奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 屋根裏部屋は、階段を上がると想像とはまるで違っていた。

「……結構、広い?」

 アデルが思わず呟く。
 低い天井ではあるものの、梁がしっかりしていて、窓も二つ、南向きに切られている。

 埃は積もっているが、床板は意外なほど頑丈だった。

「倉庫にしちゃ、上等だべ」

 リセラは腕を組み、ぐるりと見回す。

 古い木箱、書類の束、使われなくなった家具。それらを一つずつ外へ運び出すと、空間はみるみるうちに姿を現した。

「ここを寝る場所にして……」
「んで、こっちは荷物置き兼、着替えだな」

 簡単な衝立と、古い棚を使って仕切ると、屋根裏は自然と二間に分かれた。

 一方はアデルの部屋。
 小さな机と椅子を置けば、書き物もできる。

 もう一方はリセラの部屋。
 多少雑でも気にしない性格にぴったりだ。

「……ちゃんと、“暮らせる”わね」

 アデルは、ほっと息を吐いた。
 伯爵令嬢だった頃の部屋とは比べものにならない。

 それでも、屋根があり、光が差し、安心して眠れる場所がある。

(十分すぎるわ)

「お嬢様、これで文句言ったら罰当たりだべ」
「ふふ……本当にそうね」

 二人は顔を見合わせ、自然と笑った。





 掃除を終え、一階へ降りると──
 ちょうど、事務所の扉が開いたところだった。

「今、戻った」

 低く落ち着いた声。
 クロード・ベルヌーが書類鞄を手に入ってくる。

 その後ろには、もう一人。

 すらりとした長身の女性。
 濃紺の実務用スーツ、きっちりまとめた茶色の髪。装飾は一切なく、表情も淡々としている。

「裁判、長引きましたね」
「ああ。相手が無駄に足掻いた」

 二人の会話は、感情の起伏がない。
 まるで仕事の結果を確認するだけのようだ。

 マティアスがすぐに気づき、姿勢を正す。

「先生、お戻りですか。こちらが──」

「アデル嬢と、リセラ嬢だな」

 クロードはすでに把握している様子だった。女性の助手が一歩前に出る。

「私はクラリス。ベルヌー事務所で、裁判記録と文書整理を担当しています」

 無駄のない名乗りだった。
 アデルは一礼する。

「アデルです。今日から、お世話になります」
「……そう」

 クラリスは一瞬だけアデルを見つめ、
 すぐに興味を失ったように視線を外した。

「屋根裏、見たかい?」
 クロードが問う。

「はい。とても広くて…驚きました」
「それなら問題ないな。生活に支障は出ないはずだ」

 事務的な言葉だったが、そこには気遣うような響きがあった。

 リセラが腕をぶらぶらさせながら言う。

「掃除は完璧だべ。今夜からでも暮らせるべ」
「良かった」

 クロードは小さく頷く。

「明日から仕事だ。今日は身体を休めて欲しい」

 それだけ言って、奥の机へ向かう背中は、相変わらず感情を読ませなかった。

 けれどアデルは思った。

(……ここなら)

 まだ不安は消えない。
 それでも、前に進める場所だと。

 屋根裏で過ごす、最初の夜が、
 静かに始まろうとしていた。


***


 翌朝。

 屋根裏の小窓から差し込む光で、アデルは目を覚ました。久しぶりに、夢を見ずに眠れた気がする。

 簡単に身支度を整え、一階へ降りると、
すでに事務所は慌ただしく動き始めていた。

「そこ! 書類の番号は右端に、きちんと記せと言っただろう!」

 ぴりっと張り詰めたマティアスの声が響く。
 彼は腕を組み、机の前で仁王立ちになっていた。

 対するリセラは、書類の束を抱えたまま、不服そうに睨み返す。

「番号?書いたべや。ほら、ここに!どこに目ェつけてんだ!」

「違う!右端に“寄せろ”と言ったんだ!僕が指定した位置じゃない!」

「はぁ? いちいち細かい男だな!」

「リセラ……」

 アデルは書類を書き進めながら、静かに声をかけた。

「ここは事務所よ。マティアスさんのやり方に従わなければだめ」

「お嬢様ぁ……」

 不満げに唇を尖らせながらも、
 リセラは渋々、書類を並べ直し、番号を振り直した。

 マティアスは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに咳払いをした。

「……分かっていただければ結構です」

 事務所に、ようやく落ち着きが戻る。

 アデルは代筆の作業に戻った。
 指先はまだ覚束ないが、文字を書くこと自体は嫌いではない。

(……生きている、って感じがするわ)

 そのときだった。

 机の端に、折り畳まれた新聞が置かれているのに気づいた。

「……?」

 無意識に手を伸ばし、紙面を開く。
 次の瞬間、アデルの動きが止まった。

 ──大きな見出し。

《三年間の昏睡から奇跡の生還》
《元伯爵令嬢・アデル・ドルン(旧モントレー)》
《財産を失い、働く決意》

 胸が、ひゅっと縮む。

「……載ってる……」

 リセラが覗き込み、目を見開いた。

「な、なんだこりゃ!?お嬢様、でっかく載ってるべ!!」

 事務所の奥から、足音が近づく。

 クロードだった。
 新聞を一瞥し、表情を変えずに言う。

「出たか」

「先生……」

 アデルは不安を隠せず、問いかける。

「……大丈夫でしょうか?」

 クロードは新聞を畳み、眼鏡を押し上げた。

「大丈夫かどうかは、これから分かる」

 そして、静かに続ける。

「この記事を読んで──モーリス達が、どう動くか。それを見るために出した」

 その声は淡々としていたが、
 どこか冷えた期待が滲んでいた。

「……罠、ということですか」

「誘い水だ」

 クロードは口角を、ほんのわずかに上げた。

「表に出てこない敵ほど、光を当てると動き出す」

 アデルは、新聞の記事を見つめた。

 自分の名前。
 自分の顔。
 自分の“不幸”。

 けれど──

(逃げないって、決めたもの)

 胸の奥で、小さな覚悟が灯る。
 事務所の空気が、静かに張り詰めていく。

 この朝を境に、すべてが動き始めるのだと、誰もが感じていた。

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