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屋根裏部屋は、階段を上がると想像とはまるで違っていた。
「……結構、広い?」
アデルが思わず呟く。
低い天井ではあるものの、梁がしっかりしていて、窓も二つ、南向きに切られている。
埃は積もっているが、床板は意外なほど頑丈だった。
「倉庫にしちゃ、上等だべ」
リセラは腕を組み、ぐるりと見回す。
古い木箱、書類の束、使われなくなった家具。それらを一つずつ外へ運び出すと、空間はみるみるうちに姿を現した。
「ここを寝る場所にして……」
「んで、こっちは荷物置き兼、着替えだな」
簡単な衝立と、古い棚を使って仕切ると、屋根裏は自然と二間に分かれた。
一方はアデルの部屋。
小さな机と椅子を置けば、書き物もできる。
もう一方はリセラの部屋。
多少雑でも気にしない性格にぴったりだ。
「……ちゃんと、“暮らせる”わね」
アデルは、ほっと息を吐いた。
伯爵令嬢だった頃の部屋とは比べものにならない。
それでも、屋根があり、光が差し、安心して眠れる場所がある。
(十分すぎるわ)
「お嬢様、これで文句言ったら罰当たりだべ」
「ふふ……本当にそうね」
二人は顔を見合わせ、自然と笑った。
*
掃除を終え、一階へ降りると──
ちょうど、事務所の扉が開いたところだった。
「今、戻った」
低く落ち着いた声。
クロード・ベルヌーが書類鞄を手に入ってくる。
その後ろには、もう一人。
すらりとした長身の女性。
濃紺の実務用スーツ、きっちりまとめた茶色の髪。装飾は一切なく、表情も淡々としている。
「裁判、長引きましたね」
「ああ。相手が無駄に足掻いた」
二人の会話は、感情の起伏がない。
まるで仕事の結果を確認するだけのようだ。
マティアスがすぐに気づき、姿勢を正す。
「先生、お戻りですか。こちらが──」
「アデル嬢と、リセラ嬢だな」
クロードはすでに把握している様子だった。女性の助手が一歩前に出る。
「私はクラリス。ベルヌー事務所で、裁判記録と文書整理を担当しています」
無駄のない名乗りだった。
アデルは一礼する。
「アデルです。今日から、お世話になります」
「……そう」
クラリスは一瞬だけアデルを見つめ、
すぐに興味を失ったように視線を外した。
「屋根裏、見たかい?」
クロードが問う。
「はい。とても広くて…驚きました」
「それなら問題ないな。生活に支障は出ないはずだ」
事務的な言葉だったが、そこには気遣うような響きがあった。
リセラが腕をぶらぶらさせながら言う。
「掃除は完璧だべ。今夜からでも暮らせるべ」
「良かった」
クロードは小さく頷く。
「明日から仕事だ。今日は身体を休めて欲しい」
それだけ言って、奥の机へ向かう背中は、相変わらず感情を読ませなかった。
けれどアデルは思った。
(……ここなら)
まだ不安は消えない。
それでも、前に進める場所だと。
屋根裏で過ごす、最初の夜が、
静かに始まろうとしていた。
***
翌朝。
屋根裏の小窓から差し込む光で、アデルは目を覚ました。久しぶりに、夢を見ずに眠れた気がする。
簡単に身支度を整え、一階へ降りると、
すでに事務所は慌ただしく動き始めていた。
「そこ! 書類の番号は右端に、きちんと記せと言っただろう!」
ぴりっと張り詰めたマティアスの声が響く。
彼は腕を組み、机の前で仁王立ちになっていた。
対するリセラは、書類の束を抱えたまま、不服そうに睨み返す。
「番号?書いたべや。ほら、ここに!どこに目ェつけてんだ!」
「違う!右端に“寄せろ”と言ったんだ!僕が指定した位置じゃない!」
「はぁ? いちいち細かい男だな!」
「リセラ……」
アデルは書類を書き進めながら、静かに声をかけた。
「ここは事務所よ。マティアスさんのやり方に従わなければだめ」
