【完結・R18】その瞳に、私はいなかった

とっくり

文字の大きさ
56 / 115

56

しおりを挟む
 一晩中、ユーグとエリザベスの行為は続いた。
 ただ、己の熱を吐き出すために――求められる熱に応えるように、何度も彼女に身を重ね、果てた。

 エリザベスの指が、ゆっくりとユーグの髪を撫でる。
 柔らかな吐息とともに、耳元で囁かれた。

「ねえ、ユーグ……あなたのすべてが欲しかったの」

 その声は、遠くで響く水音のように、届いたようで届かない。

(……ああ、セレナ。俺は、もう君のものだ……)

 媚薬が効きはじめた頃、ユーグは確かに相手がエリザベスだと分かっていた。

 だが、熱が全身を侵し、意識がゆらぎはじめるにつれ、次第にその輪郭は溶け、抱きしめる感触も、耳に届く吐息も、いつしかセレナのものだと錯覚していった。


 *

 朝の光が、カーテンの隙間から静かに忍び込んでくる。
 重たく沈んだ室内に、淡い光が満ち始めた。

 ユーグはすでに目を覚ましていた。
 眠ったのは、ほんのわずかな時間。脳の奥にこびりつく甘ったるい夢の残滓が、まだ神経をじわりと蝕んでいる。

 視線を横に動かす。
 隣にいるのは――エリザベスだった。

 白い肩がシーツの端から覗き、細い背が呼吸に合わせて静かに上下している。
 美しい女だ。才気、家柄、そしてあの妖艶な笑み。誰もが羨む存在だろう。

 確かに、昨夜――
 何度も深く、彼女を抱いた。

 隣に眠るのがエリザベスだと知った瞬間、胸の奥が冷たく凍りついた。
 歪んだ視界の中で見ていたのはセレナの面影。抱き締めたのは、愛しい人ではなかった。

(セレナ……)

 罪悪感が喉を塞ぎ、激しい後悔が胃を締めつける。
 それでも声を荒らげはしなかった。紳士としての理性が、怒りを抑え込んだ。昨夜の異様な熱と昂ぶりを思い返せば、媚薬を盛られたという確信が胸を刺す。

 そして、その事実が何よりも、彼女への不信感と静かな怒りを燃え上がらせていった。

 エリザベスが身じろぎをし、目を覚ました気配があった。

 二人の間に、しんとした沈黙が落ちる。

 やがて、彼女が上体を起こした。ユーグを見ず、裸の肩に黒髪を流し、白い肌が朝日に照らされる。

「……おはよう、ユーグ」

 その声は、硬さと強がりを含んでいた。

「昨夜はあんなに激しく求めてくださったのに、今朝は随分と静かね?」

「……エリザベス」

「私は初めてだったのに、あなたは獣のように求めたわ。まだ身体のあちこちが痛いの。ふふっ」

 ユーグは目を閉じ、苦しげに息を吐いた。

「身体は……大丈夫か」

 シーツの赤い染みが目に入り、言葉が続く。

「昨夜は……媚薬のせいで、君を乱暴に抱いてしまった。……なぜ、そんな物を盛った?」

 本来なら感情をぶつけたかった。だが、必死に抑えて問いかけた。

 エリザベスは感情の読めない瞳で彼を見つめ、一言。

「あなたを愛しているから」

「……これが愛か? 相手を騙し、薬まで使って抱かれるのが? 君は俺の気持ちなんて考えてない」

「おかしなことを言うのね。……それはお互い様でしょう?」

「何が言いたい」

 重たい沈黙が落ちる。
 やがて、エリザベスは諦めたように息をつき、口を開いた。

「セレナ……それが、あなたの愛する人?」

「っ……!」

「昨夜は一晩中、セレナ、セレナと私を呼んでいたわ」

「………」

 エリザベスは何も言わなかったが、視線を逸らされ、名前すら呼ばれなかった事実を、すべて感じ取っていた。

「あなたの心に誰かいるのはわかっていた。婚約すれば私だけを見てくれると期待していたのに……」

 ユーグの頭は真っ白になった。セレナの存在が、とうに見抜かれていた。

「でも違った。おそらく結婚しても、あなたは変わらない」

「……エリザベス」

「媚薬を盛ったことは謝るわ。でも――ベッドで他の女の名を呼んだことは、許さない」

 彼女の肩が震えていた。涙こそ流れなかったが、深く傷ついているのは明らかだった。

「……それは…すまなかった」

「ユーグ、もう一度抱いて。今度は私の名前を呼んで」

 悲しみを湛えた瞳に懇願され、ユーグは断れなかった。

 ――妻となる相手を。それが、こんなにも残酷なことだとは。

 エリザベスに対する情愛はない。
それでも、目の前で懇願する姿を前にすれば、突き放すことなどできなかった。

 セレナを裏切ったという罪悪感が胸を締めつけたが、今、ここでエリザベスを拒むことは、また別の罪を重ねるように思えた。

 静かに腕を伸ばし、エリザベスの華奢な身体を抱き寄せる。

 そっと唇を重ね、昨夜の激しさとは対照的に、ゆるやかに身体を重ねていった。

 ーーそれは愛ではなく、ただ、彼女に対して、のような気持ちであった。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...