【R18】Overkilled me

薊野ざわり

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本編

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 彼のいでたちに私は吹き出してしまった。
 似合いすぎだ。スポーツウェアを着て、一汗流したあとのよう。ジムのCMにおあつらえ向きすぎた。
「君だって、同じような格好だ」
 リアンは苦笑して、バックパックから手当てのキットを取り出した。


27、

「太い血管を破らなかったのは幸運だ。痛かっただろうが」

 処置をしながら、リアンはそう述べた。
 対面でベンチにまたがり、私はリアンの硬いももの上に自分の足を乗せている。彼は手際よく、痛み止めや抗生物質を私に投与し、二箇所の傷を医療用ステープラーで留め、傷口の保護をすると、あのプラスチックの板のようなもので添え木して、包帯を巻いてくれた。足首には、テーピングとシップも。その二つは、ジムの救急箱にあったのを拝借した。

 傍から見たら、完全にスポーツトレーナーと生徒だろう。また笑いそうになって、必死に抑える。

 リアンの手は大きく、私の足首を一掴みできる。怪我をした右手と、無事な左手をうまく使いながら、彼は包帯を巻き終えた。
 また、この手に助けられた。今回は私が助けたつもりだったのに。

「リアンは」
 私は、あ、と思って言い直す。
「……ごめんなさい、柏田さんは、どうしてここに残ったの」
 今回の私たちは、まだ名前で呼びあう仲ではないのだ。ところが、リアンは首を横に振って「リアンでいい」と言ってくれた。それだけのことに、ふわっと胸が温かくなった。

「リーサから狙撃手を倒してくれたのは君だと聞いた。ありがとう、おかげで、佐々木は助かるかもしれない」
 佐々木、というのはあの腹部を撃たれた作業着の男性のことだという。
「でも、ごめんなさい、痛い思いさせたし、勝手に飛び出してしまった」
「結果オーライというやつだ」
「……意外。怒られるかと思っていた。あなたはもっと頑固かと」
「はは、頑固は認めるが、終わったことをぐちぐち言ってどうする。むしろこれは、よくぞ生き残ったって褒め称えるべきところだと思うが。君の対応力の評価を上方修正しないとな」

 評価を改めなければならないのはこちらも同じだ。融通が効かないのは、仕事で必要だからなのかもしれない。誰しも仕事と普段がまったく同じ態度ということもないだろうし。

「あのあとのことを話そう」
 彼は包帯の調子を整えながら、続けた。
「俺たち三人は処置室で待機していた。十六時五分前に、俺は塩野と佐々木をストレッチャーに載せて部屋を出た。負傷したホセをリーサが担いで正面口から駆け込んできたのはそのときだ」

 ホセは背こそ低けれど、鍛えている男性だ。それを、あの小柄なリーサが本当に担ぎ上げていたのだとしたら、すごいことだ。そういう訓練もすると以前リアンが言ってたので、不可能ではないのかもしれない。

「ホセは、近距離からスナイパーライフルで撃たれていた。防弾ベストにプレートを入れていたから貫通はしなかったが、衝撃によるダメージは大きく、骨折や内臓損傷の可能性が高かった。あれで済んだのは奇跡だったくらいだ。俺とリーサは、彼らをなんとか屋上まで運んだ。
 ヘリは定刻に到着し、他のポイントで拾った救助対象者たちとともに、受け入れてくれた。俺はそこで彼らと別れたが、ヘリはきっと無事、病院に到着したはずだ」
「なぜあなたは残ることにしたの? 怪我もしているのに」
「なぜって、それは、君を探すために」
 声の調子も変えず、ひたりと正面から私の顔を見詰めて、彼はこともなげにそう答えた。
 あまりにあっさりそう言われると、反応に困る。なんの捻りもない問いしか出てこなくなってしまう。
「なぜ? せっかく帰れるチャンスだったのに」
「心配だったからだ」
「止められたんじゃないの、仲間に」
「ああもちろん。初めて上官の指示を無視した」
「そんな。……そこまでする必要は」
「言っただろう、君が心配だった」

 リアンが手を置いている右足首が、湿布をされているのにやたら熱く感じる。手を離してほしいと思っても、彼はそのまま動かない。薄い緑の目で、じっと私を見ている。

「君は、俺と塩野の怪我を見て、青くなっていた。あきらかに動揺していた。だというのに危険も顧みず、ホセやリーサと、このビルに乗り込んでいった。どう見ても素人の君が、なぜそんなことをしようと思ったのか気になった。聞いてみたかったんだよ。それに、君の恐怖とも不安とも違う、なにかを背負い込んでいるような顔も、気になった。君は、死んでもしかたないと思っているように見えた」

