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――翌日。
ベルヌー法律事務所から、正式な聞き取り調査の依頼が届いた。
差出人は、クロード・ベルヌー。
文面は簡潔で、感情を一切含まない。
アデル・ドルン男爵令嬢の個人財産に関する権限移譲について、事実確認および経緯の聞き取りを行いたい、というものだ。
日時、場所、出席者、すべてが淡々と記されている。
それを読み終えたモーリスは、書簡を机に叩きつけた。
「……随分と気の早い連中だ。生意気にも、すべてこちらを指定してきている」
苛立ちを隠そうともせず、低く吐き捨てる。
「ふん。私は伯爵だぞ。たかが一弁護士事務所が、これで守りを固めたつもりか?」
鼻で笑い、続けた。
「逃げる理由などない。正面から――潰してやる」
そう言って、背後に控えていた男へ視線を向けた。
「……ヴィクトル」
背後に控えていた男が、一歩前に出る。
ヴィクトル・ラザール。
モントレー伯爵家が長年、表に出せない案件を任せてきた弁護士だった。
法を熟知しているが、守るのは正義ではなく依頼人の利益だけ。言い換えれば、抜け道と責任転嫁の専門家だ。
「任せてください、伯爵」
ヴィクトルは、薄く笑った。
「これは“調査”ではありません。“確認”です。
こちらが余計なことを言わなければ、問題になることはない」
「そうだな」
モーリスは頷いた。
「今回の件は、あくまで私の判断として処理する」
その言葉には、明確な意図があった。
ルイを、この場から外すためだ。
現在のモントレー伯爵家当主は、モーリスである。
ルイはあくまで次期当主に過ぎず、
正式な決裁権や責任は、すべて現当主であるモーリスに帰属する。
もしルイが聞き取りに同席すれば、
財産移譲の経緯について「当主代理として関与した」と解釈される余地が生じかねない。
それは、モーリスにとっても、ルイ自身にとっても避けるべき事態だった。
この件はあくまで、“当時の判断を行った現当主本人”が説明責任を負うべき案件である。
――だからこそ、ルイは同席しない。
「ルイは関わらせるな」
モーリスは、きっぱりと言い切った。
「これは前伯爵家内部の問題だ。あいつを表に出す必要はない。
ルイの立場を危うくすれば、それは一家の弱体化につながる。後継が揺らげば、家は共倒れだ」
ヴィクトルは、すぐに理解した。
「賢明なご判断です。では、私が代理として同席します」
***
聞き取り当日。
モントレー伯爵邸の正門前に、馬車が静かに停まっていた。
乗り込んだのは、モーリスと弁護士ヴィクトル・ラザールだけだった。並んで腰を下ろし、扉が閉められる。
これから向かう先は、クロード・ベルヌー法律事務所。
聞き取り調査と称した、あからさまな踏み込みの場だ。
その馬車に、ルイ・モントレーの姿はなかった。
馬車が走り出すと、ヴィクトルはゆったりと背もたれに身を預け、余裕のある口調で言った。
「ご安心ください、伯爵。聞き取り調査など、こちらが不利になることはありません」
モーリスは視線を前に向けたまま、黙って聞いている。
「言葉を選び、話の主導権を握り、余計な部分には踏み込ませない。それが私の役目です」
「……ベルヌーは、厄介な男だと聞いているが?」
低く問うと、ヴィクトルは小さく笑った。
「理想家で清廉な弁護士ほど、扱いやすい相手はいません。感情を表に出さず、理屈に固執する。そこを突けば、自然と枠の中に収まります」
「ふん」
モーリスは短く鼻を鳴らした。
「こちらは、善意でやっただけのことだ。銀行とのやり取りに難癖をつけられる筋合いはない」
「ええ。その通りです。あくまで“善意の管理”という立場を崩さなければ、問題は起きません」
ヴィクトルの声には、経験に裏打ちされた自信があった。同時に、その自信は、境界線を踏み越えることへの慣れをも感じさせる。
モーリスは外套を手に取り、肩に掛けながら低く言った。
「ベルヌーの小僧に、身の程というものを教えてやる」
「お任せください。必要以上に語らせることはありません」
