奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 面会が終わり、扉が静かに閉まった。

 室内に残った空気は、張りつめたまま、しばらく動かなかった。
 アデルは、ようやく深く息を吐いた。

 胸の奥が、重い。

 ルイを目の前にすると、どうしても思い出が浮かぶ。

 まだ互いに未熟で、領地の未来を語り合い、夜更けまで机を囲んだ日々。
 同じ方向を見ていると信じていた、あの温かい時間。

 それらは、昔は確かにあったはずなのに、
 今日向けられた冷静で容赦のない視線とは、どうしても重ならなかった。

 その事実が、静かに胸にこたえる。

「……」

 何も言わずにいると、クロードが短く声をかけた。

「感情的にならず、堂々としていた」

 それだけだったが、労いとしては十分だった。
 アデルは、こみ上げてくるものを必死に押し留め、顔を上げる。

「ええ……私たちは、完全に道を違えました」

 声は揺れなかった。

「だから私は、覚悟を持って、さらに先へ進みます」

 真っ直ぐに告げると、クロードはわずかに目を細めた。

「良い返答だ」

 そして、穏やかに続ける。

「覚悟を持った人間ほど、強いものはない。君は一人ではない」

  その声音に、凍りかけていた心が、少しずつ温まっていくのを感じた。

 アデルは小さく頷いた。
 もう、涙は出なかった。

 瞳は乾いている。
 それは感情を失ったからではない。
 前を向くという選択を、はっきりとした意志で受け入れたからだった。

 しばらくして、事務所の扉が開き、皆が揃って戻ってきた。心配を隠しきれない足取りだった。

「お嬢様!!」

 真っ先に声を上げたのはリセラだった。
 目の縁は赤く、今にも泣き出しそうである。

「わだすも同席したかったんだぁ。でも、マティアスが止めるもんだから……」
「当たり前だろ。暴走機関車のお前が入ったら、話が前に進まない」
「あんだと?!誰が暴走機関車だぁ?!」
「お前以外に誰がいるんだ!」
「もう!二人とも、今はアデルさんの話でしょう!」

 マティアスとリセラのいつもの応酬を、クラリスが素早く制した。
 その隙に、ロイクが一歩前へ出る。

「……アデル、大丈夫?」

 言葉は短かったが、声にははっきりとした不安が滲んでいた。

「俺も同席するつもりだった。でも……」

 言いかけたロイクを、クロードが穏やかに遮る。

「今回は、現モントレー伯爵家の内部に関わる事案が中心だった。君は、たとえ疎遠であっても、その家の血を引いている。立場として、相応しくない」

 反論の余地はなかった。
 ロイクは唇を噛み、黙って頷く。

 アデルは一歩前に出て、静かに言った。

「ロイク、気遣いをありがとう。リセラも、マティアスさんも、クラリスさんも……皆…」

 背筋を伸ばし、視線を上げて皆を見つめる。

「私は、大丈夫です」

 その言葉に、作り物の強がりはなかった。

 クロードは黙って彼女を見つめていたが、やがて短く口を開いた。

「アデル嬢、これからが本番だ」

 淡々とした声だったが、そこには確かな熱がこもっている。

「……はい。そうですね」

 アデルはゆっくりと息を吐いた。

「もう、後ろばかり振り返ってはいられません」

 声が揺れそうになるのを、ぎりぎりで抑える。

 その横で、ロイクは腕を組んだまま立っていた。表情は険しいが、視線は一度もアデルから離れない。

「……本当に、胸糞が悪い」

 低く吐き捨てる。

「……身内だろうが何だろうが、あんなことをして……アデルの財産にまで手を出すなんて」

「ロイク……」

「俺は」

 彼は一歩踏み出し、はっきりと言った。

「もう、血が繋がっていようとあの家に未練も情もない。アデルと一緒に、最後まで戦う」

 リセラが力強く頷いたあと、声を上げる。

「んだんだ!あんな卑怯な家に負けねぇべ!
ルイ様にだって、負けるこたぁねぇ!
お嬢様は、ちゃんと自分の足で立ってる!」

 マティアスは机の上の書類を整えながら、冷静に言葉を重ねた。

「法的にも、こちらの立場は極めて明確です。感情を挟まず、事実と記録で進めましょう」

 クロードもそれに同意する。

「こちらの番だ。焦らず、しかし確実に攻めていこう」

 アデルは、ゆっくりと皆を見渡した。
 誰一人、迷っていない。
 同じ方向を向いて立っている。

 それだけで、胸の奥に力が満ちていくのを感じた。

「……ありがとう。皆…」

 声は静かだったが、そこに迷いはなかった。

「私は、自分のものを、この手で取り戻します」

 その言葉に、誰も異を唱えなかった。

 ベルヌー法律事務所の空気は、いつの間にか整っていた。
 次の一手へ向かう覚悟が、確かに共有されていた。




 一方、廊下を歩くルイは、無意識のうちに拳を強く握りしめていた。

 ルイは、事務所を出てから、一定の歩調で歩いていた。足取りは乱れていない。

 数歩進んだところで、彼は足を止めた。
 背後にある扉へ、静かに視線を向ける。

 一度、唇がわずかに動いた。
 何かを言おうとしたようにも見えたが、言葉にはならなかった。

 次の瞬間、ルイは視線を切り、前を向く。
 そのまま、何事もなかったかのように歩き出した。

 足音は、やがて回廊の奥へ消えていく。

 その背中が、何を抱えているのか。
 それを知る者は、まだ誰もいなかった。
 

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