30 / 31
最終章
第2話
しおりを挟む
屈強な兵士に引きずられそうになった私は、ドットの腕にしがみつく。
頭上に迫った炎の塊に、彼は瞬時に結界を張った。
パリンと巨大な音をたて、ドットの張った結界が巨大な火炎球を弾き返す。
それは一直線に空を飛ぶドラゴンへ迫った。
「ぐわぁぁっつ!」
赤黒い竜が、自分の放った炎に焼かれ全身を焦がす。
彼は上空で苦しそうに激しく身をよじると、その体から炎を失った。
「うぬぬ。お前が宮廷魔法師か。名は何という」
「ドットだ。ドットとだけ覚えておけ!」
「よかろう」
翼を広げ、ドラゴンはゆっくりと地上へ舞い降りた。
鋭く伸びた爪が、ガシリと大地をえぐり取る。
「ドットよ。このまま城ごと破壊されたくなければ、その娘をこちらへ寄こせ」
「断ると言ったら?」
「ならば対価を用意しろ。お前の命でもかまわんぞ」
彼の鳴らした鼻息が、熱風となり黒煙を上げ頬を照りつける。
「この国と今居る兵士たちの命の値段だ。どうする?」
振り下ろした棘のある尻尾が、勢いよく土塊を巻き上げた。
「いくら必要だ」
「そうだな。ラドゥーヌ王家に伝わる秘宝で許してやろう。15代国王ユースタスが、王妃ヘザーに求婚のために贈った、彼女の目の色と同じエメラルドの首飾りだ」
それを聞いたとたん、ドットはサッと顔色を変えた。
私も彼と目を合わせる。
「そ、それは……」
失われた秘宝だ。
その首飾りを受け継いだ次の16代王妃クロエが、外遊中に海で難破し、海底に沈んだ。
ドラゴンは小刻みに首を左右に傾ける。
「どうした? あの首飾りは、本来は俺がヘザーに贈る予定のものだったのを、ユースタスが奪い取り彼女に贈ったものだ。返してもらいたい」
ドットの背に隠されていた私は、彼を押しのけドラゴンの前に進み出る。
「グレグ。あなたは南の海に出掛けていたと、カイルから聞きました。そのカイルは、今どこに?」
「……。それに答える義理はない」
「ずっと彼は、私と身代金の交渉をしていたのよ。その彼がいない状態で、いきなり現れたあなたがグレグだなんて、どうして信じられるの?」
ドラゴンからの返事はない。
荒れ狂う黒煙が、鼻先からシュウシュウと吹き出している。
「あなたは無くなったひいお祖母さまの首飾りを探しに、海まで出掛けていたの?」
「あの首飾りは、俺のものだった」
そう雄叫びを上げる赤黒く恐ろしいドラゴンの姿からは、私には表情が読み取れない。
「あなたが本物のグレグだという証拠がないわ。ただの乱暴なドラゴンが、グレグの代わりにやって来たのではなくて? あなたがグレグ本人だという証拠を見せて!」
空に舞うドラゴンは、何かを考えているかのように尻尾を揺らした。
次の瞬間、ボンッと白煙が巻き上がる。
風にゆっくりと流された煙の中から見えてきたのは、濃い緑色のマントにすっぽりと全身を覆い、長い杖を手にした一人の男の姿だった。
周囲を取り囲む兵士たちから、「おぉっ!」という声が漏れる。
グレグは頭を覆っていたフードを後ろへ取り払った。
短く切りそろえた淡い栗色の髪に、鮮やかな緑の目をしている。
左の頬から首筋にかけて、グレグの紋章と同じ蛇の入れ墨が入っていた。
見た目は23歳のドットより少し年上の27、8歳のような雰囲気だ。
彼はゆっくりと地上に足を付ける。
「あなたが……。グレグ本人なの?」
「そうだよ、ウィンフレッド。これで満足したか、お姫さま」
彼は杖のてっぺんに両手を重ねると、そこに顎を置きフゥと長いため息をついた。
「さぁ、望みを言え。俺にどうしてほしい?」
「どうしてって……。あなたは私に、どうしてほしかったの?」
自然と足が動いた。
彼に一歩近づく。
物語で読んだ、意地悪でずる賢く、醜悪な姿のグレグとは大違いだ。
「欲しいものなんて何もないさ。お前と過ごした数日は、それなりに楽しかったよ。それが代償だ。呪いは解いてやる。そこでじっとしていろ」
彼は右手をかざした。
何百年も生きているはずなのに、落ち着いた物腰と鋭い眼光は、魔法使いが放つ独特な狡猾さと冷淡さを一つも失っていない。
それどころか、私の知る誰よりもそれは強くまぶしかった。
「呪いを解いてくれるの? 身代金は?」
「俺を毎晩、クッキーでもてなしてくれた礼だ」
その手が青白い光を放つ。
とたんにドレスの下の紋章が、熱を帯び始めた。
「だって、私は何にもしてないわよ」
「そうだよな。お前に罪はなかった」
「なのにどうして印をつけたの?」
「ただの気まぐれだ。気にすんな」
「そんなの酷いじゃない」
「だから消してやる」
「どうして!」
「だから悪かったって」
「そんなの嫌!」
ふらりと体を傾ける。
私は両腕を広げ、グレグに思いっきり抱きついた。
「おい! 何をする放せ!」
「いやよ! ようやくあなた自身に会えたのよ。ずっとずっと会いたかった!」
