【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり

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  休みの日の朝、珍しく早起きしたアナベルは、カロリーヌと並んで職業斡旋所へ向かっていた。

 夏の終わりとはいえ、日差しはじわじわと肌に照りつける。けれどカロリーヌは涼しい顔で麦わら帽子をかぶり、籐のバッグを軽やかに揺らして歩いている。

 しばらく歩くと、控えめな佇まいの斡旋所の建物が見えてきた。門のそばには鉢植えのセージとラベンダーが可愛らしく並び、木陰では猫がのびをしている。

 入り口のベルを鳴らすと、奥からハンナがにこにこ顔で飛び出してきた。

「まあ、アナベル! 来てくれたのね、うれしい!」

 すぐにキッチンから紅茶のいい香りが漂いはじめ、あっという間に応接室にお茶とクッキーが並べられた。

 そこへ、リバー所長が書類の束を抱えて現れた。

「おお、アナベルか。久しぶりだな。仕事のほうはどうだ?」

 アナベルは少し照れながら答える。

「おかげさまで、何とかやれています。これも、リバー所長とハンナさんのおかげです」

 ハンナは目を潤ませて、首を横に振った。

「いいえ、私たちは何もしてないわ。全部、アナベルの頑張りよ。本当に……よかったわ」

「いや、俺たちのおかげだろう」

 リバーがサラリと割り込む。それを聞いたカロリーヌがすかさずツッコむ。

「ほんと、リバーって昔から変わらないのよね。その無神経さ、清々しいくらいだわ」

「カロリーヌさんと所長って、長いお付き合いなんですか?」

 アナベルが興味津々で尋ねる。

「長いどころじゃないわよ。幼馴染なの、私たち! 小さな頃から、この“中年時代”までずーっとね」

「……中年時代……」

「そうだったな。あの頃のカロリーヌは、今の形態とは違ったな」

「きゃー! 失礼しちゃう!」

「今は第三形態くらいか?」

 アナベルが思わず質問する。

「えっ、第二形態があったんですか?」

「ああ、第二形態は騎兵隊の大尉時代だな」

「大尉だった私、あの頃は華奢で可憐だったのよ~」

「……今のような体格ではなかった、と?」

「そうよ。退官してから、より華奢になっちゃったの」

(きゃ、華奢……!?)

「腕なんて見て。こんなに細くなっちゃって」

 ワンピースの袖から覗くカロリーヌの二の腕は、アナベルのウエストくらいはありそうで、もはや立派な彫刻のようだった。

 ちょうどお茶のおかわりを注ぎ終えたころ、奥のドアがノックされた。

「失礼──入るぞ」

 低く落ち着いた声とともに、長身の男が現れる。黒のコートを肩にかけ、少し乱れた銀灰色の髪。彫りの深い端整な顔立ちと、まるで劇場の空気をまとったような優雅な動き。

「ギルバート……!」

 カロリーヌが思わず立ち上がる。

 アナベルも、はっと息を呑んだ。ギルバート・ウェルズ──ウェルズ劇場の総支配人。

「リバー。ちょっと書類を届けに寄っただけだ。……おや、アナベル嬢に、カロリーヌもいるとは」

「ギルバート、わたしたち、久しぶりね!」

 カロリーヌがじりじりとにじり寄るように立ち上がる。

 元・騎兵隊の大尉という肩書きは、近所のパン屋の少年たちにも恐れられるほどの風格があるが、その《彼女》が、ギルバートを前にすると途端にちょっとだけ乙女になる。

「そうか? ……三週間ぶりくらいか」

「ちゃんと覚えてたのね!」

「いや、リバーのところに来ると、たいてい君がいるからな……」

 ギルバートは風のようにさっと書類を手渡すと、立ち去ろうとする。

「じゃあ、これで──」

「えっ、もう?」

 カロリーヌの声が、想定より半オクターブ高く響いた。

「劇場でまた会うだろう。では」

 ギルバートが穏やかに笑うと、カロリーヌの背筋がぴしっと伸びる。

「ギルバート、またね!」

 カロリーヌの瞳は、完全に恋する瞳だった。

「お前、片思い歴、長いな……」

 リバーが呆れ半分にぼやく。

「ギルバートがずっと独身なのがいけないのよ! 諦められるわけないじゃない!」

 カロリーヌは本気の声で返す。

「……婚姻に関しては、俺は何も言えん」

 バツが悪そうにリバーが言う。

「そりゃそうよ、リバーはバツイチだから、資格ないわよね~!」

「えっ、所長って独身なんですか!」

 アナベルは驚きの声を上げ、その流れで聞く。

「そういえば、エリオットさんって……所長の甥っ子ですよね?」

「ああ、そうだ」

 リバーが頷く。

「うちは三兄弟でな。一番下がパトリック──エリオットの父だ。唯一まともな家庭を築いた男だよ。妻は幼馴染で、子供は三人。上からマーガレット、ジェームス、エリオット」

 ハンナがお茶を注ぎながら続ける。

「パトリックさんって本当に立派な方よね。あの人がいたから、甥っ子姪っ子たちもちゃんと育ったのよ」

「ああ。手前味噌だが、三人とも優秀でな。マーガレットは法廷弁護士、ジェームスは大学で教えてて、エリオットは──あの通り、舞台の天才だ」

 リバーの頬が、ほころんでいる。明らかに甥っ子・姪っ子バカだ。

 アナベルは、その過剰な愛情にちょっと驚きながらも、不思議と安心する気持ちにもなった。

「ふーん。エリオットって今いくつになったんだっけ?」

 カロリーヌが聞く。

「二十一。先月、誕生日だった」

「二十一……」

(……五歳差……)

 妙に意識してしまったその数字が、アナベルの胸の奥で小さくチクリと跳ねた。

 その気配を察してか、カロリーヌが肘で小突いてくる。

「うふふ、いろいろ情報が入って、嬉しそうじゃない?」

「べ、別に、そんなつもりじゃ……!」

「わかってるわよ~ふふふ。私なんて、ギルバートの血液型と靴のサイズは昔から把握してるんだから」

「なんで靴のサイズまで……」

 リバーが呆れたようにカロリーヌを見る。カロリーヌはにやけっぱなしで、ハンナはお茶を注ぎながらそのやりとりを楽しそうに見ていた。

 ああ、なんだか、心がふわっとほどけていく。

 忘れていた安心感が、そっと背中に手を添えてくれるようだった。

(……来てよかった、ここに)

 エリオットのことも、ちょっとだけ知ることができた。そして、自分をここにつなぎとめてくれていた人たちに、また会えた。

 アナベルの胸の中に、ゆっくりとほのかなぬくもりが広がっていった。




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