馬車は速度を上げ、街路へと滑り出していく。二人とも、まだ気づいていなかった。
この聞き取り調査が、自分たちを守るための場ではなく、逃げ道を塞がれる入口であるということに。
*
ベルヌー法律事務所の応接室には、すでに三人が揃っていた。
中央にクロード・ベルヌー。
その隣に、アデル。
少し離れた位置で、書類を整えるマティアス。
クラリスは別件対応のため外出中。
リセラは資料の写しを取りに持ち場へ。
ロイクは、この件については一切関わらないよう、事前にクロードから明確に釘を刺されていた。
重い扉が開き、モーリスと弁護士が姿を現す。
「これはこれは……」
弁護士が先に口を開き、愛想のよい笑みを浮かべた。
「ベルヌー先生。本日はよろしくお願いいたします」
クロードは立ち上がらず、軽く会釈を返すだけだった。
「お越しいただきありがとうございます。本日は、事実確認のみを行います」
その声は、抑揚のない落ち着いたものだった。
モーリスは、アデルの姿を一瞥した。
そして、わざとらしく声を張り上げる。
「おお、アデルではないか。久しいな。目を覚ましたと聞いていたが、こうして元気そうな姿を見られて、叔父としては嬉しい限りだ」
「お久しぶりです、モーリス叔父様」
アデルは視線を逸らさなかった。
背筋を伸ばし、静かに椅子に座る。その落ち着いた佇まいに、モーリスは一瞬だけ目を細める。
「では、始めましょう」
クロードが淡々と告げた。
「本日の聞き取り内容は、すべて記録されます。発言は後日、書面として整理されることをご承知ください」
「もちろんだ」
モーリスは椅子に腰を下ろし、腕を組む。
「やましいことなど、何一つない」
同席している弁護士も頷き、すぐに言葉を添えた。
「当時は緊急事態でしたからね。昏睡状態にあった姪の財産を、近親者が一時的に管理する判断は、決して不自然なものではありません」
クロードは反論しなかった。
ただ、机上の書類を一枚取り上げる。
「では、確認します」
こうして、アデルの財産移譲の聞き取り調査が開始された。
ベルヌー法律事務所から、正式な聞き取り調査の依頼が届いた。
差出人は、クロード・ベルヌー。
文面は簡潔で、感情を一切含まない。
アデル・ドルン男爵令嬢の個人財産に関する権限移譲について、事実確認および経緯の聞き取りを行いたい、というものだ。
日時、場所、出席者、すべてが淡々と記されている。
それを読み終えたモーリスは、書簡を机に叩きつけた。
「……随分と気の早い連中だ。生意気にも、すべてこちらを指定してきている」
苛立ちを隠そうともせず、低く吐き捨てる。
「ふん。私は伯爵だぞ。たかが一弁護士事務所が、これで守りを固めたつもりか?」
鼻で笑い、続けた。
「逃げる理由などない。正面から――潰してやる」
そう言って、背後に控えていた男へ視線を向けた。
「……ヴィクトル」
背後に控えていた男が、一歩前に出る。
ヴィクトル・ラザール。
モントレー伯爵家が長年、表に出せない案件を任せてきた弁護士だった。
法を熟知しているが、守るのは正義ではなく依頼人の利益だけ。言い換えれば、抜け道と責任転嫁の専門家だ。
「任せてください、伯爵」
ヴィクトルは、薄く笑った。
「これは“調査”ではありません。“確認”です。
こちらが余計なことを言わなければ、問題になることはない」
「そうだな」
モーリスは頷いた。
「今回の件は、あくまで私の判断として処理する」
その言葉には、明確な意図があった。
ルイを、この場から外すためだ。
現在のモントレー伯爵家当主は、モーリスである。
ルイはあくまで次期当主に過ぎず、
正式な決裁権や責任は、すべて現当主であるモーリスに帰属する。
もしルイが聞き取りに同席すれば、
財産移譲の経緯について「当主代理として関与した」と解釈される余地が生じかねない。
それは、モーリスにとっても、ルイ自身にとっても避けるべき事態だった。
この件はあくまで、“当時の判断を行った現当主本人”が説明責任を負うべき案件である。
――だからこそ、ルイは同席しない。
