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モーリスは椅子に腰を下ろし、腕を組む。
「やましいことなど、何一つない」
同席しているヴィクトル弁護士も頷き、すぐに言葉を添えた。
「当時は緊急事態でしたからね。昏睡状態にあった姪の財産を、近親者が一時的に管理する判断は、決して不自然なものではありません」
クロードは反論しなかった。
ただ、机上の書類を一枚取り上げる。
「では、確認します」
声は静かだった。
「アデル嬢の個人財産について、委任の判断を下したのは、どなたですか?」
モーリスは間を置かずに答える。
「私だ。家族として、当然の判断だった」
「その判断に際し、アデル嬢は昏睡状態にあったため、代わりに父であるエドモン伯爵の意思確認は行いましたか?」
「……昏睡状態だったのだから、本人には確認できるはずがないだろう」
「では、アデル嬢の父であるエドモン伯爵には?」
一拍の沈黙。
モーリスの口角が、わずかに歪んだ。
「当時は、兄も兄嫁も混乱していた。看病で身動きが取れない状況だった」
クロードは頷きも否定もせず、淡々と問いを継いだ。
「銀行に提出された書類について伺います。署名と印章は、どなたが用意しましたか?」
モーリスは弁護士をちらりと見る。
ヴィクトルがすぐに口を挟んだ。
「その点については、詳細な記憶が曖昧でして——」
「質問は、モーリス伯爵にしています」
クロードは視線を逸らさず、静かに遮った。応接室の空気が、わずかに張り詰める。
モーリスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……書類は、伯爵家の管理文書から用意した」
「エドモン伯爵ご本人が?」
「……代理として、私が」
その瞬間、マティアスのペンが止まった。
クロードは、声色を変えずに言う。
「確認します。エドモン伯爵本人は、その書類を作成したことを認識していなかった。そう理解してよろしいですね?」
一瞬の沈黙。
ヴィクトルが慌てて割り込もうとする。
「先生、その言い方は——」
「事実確認です」
クロードは淡々と告げた。
「はいか、いいえでお答えください」
モーリスの喉が、わずかに鳴った。
アデルは、その様子を感情を挟まず、ただ事実として、黙って見つめていた。
やがて、モーリスは低く答えた。
「……認識していなかった可能性は…ある」
クロードは、その言葉を復唱した。
「可能性がある、ですね」
そして、静かに言葉を継ぐ。
「では、本日の聞き取りは、ここまでにしましょう」
モーリスが眉をひそめる。
「……終わりだと?」
「ええ。十分です」
クロードは書類を閉じ、アデルの方を一度だけ見た。
「本日の内容は、記録として整理し、後日、正式に通知します」
その言葉の意味を、モーリスはまだ正確に掴めていなかった。
だが一つだけ、確かだった。
この部屋で、主導権を握っていたのは、もはや自分ではないということを。
*
聞き取り調査を終え、モーントレー伯爵家の馬車が石畳を走り出した途端、モーリスは堪えていた苛立ちを爆発させた。
「……どういうことだ、ヴィクトル」
低く唸るような声だったが、その奥には焦燥が滲んでいた。
「なぜ、あれほど踏み込ませた。私は“事実確認”に応じただけだと言ったはずだ」
向かいに座るヴィクトル・ラザール弁護士は、外套の襟を正しながら答える。
「伯爵、こちらとしては最善を尽くしました。ですが、ベルヌー側は準備が周到でした。銀行側の記録、当時の手続き経緯、すべて整理されていた」
「だからといって、あそこまで不利な空気になる必要があったか?」
モーリスは、拳で膝を叩いた。
「まるで、私が最初から狙ってやったかのような言い方だ。あの若造……いや、ベルヌーめ」
「感情を抑えてください」
ヴィクトルは淡々としていた。
「現時点では、決定的な断定はされていません。ただし……」
「ただし、何だ」
「次は、訴訟を視野に入れてくるでしょう」
その言葉に、モーリスの喉が鳴った。
「……法的措置…」
「ええ。アデル嬢が本気で動けば、銀行側も巻き込まれます。そうなれば、表に出るものは増える」
馬車の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
