奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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「お嬢様!!」

 通りの向こうから、聞き慣れた声が飛び込んでくる。息を切らし、人混みをかき分けて現れたのはリセラだった。
 
 外套の裾を翻し、躊躇なく二人の間に割って入る。

「どういう事だっぺ!!」

 鋭い視線が、一直線にリゼットへ向けられる。

「あ?なんだ、リゼット様でねぇか。どの面さげて、お嬢様の前に現れたんだぁ?」

「リセラ、やめて――」

 アデルが慌てて制止しようとした、その時、リゼットから震える声がした。

「……ひどい…私は……ただ……」

 彼女の瞳には、みるみる涙が浮かんだ。
 唇を噛みしめ、か細く首を振る。

「お姉様と会えたから……また、以前のように仲良くできたらと思っただけなのに…」

 その言葉に、通りの空気が一瞬、凍る。

「はぁ!?よく言うっぺ!お嬢様が眠ってる間に、旦那様まで奪っといて!」

 リセラが一歩踏み出す。

「リセラ!!」

 アデルの声が重なる。
 だが、もう遅かった。

 ――その時。

「……相変わらずだな」

 低く、よく通る声が響いた。
 全員の視線が、止まった馬車へ向く。

 声の主は、ルイだった。
 ゆっくりと三人に近づいて行く。

 均整の取れた長身に、無駄のない所作。
 仕立ての良い外套を纏い、足を地に下ろしただけで、周囲の空気が一段引き締まる。

 端正な顔立ちは、相変わらずだった。
 鋭すぎない切れ長の瞳、高く通った鼻筋、薄く結ばれた唇。

 人を惹きつける美貌でありながら、そこに浮かぶのは感情の読めない、冷ややかな表情。

 目を逸らすことができないほどに、彼は美しく、堂々としていた。

「その山猿のような侍女は、とっくに山に帰ったものだと、思っていたが…」

「な、な、なんだとー!!」

 リセラの怒声が通りに響く。
 だが、ルイは一顧だにせず、アデルへと視線を向けた。

「次期伯爵夫人に、このような無礼に及ぶとはな。それをたしなめもしない主人あるじ

 淡々と、刃のように言葉を重ねる。

「……元伯爵令嬢。貴族としての常識も矜持も、とうに失ったと見える」

 鋭い視線が、アデルに突き刺さる。
 彼女は、言葉を失った。

 喉が、凍りついたように動かない。

 その沈黙を、破ったのは――

「ふざけんなよ!!」

 低く、しかし荒れた声。
 ロイクだった。

 一歩前に出て、真正面からルイを睨みつける。

「何が貴族の矜持だ?常識だ?お前は何なんだ?
妻が意識不明になった途端、妻の従妹いとこと再婚する男が、よくもまあ、そんな台詞を吐けるな」

 気迫が、場を圧する。
 ルイは、眉ひとつ動かさず、ただ、静かにロイクを見返している。

「……おや?家出同然で騎士団に入った、我が義弟おとうとじゃないか。久しぶりだな」

 口元に、薄い笑みを浮かべ、穏やかな声で、しかし確実に抉る。

「義父上が、会いたがっているよ」

「……っ!」

 ロイクの拳が、震える。

「そんな汚い実家には……二度と帰らない!!」

「ロイク……」

 リゼットが、かすれた声で名を呼び、涙を零す。ルイは即座に彼女の肩を抱き、庇うように引き寄せた。

「ああ、リゼット……泣かないでくれ」

 その仕草は、あまりにも優しかった。

「今日はもう、帰ろう」
「……ええ」

 リゼットは小さく頷き、身を委ねる。

「ちょっと待てや!!」

 リセラが叫ぶ。
 その声に、リゼットがびくりと身をすくめる。

 ――その時。

 静かな足音。
 アデルが、一歩前へ出た。
 背筋を伸ばし、真っ直ぐに二人を見る。

「……私の侍女の不始末…」

 よく通る、澄んだ声。

「誠に、申し訳ありませんでした」

 深く、頭を下げる。

「次期伯爵様、伯爵夫人様におかれましては、どうか寛大なお心で、お許しを賜りたく存じます」

 顔を上げ、揺るがぬ視線で続ける。

「それでも、罰が必要とお考えなら――私が、身をもって受けます」

 場がしんと静まり返った。

「お嬢様……っ」
「アデル姉さん……!」

 リセラとロイクが、同時に声を上げる。

 だが、アデルは二人を制し、
 ただ、毅然と前を見据えていた。

 ルイの瞳が、ほんの一瞬だけ、揺れた。   
 誰にも気づかれぬほど、微かな動きだった。

「……アデルお姉様」

 リゼットが、静かに頭を下げる。

「私こそ……ごめんなさい」

 そう言って、ルイの肩にしなだれかかるように馬車へ乗り込んだ。

 扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出す。

 その小窓越しに――

 一瞬だけ。
 ルイと、目が合った気がした。

 だが、その瞳が何を考えているのか、今のアデルには、もう分からなかった。

 ただ、胸の奥に残ったのは――
 冷たく、そして、消えない痛みだった。




 モントレー伯爵家の馬車は、やがて街道の先で小さな影になり、ほどなく見えなくなった。

 三年半ぶりの再会だった。

 会うのが、怖かった。
 ルイの瞳に、自分が映っていない現実を突きつけられるのが、何より怖かった。

 そして、実際に再会してみて――
 まだ、現実の出来事とは思えなかった。

 リゼットに気遣う彼の姿を、見たくなかった。

 自分を、他人を見るような冷たい瞳で射抜く彼を、見たくなかった。

 それでも、目は逸らせなかった。

「……お嬢様」

 沈黙を破ったのは、リセラだった。
 歩調を合わせながら、どこか申し訳なさそうに声を落とす。

「大丈夫だべか?わだすが暴走しちゃって……ごめんなさい」

 アデルは、ゆっくりと息を吐いてから、首を横に振った。

「大丈夫よ。……ただ、リセラは、もう少し発言には気をつけなくてはね」

 そう言いながらも、責める調子ではなかった。

「いや」

 すぐに、ロイクが言葉を継ぐ。

「リセラは、間違ってない。……俺も、あの二人には、まだまだ言ってやりたいことが山ほどある」

 握りしめた拳に、感情が滲む。

「ルイは……昔は、憧れの兄さんだった。でも、今は――正直、軽蔑してる」

 リセラが大きく頷いた。

「ほんとだべ。ルイ様、あんな人じゃなかった。……別人みてぇだ」

「なぁ」

 ロイクが、わざと軽い調子で続ける。

「双子の兄弟とかいて、入れ替わったんじゃないか?」
「……あり得るかもしれないべ」

 リセラが真顔で同意する。
 そのやり取りに、アデルは思わず小さく笑った。

「もう……ルイは双子じゃないわよ。あなたたちも、よく知っているでしょう?」

 けれど、その笑みは、どこか儚い。
 内心では、胸の奥が、じくりと痛んでいた。

(……本当に)

 あれが、かつて自分を愛した夫なのだろうか。信じられないほどの変貌ぶりだった。

 思い出の中のルイと、
 今日、目の前に立っていたルイ。

 その二人が、どうしても重ならない。

 アデルは、歩きながら、そっと視線を落とした。

 現実は、残酷だ。
 けれど――

 両脇に並ぶ二人の気配は、確かに温かかった。

 だから、まだ歩ける。
 前を向ける。

 たとえ胸が痛んでも、
 今は、この道を進むしかないのだと。

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