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レギュラー(前)
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突き抜けるような青空に、ブラズーカのボールが舞った。幼さの残る焼けたうなじに、汗を濡らした少年達がそれを追っている。
雲ひとつない晴天の下、深緑に覆われた眩しいくらいの天然芝のなかで、湘南フットボール大会が行われている。観戦する親達も熱狂的だ。時折、悲鳴にも似た声援が飛ぶ。それを倉部は、苦々しい薄笑いで聞いている。
試合終了まじかのコーナーキック。クロスに飛び込んだ味方の子が頭で合わせた。たしか、あの子はキャプテンのS君だ。彼はやっぱりうまいな。なにより負けん気というか、プレーに気持ちが入っている。あれくらいの意気込みが、うちの連太郎にもあればいいのにな。
これ以上ない清々しいグランドで、霧がかった心をぶら下げる自分の器が情けない。過度な期待はかけないほうがいいのはわかっているけども、だからといって鼻から諦めてるようでは意味がない。なんとも複雑な心境だが、我が息子の出ない試合ほどあくびが出るものもなかった。
ボールは惜しくもバーを掠めていって、観戦していた父母の溜息があちこちから漏れた。息子の連太郎が大袈裟に頭を抱えた。そして何語かわからぬデタラメな言葉で悔しがった。最近、ブームのマラドーナの真似だ。父母達の失笑と同時に、ゲームセットの笛が響いた。
「おつかれさん」
汗一つかいていない息子の肩をポンっとたたいた。
「つかれてないよ」
「どうして? 」
「だってリザーバーだもん」
リザーバー││。聞こえはいいが、要は補欠だ。自虐ともとれる言葉が息子の口から出てきて、なんと声をかけたらいいのかわからなかった。
「そんなこというなよ……補欠だって大切なメンバーだぞ。つぎに頑張ればいいじゃないか」
息子の周りにいるリザーバーの子供達にも聞こえるようにいった。
「むりだよ」
「無理なんていうな。まだおまえは小学生だぞ。そんなうちから諦めてどうする」
「だって……ムリなものはムリなんだもん」
息子の拗ねた横顔見て思う。こいつだって好んでベンチにいるわけじゃない。わかってはいるが、夢なかばで卑屈になった中年のような発言をする息子に、いたたまれない気持ちなる。
「つぎはがんばるよ。パパ」
連太郎が頷く。息子にはっぱをかけるつもりだったが、親のエゴで前向きな言葉を引き出したかっただけのような気がした。
余計なことをいってしまったな、という気持ちを引きずりながら、グランドの駐車場で帰り支度をしていると、M君のママが困った顔で妻に話しかけてきた。
「ねえ、奥さん。ちょっとこれ見て」
指差す先に彼女の息子が立っている。芝生で緑色に擦り汚れたユニフォーム姿である。
「いつもは砂だけど、ここは芝でしょ。こんな汚れ落ちるのかしら」
どんなことかと思えば……。そんなことをわざわざ妻に聞くことか。M君は今日、風邪で休んだ子の代わりに試合に抜擢された。主婦にとって家事の情報共有は仕事みたいなものなのだろうがM君のママのどこか誇らしげ顔だ。
どうせ、洗濯するのだからおもいっきり汚してきなさい。お袋がいっていた子供の頃の記憶が急に蘇る。嬉しい悲鳴を上げるM君のママのとは、裏腹に妻の寂びしそうな笑みが片隅に残った。
帰りの246号線は、激しく渋滞していた。ブレーキランプがはるか遠い先まで並んでいる。ちょっと進めば、また停まるの繰り返し。休日のこの時間、混雑回避ルートもむなしく長蛇の列に見舞われている。しまいにはカートを押すお婆さんが抜いて行くのを見て、やれやれを通り越して鼻から笑いがでた。
「パパ、おうちまだぁ? 」
後ろの座席でゲーム片手に連太郎が訊いた。
「仕方ないんだよ。日曜日だから」
