奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 アデルの話を聞き終えたあと、しばし沈黙が落ちた。

 最初に口を開いたのは、エドモンだった。

「……クロード・ベルヌー、か」

 その名を口にした瞬間、彼の表情がわずかに変わる。
 驚きと、懐かしさ、そしてどこか痛ましげな色が混じっていた。

「お父様……?ご存じなの?」

 アデルが問うと、エドモンはゆっくりと頷いた。

「若い頃に、クロード氏の父君と挨拶を交わしたことがある。同世代だったからな。ブランシェ公爵家の名を知らぬ者はいないだろう」

「あの…ブランシェ公爵家…?」

 アデルの瞳が驚きで見開かれた。
 ソフィアも、静かに相槌を打つ。

「そう。王家専属の弁護士を代々輩出してきた家系……まさに法の名門ね」

 エドモンは続けた。

「クロード氏は、そのブランシェ公爵家の血を引く。父親の名は、ヴィクター・ブランシェ。あの家の嫡男だった人物だ」

 アデルは思わず息をのんだ。

 あの冷静で、どこか孤独を背負ったような弁護士が──  王家に連なる名門の出だったとは。

「だが……ヴィクター氏は、家の期待を裏切った」

 エドモンの声は、静かだが重い。

「法律学校時代に、フローラ・ベルヌーという女性と出会った。  
 
名のある裕福な商家の娘で、平民だったが……
非常に聡明で、志の高い女性だったそうだ」

 ソフィアがそっと言葉を継ぐ。

「学生時代、二人は、強く愛し合ったのよね」

「そうだ。  だが、ブランシェ家──特に当主だったギュスターヴ公爵は猛反対した。平民との結婚など、家名を汚す行為だと」

 エドモンは小さく息を吐く。

「母親のフェリシア夫人は、“学生のうちだけ”と交際を黙認していたそうだが……  結局、二人の想いは止められなかった」

 ヴィクターは首席で法律学校を卒業し、弁護士となった。フローラもまた、優秀な成績で同じ道を歩み、二人は並び立つ存在となる。

「それでも公爵家は交際を認めず……  
とうとう、ヴィクター氏に、王女との縁談まで押し付けたと聞いている」

 アデルは胸の奥が、きゅっと締めつけられるのを感じた。

「……それで……二人は?」

「ああ。二人は、すべてを捨てて駆け落ちした」

 エドモンの言葉は、淡々としていたが、その裏に深い感情が滲んでいた。

「その時、フローラ殿の腹にはすでに子が宿っていた。  ──それが、クロード氏だ」

 ブランシェ公爵家から逃れるように、田舎町でひっそりと暮らす夫妻。
 最初の方こそは、静かに暮らせていたが、公爵家の干渉は執拗だった。

「嫌がらせは続いたそうだ。  それでも二人は、必死に息子を守り、育てた」

 エドモンは目を伏せる。

「だが……流行病が二人を奪った。  クロード氏が、まだ六歳の時だった」

 ソフィアが胸元に手を当て、静かに呟いた。

「……そんな……」

「その後、フローラ殿の実家が彼を引き取り、  しばらくは、穏やかに暮らしていたそうだ。
だが……十歳の時、公爵家に存在が知られ、無理矢理連れ戻された」

 アデルは、クロードの灰色の瞳を思い浮かべた。感情を抑え込むような、あの視線。

「公爵家では、平民の血を引くという理由で蔑まれ、  どれほど優秀でも、容姿が美しくても、決して褒められなかったと聞く」

 エドモンは、苦しそうに言った。

「……随分と、辛い生い立ちだ」

 沈黙が落ちる。
 やがて、エドモンは静かに締めくくった。

「それでも彼は、父と同じく法律学校へ進み、首席で卒業し、弁護士となった。  
 
そして、法の力でブランシェ家と完全に縁を切り、  母の実家の姓──ベルヌーを名乗るようになったのだ」

 アデルは、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

(だから……あの人は……)

「……でも」

 沈黙を破ったのは、アデルだった。

「私、少し……不思議に思います」

 エドモンとソフィアが視線を向ける。

「ブランシェ公爵家が、そこまで反対する理由が……」

 アデルは言葉を選びながら続けた。

「クロード様のお母様、フローラ様は……
法律学校を優秀な成績で卒業されて、弁護士になられた方なのでしょう?  それほどの才覚があれば……」

 そこで、アデルは一瞬だけ言葉を切った。

「……どこかの貴族に、養女として迎えられることも、できたはずです。  そうすれば、形式上は“貴族”ですし……  
ブランシェ家にとっても、問題はなかったのでは……?」

 それは、制度の中で育ってきたアデルらしい、理性的な疑問だった。

 だが──
 エドモンは、静かに首を振った。

「……それでは、意味がなかったのだろう」

「お父様……?」

「ブランシェ家はな、ただの名門貴族ではない。  王族と深く結びついた、“王家の法”を担う家だ」

 エドモンの声は、低く重い。

「彼らが求めているのは、爵位でも肩書きでもない。  “”だ。  青い血以外は、決して受け入れられん」

 ソフィアが、静かに補足する。

「たとえ貴族の養女になったとしても……  
平民の血が混じっているという事実は、公爵家にとっては消えない事実だったのよ」

 アデルは息を呑んだ。

「……そんな……」

「ブランシェ家にとっては、  身分を整えるかどうかではなく、  “血が純粋かどうか”だけが問題だったのだろう」

 エドモンは、どこか憤りを抑えるように言った。

「だから、どれほど優秀で、どれほど志が高くとも……  フローラ殿は、決して受け入れられなかった」

 部屋に、重い沈黙が落ちる。
 アデルは胸の奥が、じくじくと痛むのを感じていた。

(そんな理由で……  人の人生を……愛を……)

 クロードの灰色の瞳が、脳裏に浮かぶ。

 感情を抑え込むような静けさ。  
 人を簡単に信用しない眼差し。  
 それでも、弱い立場の者に差し出される、迷いのない手。

(あの人は……  そんな過去を背負って……)

 アデルは、無意識に胸元を押さえた。

「……悲しいですね」

 小さく、震えるような声だった。

「クロード様が……  そんな幼い頃から、ずっと……」

 ソフィアがそっとアデルの肩に手を置く。

「だからこそ、今の彼があるのでしょうね」

 アデルは、静かに頷いた。
 胸の奥に、はっきりとした感情が芽生えていた。

 それは同情ではない。  
 憐れみでもない。

(このご縁は……偶然じゃない)

 貴族の肩書に頼らず、  
 制度や権力に盲目的に従わず、  
 弱い立場の人間に、あそこまで真剣に向き合う。

 クロード・ベルヌーという人物と出会えたこと。  その意味を、アデルはまだ言葉にできなかったが──  

 大切にしたい、と思っていた。

「……どうりで人の痛みを知っている方だと…そんな辛い境遇だったとは…」

 アデルの呟きに、エドモンは頷いた。

「だからこそ、  今のお前に手を差し伸べてくれたのだろう」

 アデルは静かに拳を握った。

 クロード・ベルヌーという人物を、  “ただの有能な弁護士”として見ていた自分が、  少しだけ恥ずかしく思えた。

(……このご縁、大切にしなくては)

 そう、心の奥で静かに誓った。



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