「お嬢様ぁ……」
不満げに唇を尖らせながらも、
リセラは渋々、書類を並べ直し、番号を振り直した。
マティアスは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに咳払いをした。
「……分かっていただければ結構です」
事務所に、ようやく落ち着きが戻る。
アデルは代筆の作業に戻った。
指先はまだ覚束ないが、文字を書くこと自体は嫌いではない。
(……生きている、って感じがするわ)
そのときだった。
机の端に、折り畳まれた新聞が置かれているのに気づいた。
「……?」
無意識に手を伸ばし、紙面を開く。
次の瞬間、アデルの動きが止まった。
──大きな見出し。
《三年間の昏睡から奇跡の生還》
《元伯爵令嬢・アデル・ドルン(旧モントレー)》
《財産を失い、働く決意》
胸が、ひゅっと縮む。
「……載ってる……」
リセラが覗き込み、目を見開いた。
「な、なんだこりゃ!?お嬢様、でっかく載ってるべ!!」
事務所の奥から、足音が近づく。
クロードだった。
新聞を一瞥し、表情を変えずに言う。
「出たか」
「先生……」
アデルは不安を隠せず、問いかける。
「……大丈夫でしょうか?」
クロードは新聞を畳み、眼鏡を押し上げた。
「大丈夫かどうかは、これから分かる」
そして、静かに続ける。
「この記事を読んで──モーリス達が、どう動くか。それを見るために出した」
その声は淡々としていたが、
どこか冷えた期待が滲んでいた。
「……罠、ということですか」
「誘い水だ」
クロードは口角を、ほんのわずかに上げた。
「表に出てこない敵ほど、光を当てると動き出す」
アデルは、新聞の記事を見つめた。
自分の名前。
自分の顔。
自分の“不幸”。
けれど──
(逃げないって、決めたもの)
胸の奥で、小さな覚悟が灯る。
事務所の空気が、静かに張り詰めていく。
この朝を境に、すべてが動き始めるのだと、誰もが感じていた。
「……結構、広い?」
アデルが思わず呟く。
低い天井ではあるものの、梁がしっかりしていて、窓も二つ、南向きに切られている。
埃は積もっているが、床板は意外なほど頑丈だった。
「倉庫にしちゃ、上等だべ」
リセラは腕を組み、ぐるりと見回す。
古い木箱、書類の束、使われなくなった家具。それらを一つずつ外へ運び出すと、空間はみるみるうちに姿を現した。
「ここを寝る場所にして……」
「んで、こっちは荷物置き兼、着替えだな」
簡単な衝立と、古い棚を使って仕切ると、屋根裏は自然と二間に分かれた。
一方はアデルの部屋。
小さな机と椅子を置けば、書き物もできる。
もう一方はリセラの部屋。
多少雑でも気にしない性格にぴったりだ。
「……ちゃんと、“暮らせる”わね」
アデルは、ほっと息を吐いた。
伯爵令嬢だった頃の部屋とは比べものにならない。
それでも、屋根があり、光が差し、安心して眠れる場所がある。
(十分すぎるわ)
「お嬢様、これで文句言ったら罰当たりだべ」
「ふふ……本当にそうね」
二人は顔を見合わせ、自然と笑った。
*
掃除を終え、一階へ降りると──
ちょうど、事務所の扉が開いたところだった。
「今、戻った」
低く落ち着いた声。
クロード・ベルヌーが書類鞄を手に入ってくる。
その後ろには、もう一人。
すらりとした長身の女性。
濃紺の実務用スーツ、きっちりまとめた茶色の髪。装飾は一切なく、表情も淡々としている。
「裁判、長引きましたね」
「ああ。相手が無駄に足掻いた」
二人の会話は、感情の起伏がない。
まるで仕事の結果を確認するだけのようだ。
マティアスがすぐに気づき、姿勢を正す。
「先生、お戻りですか。こちらが──」
「アデル嬢と、リセラ嬢だな」
クロードはすでに把握している様子だった。女性の助手が一歩前に出る。