「さっきはすいてる道でいくから大丈夫だっていったじゃん」
「物事そんなうまくいかないんだぞ。パパだって頑張ってるよ」
小学生も高学年になり、だいぶ生意気な口をきくようになったもんだ。
「がんばっても、結果がついてこなきゃいけないんでしょ。日本代表の試合みていつもいってるじゃん」
「そうだな。あの人達はプロだからな。結果がなければ試合に出れないんだよ」
「ぼくみたいに?」
さすがに「そうだ」とはいえず、ムッとした表情を浮かべる。見かける小学生は口が達者な子が多い。我が家も例外ではなくなったことに、辟易した感情を抱く。
「パパはいいね。楽で」
「うるさいっ!! いい加減にしろ」
イラつきが限度に達して、怒鳴り散らしてしまった。重い空気に見舞われた車内で息子が声をあげて泣き出した。
「なんで苛々してるの?」
妻が伺うように訊いてきた。横になった連太郎は、泣き疲れて寝息をたてている。子供のいうことを真に受けたって仕方ないじゃない、そんな口調だった。
「そうかな。普通だよ」
白々しく応えたところで返事はない。
「朝からだよ。試合のときなんか眉間にシワが寄ってた」
図星をつかれて、黙ったままハンドルを握っていた。無言の肯定。惚けたところで妻にはバレている。
「正直にいっていいかな……」
バックミラーに映る妻に続けた。
「息子が出れもしない試合のために、有給休暇を取る必要があるのか? 」
休みをとるのは構わない。だが出場機会もないのに、わざわざ有休を使ってまでの理由が、いまいち見当たらない。いってはいけないと分かっていても、心から漏れた感情は口に収まらない。だが言葉にしてから、やっぱり後悔した。
「両親揃って観戦した方が、心証がいいのよ」
「しんしょう? 」
「額井《ぬかい》コーチのよ」
連太郎のチームをまとめるヘッドコーチだ。ずんぐりむっくりの体型に腹の底に響くデカい声が監督然としている。こんがり焼けた色黒で、ついたあだ名がチョコボール。
「心証だなんて、ちょっと大袈裟な気がするぞ」
「あなただって、いつまでも補欠の応援じゃ、つまらないでしょう」
「それはそうだ」
マラドーナのおふざけも、試合にでればムードメーカー。補欠であれをやったら、ただのピエロだ。
「じゃあ、同じくらいのレベルの子がレギュラーの座を奪い合うとして、あなたならどうやって選ぶ? 」
「それはやる気のあるほうだろ」
「当たり前のこといわないで。じゃあ、二人ともやる気があったら? 」
「そうだな……」
「親子ともに熱心な方を選ばない? 」
「なるほどねぇ」
内心、姑息だと感じながら、妙に納得してしまった。それは出ないほうより、親として出場してもらったほうがいい。なにせ応援のしがいがある。それにしても妻が打算を踏んでいたとは、意外だった。
「それは奥さんも、もどかしいよな」
旧友の新田が、ピータンを箸でつつきながらいった。お調子者の性格はあいかわらずで、学生時代と変わらぬ軽口を叩ける間柄だ。紅色の円卓を囲みながら、アルコールも手伝って思わず本音がでる。
「嫁も俺も、運動だけはできたから、どうしても期待しちまう」
口に含んだ紹興酒がほろ苦い。昔よりもサッカー人気は格段に上がった。日本代表は強くなったし、ワールドカップの常連にもなった。巷の少年クラブチームはバブルのように増え、裾野は広がった。だがその陰で競争は激しくなり、試合にも出れず、ボールも蹴れない子が溢れている。自分がやっていた頃とは環境が違う。だが││。
「日陵のセンターバックの遺伝子なのになぁ」
新田の口からボソリと出た言葉。ひそかに脳裏に過ぎらしていたことである。学生時代、僕は主力だったし、妻は校内で一番足が早かった。二人の子供なら間違いなく、運動が万能だと高を括っていたのは否定できない。親の勝手な期待を背負わされたとすれば、連太郎にとってこんな迷惑な話しはない。
「でも親のやる気でレギュラー勝ち取るなんて、俺らの時代じゃ考えられなかった」
