあの病院が全てだったのに、あの病院はたしかに地図に――この世界にある場所で、まわりには人の営みが作り出した街がある。

 やっぱり私がおかしいだけで、世界はこれが正常なのか。
 違和感を覚える私の方が世界の異物。その方が単純で分かりやすい構図。
 地図を手に立ちあがる。念のためぐるりと周りを見回すと、わずかに光を反射するものがあった。

「これで、少し補給できるかな……」

 割れた瓶のガラスや中身がぶちまけられた冷蔵棚のそばに、お茶のペットボトルがあった。黙って持って行くのも気が引ける。――いまさら、このくらいでぐだぐだ言っていられないのは、よくわかっているのに。
 ペットボトルを三つ抱えて、私は元来た道を小走りする。

 戻ったら、はじめと一緒に道を決めよう。これだけ飲み物があれば、少しは楽になるだろう。



 地下駐車場は相変わらず、湿った空気が漂っている。非常灯の明かりのみで薄暗い中、私は、ワンボックスカーに向かう。シルバーの車体は、目が慣れてくれば十分よく見えた。

「あれ……はじめ、どこ」

 車内に誰もいない。前の座席も無人だ。嫌な予感がする。
 後部座席のドアを開けた。救急キットに、私が持ってきたバール、はじめが持っていた水のペットボトル。持ち物が、そのまま残っている。それに、……反対側のドアが開いている。

 かーん、と堅い音が響いた。反射で拳銃を背後に向かって構える。いくら目が慣れても、この暗さでは異変は見つけられない。
 それでも、息をひそめていると、気配に敏感になる。……誰か、いる。息づかいが――興奮して少し荒くなった吐息が、聞こえる。

 片手で銃を構えたまま、もう片方の手ではじめの残した荷物の中をさぐる。目当てのものを見付け、蓋を開け先端をこすった。
 まばゆい光が発生した。使用期限が切れていてもちゃんと役目を果たした発炎筒を投げる。斜め右、一番闇が濃い方へ。

 視認と同時に発砲した。パーカーを着込んだ、男。音と同時に男はこちらに向けて一直線に走ってくる。脚に被弾しても彼は止まらない。
 まずい、と思ったときには男の手喉に食い込んでいた。息苦しさと衝撃に咳き込む暇もない。足が浮き、背中から床に叩き付けられた。息がつまり、四肢が痺れる。手にしていた銃が床を転がっていってしまった。

 腹部に重みが加わる。馬乗り。鼻柱に強烈な一撃が降ってきて、瞼の裏がスパークする。涙が出た。痛みのせいか衝撃のせいか。
 こめかみに一撃、右頬に一撃。鎖骨に、右頬に。

 その後はもう、わからない。
 意識が朦朧として、痛みの感覚が曖昧になってくる。
 乱打が止む。首に圧迫感。仰け反る。それも、男の重みで成し得なかったけれど。

 口が勝手に酸素をもとめてぱくぱくと魚のように動く。声は出ない。
 急速に狭まる視界の中、殺そうとした獲物の顔を見たいのか、男が顔を近付けてきた。彼はこの状況で、無表情。大人しそうなたれ目の青年が、私をじっと見つめている。その顔には血がついている。私の返り血だろうか。発炎筒の赤い光のせいで、そう見えただけか。

 男の手を引っ掻いていた手を止める。諦めた――わけではない。
 私は、そっと彼の顔を両手で包んだ。少し前、はじめにそうしたように。
 そして、親指を彼の目に押し込む。
 いつかの少女のように、彼は自分が攻撃されても恐れず――回避することを知らずに私から離れない。感染者は攻撃性だけが優先されて、他の行動に頭が回らないのか。
 意識がぼやけていて、助かった。嫌な感触が、遠い。
 ぼたぼたと私の顔に、温かな血が落ちて来る。
 痙攣し倒れ込んできた男の下で、私はしばらく動けないでいた。痛みが鮮明になってきて、ようやく意識が回復してきたのだと知る。肩から上が火をつけられたように熱い。少しでも首を動かすと、それだけで殴られたように頭が痛む。
 これは、まずいかもしれない。

 なんとか、男の下から這い出る。立ち上がろうとしたけれど、眩暈がひどくて、身を起こせなかった。どうなっているかわからないが右目が見えない。
 這いつくばって嘔吐えずく。

 ふと、車体の下から向こう側が見えた。黒いシミが広がっている。ここからでは、よく見えない。
 極端に狭い視界でも発炎筒の光はわかる。未だ煙と炎を上げているそれを持って這って進んだ。
 車の向こう側を見る間でもなく、想像してしまっていた。
 血を流して倒れている、彼の姿を。

 それが予想通りの結果に終わっても、ちっとも嬉しくなかった。
 はじめは、右脚を車に引っ掛けるような形で、床に転がっていた。身体は上を向いているのに、顔は床を見ている。そして、黒っぽく飛び散った血や、白く光る歯らしきものがあちこちに落ちている。

「は、じめ」

 揺さぶってみても、反応はなかった。
 当然なのに。見ればわかるのに。
 息苦しい。

 そういえば発炎筒はトンネル内では使えないんだった。煙が充満してしまうから。
 咳き込むと頭が割れるような痛みが走って、私は倒れ伏した。息ができない。煙のせいなのか、怪我のせいなのか、それとも、このショックのせいなのか。
 すぐそばに、はじめがいる。
 私がそばを離れたせいで、彼は、あんなに怯えていた彼は。怪我をしていたのに。

「ごめん……」

 手を伸ばして、彼の手に触れる。せめて、最期は彼のそばにいてあげたい。
 力の入らない指を彼の指に絡めた。
 何か、硬いものの感触があって、それを手に取る。
 鈍く銀色に輝くチェーン。そのチェーンに通された、リング。プレーンなデザインで、指で触れた内側には小さな石がついている。

「あは……は、はは」

 なんでだろう、笑ってしまった。
 すぐに、息が詰まって咳き込む。
 やがて咳も出なくなった。
 本当は、泣きたかったのかもしれない。
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