【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 頭頂部を掴んで無理やり上を向かされるような、抗いがたい力を感じて、何度目かの覚醒がやってきた。
 変わらず、地下の部屋。照明も空気のにおいも、周りに置かれたものの配置もすべて一緒だ。

 ああ。

 私は呻き、そのまま少しの間、自分の膝を眺めていた。


21、

 ようやく脱出できて、これで悪夢も終わりだと思ったのがいけなかったのだろうか。やはり、これも油断に相当するのか。
 慣れた手順で拘束を解き、バールを持って私は地下から続く階段をのぼり、一階のロビーまでやってきた。

 束の間、別れを告げたあの廃墟の病院に、また戻ってきた。

 右腕を含む体中の怪我は消え、着ているものも汚れたり破ける前の状態になっている。全てがなかったことのように。不可逆なのは、私の記憶だけ。
 身体の痛みはないに越したことはないが、どうせならこの記憶もリセットされてくれれば、こんな喪失感を味わわなくて済むのにと思ってしまう。
 もし私がこの先生き延びて、九十歳まで生きて、天寿を全うしたとしたら。病院だか自宅だかですうっと意識が遠のいて、――目が覚めたらこの地下室だった、となったら。

 自らの思いつきに苦笑する。そんな先のことより、目先のことを考えるべきだろう。
 あと、何度ここをやり直すのか。……あと何度、私は正気で耐えられるだろうか。
 痛みや死に対する恐れ、ネガティブなことへの不安は、最初ほどではない。なにせ今、私の心拍はまったくもって平常だと、自信を持って言えるからだ。たとえ、ここで感染者に襲われたとしても、しばらく痛みに耐えれば、それが尾を引かず、そのときの失敗とともに消えることを知っている――死ぬことで。

 私はどこか別の場所で死に瀕していて、これは長い長い走馬灯だという可能性は? あってもなくても、今の私には、それを知る術はない。
 なんにせよ、私ができることといえば、ここから脱出し、九十歳で死ぬときまで戻ってこなくてすむようにすることだけ。

 そのためにあと、何度かの死を経験しなければいけないのかもしれない。
 気は進まないが仕方ない。私は過去の記憶は持てても、未来を見通す力はない。

 病院を出て学園都市を抜けても、安全とは言えないことはわかった。治療を受けるために連れて行ってもらった病院で、まさかあんな事故に巻き込まれるとは思わなかった。あの様子のおかしい救急車は、もしかすると運転手が感染者に車内で襲われていたのかもしれないし、ただの偶発的な事故なのかもしれない。今となってはもうわからないことだが、あの病院に寄り付かなければ、事故に巻き込まれることはない。まずは、ここを出るまでに大きな怪我をしないことが大事だろう。

 となると、自分の行動に気をつけなければいけない。
 また塩野に撃たれたりしないように。

 塩野とリアン。
 彼らと合流して、脱出を目指すのは当然だと思っていたけれど。ため息が出る。
 正直に言えば、塩野には一切関わりたくない気分だ。もちろん、彼が毎回私に敵意を向けたりするとは限らず、経緯によって彼との関係性は変化するというのはわかっている。一度は彼と肌を重ねることを自分で選んだし、そのあと、何度かショックなことがあったのも確か。

 ……しかし、心底憎めるかと言えば、どうだろうか。要するに、どう対応するのが正解かまったくわからない。憎みきれないところもあるが、会わなくて済むなら、関わらなくて済むなら、二度と顔を見たくないとも思う。どちらかといえば、避けておきたい気持ちのほうが強い。

 このまま処置室に向かえば、おそらく、中で息を潜めている彼らに会えるだろう。
 そうわかっていたけれど……。
 処置室前の足跡を見る。ドアに手を伸ばす。指が強張って、まっすぐにならない。
 私は躊躇した後、一人、階段へ向かうことにした。
 
 私が一人で行動すれば、彼らは二人で無事に病院から出ることはできないとわかっていても、二人に会う決心がつかなかった。
 再び死ぬかもしれないと考えた先ほど、動じもしなかった私の心臓は今、せわしなく動いている。
 心が思うより、体が先に拒絶する。自分を守って、と助言してくれた楢原を思い出す。彼女の言葉を、口の中で繰り返す。少しだけ、心拍が落ち着いたように感じた。

 楢原は、前回、無事ですんだのだろうか。もし、あの人が怪我をしてしまったのだったら、やはり、私はあちらの病院にいかないようにしなければならない。

 そして、リアン。
 いろいろ気遣って助けてくれて、せっかく二人で外に出られたと思ったのに。彼の努力が一瞬で無駄になった。
 悔しいのは、二人で過ごしていくうちに彼とは少しだけ仲良くなれた気がしたのに、その時間が失われてしまったことだ。その前提として、私がいろいろ辛い目にあったということがあったとしても。むしろそれを引き換えに得たものすら、一瞬で消えてしまったことが悔しい。

 階段を上り二階へ向かう。
 上の階を調べようと思ったのは、ただの気まぐれだ。死ぬかもしれないがそれでもかまわない。
 二階は形成外科と耳鼻科。案内図にそうあったのを覚えている。

 階段を上りきると、一階とほぼ同じ造りのフロアが広がっていた。違いと言えば一階ではカウンターがあった場所がなにもなく、外への出入り口だった場所には、ブラインドがかかった窓がある。ブラインドで外の様子はわからないが、雨音だけは聞こえてきた。
 窓には近付かないことにした。狙撃されたくはない。

 診察室と、処置室、検査室。階段を背にして右が耳鼻科、左が形成外科のスペースらしいが、やや形成外科の方が広い。
 全部屋、見て歩こうか。……無駄なのはわかっている。
 わずかな時間考え、結局また階段を上り始めた。

 三階から六階は、入院設備だったはずだ。
 そういえば、手術室がなくても入院はできるのか。どうしても入院は手術とセットのイメージがあったけれど、偏見だろうか。
 三階は、今までの階とは趣を異にしていた。
 下の階は、特筆することもないほど特徴のない内装だったけれど、三階は、壁紙が薄いグリーンで、しかも花柄だ。花はなんの花かわからないイラスト調。ピンクや黄色のかわいらしい五枚の花弁。日に焼けてはいるものの、雰囲気を和まそうとしたのは推測できた。
 埃が積もってしまった床の色も、のっぺりとした無機質な感じではなくて、木目プリントの温かみのあるフロアタイルを使っている。明るい木目調の巾木はばきに、腰壁こしかべ。昔、祖母のいた老人ホームに訪問したときを思い出す。

 見渡す限り無人だった。一階のカウンターのあった場所はナースステーションになっている。外への出入り口があった付近は、本棚やテーブル、椅子が置かれていて、患者の憩いの場所だったようだ。
 そして、その憩いの場所には、人が倒れていた。
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