 ある意味核心を突いていた。死んでも仕方がないと、たしかに思う。死ぬことに関して、心的ハードルは下がってきている。リトライを重ねるごとに、ますますハードルは低くなる。

 ただ、私が動揺したのは、塩野やリアンの怪我を見てというわけではなく、むしろ、彼らが怪我で済んでいたことがショックだったのだ。訂正はしないけれど。

「屋上に迷子みたいにしゃがみこんでいる君を見て、助けにきて正解だったと確信した」
「死にたいわけじゃないの」
「……でも、諦めているだろう、どこか。俺にうまくやると言ったときの君は、そう見えたぞ」
「気のせいだよ」
「そうか。まあ、それだったら、これはただのお節介だったと思ってくれ」
「命令に背いてまで焼くものじゃないのに。あなた、普段そういうタイプじゃないんでしょう?」

 なぜか、急に心細くなってきた。今までただ忘れていただけで、リアンのせいで思い出した。
 おそらく彼は本当に、ただ気になって来てくれただけだっただろうに、私は今、彼に縋り付きたい衝動を堪えるので必死だった。
 そうしたら、彼は優しく頭をなでてくれるんじゃないだろうか。

「情動的に動いたほうが、後悔しない場面もあると昔学んでね。あれこれ計画立てて考えるより、自分の心に従ったほうが、たとえ失敗しても満足できることもある」
 それは、彼の昔の恋人のことを言っているのだろうか。
 そのことを私が知ってると、彼は知らない。
「それに、制止を振り切って飛び出されるのは、やられると頭にくるが、やるとなかなか気分がよかった」
 リアンは真顔でそう言った。
 三秒見詰め合って、私たちは同時に吹き出した。

「悪かったわ。本当に。これからはあなたの指示に従うから、……助けに来てくれて、ありがとう」

 微笑んで、リアンは私の肩を軽く二度叩いた。そして、私の左頬に手を当てる。
 傷口に触れられ、痛みが走った。彼の顔が間近にきて、私は目を伏せる。緑色の目を直視できなかった。

「結構深く切れてしまっている。頬骨の真上でなかったのはよかったが……。痕が残るかもしれない」
「……仕方ないよ」
「俺が下手に縫わないほうがいいだろう。痕になる」
 彼はテープを取り出すと、ぺたぺたと頬の傷口にそれを貼ってくれた。引き攣れるような痛みがだいぶましになる。
「あまり濡らしたり、擦らないようにな」
「はい」

 片付けをしたあと、ジムに置いてあったドリンクや食料で補給し、私たちはこれからのことを話し始めた。
 ヘリのクルーからの情報によると、明日、感染者の保護と隔離を目的としたチームが軍から派遣される。ホセがいたのと同じ目的で組織されたチームだ。そのチームに保護してもらおうということだ。

「到着地点はどこなの?」
「三つポイントがある。一番近いのは公共ホールだ。ここに移送用のバスが来ることになっている。時間は午前七時。君は移動が困難だから、余裕を持って六時にはここを出発しよう。ホールまでは歩いて通常十五分ほどで到着するはずだ」
「場所はわかるの?」
「ああ、ここに派遣される前に地図を渡されていたからな」

 リアンは荷物の整理や武器の手入れをしている。
 私はそれを眺め、グレープフルーツ風味のスポーツドリンクをちびちび飲んでいるところだ。
 リアンが見回ってくれて、このフロアは安全そうだとわかった。もちろん油断はできないけれど、一晩雨風を凌ぐのはここでということになった。

 午後九時十分。場所をロッカールームから、床張りのスタジオに移している。そこの床に直に座り込んでいるのだが、お尻が冷えるのが少し辛い。備品の棚からヨガマットを二枚借りてきて、重ねて敷いて凌いでいる。
 怪我と疲れで瞼が重くなってきている。気を抜くと居眠りしそうだ。

「眠そうだな」
「……ごめんなさい」
「気にするな、休んだほうがいい。交代で眠ろう。明かりは消せないが」
「ありがとう」
 遠慮しても意味はないので、私はマットの上に横になった。
 すぐに夢に落ちていった。
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