やがて、屋敷が見えてくる。
だが、モーリスの怒りは、少しも収まっていなかった。
*
モントレー伯爵邸に戻るなり、モーリスは外套も脱がずに執務室へ向かった。
後を追うヴィクトルが何か言いかけたが、モーリスは手で制した。
「今はいい。考えをまとめる」
執務室の扉を閉めようとした、その時。
「旦那様」
執事が控えめに声をかけた。
「本日、土地に関する件で、他の弁護士事務所から問い合わせが三件ほど入っております」
「……土地?」
モーリスの動きが止まる。
「どのような内容だ」
「旧領寄りの土地について、過去の契約や関係者の動きを確認したいとのことです。いずれも、個別の依頼主を抱えているようでした」
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
(……来たか)
ハロルド。ジェイコブ。
あの時と、同じ匂い。
モーリスは、思わず声を荒らげた。
「それは……私が主導した話ではない!」
執事とヴィクトルが、同時に視線を向ける。
「私だって……私は、ある人物から助言を受けていただけだ!」
口に出した瞬間、モーリスは自分の言葉に気づいた。
だが、もう遅い。
「助言、ですか?」
ヴィクトルが、慎重に問い返す。
「誰からです?」
モーリスは、舌打ちをした。
「名前を出す必要はない。だが、信頼できる人物だ。私の立場や、家の将来を案じてくれていた」
「その人物は、土地の活用や資産管理について、具体的な指示を?」
「指示ではない。助言だ」
モーリスは、言い聞かせるように繰り返す。
「私は、それを参考にしただけだ。最終的に決めたのは、私自身だ」
執務室に、不自然な静けさが落ちる。
ヴィクトルは、それ以上踏み込まなかった。だが、表情はわずかに引き締まっている。
「……分かりました。今は、それ以上の発言は控えた方がよろしいでしょう」
モーリスは、乱暴に椅子へ腰を下ろした。
「ベルヌーめ……」
低く吐き捨てるように呟く。
「どこまで、嗅ぎつけている」
答えは、誰も持っていなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
モーリスは、すでに自分でも気づかぬうちに、 “逃げ道の外側”へ踏み出し始めていた。
「やましいことなど、何一つない」
同席しているヴィクトル弁護士も頷き、すぐに言葉を添えた。
「当時は緊急事態でしたからね。昏睡状態にあった姪の財産を、近親者が一時的に管理する判断は、決して不自然なものではありません」
クロードは反論しなかった。
ただ、机上の書類を一枚取り上げる。
「では、確認します」
声は静かだった。
「アデル嬢の個人財産について、委任の判断を下したのは、どなたですか?」
モーリスは間を置かずに答える。
「私だ。家族として、当然の判断だった」
「その判断に際し、アデル嬢は昏睡状態にあったため、代わりに父であるエドモン伯爵の意思確認は行いましたか?」
「……昏睡状態だったのだから、本人には確認できるはずがないだろう」
「では、アデル嬢の父であるエドモン伯爵には?」
一拍の沈黙。
モーリスの口角が、わずかに歪んだ。
「当時は、兄も兄嫁も混乱していた。看病で身動きが取れない状況だった」
クロードは頷きも否定もせず、淡々と問いを継いだ。
「銀行に提出された書類について伺います。署名と印章は、どなたが用意しましたか?」
モーリスは弁護士をちらりと見る。
ヴィクトルがすぐに口を挟んだ。
「その点については、詳細な記憶が曖昧でして——」
「質問は、モーリス伯爵にしています」
クロードは視線を逸らさず、静かに遮った。応接室の空気が、わずかに張り詰める。
モーリスは、ゆっくりと息を吐いた。
「……書類は、伯爵家の管理文書から用意した」
「エドモン伯爵ご本人が?」
「……代理として、私が」
その瞬間、マティアスのペンが止まった。
クロードは、声色を変えずに言う。
「確認します。エドモン伯爵本人は、その書類を作成したことを認識していなかった。そう理解してよろしいですね?」
一瞬の沈黙。
ヴィクトルが慌てて割り込もうとする。
「先生、その言い方は——」
「事実確認です」
クロードは淡々と告げた。