それを聞いて新田が腕を組む。
新田とは、日陵高校のサッカー部で一緒だった。日陵高校は公立校でありながら、強豪のサッカー部があり、全国大会の常連である。芽のある奴が、スポーツ推薦のある私立に青田買いされるなか、家庭の事情で私立にいけなかった選手がたどり着く場所でもあった。僕も新田もその手の選手だった。
「いや、そうでもない」
頬を赤らめた新田が、かぶりをふる。
「どちらか迷った場合は、案外ちょっとしたことで左右するもんだ。どっちもどっちなら面倒じゃないほうがいい」
「意外と適当だな。高校教師も」
嫌味っぽい発言に新田が鼻で笑う。新田は高校の教師をやっている。今はサッカーと無縁の生活だが、指導者の立場からの意見を訊ける貴重な存在だ。
「あのな……いちいち親の地雷踏んでたら教師なんてやってけないんだよ。あんまりモンペと対峙するとメンタルいかれちゃうつーの」
そういって新田は舌打ちした。モンペとはモンスターペアレンツのことだ。行き過ぎた過保護に対する造語であることは耳にしていたが、まさか調子者の新田でさえ頭を悩ましているのは少々驚きだった。
「いちゃもんをつける親なんて、俺らの時代には滅多にいなかったけどな」
「文句ってほどじゃない。うちの子を選ばなかった理由をあげろだとかさ。そんな小さいことをチクチクとやってくる。本人達もモンペの存在は知っているから、ぎりぎりのところをついてくるわけだ」
膿をだすように新田が毒づいて、続けた。
「だいたい過保護すぎるんだよな」
ちょっと耳が痛い発言だった。連太郎はひとり息子だ。比べる兄弟がいないので、果たしてうちの子育てがどの程度なのかわからない。厳しいか、と問われたら自信はない。
「息子がサッカーを始めたいって聞いた時、どう思った?」
忘れもしない。あれは録画したチャンピオンズリーグを観ている時だった。突然、連太郎がシュートの真似事を始めて「パパ、大きくなったらクリロナみたいになりたい」といった。耳を疑った。仮面ライダーに夢中だった連太郎から……まさかクリスティアーノ・ロナウドが出てくるとは思わず、熱いものがこみ上げてきた。
「それで次の日にはスパイクを買ってやったんだろ」
見透かしたような口ぶりに、「いや、違う」と小さく反抗してみたものの……
「レアルのユニフォームを買ってやった」
すぐに諦めて白状した。
「そこだよ。そこ!」
目を見開いた新田が力強く指摘する。
「息子にユニフォームを買ってやることの何が悪い? 」
なかばこちらも逆ギレ気味だ。甘いと指摘されれば、それまでだが、こっちだってやる気を助長させるためだった。
「かぁぁ。あのな。長男っての与えられてばっかりだから、ストイックさってのがないんだよ。わかる? サッカーはボールを奪い合うスポーツだぞ。与えてどうする」
少しムカついたが、新田の指摘も一理ある。
「アスリートで成功するのは次男坊ばっかだよ」
それでは根も葉もない。
「まず息子のスイッチを探さなきゃな」
「スイッチ?」
「要はやる気を引き出してやらないと、うまくはならない。絶対に」
さすがに教師の言葉には重みがあった。自分が子供の頃は、ボールが主な遊び道具だった。今の子供はゲームや商業的な遊び道具で溢れている。それに加え、塾だのプールだの、目の前に与えられ続ける習い事。それはまるでベルトコンベアーの梱包にように流れてくる。
「いわれてやるんじゃなくて、自ずからやること。目つきが変わる瞬間だよ」
「ああ、あるといえばあるかな」
「なんだ? いってみろ」
「ゲーム……だな」
「それじゃダメだ」
呆れの混じりの当然の応えが返ってくる。だがダメなものはダメだと輸してくれる新田には感謝しなければいけない。ひとり息子に対して、盲目的な子育てになっては連太郎が可哀想なのだ。
「たしかにおまえは良いセンターバックだったよ」
