47 / 172
47
ベルヌー法律事務所に、その書簡が届いたのは、昼下がりだった。
封蝋は簡素だった。
家紋も誇示せず、装飾もない。
欠けも歪みもなく、力の入れ具合まで計算されたように整っている。
書式は正確だった。
一字の無駄もなく、語尾はすべて公的文書として最も穏当な形に揃えられている。
感情を排し、異議を差し挟ませないための言葉だけが、淡々と並んでいた。
そして、余白。
行間は詰めすぎず、広すぎない。
読み手に急がせも、考えさせもしない、絶妙な間隔があった。
まるで、読む側の呼吸まで把握しているかのようだった。
その紙面全体から滲み出ているのは、焦りでも威圧でもない。
――こちらがどう受け取るかなど、すでに織り込み済みだという、余裕だった。
差出人――モントレー伯爵家。
内容は、極めて公的だった。
「旧領寄りの土地に関する件につき、
当家として、当事者への事実確認を進める必要が生じた。ついては、関係者との接触について、事前に貴事務所へ通知する」
形式も、言葉遣いも、非の打ちどころがない。
マティアスが紙面を追いながら、眉をひそめる。
「……接触の“通知”ですか」
クロードは何も言わず、書簡を受け取り、静かに折り畳んだ。
「ああ、そうだ」
その声には、驚きも苛立ちもなかった。
ただ、状況を正確に測った者の低い響きだけがあった。
アデルは、胸の奥に広がるざわめきを抑えながら、尋ねる。
「……接触とは…誰が、来るんでしょうか」
クロードは一拍だけ間を置いた。
眼鏡の奥で、視線がわずかに鋭くなる。
「ここには、書いてはいない」
そして、淡々と続けた。
「だが、来るのは――君の元夫だろう」
その一言で、室内の空気が張り詰めた。
ロイクの手が、無意識に強く握られ、指先に力が入り、関節が白くなる。
「……剣は抜かない、ということだな」
ロイクの声は低く、抑えられていた。
「ああ」
クロードは短く言った。
「法を盾にした。拒めば、こちらが刃を抜いた形になる」
室内に、短い沈黙が落ちた。
ロイクは歯を食いしばり、視線を伏せる。
「……卑怯だな」
「だが、よく考えられている」
クロードは淡々と続けた。
「正面衝突を避けながら、こちらに選択を迫ってきている。拒めば、こちらが“問題を大きくした側”になる構図だ」
アデルは、ゆっくりと息を吐いた。
(……逃げ場を塞がれている)
だが、それは力で押し潰される恐怖ではなかった。理屈によって追い込まれていく、冷たい感覚だった。
「けんど、ルイ様はどの面下げて接触する気だべか?」
リセラは眉間に皺を寄せながら呟いた。
マティアスは少し考えるようにしてから、言葉を続ける。
「ルイ氏の評判は、社交界ではかなり良いんですよね。
見た目も整っていますし、頭の回転も速い。
モントレー家の執務も、実質的には彼が調整しているという話もあります」
「見た目や頭が良くても、人間性が伴わなければ意味がないべさ」
「確かに、リゼット嬢との再婚で一時は評判は落ちましたが……
旧モントレー家の没落や、アデルさんの事故を踏まえれば、貴族としてやむを得ない判断だった、という見方もあります」
「こらっ、マティアス!!」
リセラが鋭い声で咎める。
マティアスは我に返ったように顔色を変え、すぐに頭を下げた。
「す、すみません……アデルさん…」
「いいんです、マティアスさん」
アデルは力なく微笑んだ。
「世間がどう見ているのかを知っておく必要がありますから」
マティアスは、ばつが悪そうに視線を落とした。
「……ふん、ルイめ。とんだ恥知らずの男だ。アデルは堂々としていればいい。俺がついている」
ロイクが吐き捨てるように言うと、リセラもすぐに続いた。
「んだ、んだ!わだすも一緒にいるからな、お嬢様!!」
「……ありがとう。二人とも」
書簡の内容は、どこまでも理屈に沿っていた。
貴族としての管理責任。
当事者への事実確認。
法的な不備を避けるための正式な手続き。
すべてが、もっともらしく整えられている。
アデルは、再びゆっくりと息を吐いた。
逃げ場はない。
拒否することもできない。
(……来る)
姿を見せずに、拒めない理由を携えて。
そして、感情に最も近い距離から。
クロードが静かに口を開いた。
「アデル嬢、安心してほしい。面会の条件はこちらで決める」
彼はアデルをまっすぐに見て、はっきりと言った。
「一対一にはしない。時間も場所も限定し、必ず記録を残す」
それは弁護士としての冷静な判断だった。
同時に、彼女を守るために引かれた線でもあった。
ロイクが短く息を吐く。
「……俺も同席する」
「ああ、頼む」
クロードは即座に応じた。
「これは法的な接触だ。しかし――」
一拍置いて、静かに言葉を結ぶ。
「感情を使ってくる相手ほど、法の外で刃を振るう」
***
その夜。
モントレー伯爵家の執務室では、ベルヌー法律事務所へ送られた書簡の写しが、静かに机の上に置かれていた。
封蝋は割られ、紙は丁寧に揃えられている。