「はいか、いいえでお答えください」
モーリスの喉が、わずかに鳴った。
アデルは、その様子を感情を挟まず、ただ事実として、黙って見つめていた。
やがて、モーリスは低く答えた。
「……認識していなかった可能性は…ある」
クロードは、その言葉を復唱した。
「可能性がある、ですね」
そして、静かに言葉を継ぐ。
「では、本日の聞き取りは、ここまでにしましょう」
モーリスが眉をひそめる。
「……終わりだと?」
「ええ。十分です」
クロードは書類を閉じ、アデルの方を一度だけ見た。
「本日の内容は、記録として整理し、後日、正式に通知します」
その言葉の意味を、モーリスはまだ正確に掴めていなかった。
だが一つだけ、確かだった。
この部屋で、主導権を握っていたのは、もはや自分ではないということを。
*
聞き取り調査を終え、モーントレー伯爵家の馬車が石畳を走り出した途端、モーリスは堪えていた苛立ちを爆発させた。
「……どういうことだ、ヴィクトル」
低く唸るような声だったが、その奥には焦燥が滲んでいた。
「なぜ、あれほど踏み込ませた。私は“事実確認”に応じただけだと言ったはずだ」
向かいに座るヴィクトル・ラザール弁護士は、外套の襟を正しながら答える。
「伯爵、こちらとしては最善を尽くしました。ですが、ベルヌー側は準備が周到でした。銀行側の記録、当時の手続き経緯、すべて整理されていた」
「だからといって、あそこまで不利な空気になる必要があったか?」
モーリスは、拳で膝を叩いた。
「まるで、私が最初から狙ってやったかのような言い方だ。あの若造……いや、ベルヌーめ」
「感情を抑えてください」
ヴィクトルは淡々としていた。
「現時点では、決定的な断定はされていません。ただし……」
「ただし、何だ」
「次は、訴訟を視野に入れてくるでしょう」
その言葉に、モーリスの喉が鳴った。
「……法的措置…」
「ええ。アデル嬢が本気で動けば、銀行側も巻き込まれます。そうなれば、表に出るものは増える」
馬車の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
やがて、屋敷が見えてくる。
だが、モーリスの怒りは、少しも収まっていなかった。
*
モントレー伯爵邸に戻るなり、モーリスは外套も脱がずに執務室へ向かった。
後を追うヴィクトルが何か言いかけたが、モーリスは手で制した。
「今はいい。考えをまとめる」
執務室の扉を閉めようとした、その時。
「旦那様」
執事が控えめに声をかけた。
「本日、土地に関する件で、他の弁護士事務所から問い合わせが三件ほど入っております」
「……土地?」
モーリスの動きが止まる。
「どのような内容だ」
「旧領寄りの土地について、過去の契約や関係者の動きを確認したいとのことです。いずれも、個別の依頼主を抱えているようでした」
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
(……来たか)
ハロルド。ジェイコブ。
あの時と、同じ匂い。
モーリスは、思わず声を荒らげた。
「それは……私が主導した話ではない!」
執事とヴィクトルが、同時に視線を向ける。
「私だって……私は、ある人物から助言を受けていただけだ!」
口に出した瞬間、モーリスは自分の言葉に気づいた。
だが、もう遅い。
「助言、ですか?」
ヴィクトルが、慎重に問い返す。
「誰からです?」
モーリスは、舌打ちをした。
「名前を出す必要はない。だが、信頼できる人物だ。私の立場や、家の将来を案じてくれていた」
「その人物は、土地の活用や資産管理について、具体的な指示を?」
「指示ではない。助言だ」
モーリスは、言い聞かせるように繰り返す。
「私は、それを参考にしただけだ。最終的に決めたのは、私自身だ」
執務室に、不自然な静けさが落ちる。
ヴィクトルは、それ以上踏み込まなかった。だが、表情はわずかに引き締まっている。
「……分かりました。今は、それ以上の発言は控えた方がよろしいでしょう」
モーリスは、乱暴に椅子へ腰を下ろした。
「ベルヌーめ……」
低く吐き捨てるように呟く。
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