懐かしむ顔で新田がいった。前のめりな性格の新田が、ボランチというポジションに着くと守備をザルにした。すぐ後ろのセンターバックは、肩で息をしながら尻拭いをさせられた。今では笑い話しであるが。
「だけどそれを押し付けられた息子は、たまったもんじゃないよな」
まったくその通りだ。ズバズバと斬り捨てられても、ありがたいのはいうまでもない。
「わかってるつもりなんだけどな。自分でも知らないうちにだよ。親失格だな」
「そう臍曲げるなって。大切なのは倉部がサッカーを楽しんでるところを見せなきゃってことだ。百聞は一見に如かずって言葉があるだろ。子供は親の背中を見て育つんだよ」
新田の指摘は確信をついている。だてに教師を勤めているわけじゃない。
「まあ。元気よく育ってくれれば、それでいいと俺は思うけどな」
強引に話しを終了させて、新田がいった。そろそろ話題も子供から、離れたそうだったし、僕もあまり長いこと息子の話しになるのも避けたかった。
スイッチか……。頭のなかでスイッチという単語が泳ぎまわっていた。
翌週に思いがけない形で、スイッチを発見することになった。
「連太郎パパさん。こんにちわ!」
大きな声に、振り向かずとも声の主がわかる。チョコボールこと、額井コーチがのっしのっしと近寄ってくる。キャップを取った額井コーチは、雛鳥《ひなどり》のように薄い頭皮を見せた。
「これは、どうも」と返すと、額井コーチのこんがり黒い顔から、白い歯がニカッとこぼれた。
「パパさんは、サッカーやられてたんですか」
額井が訊いてくる。経験者だとは告げていない。隠すつもりはないが、わざわざ自分が経験者だと伝えることに違和感があった。首を突っ込みたがるように映るのだけは避けたくて伏せていたのだ。まあ、ママさん連中のどこかで話しが漏れるのは、時間の問題だった。
「だいぶ、昔の話しですよ」
照れ笑いして観念すると「まだまだ若いじゃないですか。可愛らしい奥さんもいるし、羨ましい限りですよ」と額井コーチが歯の浮くようなセリフをいい、汗を拭いながら樽のような腹を摩る。
「わたしなんか、鞭打って、こんな腹でもやってるんだから」
額井は高笑いし、なおも続ける。
「ポジションはどこやられてたんですか?」
「まあ、いろいろやりましたけど。最終的にはセンターバックで落ち着きました」
「なるほど。どうりで背が高いわけだ」
額井が下から舐めるような視線を向けた。センターバックとはキーパーの一番近いところを守るディフェンダーの要だ。クロスボールをヘディング跳ね返す能力が必要とされ、背が高いことが必須条件となる。
「いやぁ。適任見つけちゃったなぁ」
わざとらしい大袈裟な顔で額井がいった。その目には、喜び半分、伺い半分の色が映る。
「どういうことです? 」
「実は、南鵠《なんこう》フットボールクラブのコーチがヘルニアで辞めることになったんですよ。それで急遽、人材を捜してるわけです」
「はぁ……」
「どうですか。パパさん。南鵠のコーチを引き受けてくれませんか? 」
何をいってるのか、理解するまでに時間がかかった。僕がコーチ? 身を仰け反ってしまうような打診に、本当に仰け反ってしまった。
「いやいや、僕には荷が重すぎますよ」
まさかまさかの打診。しかも南鵠フットボールクラブといえば、この地域でも一番の強豪じゃないか。才能のある子は、わざわざ隣町からも通うと聞く。無理ですよ。
「だいじょうぶですよ。倉部さんならできますって」
必死に頭を振ったものの、額井コーチはどこ吹く風だ。
「それに一年間の期間限定です。もちろん、続けていただける意思がおありなら、そのまま続行も可能ですし。どうです?」
どうです? といわれて、やりますよと簡単には答えられない。返事に困窮していると、連太郎が聞いてきた。
「ねえ。パパ。南鵠のコーチやるの?」
そこには見たことのない表情を浮かべる息子がいた。その目には、驚きと輝きがあった。息子から、こんな眼差しを受けたのは初めての経験だった。なんと答えていいか、わからない。
