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――同日、夕刻。
モントレー伯爵邸の執務室に、一通の書簡が届けられた。
封を切った執事が、内容を読み取り、わずかに言葉を詰まらせる。顔色が悪くなっていた。
その様子に、モーリスは苛立ちを隠さず声をかける。
「何だ。はっきり言え」
「……ベルヌー法律事務所からです」
その名を聞いた瞬間、モーリスの眉が跳ね上がった。
「ふん、忌々しい。内容は、何て書いてある」
執事は一度、深く息を吸ってから続けた。
「アデル・ドルン男爵令嬢の代理人として、財産不正移譲および関連契約に関する正式な民事訴訟を提起した、との通知でございます」
室内の空気が、はっきりと変わった。
「……訴訟、だと?」
モーリスは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「待て。聞き取り調査は、まだ途中だろう」
「はい。しかし――」
「話し合いで済む話だ。なぜ、いきなり裁判になる!」
言葉は強く、怒りを含んでいたが、声の奥に滲む焦りは隠せていなかった。
「書面によれば……」
執事は、視線を落としたまま読み上げる。
「『これ以上の事実隠蔽、証拠散逸を防ぐため、
司法の場での整理が必要と判断した』と」
「……くそっ。生意気な」
吐き捨てるように言いながら、モーリスは机に手をついた。
――裁判。
それは、噂や圧力では覆せない場所だ。
証拠が必要で、記録が残り、逃げ道がない。
「誰が……決めた」
問いは、分かっていて口にしたものだった。
「アデル様ご本人の意思と、明記されています」
その一言が、決定打だった。
モーリスの脳裏に浮かんだのは、聞き取り調査の場で見た、あの静かな眼差し。
泣きもせず、怒りも露わにせず、
ただ、事実だけを積み上げていた女。
(……あの娘が)
胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。
「……訴えられたのは、私か」
「現時点では、被告はモーリス・モントレー伯爵。および、関係した金融機関となっております」
「……ルイは?」
思わず口を突いて出た名だった。
「次期当主ルイ様の名は、書面にはございません」
それを聞いて、安堵したのか、別の感情なのか、モーリス自身にも分からなかった。
だが、一つだけははっきりしていた。
もう、後戻りはできない。
助言だった。
命じていない。
善意だった。
そうした言い訳は、法廷では意味を持たない。
モーリスは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……弁護士を呼べ」
声は低く、掠れていた。
「今すぐだ。最優先でだ」
執事が頭を下げ、部屋を出て行く。
扉が閉まったあと、
モーリスは一人、天井を見上げた。
(……アデル…)
頭の中で、問いが渦を巻く。
自分は、守ろうとしただけだ。
家を、地位を、未来を。
それなのに。
裁判を起こしたのは、他でもない。
目覚めたばかりの、姪だった。
――その瞬間。
モーリスは、ようやく気づき始めていた。
これは、交渉ではない。
脅しでもない。
戦いの段階が、変わったのだ。
*
モントレー伯爵邸の執務室に、ルイは急遽、呼ばれていた。
扉を開けると、室内の空気は重かった。
机に広げられた書類。
乱れたままの羽根ペン。
そして、椅子に深く腰を沈めたモーリスの背中。
「ああ、ルイか…」
振り返らずに投げられた声は、普段より低い。
「座ってくれ」
ルイは無言で従い、向かいの椅子に腰を下ろした。視線は机上の書類に向いたままだ。
「……ベルヌーから、正式な通知が来た」
モーリスはようやく顔を上げた。
「アデルが……裁判を起こした」
その言葉を、ルイは一拍置いて受け取った。
表情は、変わらない。
「民事訴訟だ。財産移譲と、その周辺契約すべてについてだそうだ」
怒鳴るでもなく、苛立ちを爆発させるでもない。
だが、声の端に焦りが滲んでいる。
「聞き取り調査の段階で止まると思っていた。
だが、あの女は……法廷を選んだ」
ルイは静かに問い返した。
「被告は……義父上ですか?」
その冷静な確認に、モーリスの眉がわずかに動く。
「……ああ、私だ。あと、銀行も含まれている。
お前の名は、出ていない」
「そうですか」
それだけだった。
何の感情ものせない、ただ事実を整理するような声だった。
「ルイ」
モーリスが、苛立ちを抑えきれずに呼びかける。