「は? 何を言っている!」
彼の体をぎゅっと抱きしめ、その胸に頬をすり寄せる。
彼は慌てて両手を空に掲げた。
「呪いを解いている最中に動くな!」
「嫌よ。消さないで」
「消して欲しいんじゃなかったのか?」
「消したら、グレグはどうするの?」
彼を見上げた目には、どうしたって涙が浮かんでしまっている。
それを見た彼は、ギョッとして背を反らした。
両手を高く掲げたまま、おどおどと困惑している。
「ど、どうするも何も、消したら帰る」
「どこへ?」
「自分の家」
「どこにあるの?」
「誰が教えるか」
「もう城には来ない?」
「来ない」
「お城に住んで」
彼の胸に、もう一度ぎゅっと抱きつく。
グレグはドットたちに向かって叫んだ。
「おい、これはどういうことだ! この姫さんを俺から引き離せ!」
「ダメよ! ドットや兵士たちに負けたふりして、昔の物語みたいに永遠にここから消え去ろうなんて、そんなの絶対に許さないんだから!」
「うるさい! そんなのは俺の自由だ。俺はお前の呪いを解く!」
「大魔法使いグレグが、何の代償もなしに呪いを消していいの? そんなことして、恥ずかしくないわけ?」
「はぁ? 誰が誰に対して恥ずかしいんだ!」
「だったらせめて、この紋章くらいは残しておきなさいよ!」
「だから、どうしてそうなる?」
グレグは自分に抱きついたままの私を諦め、ドットを睨みつけた。
ドットは「お手上げです」とばかりにため息をつく。
頭上に迫った炎の塊に、彼は瞬時に結界を張った。
パリンと巨大な音をたて、ドットの張った結界が巨大な火炎球を弾き返す。
それは一直線に空を飛ぶドラゴンへ迫った。
「ぐわぁぁっつ!」
赤黒い竜が、自分の放った炎に焼かれ全身を焦がす。
彼は上空で苦しそうに激しく身をよじると、その体から炎を失った。
「うぬぬ。お前が宮廷魔法師か。名は何という」
「ドットだ。ドットとだけ覚えておけ!」
「よかろう」
翼を広げ、ドラゴンはゆっくりと地上へ舞い降りた。
鋭く伸びた爪が、ガシリと大地をえぐり取る。
「ドットよ。このまま城ごと破壊されたくなければ、その娘をこちらへ寄こせ」
「断ると言ったら?」
「ならば対価を用意しろ。お前の命でもかまわんぞ」
彼の鳴らした鼻息が、熱風となり黒煙を上げ頬を照りつける。
「この国と今居る兵士たちの命の値段だ。どうする?」
振り下ろした棘のある尻尾が、勢いよく土塊を巻き上げた。
「いくら必要だ」
「そうだな。ラドゥーヌ王家に伝わる秘宝で許してやろう。15代国王ユースタスが、王妃ヘザーに求婚のために贈った、彼女の目の色と同じエメラルドの首飾りだ」
それを聞いたとたん、ドットはサッと顔色を変えた。
私も彼と目を合わせる。
「そ、それは……」
失われた秘宝だ。
その首飾りを受け継いだ次の16代王妃クロエが、外遊中に海で難破し、海底に沈んだ。
ドラゴンは小刻みに首を左右に傾ける。
「どうした? あの首飾りは、本来は俺がヘザーに贈る予定のものだったのを、ユースタスが奪い取り彼女に贈ったものだ。返してもらいたい」
ドットの背に隠されていた私は、彼を押しのけドラゴンの前に進み出る。
「グレグ。あなたは南の海に出掛けていたと、カイルから聞きました。そのカイルは、今どこに?」
「……。それに答える義理はない」
「ずっと彼は、私と身代金の交渉をしていたのよ。その彼がいない状態で、いきなり現れたあなたがグレグだなんて、どうして信じられるの?」
ドラゴンからの返事はない。
荒れ狂う黒煙が、鼻先からシュウシュウと吹き出している。
「あなたは無くなったひいお祖母さまの首飾りを探しに、海まで出掛けていたの?」
「あの首飾りは、俺のものだった」
そう雄叫びを上げる赤黒く恐ろしいドラゴンの姿からは、私には表情が読み取れない。
「あなたが本物のグレグだという証拠がないわ。ただの乱暴なドラゴンが、グレグの代わりにやって来たのではなくて? あなたがグレグ本人だという証拠を見せて!」
空に舞うドラゴンは、何かを考えているかのように尻尾を揺らした。
次の瞬間、ボンッと白煙が巻き上がる。
風にゆっくりと流された煙の中から見えてきたのは、濃い緑色のマントにすっぽりと全身を覆い、長い杖を手にした一人の男の姿だった。
周囲を取り囲む兵士たちから、「おぉっ!」という声が漏れる。
グレグは頭を覆っていたフードを後ろへ取り払った。
短く切りそろえた淡い栗色の髪に、鮮やかな緑の目をしている。
左の頬から首筋にかけて、グレグの紋章と同じ蛇の入れ墨が入っていた。
見た目は23歳のドットより少し年上の27、8歳のような雰囲気だ。
彼はゆっくりと地上に足を付ける。
「あなたが……。グレグ本人なの?」
「そうだよ、ウィンフレッド。これで満足したか、お姫さま」
彼は杖のてっぺんに両手を重ねると、そこに顎を置きフゥと長いため息をついた。