「連太郎だって、パパが南鵠のコーチやったら嬉しいよな」
額井コーチの言葉に、連太郎が嬉しそうにはにかんだ。新田のいうスイッチを見つけてしまったような気がした。
雲ひとつない晴天の下、深緑に覆われた眩しいくらいの天然芝のなかで、湘南フットボール大会が行われている。観戦する親達も熱狂的だ。時折、悲鳴にも似た声援が飛ぶ。それを倉部は、苦々しい薄笑いで聞いている。
試合終了まじかのコーナーキック。クロスに飛び込んだ味方の子が頭で合わせた。たしか、あの子はキャプテンのS君だ。彼はやっぱりうまいな。なにより負けん気というか、プレーに気持ちが入っている。あれくらいの意気込みが、うちの連太郎にもあればいいのにな。
これ以上ない清々しいグランドで、霧がかった心をぶら下げる自分の器が情けない。過度な期待はかけないほうがいいのはわかっているけども、だからといって鼻から諦めてるようでは意味がない。なんとも複雑な心境だが、我が息子の出ない試合ほどあくびが出るものもなかった。
ボールは惜しくもバーを掠めていって、観戦していた父母の溜息があちこちから漏れた。息子の連太郎が大袈裟に頭を抱えた。そして何語かわからぬデタラメな言葉で悔しがった。最近、ブームのマラドーナの真似だ。父母達の失笑と同時に、ゲームセットの笛が響いた。
「おつかれさん」
汗一つかいていない息子の肩をポンっとたたいた。
「つかれてないよ」
「どうして? 」
「だってリザーバーだもん」
リザーバー││。聞こえはいいが、要は補欠だ。自虐ともとれる言葉が息子の口から出てきて、なんと声をかけたらいいのかわからなかった。
「そんなこというなよ……補欠だって大切なメンバーだぞ。つぎに頑張ればいいじゃないか」
息子の周りにいるリザーバーの子供達にも聞こえるようにいった。
「むりだよ」
「無理なんていうな。まだおまえは小学生だぞ。そんなうちから諦めてどうする」
「だって……ムリなものはムリなんだもん」
息子の拗ねた横顔見て思う。こいつだって好んでベンチにいるわけじゃない。わかってはいるが、夢なかばで卑屈になった中年のような発言をする息子に、いたたまれない気持ちなる。
「つぎはがんばるよ。パパ」
連太郎が頷く。息子にはっぱをかけるつもりだったが、親のエゴで前向きな言葉を引き出したかっただけのような気がした。
余計なことをいってしまったな、という気持ちを引きずりながら、グランドの駐車場で帰り支度をしていると、M君のママが困った顔で妻に話しかけてきた。
「ねえ、奥さん。ちょっとこれ見て」
指差す先に彼女の息子が立っている。芝生で緑色に擦り汚れたユニフォーム姿である。
「いつもは砂だけど、ここは芝でしょ。こんな汚れ落ちるのかしら」
どんなことかと思えば……。そんなことをわざわざ妻に聞くことか。M君は今日、風邪で休んだ子の代わりに試合に抜擢された。主婦にとって家事の情報共有は仕事みたいなものなのだろうがM君のママのどこか誇らしげ顔だ。
どうせ、洗濯するのだからおもいっきり汚してきなさい。お袋がいっていた子供の頃の記憶が急に蘇る。嬉しい悲鳴を上げるM君のママのとは、裏腹に妻の寂びしそうな笑みが片隅に残った。
帰りの246号線は、激しく渋滞していた。ブレーキランプがはるか遠い先まで並んでいる。ちょっと進めば、また停まるの繰り返し。休日のこの時間、混雑回避ルートもむなしく長蛇の列に見舞われている。しまいにはカートを押すお婆さんが抜いて行くのを見て、やれやれを通り越して鼻から笑いがでた。
「パパ、おうちまだぁ? 」
後ろの座席でゲーム片手に連太郎が訊いた。
「仕方ないんだよ。日曜日だから」
「さっきはすいてる道でいくから大丈夫だっていったじゃん」
「物事そんなうまくいかないんだぞ。パパだって頑張ってるよ」