「お前は、何とも思わないのか。あの女に訴えられたんだぞ。くそっ。身内を訴えるなんてな…!モントレー家に楯突くなんてな」
「身内を訴えるですか…」
ルイは淡々と言葉を発する。
「訴えられる原因を作ったのは義父上ですよね?」
その言葉に、室内の空気がさらに張り詰めた。
「……ルイ…お前まで、私に楯突く気か?元妻と繋がっているのか?」
「私がは事実を整理しているだけです。元妻と繋がっていないのは義父上ならばわかるでしょう」
ルイは視線を上げ、初めてモーリスを正面から見た。
「裁判を起こしたということは、相手は、感情ではなく、証拠で勝つ準備が整ったという意味です」
モーリスは、無意識に歯を噛みしめる。
「ベルヌーは……手強い」
「ええ」
短い肯定だった。
「彼の手腕は、法曹界でも一目を置かれてます」
一瞬だけ、言葉を選ぶ間があった。
「そういう人間を敵に回したということです」
それは評価でも、擁護でもなかった。
単なる事実確認だった。
モーリスは、苛立ちを隠そうともせず、机を叩いた。
「だからこそ、だ!お前にも動いてもらう必要がある。家のために、事を穏便に――」
「できません」
即答だった。
その声音に、迷いはなかった。
「今、私が動けば、責任の線が次期当主に近づきます。それは、この家にとって、不利になるでしょう」
「……お前…保身か」
「危機管理です」
ルイは静かに言った。
「義父上は、法廷で戦うことになる。私は、その結果を受け止める立場に留まります」
沈黙が落ちる。
モーリスは、しばらくルイを睨んでいたが、やがて視線を逸らした。
「……好きにしろ」
吐き捨てるような声だった。
ルイは立ち上がり、一礼する。
「失礼します」
扉に手をかける直前、モーリスが低く言った。
「……お前は、冷たいな」
ルイは振り返らなかった。
「いいえ」
静かな声で、それだけを返す。
「私は、現実を見ているだけです」
扉が閉まる。
廊下に出たルイは、足を止めずに歩き出した。胸の内に、迷いはなかった。
(……裁判という選択をしたか)
その判断の重さを、彼は正確に理解している。
感情を断ち切り、
逃げ道を塞ぎ、
真っ直ぐに、正面から。
――ようやく、確信が形になった。
ルイの歩みは、乱れなかった。
モントレー伯爵邸の執務室に、一通の書簡が届けられた。
封を切った執事が、内容を読み取り、わずかに言葉を詰まらせる。顔色が悪くなっていた。
その様子に、モーリスは苛立ちを隠さず声をかける。
「何だ。はっきり言え」
「……ベルヌー法律事務所からです」
その名を聞いた瞬間、モーリスの眉が跳ね上がった。
「ふん、忌々しい。内容は、何て書いてある」
執事は一度、深く息を吸ってから続けた。
「アデル・ドルン男爵令嬢の代理人として、財産不正移譲および関連契約に関する正式な民事訴訟を提起した、との通知でございます」
室内の空気が、はっきりと変わった。
「……訴訟、だと?」
モーリスは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「待て。聞き取り調査は、まだ途中だろう」
「はい。しかし――」
「話し合いで済む話だ。なぜ、いきなり裁判になる!」
言葉は強く、怒りを含んでいたが、声の奥に滲む焦りは隠せていなかった。
「書面によれば……」
執事は、視線を落としたまま読み上げる。
「『これ以上の事実隠蔽、証拠散逸を防ぐため、
司法の場での整理が必要と判断した』と」
「……くそっ。生意気な」
吐き捨てるように言いながら、モーリスは机に手をついた。
――裁判。
それは、噂や圧力では覆せない場所だ。
証拠が必要で、記録が残り、逃げ道がない。
「誰が……決めた」
問いは、分かっていて口にしたものだった。
「アデル様ご本人の意思と、明記されています」
その一言が、決定打だった。
モーリスの脳裏に浮かんだのは、聞き取り調査の場で見た、あの静かな眼差し。
泣きもせず、怒りも露わにせず、
ただ、事実だけを積み上げていた女。
(……あの娘が)
胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。
「……訴えられたのは、私か」
「現時点では、被告はモーリス・モントレー伯爵。および、関係した金融機関となっております」
「……ルイは?」
思わず口を突いて出た名だった。
「次期当主ルイ様の名は、書面にはございません」
それを聞いて、安堵したのか、別の感情なのか、モーリス自身にも分からなかった。
だが、一つだけははっきりしていた。
もう、後戻りはできない。
助言だった。
命じていない。
善意だった。
そうした言い訳は、法廷では意味を持たない。
モーリスは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……弁護士を呼べ」
声は低く、掠れていた。
「今すぐだ。最優先でだ」
執事が頭を下げ、部屋を出て行く。
扉が閉まったあと、
モーリスは一人、天井を見上げた。
(……アデル…)
頭の中で、問いが渦を巻く。
自分は、守ろうとしただけだ。
家を、地位を、未来を。
それなのに。
裁判を起こしたのは、他でもない。
目覚めたばかりの、姪だった。
――その瞬間。
モーリスは、ようやく気づき始めていた。
これは、交渉ではない。
脅しでもない。
戦いの段階が、変わったのだ。
*
モントレー伯爵邸の執務室に、ルイは急遽、呼ばれていた。
扉を開けると、室内の空気は重かった。
机に広げられた書類。
乱れたままの羽根ペン。
そして、椅子に深く腰を沈めたモーリスの背中。
「ああ、ルイか…」
振り返らずに投げられた声は、普段より低い。
「座ってくれ」
ルイは無言で従い、向かいの椅子に腰を下ろした。視線は机上の書類に向いたままだ。
「……ベルヌーから、正式な通知が来た」
モーリスはようやく顔を上げた。
「アデルが……裁判を起こした」
その言葉を、ルイは一拍置いて受け取った。
表情は、変わらない。
「民事訴訟だ。財産移譲と、その周辺契約すべてについてだそうだ」
怒鳴るでもなく、苛立ちを爆発させるでもない。
だが、声の端に焦りが滲んでいる。
「聞き取り調査の段階で止まると思っていた。
だが、あの女は……法廷を選んだ」
ルイは静かに問い返した。
「被告は……義父上ですか?」
その冷静な確認に、モーリスの眉がわずかに動く。
「……ああ、私だ。あと、銀行も含まれている。
お前の名は、出ていない」
「そうですか」
それだけだった。
何の感情ものせない、ただ事実を整理するような声だった。
「ルイ」
モーリスが、苛立ちを抑えきれずに呼びかける。
「お前は、何とも思わないのか。あの女に訴えられたんだぞ。くそっ。身内を訴えるなんてな…!モントレー家に楯突くなんてな」
「身内を訴えるですか…」
ルイは淡々と言葉を発する。
「訴えられる原因を作ったのは義父上ですよね?」
その言葉に、室内の空気がさらに張り詰めた。
「……ルイ…お前まで、私に楯突く気か?元妻と繋がっているのか?」
「私がは事実を整理しているだけです。元妻と繋がっていないのは義父上ならばわかるでしょう」
ルイは視線を上げ、初めてモーリスを正面から見た。
「裁判を起こしたということは、相手は、感情ではなく、証拠で勝つ準備が整ったという意味です」
モーリスは、無意識に歯を噛みしめる。
「ベルヌーは……手強い」
「ええ」
短い肯定だった。
「彼の手腕は、法曹界でも一目を置かれてます」
一瞬だけ、言葉を選ぶ間があった。
「そういう人間を敵に回したということです」
それは評価でも、擁護でもなかった。
単なる事実確認だった。
モーリスは、苛立ちを隠そうともせず、机を叩いた。
「だからこそ、だ!お前にも動いてもらう必要がある。家のために、事を穏便に――」
「できません」
即答だった。
その声音に、迷いはなかった。
「今、私が動けば、責任の線が次期当主に近づきます。それは、この家にとって、不利になるでしょう」
「……お前…保身か」
「危機管理です」
ルイは静かに言った。
「義父上は、法廷で戦うことになる。私は、その結果を受け止める立場に留まります」
沈黙が落ちる。
モーリスは、しばらくルイを睨んでいたが、やがて視線を逸らした。
「……好きにしろ」
吐き捨てるような声だった。
ルイは立ち上がり、一礼する。
「失礼します」
扉に手をかける直前、モーリスが低く言った。
「……お前は、冷たいな」
ルイは振り返らなかった。
「いいえ」
静かな声で、それだけを返す。
「私は、現実を見ているだけです」
扉が閉まる。
廊下に出たルイは、足を止めずに歩き出した。胸の内に、迷いはなかった。
(……裁判という選択をしたか)
その判断の重さを、彼は正確に理解している。
感情を断ち切り、
逃げ道を塞ぎ、
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――ようやく、確信が形になった。
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