「私はクラリス。ベルヌー事務所で、裁判記録と文書整理を担当しています」
無駄のない名乗りだった。
アデルは一礼する。
「アデルです。今日から、お世話になります」
「……そう」
クラリスは一瞬だけアデルを見つめ、
すぐに興味を失ったように視線を外した。
「屋根裏、見たかい?」
クロードが問う。
「はい。とても広くて…驚きました」
「それなら問題ないな。生活に支障は出ないはずだ」
事務的な言葉だったが、そこには気遣うような響きがあった。
リセラが腕をぶらぶらさせながら言う。
「掃除は完璧だべ。今夜からでも暮らせるべ」
「良かった」
クロードは小さく頷く。
「明日から仕事だ。今日は身体を休めて欲しい」
それだけ言って、奥の机へ向かう背中は、相変わらず感情を読ませなかった。
けれどアデルは思った。
(……ここなら)
まだ不安は消えない。
それでも、前に進める場所だと。
屋根裏で過ごす、最初の夜が、
静かに始まろうとしていた。
***
翌朝。
屋根裏の小窓から差し込む光で、アデルは目を覚ました。久しぶりに、夢を見ずに眠れた気がする。
簡単に身支度を整え、一階へ降りると、
すでに事務所は慌ただしく動き始めていた。
「そこ! 書類の番号は右端に、きちんと記せと言っただろう!」
ぴりっと張り詰めたマティアスの声が響く。
彼は腕を組み、机の前で仁王立ちになっていた。
対するリセラは、書類の束を抱えたまま、不服そうに睨み返す。
「番号?書いたべや。ほら、ここに!どこに目ェつけてんだ!」
「違う!右端に“寄せろ”と言ったんだ!僕が指定した位置じゃない!」
「はぁ? いちいち細かい男だな!」
「リセラ……」
アデルは書類を書き進めながら、静かに声をかけた。
「ここは事務所よ。マティアスさんのやり方に従わなければだめ」
「お嬢様ぁ……」
不満げに唇を尖らせながらも、
リセラは渋々、書類を並べ直し、番号を振り直した。
マティアスは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに咳払いをした。
「……分かっていただければ結構です」
事務所に、ようやく落ち着きが戻る。
アデルは代筆の作業に戻った。
指先はまだ覚束ないが、文字を書くこと自体は嫌いではない。
(……生きている、って感じがするわ)
そのときだった。
机の端に、折り畳まれた新聞が置かれているのに気づいた。
「……?」
無意識に手を伸ばし、紙面を開く。
次の瞬間、アデルの動きが止まった。
──大きな見出し。
《三年間の昏睡から奇跡の生還》
《元伯爵令嬢・アデル・ドルン(旧モントレー)》
《財産を失い、働く決意》
胸が、ひゅっと縮む。
「……載ってる……」
リセラが覗き込み、目を見開いた。
「な、なんだこりゃ!?お嬢様、でっかく載ってるべ!!」
事務所の奥から、足音が近づく。
クロードだった。
新聞を一瞥し、表情を変えずに言う。
「出たか」
「先生……」
アデルは不安を隠せず、問いかける。
「……大丈夫でしょうか?」
クロードは新聞を畳み、眼鏡を押し上げた。
「大丈夫かどうかは、これから分かる」
そして、静かに続ける。
「この記事を読んで──モーリス達が、どう動くか。それを見るために出した」
その声は淡々としていたが、
どこか冷えた期待が滲んでいた。
「……罠、ということですか」
「誘い水だ」
クロードは口角を、ほんのわずかに上げた。
「表に出てこない敵ほど、光を当てると動き出す」
アデルは、新聞の記事を見つめた。
自分の名前。
自分の顔。
自分の“不幸”。
けれど──
(逃げないって、決めたもの)
胸の奥で、小さな覚悟が灯る。
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