小学生も高学年になり、だいぶ生意気な口をきくようになったもんだ。
「がんばっても、結果がついてこなきゃいけないんでしょ。日本代表の試合みていつもいってるじゃん」
「そうだな。あの人達はプロだからな。結果がなければ試合に出れないんだよ」
「ぼくみたいに?」
さすがに「そうだ」とはいえず、ムッとした表情を浮かべる。見かける小学生は口が達者な子が多い。我が家も例外ではなくなったことに、辟易した感情を抱く。
「パパはいいね。楽で」
「うるさいっ!! いい加減にしろ」
イラつきが限度に達して、怒鳴り散らしてしまった。重い空気に見舞われた車内で息子が声をあげて泣き出した。
「なんで苛々してるの?」
妻が伺うように訊いてきた。横になった連太郎は、泣き疲れて寝息をたてている。子供のいうことを真に受けたって仕方ないじゃない、そんな口調だった。
「そうかな。普通だよ」
白々しく応えたところで返事はない。
「朝からだよ。試合のときなんか眉間にシワが寄ってた」
図星をつかれて、黙ったままハンドルを握っていた。無言の肯定。惚けたところで妻にはバレている。
「正直にいっていいかな……」
バックミラーに映る妻に続けた。
「息子が出れもしない試合のために、有給休暇を取る必要があるのか? 」
休みをとるのは構わない。だが出場機会もないのに、わざわざ有休を使ってまでの理由が、いまいち見当たらない。いってはいけないと分かっていても、心から漏れた感情は口に収まらない。だが言葉にしてから、やっぱり後悔した。
「両親揃って観戦した方が、心証がいいのよ」
「しんしょう? 」
「額井《ぬかい》コーチのよ」
連太郎のチームをまとめるヘッドコーチだ。ずんぐりむっくりの体型に腹の底に響くデカい声が監督然としている。こんがり焼けた色黒で、ついたあだ名がチョコボール。
「心証だなんて、ちょっと大袈裟な気がするぞ」
「あなただって、いつまでも補欠の応援じゃ、つまらないでしょう」
「それはそうだ」
マラドーナのおふざけも、試合にでればムードメーカー。補欠であれをやったら、ただのピエロだ。
「じゃあ、同じくらいのレベルの子がレギュラーの座を奪い合うとして、あなたならどうやって選ぶ? 」
「それはやる気のあるほうだろ」
「当たり前のこといわないで。じゃあ、二人ともやる気があったら? 」
「そうだな……」
「親子ともに熱心な方を選ばない? 」
「なるほどねぇ」
内心、姑息だと感じながら、妙に納得してしまった。それは出ないほうより、親として出場してもらったほうがいい。なにせ応援のしがいがある。それにしても妻が打算を踏んでいたとは、意外だった。
「それは奥さんも、もどかしいよな」
旧友の新田が、ピータンを箸でつつきながらいった。お調子者の性格はあいかわらずで、学生時代と変わらぬ軽口を叩ける間柄だ。紅色の円卓を囲みながら、アルコールも手伝って思わず本音がでる。
「嫁も俺も、運動だけはできたから、どうしても期待しちまう」
口に含んだ紹興酒がほろ苦い。昔よりもサッカー人気は格段に上がった。日本代表は強くなったし、ワールドカップの常連にもなった。巷の少年クラブチームはバブルのように増え、裾野は広がった。だがその陰で競争は激しくなり、試合にも出れず、ボールも蹴れない子が溢れている。自分がやっていた頃とは環境が違う。だが││。
「日陵のセンターバックの遺伝子なのになぁ」
新田の口からボソリと出た言葉。ひそかに脳裏に過ぎらしていたことである。学生時代、僕は主力だったし、妻は校内で一番足が早かった。二人の子供なら間違いなく、運動が万能だと高を括っていたのは否定できない。親の勝手な期待を背負わされたとすれば、連太郎にとってこんな迷惑な話しはない。
「でも親のやる気でレギュラー勝ち取るなんて、俺らの時代じゃ考えられなかった」
それを聞いて新田が腕を組む。