だが、そこに置かれた痕跡から、書簡を何度も読み返した形跡は見えなかった。
ルイは、机の傍に立っていた。
書簡に触れることはない。
必要な内容は、すでに一度目を通せば十分だった。
旧領寄りの土地。
当事者への事実確認。
事前通知という名目の接触。
どれも想定の範囲内だ。
彼は視線を上げ、窓の外へ目を向ける。
そこに、迷いも逡巡もなかった。
感情を整える必要はない。
言葉を選ぶ必要も、ほとんどない。
過去を持ち出すなら、事実だけで足りる。
ルイは、静かに袖口を正した。
この接触は、あくまで家の管理業務の一環だ。私情を挟む理由はない。
彼の表情は、最初から最後まで変わらなかった。冷静で、抑制が利いていて、どこか距離がある。
ルイは、書簡の写しから目を離し、執務室を後にする。
その背には、ためらいも、振り返りもなかった。
少なくとも――そのように、見えた。
封蝋は簡素だった。
家紋も誇示せず、装飾もない。
欠けも歪みもなく、力の入れ具合まで計算されたように整っている。
書式は正確だった。
一字の無駄もなく、語尾はすべて公的文書として最も穏当な形に揃えられている。
感情を排し、異議を差し挟ませないための言葉だけが、淡々と並んでいた。
そして、余白。
行間は詰めすぎず、広すぎない。
読み手に急がせも、考えさせもしない、絶妙な間隔があった。
まるで、読む側の呼吸まで把握しているかのようだった。
その紙面全体から滲み出ているのは、焦りでも威圧でもない。
――こちらがどう受け取るかなど、すでに織り込み済みだという、余裕だった。
差出人――モントレー伯爵家。
内容は、極めて公的だった。
「旧領寄りの土地に関する件につき、
当家として、当事者への事実確認を進める必要が生じた。ついては、関係者との接触について、事前に貴事務所へ通知する」
形式も、言葉遣いも、非の打ちどころがない。
マティアスが紙面を追いながら、眉をひそめる。
「……接触の“通知”ですか」
クロードは何も言わず、書簡を受け取り、静かに折り畳んだ。
「ああ、そうだ」
その声には、驚きも苛立ちもなかった。
ただ、状況を正確に測った者の低い響きだけがあった。
アデルは、胸の奥に広がるざわめきを抑えながら、尋ねる。
「……接触とは…誰が、来るんでしょうか」
クロードは一拍だけ間を置いた。
眼鏡の奥で、視線がわずかに鋭くなる。
「ここには、書いてはいない」
そして、淡々と続けた。
「だが、来るのは――君の元夫だろう」
その一言で、室内の空気が張り詰めた。
ロイクの手が、無意識に強く握られ、指先に力が入り、関節が白くなる。
「……剣は抜かない、ということだな」
ロイクの声は低く、抑えられていた。
「ああ」
クロードは短く言った。
「法を盾にした。拒めば、こちらが刃を抜いた形になる」
室内に、短い沈黙が落ちた。
ロイクは歯を食いしばり、視線を伏せる。
「……卑怯だな」
「だが、よく考えられている」
クロードは淡々と続けた。
「正面衝突を避けながら、こちらに選択を迫ってきている。拒めば、こちらが“問題を大きくした側”になる構図だ」
アデルは、ゆっくりと息を吐いた。
(……逃げ場を塞がれている)
だが、それは力で押し潰される恐怖ではなかった。理屈によって追い込まれていく、冷たい感覚だった。
「けんど、ルイ様はどの面下げて接触する気だべか?」
リセラは眉間に皺を寄せながら呟いた。
マティアスは少し考えるようにしてから、言葉を続ける。
「ルイ氏の評判は、社交界ではかなり良いんですよね。
見た目も整っていますし、頭の回転も速い。
モントレー家の執務も、実質的には彼が調整しているという話もあります」
「見た目や頭が良くても、人間性が伴わなければ意味がないべさ」
「確かに、リゼット嬢との再婚で一時は評判は落ちましたが……
旧モントレー家の没落や、アデルさんの事故を踏まえれば、貴族としてやむを得ない判断だった、という見方もあります」
「こらっ、マティアス!!」
リセラが鋭い声で咎める。
マティアスは我に返ったように顔色を変え、すぐに頭を下げた。
「す、すみません……アデルさん…」
「いいんです、マティアスさん」
アデルは力なく微笑んだ。
「世間がどう見ているのかを知っておく必要がありますから」
マティアスは、ばつが悪そうに視線を落とした。
「……ふん、ルイめ。とんだ恥知らずの男だ。アデルは堂々としていればいい。俺がついている」
ロイクが吐き捨てるように言うと、リセラもすぐに続いた。
「んだ、んだ!わだすも一緒にいるからな、お嬢様!!」
「……ありがとう。二人とも」
書簡の内容は、どこまでも理屈に沿っていた。
貴族としての管理責任。
当事者への事実確認。
法的な不備を避けるための正式な手続き。
すべてが、もっともらしく整えられている。
アデルは、再びゆっくりと息を吐いた。
逃げ場はない。
拒否することもできない。
(……来る)
姿を見せずに、拒めない理由を携えて。
そして、感情に最も近い距離から。
クロードが静かに口を開いた。
