奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 クロード・ベルヌーの事務所は、
 静寂が張り詰めるように落ちていた。

 これまでの出来事をアデルが語り終わっても、まだ、誰も口を開かなかった。

 壁一面の書棚、規律正しく並んだ書類、隙のない空気。

 その中心に座るクロードは、冷静なのにどこか凍てつくような威圧感をまとっている。

 アデルとリセラは向かい合って腰を下ろし、
 固唾をのんでクロードの手元を見つめた。

 クロードは無駄のない手つきで書類を並べ、
 その内容を一つひとつ照らし合わせていく。

「……うむ…おかしいな。財産の移譲だけじゃない」

 低く落ちた声に、室内の空気がさらに冷えた。

 クロードは眼鏡を押し上げ、
 一枚の書類を指先でトントンと叩く。

「爵位の譲渡も不自然だ。本来、こんな短期間で決裁が通るはずがない。
そして──外国商人との投資話?あまりに胡散臭いな」

 アデルは胸の奥がひゅっとすぼまるのを感じた。

 三年間眠っていた“間”に、自分の家が叔父の手に渡っていたなんて──考えただけで息が詰まった。

「つまり……叔父様が……?」

 震えを押さえた声で呟くと、
 クロードはゆっくり首を振った。

「確証はまだだ。しかし──」

 眼鏡の奥の視線が鋭くなる。


「階段の事故。財産と爵位の不自然な移譲。
それらを繋いで考えると──
誰かが、あなたを《排除したがっていた》可能性がある」

 その瞬間、リセラが椅子から落ちそうになるほど、前のめりになる。

「叔父夫婦なら、やりかねねぇんだわ……!
あの二人の欲深さは尋常じゃねぇ!」

 アデルは小さく息を吸い込んだ。

 叔父モーリスの冷たい視線。
 叔母ヴァレリアの張りついた笑顔。
 リゼットの、小首をかしげる儚い微笑み。

 ──が何を考えていたのか。
「善意」であったと信じるには、あまりに胸がざわつき始めていた。

 クロードは書類を束ね、静かに顔を上げた。

「ところで──」

 その声音は、淡々としているのに、
 微かに核心を探る刃が潜んでいた。

「元夫と従妹とは、もう会ったのか?」

 途端に、アデルの心臓が跳ね、動きが固まった。

「……い、いえ。まだ……」

 喉がひりつく。
 名前を口にするだけで胸が痛むなんて。
 ルイとリゼットは、かつて自分の中で、大切な家族という存在だった。

 クロードはアデルの表情を読み取るように、じっと視線を向ける。

「っ、……」

 アデルが発しようとした言葉は喉に絡まり、出てこなかった。

ーーアデル自身、ずっと考えていたことだった。

 二人にーー会う。

 その沈黙を破るように、リセラがずばっと割り込んできた。

「メガネ先生ぇ!!お嬢様はな!!
ルイ様に捨てられた事実を、まだ受け止めきれねぇんだわ!!
あんだけ好きだったんだもの、そりゃ無理もねぇべ!」

「リ、リセラ……!?私の心を抉らないで?」

 アデルは顔を真っ赤にして止めようとするが、リセラは完全にスイッチが入っている。

「それにな!!リゼット様もリゼット様だべ。
なんで、お嬢様の夫だった男と結婚するかね?
伯爵家に婿入りしてたとはいえ、
従姉の夫だべ?普通は選ばねぇべ!!
ぜってぇ何かあるんだわ!!」

 アデルは、言葉を失った。

 リセラの荒っぽい物言いは乱暴だが──
 時に、誰よりも核心を突く。

 どうして 《二人》 は結婚したのか。

 その理由を追えば追うほど、アデルの胸の内側では、答えのない糸がきつく絡まり、重さと痛みだけがじわりと広がっていった。

 モーリスの策略なのか。
 それとも、ルイの選択なのか。
 リゼットの意思なのか。

 答えはどこにもなく、ただ息だけが浅くなっていった。アデルは拳をそっと握り、揺れる胸の奥を押さえ込んだ。


 クロードは二人の応酬を黙って聞いていたが、やがて冷静に口を開いた。

「アデル嬢。あなたが、元夫と従妹と会っていないのは、ちょうど良かった。
彼らに会うのは──時期尚早だ」

「え…どうして……?」

 アデルは戸惑う。

 クロードの声は淡々としているのに、その奥に鋭い警戒が光っていた。

「先ほども言ったが、あなたは命を狙われた可能性がある。
敵の全容が掴めていない今、モントレー家に戻るのは危険すぎる」

「まさか……そんな……」

「メガネ先生の言う通りだべ!」 

 リセラが腕を組んでうなる。
 クロードは書類をひとつ叩いた。

「だが──敵をあぶり出す方法がある」
「え?」

「新聞と雑誌に、“アデル嬢の記事”を書いてもらう」

 アデルは目を丸くする。
 クロードの説明はこうだった。

【三年昏睡していた元伯爵令嬢が奇跡の生還!
家は没落し、娘は働きに出る──
弱りゆく娘は逆境に負けない!!】

「こういう“お涙頂戴記事”は注目を集める。
あなたを監視している者が必ず動く」

 アデルは複雑な表情で俯いた。

「……確かに、働かないといけないとは思っていたけど……」

 するとリセラが拳を握りしめ、瞳を燃やした。

「お嬢様は病み上がりだ!
私が三倍、いや五倍でも働くだ!!」

「それは頼もしいな」

 クロードはくすりと笑い、立ち上がった。

「アデル嬢には、代筆や書類整理など、
こちらの事務所でやってもらいたい」

「「えっ……?」」

「ちょうど人手不足でね。リセラ嬢は“3倍働く”と言っているし、渡りに船だ。
住処も提供できる」

 アデルは驚きで目を見開く。

「…え、あの…そこまで…していただいて良いのでしょうか…」

「弱い者を助けてこそ、法律家だ。
俺は、“”とは違う」

「あいつら……?」

 アデルが聞き返した瞬間、クロードの表情にわずかな陰が落ちた。そして、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

「……身内の話さ。気にするな」

 それ以上は語らなかった。
 語らない過去がそこにある、と直感で分かった。

 アデルは胸を押さえながら、クロードの横顔を見つめた。

 この人は──どんな過去を背負って、
弱い立場の者を救おうとしているのだろう。

 無言のまま、胸の奥で静かに何かが芽生えた。


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