新田とは、日陵高校のサッカー部で一緒だった。日陵高校は公立校でありながら、強豪のサッカー部があり、全国大会の常連である。芽のある奴が、スポーツ推薦のある私立に青田買いされるなか、家庭の事情で私立にいけなかった選手がたどり着く場所でもあった。僕も新田もその手の選手だった。
「いや、そうでもない」
頬を赤らめた新田が、かぶりをふる。
「どちらか迷った場合は、案外ちょっとしたことで左右するもんだ。どっちもどっちなら面倒じゃないほうがいい」
「意外と適当だな。高校教師も」
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「あのな……いちいち親の地雷踏んでたら教師なんてやってけないんだよ。あんまりモンペと対峙するとメンタルいかれちゃうつーの」
そういって新田は舌打ちした。モンペとはモンスターペアレンツのことだ。行き過ぎた過保護に対する造語であることは耳にしていたが、まさか調子者の新田でさえ頭を悩ましているのは少々驚きだった。
「いちゃもんをつける親なんて、俺らの時代には滅多にいなかったけどな」
「文句ってほどじゃない。うちの子を選ばなかった理由をあげろだとかさ。そんな小さいことをチクチクとやってくる。本人達もモンペの存在は知っているから、ぎりぎりのところをついてくるわけだ」
膿をだすように新田が毒づいて、続けた。
「だいたい過保護すぎるんだよな」
ちょっと耳が痛い発言だった。連太郎はひとり息子だ。比べる兄弟がいないので、果たしてうちの子育てがどの程度なのかわからない。厳しいか、と問われたら自信はない。
「息子がサッカーを始めたいって聞いた時、どう思った?」
忘れもしない。あれは録画したチャンピオンズリーグを観ている時だった。突然、連太郎がシュートの真似事を始めて「パパ、大きくなったらクリロナみたいになりたい」といった。耳を疑った。仮面ライダーに夢中だった連太郎から……まさかクリスティアーノ・ロナウドが出てくるとは思わず、熱いものがこみ上げてきた。
「それで次の日にはスパイクを買ってやったんだろ」
見透かしたような口ぶりに、「いや、違う」と小さく反抗してみたものの……
「レアルのユニフォームを買ってやった」
すぐに諦めて白状した。
「そこだよ。そこ!」
目を見開いた新田が力強く指摘する。
「息子にユニフォームを買ってやることの何が悪い? 」
なかばこちらも逆ギレ気味だ。甘いと指摘されれば、それまでだが、こっちだってやる気を助長させるためだった。
「かぁぁ。あのな。長男っての与えられてばっかりだから、ストイックさってのがないんだよ。わかる? サッカーはボールを奪い合うスポーツだぞ。与えてどうする」
少しムカついたが、新田の指摘も一理ある。
「アスリートで成功するのは次男坊ばっかだよ」
それでは根も葉もない。
「まず息子のスイッチを探さなきゃな」
「スイッチ?」
「要はやる気を引き出してやらないと、うまくはならない。絶対に」
さすがに教師の言葉には重みがあった。自分が子供の頃は、ボールが主な遊び道具だった。今の子供はゲームや商業的な遊び道具で溢れている。それに加え、塾だのプールだの、目の前に与えられ続ける習い事。それはまるでベルトコンベアーの梱包にように流れてくる。
「いわれてやるんじゃなくて、自ずからやること。目つきが変わる瞬間だよ」
「ああ、あるといえばあるかな」
「なんだ? いってみろ」
「ゲーム……だな」
「それじゃダメだ」
呆れの混じりの当然の応えが返ってくる。だがダメなものはダメだと輸してくれる新田には感謝しなければいけない。ひとり息子に対して、盲目的な子育てになっては連太郎が可哀想なのだ。
「たしかにおまえは良いセンターバックだったよ」
懐かしむ顔で新田がいった。前のめりな性格の新田が、ボランチというポジションに着くと守備をザルにした。すぐ後ろのセンターバックは、肩で息をしながら尻拭いをさせられた。今では笑い話しであるが。