「アデル嬢、安心してほしい。面会の条件はこちらで決める」
彼はアデルをまっすぐに見て、はっきりと言った。
「一対一にはしない。時間も場所も限定し、必ず記録を残す」
それは弁護士としての冷静な判断だった。
同時に、彼女を守るために引かれた線でもあった。
ロイクが短く息を吐く。
「……俺も同席する」
「ああ、頼む」
クロードは即座に応じた。
「これは法的な接触だ。しかし――」
一拍置いて、静かに言葉を結ぶ。
「感情を使ってくる相手ほど、法の外で刃を振るう」
***
その夜。
モントレー伯爵家の執務室では、ベルヌー法律事務所へ送られた書簡の写しが、静かに机の上に置かれていた。
封蝋は割られ、紙は丁寧に揃えられている。
だが、そこに置かれた痕跡から、書簡を何度も読み返した形跡は見えなかった。
ルイは、机の傍に立っていた。
書簡に触れることはない。
必要な内容は、すでに一度目を通せば十分だった。
旧領寄りの土地。
当事者への事実確認。
事前通知という名目の接触。
どれも想定の範囲内だ。
彼は視線を上げ、窓の外へ目を向ける。
そこに、迷いも逡巡もなかった。
感情を整える必要はない。
言葉を選ぶ必要も、ほとんどない。
過去を持ち出すなら、事実だけで足りる。
ルイは、静かに袖口を正した。
この接触は、あくまで家の管理業務の一環だ。私情を挟む理由はない。
彼の表情は、最初から最後まで変わらなかった。冷静で、抑制が利いていて、どこか距離がある。
ルイは、書簡の写しから目を離し、執務室を後にする。
その背には、ためらいも、振り返りもなかった。
少なくとも――そのように、見えた。
あなたにおすすめの小説
真実の愛の裏側
藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。
男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――?
※ 他サイトにも投稿しています。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした
ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた
アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。
高校生くらいから何十回も告白した。
全て「好きなの」
「ごめん、断る」
その繰り返しだった。
だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。
紛らわしいと思う。
彼に好きな人がいるわけではない。
まだそれなら諦めがつく。
彼はカイル=クレシア23歳
イケメンでモテる。
私はアリア=ナターシャ20歳
普通で人には可愛い方だと言われた。
そんなある日
私が20歳になった時だった。
両親が見合い話を持ってきた。
最後の告白をしようと思った。
ダメなら見合いをすると言った。
その見合い相手に溺愛される。
【完結】愛する人のために
月樹《つき》
恋愛
カスペル公爵令嬢デルフィーヌは、幼い頃その愛くるしい笑顔に一目惚れしたクリストファー王子に請われ、彼の婚約者となった。
けれど王子妃としての厳しい教育を受けるうちに、彼が好きだった笑顔は滅多に見られなくなり…気がつけば彼の側には、デルフィーヌではなく屈託なく笑う平民の聖女アネモネの姿を見かけるようになる…。
『あなたのために、私は無邪気な笑顔もなくしたのに…』
このお話は愛する誰かのために生きる人達のお話です。
三部仕立てで、お話はそれぞれの視点で描かれております。
※他サイトでも投稿しております。
(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・
青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。
「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」
私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・
異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。
【結婚式当日に捨てられました】身代わりの役目は不要だと姉を選んだ王子は、隣国皇帝が私を国ごと奪いに来てから後悔しても手遅れです。
唯崎りいち
恋愛
結婚式当日、私は“替え玉”として捨てられた。
本物の姉が戻ってきたから、もう必要ないのだと。
けれど——
私こそが、誰も知らなかった“本物の価値”を持っていた。
世界でただ一人、すべてを癒す力。
そして、その価値を知るただ一人の人が、皇帝となって私を迎えに来る。
これは、すべてを失った少女が、本当に必要とされる場所へ辿り着く物語。