【完結】そして、ふたりで築く場所へ

とっくり

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 手紙を出してからしばらくの間、落ち着かない日々が続いた。

 ポストに投函した瞬間、それまで胸にしまっていた思いが風に乗って舞い上がっていくようで、ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。けれど、それは一瞬のことだった。

 次の日から、私は毎朝、ポストを確認するようになった。

 ――返事は来ないって、自分で決めたじゃない。

 そう言い聞かせながらも、朝になるたび心のどこかがざわついた。もしかしたら彼が、私を探してくれるんじゃないか……そんな淡い期待が、理屈を超えて胸に生まれていた。

 でも、そんな奇跡は当然、起こらなかった。

 やがて私は、自分に言い聞かせるようになった。

 ――あの手紙は、“区切り”のために必要だったのだと。

 もう一度恋を夢見るためではなく、過去にとらわれず、前を向いて歩いていくための、ささやかな儀式。そんな位置づけだったのだと。

 現実は、残酷なほど容赦なく進んでいく。

 ノルデンでの治療は驚くほど効果を上げ、体調は安定を取り戻していた。だが、医学学校での学びは想像以上に過酷だった。

 臨床実習の始まった頃、まだ完全に回復していなかった身体は最初の一週間で悲鳴を上げ、私は高熱を出して倒れた。

 それでも遅れを取り戻そうと、私は日が暮れるまで教科書とノートにかじりつき、眠りに落ちるまで専門用語をぶつぶつと繰り返していた。

 けれど、不思議なことに、私は孤独ではなかった。

 病院で出会った子どもたちが、私を支えてくれた。

 小児病棟にボランティアで通い始めると、すぐに何人かの子たちが懐いてくれた。ある日、病で髪を失った女の子が、ぬいぐるみを抱えて私に聞いた。

 「ミリアおねえさんは、どうして笑ってるの?」

 私は少しだけ考えてから、そっと答えた。

 「だって、泣いてたら、夢に近づけないもの」

 その言葉は、自分自身への言葉でもあった。女の子は少し首をかしげながら言った。

 「じゃあ、泣いたら夢はどこかに行っちゃうの?」

 私は膝をついて彼女と目線を合わせ、優しく、けれどしっかりと答えた。

 「ううん、夢は逃げたりしないよ。ちゃんとそこにあるの。でもね、泣いてばかりいると、それを見つけられなくなることがあるの。だから私は、夢が見えるように笑ってるの」

 女の子は、不思議そうな顔をしたあと、小さく笑ってくれた。

 その笑顔に、私は救われた。

 ――月日は流れ、私は医師として働き始めた。

 医師免許を取得して間もなく、王都新聞の記者が病院にやってきた。

『ミリア・グレイマン氏は、ヴァルデリア王国出身。十三歳でノルデンに移住後、長期にわたる治療と学業を両立。見事、王立医学学校を修了し、医師となった。彼女の努力と情熱は、今、多くの子どもたちに希望を与えている』

 取材を受けながら、私は自然と彼のことを思い出していた。
 もしかして、この新聞を読んで、私の名前を見つけてくれるんじゃないか。
 そんな密やかな期待が、胸の奥で膨らんでいた。

 けれど――現実は、そう甘くはなかった。

 病院では明るく振る舞うようにしていた。患者にも、同僚にも、できるだけ笑顔を向けた。

 「なんでそんなに元気なんですか?」

 そう聞かれるたびに、私は決まってこう返した。

 「生まれつき!」

 だけど、本当は綱渡りのような日々だった。

 再燃の可能性は消えたわけではなく、私は医師であると同時に、患者でもあった。そんな事実が、常に背中に張りついていた。

 それでも、笑っていた。誰かの希望になりたかった。

 時折、夜の当直室で一人になると、ふと思い出すことがあった。

 あの人のこと。

 白衣の裾を汚しながら、真剣な目で設計図を見つめる姿。
 口数は少ないけれど、決して人を否定せず、誰よりも真摯に物事に向き合う姿勢。
 建物の話になると、少しだけ早口になるのが妙に可愛らしかった。

 ――また会えるだろうか?

 何度も自分に問いかけて、何度も「それは夢だ」と言い聞かせた。


 そうして、五年が過ぎた。

 私はようやく一人前の医師として現場に立ち、時には隣国の僻地に赴き、子どもたちの命を救う活動にも携わるようになっていた。

 体調も奇跡的に安定していて、「もしかして、このまま治るのかも」と思える日すらあった。

 だが、慢心はしなかった。
 この身体は、いつまた静かに悲鳴をあげるか分からない。だからこそ、今を精一杯生きたかった。

 そして、ある時ふと、私は思った。

 ――もう一度、あの人に会いたい。

 あの時、何も伝えられなかった後悔。
 ただ去っただけだった自分の弱さ。
 でも、今なら言えるかもしれない。

 「私は、あの日を後悔してる」

 そうして私は、をきっかけに、ヴァルデリア王国へ戻る決意をした。
 思い立ったら即行動。昔から変わらない、私の悪い癖。

 二十年ぶりに王都に降り立ち、かつての知人を頼って、バルタザール・ヘルマンの研究室を探し当てた。

 その建物は、想像していたよりもずっと立派だった。

 古びた外観の中に、凛とした骨格が息づいていて、実用と美を兼ね備えた構造は、まさに彼の建築そのものだった。

 私は、深呼吸をひとつして、扉を叩いた。

 

 ドアの向こうから、懐かしい声が聞こえた。

 そして、現れた彼の姿。

 髪は伸び、無精髭もあったけれど――目は、あの頃と変わらなかった。
 真剣で、誠実で、少しだけ困ったような、優しい目。

 私はまだ、「」をしていない。

 けれど、きっと、その日は来る。
 あの日のことも、病のことも、あの手紙のことも。

 そして願わくば、その時、彼がこう言ってくれたらいい。

 ――「よく来たな」

 私はまた、未来に向かって歩き出す。

 今度は、一方通行ではない、ふたりの明日へ。


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