「だけどそれを押し付けられた息子は、たまったもんじゃないよな」
まったくその通りだ。ズバズバと斬り捨てられても、ありがたいのはいうまでもない。
「わかってるつもりなんだけどな。自分でも知らないうちにだよ。親失格だな」
「そう臍曲げるなって。大切なのは倉部がサッカーを楽しんでるところを見せなきゃってことだ。百聞は一見に如かずって言葉があるだろ。子供は親の背中を見て育つんだよ」
新田の指摘は確信をついている。だてに教師を勤めているわけじゃない。
「まあ。元気よく育ってくれれば、それでいいと俺は思うけどな」
強引に話しを終了させて、新田がいった。そろそろ話題も子供から、離れたそうだったし、僕もあまり長いこと息子の話しになるのも避けたかった。
スイッチか……。頭のなかでスイッチという単語が泳ぎまわっていた。
翌週に思いがけない形で、スイッチを発見することになった。
「連太郎パパさん。こんにちわ!」
大きな声に、振り向かずとも声の主がわかる。チョコボールこと、額井コーチがのっしのっしと近寄ってくる。キャップを取った額井コーチは、雛鳥《ひなどり》のように薄い頭皮を見せた。
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「パパさんは、サッカーやられてたんですか」
額井が訊いてくる。経験者だとは告げていない。隠すつもりはないが、わざわざ自分が経験者だと伝えることに違和感があった。首を突っ込みたがるように映るのだけは避けたくて伏せていたのだ。まあ、ママさん連中のどこかで話しが漏れるのは、時間の問題だった。
「だいぶ、昔の話しですよ」
照れ笑いして観念すると「まだまだ若いじゃないですか。可愛らしい奥さんもいるし、羨ましい限りですよ」と額井コーチが歯の浮くようなセリフをいい、汗を拭いながら樽のような腹を摩る。
「わたしなんか、鞭打って、こんな腹でもやってるんだから」
額井は高笑いし、なおも続ける。
「ポジションはどこやられてたんですか?」
「まあ、いろいろやりましたけど。最終的にはセンターバックで落ち着きました」
「なるほど。どうりで背が高いわけだ」
額井が下から舐めるような視線を向けた。センターバックとはキーパーの一番近いところを守るディフェンダーの要だ。クロスボールをヘディング跳ね返す能力が必要とされ、背が高いことが必須条件となる。
「いやぁ。適任見つけちゃったなぁ」
わざとらしい大袈裟な顔で額井がいった。その目には、喜び半分、伺い半分の色が映る。
「どういうことです? 」
「実は、南鵠《なんこう》フットボールクラブのコーチがヘルニアで辞めることになったんですよ。それで急遽、人材を捜してるわけです」
「はぁ……」
「どうですか。パパさん。南鵠のコーチを引き受けてくれませんか? 」
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「いやいや、僕には荷が重すぎますよ」
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「だいじょうぶですよ。倉部さんならできますって」
必死に頭を振ったものの、額井コーチはどこ吹く風だ。
「それに一年間の期間限定です。もちろん、続けていただける意思がおありなら、そのまま続行も可能ですし。どうです?」
どうです? といわれて、やりますよと簡単には答えられない。返事に困窮していると、連太郎が聞いてきた。
「ねえ。パパ。南鵠のコーチやるの?」
そこには見たことのない表情を浮かべる息子がいた。その目には、驚きと輝きがあった。息子から、こんな眼差しを受けたのは初めての経験だった。なんと答えていいか、わからない。
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