「さぁ、望みを言え。俺にどうしてほしい?」
「どうしてって……。あなたは私に、どうしてほしかったの?」
自然と足が動いた。
彼に一歩近づく。
物語で読んだ、意地悪でずる賢く、醜悪な姿のグレグとは大違いだ。
「欲しいものなんて何もないさ。お前と過ごした数日は、それなりに楽しかったよ。それが代償だ。呪いは解いてやる。そこでじっとしていろ」
彼は右手をかざした。
何百年も生きているはずなのに、落ち着いた物腰と鋭い眼光は、魔法使いが放つ独特な狡猾さと冷淡さを一つも失っていない。
それどころか、私の知る誰よりもそれは強くまぶしかった。
「呪いを解いてくれるの? 身代金は?」
「俺を毎晩、クッキーでもてなしてくれた礼だ」
その手が青白い光を放つ。
とたんにドレスの下の紋章が、熱を帯び始めた。
「だって、私は何にもしてないわよ」
「そうだよな。お前に罪はなかった」
「なのにどうして印をつけたの?」
「ただの気まぐれだ。気にすんな」
「そんなの酷いじゃない」
「だから消してやる」
「どうして!」
「だから悪かったって」
「そんなの嫌!」
ふらりと体を傾ける。
私は両腕を広げ、グレグに思いっきり抱きついた。
「おい! 何をする放せ!」
「いやよ! ようやくあなた自身に会えたのよ。ずっとずっと会いたかった!」
「は? 何を言っている!」
彼の体をぎゅっと抱きしめ、その胸に頬をすり寄せる。
彼は慌てて両手を空に掲げた。
「呪いを解いている最中に動くな!」
「嫌よ。消さないで」
「消して欲しいんじゃなかったのか?」
「消したら、グレグはどうするの?」
彼を見上げた目には、どうしたって涙が浮かんでしまっている。
それを見た彼は、ギョッとして背を反らした。
両手を高く掲げたまま、おどおどと困惑している。
「ど、どうするも何も、消したら帰る」
「どこへ?」
「自分の家」
「どこにあるの?」
「誰が教えるか」
「もう城には来ない?」
「来ない」
「お城に住んで」
彼の胸に、もう一度ぎゅっと抱きつく。
グレグはドットたちに向かって叫んだ。
「おい、これはどういうことだ! この姫さんを俺から引き離せ!」
「ダメよ! ドットや兵士たちに負けたふりして、昔の物語みたいに永遠にここから消え去ろうなんて、そんなの絶対に許さないんだから!」
「うるさい! そんなのは俺の自由だ。俺はお前の呪いを解く!」
「大魔法使いグレグが、何の代償もなしに呪いを消していいの? そんなことして、恥ずかしくないわけ?」
「はぁ? 誰が誰に対して恥ずかしいんだ!」
「だったらせめて、この紋章くらいは残しておきなさいよ!」
「だから、どうしてそうなる?」
グレグは自分に抱きついたままの私を諦め、ドットを睨みつけた。
ドットは「お手上げです」とばかりにため息をつく。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』
しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。
どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。
しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、
「女は馬鹿なくらいがいい」
という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。
出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない――
そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、
さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。
王太子は無能さを露呈し、
第二王子は野心のために手段を選ばない。
そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。
ならば――
関わらないために、関わるしかない。
アヴェンタドールは王国を救うため、
政治の最前線に立つことを選ぶ。
だがそれは、権力を欲したからではない。
国を“賢く”して、
自分がいなくても回るようにするため。
有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、
ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、
静かな勝利だった。
---
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる