「追憶に溺れる水面」

平井結

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6章

記憶の深淵

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第6章 記憶の深淵

 朝比奈奏は、自分の中に“誰か”の記憶が確かにあることを、もう否定しなかった。

 それはただの情報ではない。  誰かを愛し、誰かを失った痛み。呼吸の仕方、歩き方、傘の差し方までもが、他人の感情と共に流れ込んできていた。

「……これは、僕のものじゃない。でも、僕が受け取ったものだ」

 その想いを胸に、奏は九条と共に、再び夢の深層へと潜った。

 今回の目的はただひとつ──“真白”の記憶の正体を確かめること。

 夢潜入の中でも特異な方法、“記憶重複接続”を用いた。  九条の記憶と、奏の夢、それらを同時に接続することで、両者の記憶が交錯し、隠された核心に到達できる可能性がある。

「もし何かが起きたら、すぐに接続を切ってくれ」

「わかってます。でも、僕は逃げません。先生が閉じ込めているもの、ちゃんと見届けたい」

 九条は短く頷いた。



 降り立った夢の世界は、雨の夜の路地裏だった。  光も音も遠く、まるで世界から隔絶された空間。

 その中央に、彼女がいた。

 ユメ──“真白”の幻影。

「ようやく、来てくれたのね」

 彼女は微笑み、両手を広げる。

「礼……そして奏くん。二人に、私を終わらせてほしいの」

「終わらせる?」

 九条が息をのむ。

「私は、記憶の亡霊。礼が私を忘れたくなかったから、奏の中で形を取った。……でもそれは、彼の“愛”じゃない」

「違う……俺は……」

「先生、聞いてください」

 奏が一歩前へ出る。

「僕の中にある“彼女”の記憶は、確かに綺麗で、優しくて……だけど、それでも僕は、先生に今ここにいてほしいと思ってるんです」

「奏……」

「過去の幻を抱いたまま、今を見失うなら、そんなものは愛じゃない」

 言葉が、雨に溶けるように空間に広がっていく。

 ユメが、ふっと目を細めた。

「……そう。なら、証明して」

 夢の空間が震え、崩れ始める。

 九条の視界が揺れる。

 雨の路地が、病室に変わる。  白いベッド。痩せた恋人。最後の会話。

「礼、ごめんね……最後まであなたに頼ってばかりで……」

 九条が叫ぶ。

「やめろ、もう……見たくない……」

 そのとき、奏が彼の手を取った。

「見てください。……僕と一緒に。もう、独りで抱えなくていい」

 その手の温もりが、崩壊しかけた夢を止めた。

 ユメが静かに微笑む。

「ありがとう、奏くん。……礼、あなたが愛した人の中に、ちゃんと未来は生まれてる」

 ユメの姿が、光となって消えていく。  残されたのは、静かな夜の気配だけだった。



 目を覚ました九条は、涙を流していた。  夢の中で、ようやく“さよなら”が言えたのだ。

「奏……ありがとう」

 奏はそっと彼の頬を拭った。

「先生、夢の中じゃなくて、現実で、ちゃんと僕を見てください」

「見てる。今度こそ……お前を」

 雨は、もう降っていなかった。  夢の深淵から戻ったふたりは、ようやく同じ現実に立った。

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