「ルイは関わらせるな」
モーリスは、きっぱりと言い切った。
「これは前伯爵家内部の問題だ。あいつを表に出す必要はない。
ルイの立場を危うくすれば、それは一家の弱体化につながる。後継が揺らげば、家は共倒れだ」
ヴィクトルは、すぐに理解した。
「賢明なご判断です。では、私が代理として同席します」
***
聞き取り当日。
モントレー伯爵邸の正門前に、馬車が静かに停まっていた。
乗り込んだのは、モーリスと弁護士ヴィクトル・ラザールだけだった。並んで腰を下ろし、扉が閉められる。
これから向かう先は、クロード・ベルヌー法律事務所。
聞き取り調査と称した、あからさまな踏み込みの場だ。
その馬車に、ルイ・モントレーの姿はなかった。
馬車が走り出すと、ヴィクトルはゆったりと背もたれに身を預け、余裕のある口調で言った。
「ご安心ください、伯爵。聞き取り調査など、こちらが不利になることはありません」
モーリスは視線を前に向けたまま、黙って聞いている。
「言葉を選び、話の主導権を握り、余計な部分には踏み込ませない。それが私の役目です」
「……ベルヌーは、厄介な男だと聞いているが?」
低く問うと、ヴィクトルは小さく笑った。
「理想家で清廉な弁護士ほど、扱いやすい相手はいません。感情を表に出さず、理屈に固執する。そこを突けば、自然と枠の中に収まります」
「ふん」
モーリスは短く鼻を鳴らした。
「こちらは、善意でやっただけのことだ。銀行とのやり取りに難癖をつけられる筋合いはない」
「ええ。その通りです。あくまで“善意の管理”という立場を崩さなければ、問題は起きません」
ヴィクトルの声には、経験に裏打ちされた自信があった。同時に、その自信は、境界線を踏み越えることへの慣れをも感じさせる。
モーリスは外套を手に取り、肩に掛けながら低く言った。
「ベルヌーの小僧に、身の程というものを教えてやる」
「お任せください。必要以上に語らせることはありません」
馬車は速度を上げ、街路へと滑り出していく。二人とも、まだ気づいていなかった。
この聞き取り調査が、自分たちを守るための場ではなく、逃げ道を塞がれる入口であるということに。
*
ベルヌー法律事務所の応接室には、すでに三人が揃っていた。
中央にクロード・ベルヌー。
その隣に、アデル。
少し離れた位置で、書類を整えるマティアス。
クラリスは別件対応のため外出中。
リセラは資料の写しを取りに持ち場へ。
ロイクは、この件については一切関わらないよう、事前にクロードから明確に釘を刺されていた。
重い扉が開き、モーリスと弁護士が姿を現す。
「これはこれは……」
弁護士が先に口を開き、愛想のよい笑みを浮かべた。
「ベルヌー先生。本日はよろしくお願いいたします」
クロードは立ち上がらず、軽く会釈を返すだけだった。
「お越しいただきありがとうございます。本日は、事実確認のみを行います」
その声は、抑揚のない落ち着いたものだった。
モーリスは、アデルの姿を一瞥した。
そして、わざとらしく声を張り上げる。
「おお、アデルではないか。久しいな。目を覚ましたと聞いていたが、こうして元気そうな姿を見られて、叔父としては嬉しい限りだ」
「お久しぶりです、モーリス叔父様」
アデルは視線を逸らさなかった。
背筋を伸ばし、静かに椅子に座る。その落ち着いた佇まいに、モーリスは一瞬だけ目を細める。
「では、始めましょう」
クロードが淡々と告げた。
「本日の聞き取り内容は、すべて記録されます。発言は後日、書面として整理されることをご承知ください」
「もちろんだ」
モーリスは椅子に腰を下ろし、腕を組む。
「やましいことなど、何一つない」
同席している弁護士も頷き、すぐに言葉を添えた。
「当時は緊急事態でしたからね。昏睡状態にあった姪の財産を、近親者が一時的に管理する判断は、決して不自然なものではありません」
クロードは反論しなかった。
ただ、机上の書類を一枚取り上げる。
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